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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第3章:「深海」
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第9話「来なくなった海」


ー回想


最初は、

少し遅いだけだと思っていた。


蒼士郎は人間だ。


仕事もある。


家族もいる。


海へ来られない日くらいある。


だからレヴィは、

いつもの岩場近くで静かに待っていた。


夜の海。


月明かり。


波の音。


けれど。


蒼士郎は来ない。


次の日も。


その次の日も。


海は静かなままだった。



時間だけが過ぎていく。


人魚にとって、

時間は長い。


だから待ててしまう。


待ちながら、

少しずつ理解してしまう。


人間は、

永遠じゃない。


蒼士郎は以前より、

咳をするようになっていた。


呼吸も浅かった。


泳ぐ時間も短くなった。


分かっていたはずなのに。


レヴィはどこかで、

蒼士郎だけは違う気がしていた。


そんなはずないのに。


深海の底。


静かな海流の中で、

レヴィはゆっくり目を閉じる。


その時だった。


不意に。


海が静まった。


波ではない。


海流でもない。


もっと深い感覚。


海そのものが、

ひとつ命を還したような静けさ。


人魚だけが分かる、

終わりの気配。


レヴィの瞳がわずかに揺れる。


理解したくなかった。


けれど。


海は残酷なほど静かだった。


――ああ。


もう来ない。


その瞬間。


レヴィは反射的に歌おうとした。


海へ。


届くように。


蒼士郎を探すみたいに。


けれど。


声が出なかった。


喉が震える。


息だけが零れる。


歌にならない。


何度も。


何度も。


それでも。


海へ溶けるはずの歌は、

もうどこにもなかった。


完全に失ったのだと、

その時初めて理解した。


蒼士郎と共に。


レヴィの歌も、

海へ沈んだ。


深海は静かだった。


冷たい。


暗い。


広すぎる。


レヴィはひとり、

海の底へ沈んでいく。


もう、

“また来る”という声は聞こえない。


夏の海で笑う人間は、

二度と戻らない。


どれだけ待っても。


人間は、

海へ残らない。


「……レヴィ」


低い声が、

深海へ響く。


レヴィはゆっくり目を開けた。


海の王だった。


長い黒髪が、

静かな海流に揺れている。


王は何も聞かない。


ただ静かに、

息子を見る。


レヴィも何も言わなかった。


けれど。


歌えない。


それだけで十分だった。


王はゆっくり目を伏せる。


長い沈黙。


やがて。


「……死んだか」


静かな声。


責める響きはなかった。


ただ、

深海みたいに重い。


レヴィは否定しない。


できなかった。


王はそんな息子を見つめながら、

小さく息を吐く。


「だから言った」


低い声が、

海へ沈む。


レヴィは静かに目を閉じた。


胸の奥だけが痛い。


歌もない。


声もない。


残ったのは、

終わらない喪失だけだった。


遠くの回廊で、

幼いノアの笑い声が聞こえる。


まだ何も知らない声。


無邪気な、

幼い人魚。


「お兄様って、

 全然歌わないよねー!」


楽しそうな声が、

遠くから響く。


レヴィは答えない。


昔は違った。


昔は、

歌えていた。


けれどもう。


海へ届く歌は、

どこにも残っていなかった。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』

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