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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第3章:「深海」
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22/59

第7話「海の魔女」


深海の底には、

決して近付いてはいけない場所がある。


幼い頃から、

レヴィはそう教えられてきた。


遺跡よりさらに深く。


光も、

歌も、

海流すら届きにくい場所。


そこには、

“海の魔女”がいる。


人魚たちは皆、

その存在を知っている。


けれど、

誰も軽々しく名を呼ばない。


願いを叶える代わりに、

必ず何かを奪う存在。


それが海の魔女だった。



「本当にいるの?」


ノアが興味津々な目で言う。


崩れた神殿の回廊。


青白い魚群が、

静かに頭上を流れていく。


レヴィはちらりと妹を見る。


「……いる」


短い返事。


ノアは少し目を輝かせた。


「会ったことある?」


「ない」


レヴィは即答した。


会いたいとも思わない。


関わるべき存在ではない。


ノアは尾びれを揺らしながら、

楽しそうに笑う。


「でも噂は聞いたことあるよ」


「願いを叶える代わりに、

 何か持っていくんでしょ?」


深海の中で、

小さく波が揺れる。


レヴィは静かに目を伏せた。


「代償なしの願いなどない」


低い声だった。


ノアは不思議そうに首を傾げる。


「そんなに怖い顔しなくてもいいじゃん」


「……お前は、

 興味を持つな」


その声音は、

珍しく硬かった。


ノアが少しだけ目を丸くする。


レヴィは視線を逸らした。


海の魔女は、

人魚を変える。


身体。


声。


寿命。


魂。


海の理から外れた願いほど、

代償は重い。


昔、

海の底で聞いたことがある。


人間になりたいと願った人魚。


死んだ伴侶を忘れたいと願った人魚。


声を失った人魚。


誰も幸せそうではなかった。


だから。


近付くべきじゃない。


ノアは珊瑚へ寄り掛かりながら、

ぼんやり海面の方を見上げる。


「でもさ」


「……なんだ」


「もし、

 どうしても叶えたい願いがあったら?」


その言葉に、

レヴィの胸がわずかに軋んだ。


どうしても叶えたい願い。


昔、

確かにあった。


“海へ来い”


伴侶になれ。


共に生きろ。


蒼士郎へ向けた願い。


けれど。


叶わなかった。


レヴィは静かに目を閉じる。


あの日から、

歌がうまく歌えなくなった。


人魚にとって歌は、

魂そのものだ。


感情。


愛。


海との繋がり。


本来なら、

深海側の王族であるレヴィは、

誰より深く海と共鳴できた。


けれど今は違う。


歌おうとすると、

胸の奥が軋む。


声が海へ溶けない。


まるで、

海に拒まれているみたいだった。


ノアはそんな兄を見ながら、

少し困ったように笑う。


「お兄様、

 本当に歌わないよね」


レヴィは答えない。


昔は違った。


幼い頃は、

深海へ響くほど歌っていた。


けれど。


もう長い間、

まともに歌えていない。


ノアは気付いていない。


その理由も。


兄が何を失ったのかも。


静かな海流が、

ふたりの間を通り過ぎる。


やがてノアは、

ぽつりと呟いた。


「願いって、

 そんなに駄目なものかな」


レヴィの瞳がわずかに揺れる。


願い。


それは時々、

海の掟すら壊してしまう。


だから恐ろしい。


レヴィはゆっくり目を伏せる。


脳裏に浮かぶのは、

黒髪の人間だった。


夏の海で笑う、

深海蒼士郎。


そして今。


苦しそうに海を泳ぐ、

深海碧。


レヴィは小さく息を吐く。


深海は静かだった。


けれど胸の奥だけが、

ひどく騒がしかった。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』

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