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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第3章:「深海」
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第6話「求婚」


ー回想ー


夏の終わりだった。


海風が少しだけ冷たい。


蒼士郎はいつもの岩場へ座りながら、

濡れた髪をかき上げた。


「最近、

 海冷たくなってきたな」


レヴィは海面から静かに蒼士郎を見る。


黒髪。


笑う声。


海を泳ぐ時の自由な息遣い。


最初に出会った頃から、

何ひとつ飽きなかった。


むしろ。


会うたび、

もっと欲しくなる。


もっと隣にいたくなる。


人魚にとって、

それは本能に近かった。


伴侶を選ぶこと。


共に海へ還る相手を決めること。


一度選べば、

二度と変わらない。


レヴィはずっと、

それを理解していなかった。


けれど。


蒼士郎と出会って初めて知った。


これが、

“選ぶ”ということなのだと。


蒼士郎は岩場へ寝転びながら、

ぼんやり空を見上げる。


「今日、

 子どもが熱出してさ」


レヴィの瞳がわずかに揺れる。


「……子ども」


「ん?

 言ってなかったっけ」


蒼士郎は笑う。


「娘と息子いるんだよ」


知っていた。


とっくに。


人魚は海越しに、

人間の暮らしを見ることがある。


蒼士郎が家族を大事にしていることも、

レヴィは知っていた。


それでも。


それでも、

欲しいと思ってしまった。


レヴィは静かに海面へ近付く。


蒼士郎がこちらを見る。


青金の瞳と、

黒い瞳が重なる。


深海が揺れる。


レヴィは低く言った。


「蒼士郎」


「ん?」


「海へ来い」


蒼士郎の表情が止まる。


波の音だけが響いた。


レヴィは真っ直ぐ蒼士郎を見る。


「お前を伴侶にしたい」


静かな声だった。


けれどその言葉は、

人魚にとって絶対だった。


共に海を生きる。


共に還る。


魂を結ぶ。


その意味。


蒼士郎はしばらく黙っていた。


驚いたような顔で、

レヴィを見る。


やがて。


困ったように、

少しだけ笑った。


「……それ、

 プロポーズ?」


「人間の言葉ならそうだ」


蒼士郎は視線を落とす。


夜の海が静かに揺れる。


長い沈黙。


そのあと。


蒼士郎はゆっくり首を横に振った。


「ごめんな」


その瞬間。


レヴィの胸の奥で、

何かが静かに軋んだ。


蒼士郎は苦しそうに笑う。


「俺、

 家族いるんだ」


「知っている」


「大事なんだよ」


レヴィは何も言えなかった。


蒼士郎はレヴィを見る。


優しい目だった。


それが余計に苦しい。


「お前のこと、

 好きだよ」


静かな声。


波より優しい音。


「でも俺、

 人間として生きたい」


海風が吹く。


レヴィは動けなかった。


蒼士郎は断った。


なのに。


その目には、

確かに想いがあった。


だから余計に残酷だった。


「……レヴィ」


名前を呼ぶ声が痛い。


レヴィは静かに目を伏せる。


歌えない。


胸の奥にあるはずの歌が、

うまく形にならない。


その夜初めて。


レヴィは、

自分の歌を失い始めた。



ー現在



「陸って、

 どんな場所なんだろう」


現在。


深海の神殿。


珊瑚の光が揺れる庭で、

ノアが海面の方を見上げていた。


レヴィは眉を寄せる。


「興味を持つな」


「なんで?」


ノアは不思議そうに振り返る。


「浅瀬って綺麗なんでしょ?

 人間の歌も、

 月も」


「だからだ」


低い声だった。


ノアが少し目を丸くする。


レヴィは静かに視線を逸らした。


「人間へ近付きすぎるな」


その声音は、

珍しく強かった。


ノアは少しだけ困ったように笑う。


「お兄様、

 なんでそんなに人間嫌いなの」


レヴィは答えない。


答えられなかった。


夏の海。


黒髪。


“人間として生きたい”


という声。


そして。


今、

海へ逃げるように泳ぐ、

もうひとりの人間。


レヴィはゆっくり目を閉じる。


深海の底は暗い。


けれど、

どうしても忘れられない。


人間は。


あまりにも眩しかった。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』

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