第5話「海の王」
深海は静かだった。
光も届かない、
海の底。
崩れた神殿の奥で、
ゆるやかな海流だけが流れている。
レヴィは長い回廊を泳ぎながら、
小さく息を吐いた。
最近、
浅瀬へ行く回数が増えている。
自覚はあった。
気付けば海面近くへ向かっている。
夜になると、
あの人間が海へ来る気がしてしまう。
深海碧。
その名前を思い出した瞬間。
「レヴィ」
低い声が、
海の底へ響いた。
レヴィの動きが止まる。
振り返ると、
神殿の最奥。
巨大な石柱の間に、
ひとりの男が立っていた。
長い黒髪。
深海みたいな暗い瞳。
白銀にも見える巨大な尾びれ。
圧倒的な存在感。
海の王だった。
その場にいるだけで、
周囲の海流すら従っているように見える。
レヴィは静かに目を伏せた。
王はゆっくりレヴィを見る。
その視線は冷たい。
けれど、
ただ冷酷なだけではない。
何百年もの海を見てきた者の目だった。
「最近、
浅瀬へ行き過ぎだ」
静かな声。
責めるような言い方ではない。
だが、
逃げ場のない重さがある。
レヴィは何も答えなかった。
王はゆっくり近付いてくる。
長い尾びれが、
静かに深海を揺らす。
「浅瀬は、
お前の領域ではない」
「……分かっている」
低く返す。
王はしばらくレヴィを見ていた。
その瞳は、
何かを見透かすみたいだった。
やがて。
ぽつりと、
静かな声が落ちる。
「また人間か」
その瞬間。
レヴィの瞳がわずかに揺れた。
ほんの小さな変化。
けれど王は見逃さない。
深海の空気が、
わずかに重くなる。
レヴィは視線を逸らした。
否定しない。
それだけで十分だった。
王は小さく目を細める。
「お前は昔から、
人間へ執着しすぎる」
「執着などしていない」
即答だった。
けれど。
その声は少し硬い。
王は静かにレヴィを見つめる。
まるで、
遠い昔を思い出しているみたいに。
「人間は脆い」
低い声が、
海へ沈む。
「すぐ老い、
すぐ死ぬ」
レヴィは黙った。
知っている。
嫌というほど。
王はゆっくり目を伏せる。
「海へ残されるのは、
いつも我らだ」
その言葉に、
レヴィの胸の奥が微かに痛んだ。
夏の海。
黒髪。
笑い声。
“レヴィ”
名前を呼ぶ声。
遠い記憶が、
波みたいに揺れる。
王はそんな息子を見つめながら、
静かに言った。
「二度目は許されん」
深海が静まり返る。
レヴィはゆっくり拳を握った。
それでも。
脳裏へ浮かぶのは、
苦しそうに泳ぐ人間だった。
蒼士郎とは違う。
なのに。
どうしても、
目を離せない。
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ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




