第3話「夏の人間」
それは、
まだレヴィが幼かった頃の記憶。
人間で言えば、
十八ほどの姿をしていた頃だった。
夏の海だった。
陽射しが水面を白く照らし、
浅瀬には魚の群れが揺れている。
深海側の人魚であるレヴィにとって、
浅瀬はあまり好きな場所ではなかった。
明るすぎる。
騒がしい。
人間の気配が近い。
だから普段は、
必要以上に近付かない。
その日も、
ただ海流に乗っていただけだった。
――ざぶん。
不意に、
水面へ大きな影が飛び込んだ。
レヴィは反射的に目を向ける。
ひとりの人間だった。
黒髪。
日に焼けた肌。
水の中で笑っている。
その瞬間。
レヴィは少しだけ目を見開いた。
人間は普通、
海を恐れる。
特に夜や深い場所は、
本能的に避ける。
なのにその人間は、
まるで魚みたいに海を泳いでいた。
自由に。
楽しそうに。
海へ愛されているみたいに。
人間は、
こんな風に泳げるのかと。
レヴィは初めて思った。
その人間――蒼士郎は、
魚を追いかけるように潜り、
笑いながらまた浮上する。
水の流れすら、
楽しんでいるみたいだった。
見ているだけで、
不思議な感覚になる。
その時。
蒼士郎が、
ふと海の底を見た。
真っ直ぐ、
レヴィのいる方へ。
レヴィは一瞬動きを止める。
見えているはずがない。
人間に、
深海側の気配など分かるはずがない。
なのに。
蒼士郎は笑った。
「いるんだろ」
波越しに声が落ちる。
レヴィは目を細めた。
普通の人間なら、
逃げる。
恐れる。
けれど蒼士郎は違った。
怖がらない。
むしろ、
海へ話しかけるみたいに笑う。
「隠れてないで出てこいよ」
呆れたように、
レヴィはゆっくり浮上した。
青金の尾びれが、
陽射しを反射する。
海面から現れたレヴィを見て、
蒼士郎は驚くどころか、
ぱっと目を輝かせた。
「うわ……」
その顔に、
恐怖はなかった。
ただ、
純粋な感嘆だけ。
蒼士郎は、
まるで綺麗な魚でも見るみたいに笑う。
「お前、
すげぇ綺麗だな」
レヴィは言葉を失った。
人間は、
人魚を恐れるものだと思っていた。
醜いものを見るような目。
化け物を見る目。
昔から、
そういう視線ばかり知っていた。
なのに。
目の前の人間は、
当たり前みたいに笑っている。
怖がりもしない。
蒼士郎は水面へ浮かびながら、
興味津々な顔でレヴィを見る。
「本当にいたんだな、
人魚」
レヴィは少し警戒したまま、
低く言った。
「……逃げないのか」
「なんで?」
蒼士郎は不思議そうに首を傾げる。
「お前、
別に俺食わなそうだし」
あまりにも軽い言い方に、
レヴィは呆れた。
人間なのに、
危機感がない。
それなのに。
不思議と、
嫌ではなかった。
蒼士郎は海へ浮かんだまま、
太陽みたいに笑う。
「俺、
深海蒼士郎」
初めて聞く人間の名前だった。
「お前は?」
レヴィは少しだけ黙る。
人魚は、
簡単に名を教えない。
けれど。
なぜか、
この人間には隠したくなかった。
「……レヴィ」
その瞬間。
蒼士郎が、
嬉しそうに笑った。
夏の海が、
きらきらと光っていた。
その光景を。
レヴィは、
ずっと忘れられなくなる。
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ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




