32.水を飲む
「うわぁ!」
リフィリーゼへの小言を呪文のように唱えていたイスランタの口から、感嘆の声が溢れた。村人に教えてもらった湖は奥まった森の中にあった。木漏れ日から漏れ落ちる日差しが湖を照らし、キラキラと輝く。湖の水は透明で美しく、そこを泳ぐ魚たちの姿が目視できるほどだ。
「すごい! 綺麗!」
リフィリーゼがはしゃいで湖に駆け寄る。露に濡れた草がざぁっと音を立てて倒され、リフィリーゼが喜んで水を掬う。空気は冷たく澄んでいて、イスランタはその綺麗な空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。
「すげぇな、ここ」
いつの間にか靴を脱いでいたリフィリーゼが、ほとりに座って足を湖につけていた。
「気持ちいいよ」
「リフィ、服が濡れるだろ。風邪ひくぞ」
リフィリーゼに口ではそう言いながらも、イスランタは瞳を輝かせてリフィリーゼから離れた湖の浅瀬へと向かった。靴を脱ぎ、ズボンを捲り上げてそっと湖に足をつける。
「つめて! リフィ、お前よく平気な顔して水に浸かってられるな!?」
驚いて足を引っ込めながらリフィリーゼを振り返るイスランタに、リフィリーゼは首を傾げながら答えた。
「お師匠様にもよく言われたけど、わたしこういうの平気なんだよね。暑すぎるとか冷たすぎるとか」
ちゃぷちゃぷと水をけるリフィリーゼに、イスランタが今度はそっと足を湖の中に入れてながら疑問をこぼした。
「すげぇな。魔力が多いとそんな感じなのか? いやでも、別に他の魔法使いはそうじゃない気がするけど」
イスランタが悩み込んでいでいる横で、リフィリーゼが唱えようと口を開く。
「水! 綺麗! そうだ、この水で」
「リフィ?!」
イスランタの叫び声と鋭い視線にリフィリーゼは頭を掻く。
「また魔法使いそうだった」
「ったく、リフィ。もう少し気をつけろよ。親父に見つかるぞ」
項垂れるリフィリーゼとイスランタの先の水面が微かに揺らいだように見えた。次の瞬間、リフィリーゼは後ろを振り返って攻撃を構えた。
「リフィ?」
「え、あ。ごめん。何かの視線を感じたような気がして」
そう言ってリフィリーゼの見つめる先には、ただキラキラと輝く水面があるだけだった。そして、ぽちゃんと小さく魚が跳ねた。
「……魚じゃねーか? リフィ、お前すごいな」
「……魚じゃなかった気がするけど、ごめん。気のせいみたい」
チラリと後ろを振り返ったリフィリーゼは、作り笑いを浮かべてイスランタに謝るのだった。
「いたたたたた」
たまたまとれた宿の一室で、イスランタがお腹を抑える。
「大丈夫? あの湖の水、綺麗だったけど飲むのには向かなかったみたいだね」
リフィリーゼの言葉に、お腹を抑えたままイスランタが力なく問う。
「……なんで、リフィは無事なんだ」
「うーん……あの程度の生水ならよく飲んでたし、生家にいたときはもっと汚い水も飲んでたし?」
首を傾げるリフィリーゼに、驚いて起き上がったイスランタが倒れ込みながら続けた。
「元貴族令嬢だろ……どんな生活してるんだよ」
イスランタの言葉にリフィリーゼは笑った。
「虐げられた生活、じゃない? あ、イーリア様のくれた荷物に薬あったよ。いる?」
「くれ!!」
荷物をガサガサと漁っていたリフィリーゼが、取り出した小さな小瓶を手に取ると、イスランタが手を伸ばした。
「はい」
「……飲む量とか、そういうのは?」
イスランタの言葉にリフィリーゼは首を傾げた。
「さぁ?」
「さぁって! ぐぅ、いてててて」
イスランタは這うようにリフィリーゼの元に降りてきて、リフィリーゼの手元から鞄を奪い取った。そして、中身を一つひとつ改めていく。
「……違う、これも違う、これも」
次々と出していくイスランタにリフィリーゼは眉間に眉を寄せて言った。
「そんなに出して、どうするの?」
「薬の使い方の説明書を探してるんだろ! こっちは病人なんだから、リフィも片付けてくれよ!」
イスランタはそう吠え、小さく「あった」と呟いた。
「……スプーン一杯分だな、リフィ。スプーンとってくれないか?」
リフィリーゼは膨れたままスプーンを手に取り、イスランタにずいっと差し出した。
「……ありがとう」
イスランタはそのスプーンを受け取り、薬を取り、ごくりと飲み込んだ。
「……」
膨れたリフィリーゼのことは無視して、仰向けにベッドに寝転がったイスランタは目を閉じ、痛みと戦う。しばらくすると薬が効いてきたようで、イスランタは起き上がり、散らかした荷物を片付け始めた。
「待たせてすまなかった。もう大丈夫そうだ」
「……よかった。じゃあ、お昼でも食べにいく?」
リフィリーゼはそう言って、宿の窓から見える屋台の串焼きを指差した。
「腹痛が治ったばかりなのに、串焼きなんて行けるわけないだろ!?」
イスランタにそう吠えられ、リフィリーゼはまた膨れるのだった。
「ふん、こんなところにいたか。……ただ、いい掘り出し物だ」
そんな二人の居場所を、知られているなど知らずに。




