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第24話 台風過ぎ去るが如く

 何気なくトラックの内側を見ると、大きめのタイマーが置かれていた。

 あれで自分のタイムを計測するらしいが、果たして悠長に「わあ、何分何秒だ」なんてやっていられる余裕があるかどうか。

 全ては走った後の自分に委ねられた。頑張れ未来の自分。負けるな未来の自分。


「男子は千五百メートルだからトラック五周半、女子は千メートルだからトラック五周ね。タイムの鯖読んでもすぐにバレるので注意してください。それじゃあ位置についてー」


 言われるがままに、勇助はしっかりと前方を見据えた。

 前にいる新入生達の後頭部によって少し視界を遮られてしまっているが、見た限りでは前方異常ナシ、である。


「用意」


 後は先生のスタートの合図を待つのみとなった勇助だったが、次の瞬間予想だにしない不意打ちを喰らった。


「谷田勇助って君だよね?」

「――はい?」


 前触れがないにも程がある、唐突極まりない呼びかけ。

 勇助が声のした方を振り向いた瞬間、耳をつんざくホイッスルの音が鳴り響いた。

 この音が持久走の始まりを告げるものだと気付くのに要した時間、約二分の一秒。

 反射的に体が動き、自分が走っていると言う自覚を持てたのは、走り始めて二秒程経った後だった。


 ――え、何今の? 妨害?


 妨害にしては、確実性が無ければ削れる時間も少ない。それに自分をわざわざ妨害するなんて考えられない。

 勇助はそう考えて、一瞬で脳内に浮かぶ「妨害」のワードに斜線を引いた。


 だが次の瞬間、勇助の隣に全く見慣れない男子生徒が現れた。所謂並走状態である。

 まず目を引いたのは、薄茶色(オシャレに言うならばミルクティー色)の髪色。前髪はM字を描いている。

 それなりに顔立ちが整っている。

 彼の緑色の瞳が、真っ直ぐ勇助を見つめた。


「あ、今呼んだの俺だから! 君だよね、谷田勇助って?」


 語順を変えただけで、質問の内容は同じである。

 勇助は状況を理解しないまま小さく頷いた。


 ――えっ誰このヒト? えっ何この状況? 何でこの状況で他人に話しかけられるのこのヒト?


 勇助の頭の中は、一瞬にして疑問符のオンパレードとなった。

 それを察したのか、男子生徒が「悪い悪い」と詫びを入れる。


「さっきの学力テストで、テスト提出する時に先生と何か話してただろ? 俺前の方に座ってたから、印象に残っててさあ」

「えっいや……今走ってる途中……」

「ま、話しちゃいけないなんて言われてないし。気楽に行こうぜ」


 ――え、何で僕が宥められてるの? 何なのこの状況? えっ?


 男子生徒が口を開く度に、倍増していくハテナマーク。

 気付かない間に、走った距離はとっくに百メートルを越えていた。


「あっ、俺は笛吹(うすい)吹輝(ふき)! 『笛』を『吹く』って書いて『うすい』って読むから! 『吹輝』はもう大体分かるだろ? ヨロシク〜」

「いやいやいや、今自己紹介してる場合じゃないから!!」


 男子生徒――もとい吹輝のペースに飲み込まれてしまわないように、勇助は可能な限りの大声でツッコミを入れた。

 というか、『ふき』も大体分からないし。


「タニダユウスケってことは、タニユウってことか」

「いや、どういうこと? 話聞いてる? いやそれより、今テスト中……」


 一人で謎の納得をしている吹輝に、勇助は隠そうともしていない戸惑いを次々とぶつけていく。


「あっ、もう一周終わった! 意外と早いもんだな」

「えっ? あっ、本当だ」


 吹輝に言われてようやく気付く。

 あっという間に二百メートルを走り切っていた。あと千三百メートル……と考えると、かなり気勢を削がれてしまう。


「ていうか、何で僕に声を……」

「特に用は無いけど、見つけたから声掛けてみようかな〜って」


 そんな気軽な感じで、面識のない同級生に声を掛けられるものだろうか。

 勇助なら出来ない。いや、やろうと思えば出来ないことは無い……と思うが。


「じゃ、走り終わったらまた話そうぜ。後でな!」

「ええっ!?」


 そう言い終わるやいなや、吹輝は勇助の返答も待たずに前の方へと走って行ってしまった。

 台風が通り過ぎて行ったような感覚だった。

 終始、疑問は尽きることが無かった。


 ――今の、何だったんだ……?


 吹輝が走り去って行った方向を呆然と見つめながら、勇助は、彼が置き土産として残して行った巨大なハテナマークを、思い切り持て余していた。




  ◇◇◇




 ――あと……五十メートルぐらい?


 千五百メートル持久走、ラスト約五十メートル。

 勇助が抱いている疑問は、「今の何だったんだ」から、「これクラス決まる前に死ぬんじゃないか」へとすっかり移り変わっていた。


 とっくにゴールした新入生達も大勢いれば、まだ勇助の後ろを走っている新入生達も大勢いる。

 つまり、平均なのだ。ちょうど真ん中辺りなのだ。


 喉の奥が無性にヒリヒリする。死の前兆だろうか。

 縁起でもないこと極まりないが、今この状況では、全ての現象を死に結びつけても致し方ない気がする。


 何でテストに持久走を採用したんだ、百メートル走とかでも良いだろ別に。

 そう心の中で叫ぶ余裕が無いまま、勇助はとうとう千五百メートルのラインを突っ切った。

 邪魔にならないようにヨロヨロとトラックの外側に移動してから、ふと重要なことに気が付く。


 ――タイム!!


 走り終えて数秒後、まだ死の予感を感じているにも関わらず、タイムのことに気を回せたのは自分を褒めてやりたい。

 息を整える間もなく、急いでタイマーに視線を投げると、そこにあったタイムは「七分十九秒」。


「七分十九秒……でも、走り終わってからちょっと経ってたし……あれ?」


 適当に、数秒遡ったタイムを申告するべきだろうか。

 いや、鯖を読んでもすぐバレると言っていたし、あの教師に聞けば正確なタイムが分かるかも……。


「七分十五秒だったぜ、お前のタイム」

「――え?」


 声のした方を振り向くと、そこにはあの男子生徒・笛吹吹輝がいた。

 彼も走り終わったばかりだろうに、もう息はすっかり整っている。


「見てたの? 本当に?」

本当(マジ)本当(マジ)。俺先に走り終わってたから」

「へえ……あっ、ありがとう! 助かった!」


 会話が終わる頃には、勇助の感じていた死の予感はすっかりどこかへ引っ込んでいた。

 吹輝に小さく頭を下げてから、勇助はあの女性教師のもとに遅めの駆け足で向かった。全力疾走を決める体力の余裕など無い。


 名前とタイムだけを告げて、足早にその場を立ち去る。

 他の生徒のタイムも覗き見てやろうかと思ったが、やめた。自分のタイムがいかに平均であるか、いかに何の面白みもないものであるかを思い知らされるだけだ。


 行く時よりも若干スピードの上がった駆け足で戻ってくると、吹輝は元いた場所にそのままいた。

 その周りにいた、息を切らした新入生達も少し増えていた。


「入学式の怪獣(あれ)さあ、ガチで意味分かんなかったよな」


 勇助が戻ってくるやいなや、吹輝がどこかの雲を見つめたまま口を開く。

 勇助もそれにつられて空を見上げながら頷いた。


「それは、本当にそう思う」

「だよな――ていうか今気付いたんだけど」

「何に?」


 あの雲の形が件の怪獣に似てるとか、そういった類の気付きだろうか。

 ――しかし、吹輝の思考を健太のそれと同じベクトルで考えたのは、勇助の失敗だった。


「タニユウってさ、怪獣(アイツ)にとどめ刺したアイツだろ?」


 「タニユウ」という呼称も、二連続の「アイツ」という呼称も、全てがよく分からない。

 しかしそれにツッコむことを忘れるほどに、吹輝の発言はなかなかに勇助の心を突き刺してきた。


「あ〜〜……違いますよ?」


 勇助はそれとなしに吹輝から視線を逸らした。


 下手に変な期待を持たれてしまっては困る。

 あの件に関しては、あそこにいたのがたまたま自分だったと言うだけだ。

 あそこに誰を当てはめても、同じ結果が待っていた。

 自分である必要性は一切無かった。

 自分でなければ成し遂げることができなかった……なんてことは無かった。

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