第23話 持久走と言われても
新入生達を一瞬で恐怖に似た何かで包んだ自覚があるのか無いのか、男性教師は眼鏡をきちんと正してからその口を開いた。
「この学園に入学出来たのだから、時間は守れて当然、大前提。常に五分前行動を心がけてください。ともかく今からは、『この場に新入生全員が揃っている』という前提のもと話をさせていただきます」
承知しました、ボス。
この場にそう答えた者がいたとしても、誰もその者に怪訝そうな目を向けることは無かっただろう。
「まずは自己紹介させていただきます。私は阿久刀川鋼造、2-E4の担任を勤めています。我がクラスからは、実に誇らしいことに風紀委員会の委員長と副委員長が排出されており――おや、これは余談でしたね」
阿久刀川の眼鏡の奥で、その鋭い切れ長の瞳がギラリと光った。
キラリなんて可愛らしい擬音では無い。「ギラリ」である。
皆が一様に息を呑む中、健太は隣に立つ勇助にヒソヒソ声で囁いた。
「ナオキ会長の時も思ったけどさあ、委員会とか決めるの早くない?」
「学年の終わりに、来年度の委員会組織とかは決めちゃってるっぽい。春休みの間とかも、生徒会とか風紀委員の仕事はあるっぽいし」
何とか阿久刀川の視線を掻い潜って、話を終わらせることができた。見つかっていたらどうなっていたか、考えただけでも身の毛がよだつ。
勇助はホッと安堵の息を吐いた。
「皆さんご存知の通り、これより体力試験を行います。ここからは幾つかのグループに分かれ、各グループ同時進行でテストを進める形となります」
そうでもしなければ、テストが終わった頃には頭上に月が煌々と輝いて――とかいうことになりかねない。
大人数はこういう時に少し不便である。
「グループ分けの前に、一通り説明をします。一度しか言いませんのでくれぐれも聞き漏らさないように」
阿久刀川に、「あのーすみません、ここってどうなんでしたっけ……?」なんて絶対に聞きに行きたくない。
聞く話によれば、風紀委員会の持つ権力や実力(ついでに高い顔面偏差値)は、生徒会にも匹敵するらしい。
そんなエリート精鋭集団のリーダーとサブリーダーを輩出している、まさしくEクラスの担任に、「普通の人間代表」が易々と話しかけにいったら……。
あの先生との関わりは、最小限に留めておきたい。勇助の心からの願いだった。
「まず、体力の試験も学力試験と同じく能力の使用は禁止。すぐバレるので無駄です。能力は、能力試験の際に思い切り解放してください」
事務的な口調で、阿久刀川が淡々と説明していく。
新入生達の中には、どこからか取り出したメモ帳にメモを取っている者まで現れた。
「まず一つ目のテスト、持久走。男子は千五百メートル、女子は千メートルのタイムを計測します。このグラウンドには幾つも二百メートルのトラックがありますので円滑に進む筈です、あなた方がヘマをしでかさなければね」
阿久刀川の声が、ワントーン低くなる。
言っていることが間違っているとか間違っていないとかではなく、ただ単にひたすら怖い。
――マジで誰もしでかすなよ、命惜しいだろ。
勇助はそう思いつつも、何も起こらないわけは無いだろうな……と心の底では殆ど諦めていた。
「そして二つ目は、ボールマシンを使用した、実戦を想定した反射神経のテストです。完全にランダムで打ち出されるボールを、何分避け続けることができるか……というものです」
ボールマシンを体力試験に応用とは、なかなかに思い切ったアイディアだ。しかし、確かに反射神経その他諸々は鍛えられそうである。
「それではグループに分かれます。先程の学力試験と同じグループです。各グループの番号が書かれたプラカードを、それぞれのトラックに立っている先生方が持っていますので」
確かに、近くに数人、遠くの方にも数人、数字が書かれたプラカードを持っている教員が立っている。
いずれも、ジャージなどの軽装に身を包んでいる。
言っては悪いが、この光景は少しシュールだと言わざるを得ない。
「自分のグループの番号があるトラックに急ぎなさい、さあ早く」
阿久刀川がそう言い終えた頃には、皆それぞれ行動を開始していた。
下手に目立ったりしたくないのは、ほぼ全員の共通した願いであるらしい。
勇助が隣に立つ健太の方をふと見ると、彼はがっかりと首を垂れていた。
「また皆バラバラかあ……」
学力試験のグループ分けがそのまま適用されるということは、即ちそういうである。
健太が意気消沈してしまうのも仕方がない。
「大丈夫、すぐに終わるでござるよ! 能力テストには、きっと皆で臨めるでござる!」
正義の発言を裏付けるような根拠は無い。
しかし、友達を励ます時に、根拠だ何だと言っていられない。いくら破茶滅茶な理論だろうと、友達の元気を取り戻せるのならば問題は無い。
勇助もこくりと頷いてから、首を垂れている故に上目遣いになっている健太としっかり目を合わせた。
「ほら、気持ちは一緒……ってヤツだよ!」
「体力試験も頑張ろ!」
それに続いてつばきがエールを送ると、健太の首がようやく元に戻った。
健太がすっかり元通りになったことに喜びつつも、勇助は心のどこかで限りなく嫌な予感を覚えていた。
◇◇◇
――ほらやっぱり孤立した!!
勇助の嫌な予感が的中するまでの経緯を、簡単に説明しよう。
まず、三人と名残惜しくも一旦別れた。
そして、自分のグループ番号である「五」のプラカードを探し、該当のトラックに移動した。
しかし、学力試験で感じた疎外感は、勿論のことながら今回にも引き継がれていた。
一言で言うのならば、ワイワイ楽しげにやっている「五」グループの中で完全に孤立した。
――もうグループできちゃってる感じ……? いや僕も人のこと言えたもんじゃないけどさ、早くない?
勇気を持って話しかけてみる。
その考えが脳内にふわふわ浮かんではいるのだが、なかなか実行に移せない。
――体力テストって、ずっとこのグループでやるんだよね……独りとか辛すぎない?
誰に問いかけるわけでもなく、誰かが答えを返してくれるわけでもないが、勇助はやたらと心の中の呟きにハテナマークを付けまくった。
周りが賑やかなほど、独りでいるのがより目立つ。
どうにかせねばという気持ちだけが頭の中を縦横無尽に駆け回る、このどうしようもなく不快な感覚に、勇助は思わず空を仰いだ。
遠くの方に、小さな綿雲が見える。
――あの雲を本当に綿菓子に出来る人も、この広い世の中にはいるのかもなあ……。
ここまで来ると、かなり独りを極めつつある状態であると言えよう。
嫌だ、そんなの極めたくない絶対に。
勇助が悶々としていると、「五」のプラカードを持っていた女性教師が、プラカードではなくクリップボード片手に、その少し低めの声を張り上げた。
「それじゃあ持久走始めます。走り終わった人から、名前とタイムを伝えてください。それじゃあまずは最初の四十人、名前順で……谷田勇助君までの人、スタートラインに並んで」
――ピッタ(※ピッタリ)キターッ!!
勇助は、叫びそうになる衝動をギリギリで抑えた。
ここで叫んでしまえば、周りからの印象は一気に最低値へと堕落してしまう。
――「まで」だから……僕も含むんだよな……?
他人の心の中を勝手に読み取って勝手にテレパシーを送る趣味を持つ者がいない限り、勇助の問いに答えられる者は存在しない。
とにかく勇助は、駆け足でトラックのスタートラインまで向かった。
「全員は並べないと思うので、ちゃんと後ろにも広がってくださーい」
女性教師の指示が入る。
勇助は、スタートラインの後ろに出来ている人だかりの中央辺りに落ち着いた。
後ろに行けば行くほどタイムに影響が出そうだし、かと言って最前列に並ぶ度胸も無い。
そんな勇助には妥当な判断だった。




