第22話 紺色と臙脂色
階段を素早く上り終わると、麻結の言葉通り、本当にすぐ向かいに更衣室があった。
右にあるドアには「第一女子更衣室」、左にあるドアには「第一男子更衣室」というプレートがかかっていた。
ドアとドアの間にはコルクの掲示板があり、「廊下を走るな」だったり、「四月の学園目標」だったり、「風紀の乱れは心の乱れ」などといった色々なポスターが貼ってあった。
その殆どに「風紀委員会」と書かれていることから、そのポスター達は風紀委員会によって作成されたものであることが分かる。
「第一……ってことは第二もあるってことか! スッゲー!」
「もう色々ヤバいよね……」
「第一更衣室」だけでもかなりの広さを誇っていそうなものだが、それが二つも三つもあるとなると、これはいよいよ並大抵の学校では成し得ない所業となってくる。
「じゃ、ここで取り敢えず男女分かれようか」
勇助の言葉に、各々頷く一同。
本校舎の立派さに夢中になっていてついつい忘れかけていたが、今はまだ試験の途中である。
しかもまだ二つも試験が控えているのだ。気を抜くことは許されない……筈なのだが、このメンバーと一緒にいると、引き締めていた筈の気も自然と緩んでしまう。いい意味で。
「俺、着替える速さには自信ある!」
「健太って色々速いよな」
「む、ならば拙者と勝負を――」
「競うの好きすぎだろお前ら!!」
彼らの異常なまでの競争欲の高さに、勇助は周りの目も気にせずに思い切り――いや、少々抑えめに叫んだ。
◇◇◇
「いや、やっぱ健太早すぎでしょ……そういう大会目指したほうがいいレベル」
更衣室前の廊下で三人並んでつばきの登場を待ちながら、勇助は先程披露された「健太早着替えショー」を思い出していた。
健太の記録、実に十秒。
種も仕掛けもないし、怪しげな布なんかも用意されることは無かった。にも関わらず、この記録である。
「そういう大会って、どういう大会?」
「早着替え世界大会とか、そんな感じのヤツ」
「そんなの出たくないなあ……もし優勝したとしても、正直あんま嬉しくないし」
健太が最もなことを言いながら苦笑いを溢す。
「いいね! どうせなら皆で世界目指そうぜ!!」などとノリノリで言われるかと思っていた勇助は、少し安心した。その気になってしまった健太を止めるのには、少しばかり――いや、かなり手がかかる。
勇助が少し失礼な予想をしていたとは知る由もない健太は、自らが着ているジャージの右肩辺りを指さして尋ねた。
「でさ、このマークって……」
そこに印刷されていたのは、「×」の形のラインが入った盾の上に真っ直ぐ剣が立っている……というシンプルなデザインのマークだった。
勇助がそれに素早く答えを返す。
「校章だよ、勇学の校章。剣と盾は初代勇者も使っていたとされている定番の武器だから、勇者のシンボルとして校章に採用されたんだ」
ホームページに載っていた説明を、そっくりそのまま引用。
しかし、健太はそれで充分納得した様子である。
「シンプルな校章でござるな」
「ま、その方が分かりやすいし良いんじゃない?」
正義が自分の右肩を見ながら、思ったままのことをそっくり口に出す。
勇助も、思ったことを反射的に言っていた。
シンプルイズベストである。
「皆、お待たせ!」
会話がちょうどひと段落着いたその時、「第一女子更衣室」の扉から、勇学ジャージに身を包んだつばきが出てきた。
「あっ、つばきさん!」
勇助がその台詞を言い終える頃には、つばきは扉の前から三人の前へと移動し終えていた。
健太がやけに嬉しそうな顔になる。
「つばき殿! ――おお、勇学のジャージは男女で色が違うのでござるな!」
「そうみたいね!」
正義のその言葉通り、勇助達男子陣の着ているジャージとつばきの着ているジャージは色が異なっていた。
男子のジャージは全体的に紺色で、肩とズボンの横部分に水色の太めのラインが入っている。
女子のジャージは全体的にえんじ色で、ラインの箇所は男子のものと同じ。違う点と言えば、ラインが桃色であるというところだろう。
そして両方にも、右肩のあたりには勇学の校章がある。
ジャージを上下とも着用していたのは、四人の中で勇助だけだった。
残りの三人は皆、下にジャージと同じデザインの半ズボンを履いている。勇助も同調圧力に屈しそうになったが、己を貫くことにした。
これだけ生徒数が多いのだから、上下ジャージの同士は山のようにいる筈である。
「皆、絶対足寒いでしょそれ……」
「動いていれば、体は自然と暖かくなるでござる!」
正義の言葉に、健太とつばきがうんうんと頷く。
忍者の頭巾をかぶってジャージを着ているのは、正直に言ってかなり違和感があるが、あまり深くツッコまないでおこう。
そして健太はベレー帽を外していない。
小学校の頃も、彼は常にベレー帽をかぶっていた。一種のアイデンティティなのだろう。
そして当然のように肩がけ鞄をかけているが、これは本人によると、
「体力テストのすぐ次に能力テストあるだろ? 俺の能力は絵の具とか無いとダメだからさ、鞄持っていった方がいいと思うんだよね! 取りに帰るのめんどいし」……だそうである。
万が一教師に咎められたとしても、言い逃れが出来なくは無いだろう。
「拙者は、クナイや手裏剣を幾つか隠しているでござる!」
「バレたらかなりヤバいと思う」
いつも通りの声色でなかなかの発言をする正義に、勇助はツッコミというよりも忠告成分濃いめの台詞を発した。
まあ「忍者なんで!」だけで行けそうな気もするが。
「うわっ、ホンモノ手裏剣見たい!!」
「私も見てみたい!」
健太とつばきが目を輝かせる。
勇助も、これにはかなり興味を惹かれたが、近くの壁掛け時計を見て目を剥いた。
「ヤバい! 集合時間まであと五分!!」
「マジかああ!!」
「グラウンドに向かってダッシュでござるよ!」
「急がなきゃ!」
それぞれ焦りの言葉を口にしてから、一斉にスタートダッシュを切ってエントランスへの階段を駆け降りる。
焦りのあまり躓いて、階段スキーをやる羽目になりかけたのは、誰にも他言するつもりのない勇助だけの秘密である。
◇◇◇
「間に合っ……た? よね?」
「間に合った……筈」
健太の不安げな再確認に、勇助が「筈」のタイミングで首を縦に振る。
誰一人階段から滑り落ちることなく、一行は無事に本校舎のすぐ近くにある屋外グラウンドへと到着していた。
決死のスライディングを決めて(決めたのは健太のみ)、まだザワザワが残っているうちに新入生達による超巨大な人だかりの後方に滑り込んだのだが、不安はなかなか解消されない。
生徒達の人だかりの前には、青いスポーツウェアを身に纏って眼鏡をかけている紺髪の男性教師が、腕時計をじっと見ながら立っていた。まさしく直立不動、体の中心に棒でも埋め込まれているかのようである。
まさかあの格好で入学式に出たとは思えない。体力テストを担当するに相応しい格好に着替えたのだろう。
「てか、グラウンド広すぎでしょ……」
「小学校の頃の校庭何個分なのかな……」
遥か彼方まで続く勢いのグラウンドを見渡しながら、勇助とつばきが驚きを口にする。
すぐ近くには大きめの体育倉庫がある。勇助は、一瞬中を覗いてみたい衝動に駆られたが、倉庫の扉が閉まっていることからすぐに諦めた。
そしてグラウンドの右端には、灰色のレンガで造られた巨大な建物と、それと渡り廊下を通じて繋がっている同じような建物がある。十中八九、勇学の体育館だろう。
――そんな次の瞬間、あまり気を留めていなかった件の男性教師が、何の前触れもなしに大声を轟かせた。
正確には、地声ではなくマイクを通した声なのだが。
「揃いましたか?」
思わず反射的に「揃っております、ボス」などと答えそうになる迫力である。
空気がビリビリと震えるこの感覚、つい最近にも味わったことがある。
――この先生、会長と同じタイプの怖いヒトだ!
勇助は、ほぼ直感的にそう感じ取っていた。
――勇者育成学園の生徒会長、統場ナオキ。
彼にはまだ「この人、実はいい人なのかも」と思える余地が残っていたが、この男性教師にはその余地が微塵も感じられない。
最初の一言だけでここまで印象がマイナスになってしまうのも珍しいが、これはそう思われても仕方ない気がする。




