第47話 いちごの女王様
朝倉翼視点
午後の柔らかな日差しが、カフェ・リアンの窓から差し込んでいた。
昼の賑わいが落ち着いた店内には、穏やかな時間が流れている。
俺はいつものカウンター席で、ノートパソコンを開いていた。
仕事の区切りもついたところだし、そろそろコーヒーでもおかわりしようかな。
そう思ったときだった。
カラン、カラン。
入口のベルが鳴った。
「ただいま戻りました」
聞き慣れた、優しい声。
顔を上げると、星莉奈さんが二人の子どもを連れて店に入ってきた。
右手には結衣ちゃん。
左手には爽太くん。
保育園のお迎えから帰ってきたところだ。
「おかえりなさい、星莉奈さん!」
カウンターで片づけをしていた舞ちゃんが、笑顔で迎える。
「お迎え、ありがとうございました」
「ううん。二人とも、今日も元気いっぱいだったよ」
「ふふっ。そうみたいですね」
星莉奈さんと舞ちゃんは、こうして普段から協力している。
星莉奈さんが二人を迎えに行く間、舞ちゃんはリアンの仕事を進める。
逆に、星莉奈さんが忙しいときは舞ちゃんが手を貸す。
二人にとっては、もう当たり前の日常なんだろう。
「ママー!」
爽太くんが舞ちゃんに駆け寄った。
「おかえり、爽太」
「ただいま!」
「今日も楽しかった?」
「うん! あのね、あのね!」
爽太くんが何かを話そうとした、その横で。
「つーくん!!」
「おっと!」
結衣ちゃんが勢いよく駆け寄ってきた。
俺は慌てて椅子から立ち上がり、小さな体を受け止める。
「おかえり、結衣ちゃん」
「ただいま!」
「今日も元気だね」
「うん!」
結衣ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
そして、突然真剣な顔になる。
「ねえ、つーくん!」
「ん?」
「いちごがりって、なあに?」
「……いちご狩り?」
「うん!」
俺が首を傾げると、爽太くんもこちらへやってきた。
「ぼくもしりたい!」
「そうたくんも?」
「うん! きょう、せんせいがおはなししてた!」
なるほど。
保育園でいちご狩りの話が出たらしい。
「いちご狩りはね、いちごがたくさん実っているところに行って、自分で採って食べるんだよ」
「じぶんで!?」
結衣ちゃんの目が、きらきらと輝いた。
「そう。真っ赤ないちごを探して、自分で摘むんだ」
「それ、たべていいの!?」
「もちろん」
「…………!」
結衣ちゃんが、ゆっくりと星莉奈さんを振り返った。
その顔を見た瞬間、俺は悟った。
ああ。
これはもう、決まったな。
「ママ!!」
「ん? どうしたの?」
「ゆい、いちごがりいきたい!!」
「ふふっ。いちご狩り?」
「うん!」
「そうねぇ。楽しそうね」
星莉奈さんが微笑む。
すると爽太くんも、舞ちゃんの服を引っ張った。
「ママ! ぼくも!」
「爽太も行きたいの?」
「うん! おっきいいちごたべる!」
「ふふっ。そうなんだ」
舞ちゃんが笑った。
「星莉奈さん、どうしましょう?」
「ふふっ。二人とも、すっかりその気みたいだね」
「ですね」
二人が顔を見合わせて笑う。
「じゃあ、今度のお休みに行ってみようか」
俺がそう言うと。
「やったあああ!!」
「やったー!!」
二人の歓声が、店内に響いた。
「翼くん、まだ日程も調べていませんよ?」
星莉奈さんがくすっと笑う。
「それはこれから調べます」
「ふふっ。結衣には甘いですね」
「……否定できません」
だって。
あんなに嬉しそうな顔をされたら。
断れるわけがない。
*
「……いちご狩り。懐かしいわねぇ」
窓際のいつもの席から、穏やかな声が聞こえてきた。
振り返ると、鈴さんがコーヒーカップを置いたところだった。
「鈴さんも行ったことあるんですか?」
「ええ。昔、主人と何度かね」
鈴さんは懐かしそうに目を細めた。
「うちの人ったら、いちごを採るより私が食べている数を数えるのに夢中でねぇ」
「……え?」
「『もう二十個目だぞ』なんて言うのよ。失礼しちゃうわ」
「ははっ」
「だから私も数え返してやったの。そしたら、あの人の方が食べていたのよ」
「それは……鈴さんの勝ちですね」
「そうでしょう?」
鈴さんが得意げに微笑む。
「私ね、甘いいちごを見分けるのは、ちょっと得意なの」
「へえ、そうなんですか?」
「ええ。大きければいいってものじゃないのよ。色や形も大切なんだから」
「なるほど……」
すると、結衣ちゃんが鈴さんの席へ駆け寄った。
「すずさん!」
「あら、結衣ちゃん」
「すずさんもいこう!」
「……私も?」
「うん! すずさん、いちごのせんせい!」
「まあ!」
鈴さんが目を丸くした。
「先生だなんて。私、そんなに立派じゃないわよ?」
「だって、いちごのことしってるもん!」
「ふふっ。そうねぇ……」
鈴さんは少し考えるように頬へ手を当てた。
それから、いたずらっぽく笑った。
「じゃあ、先生として参加させてもらおうかしら」
「ほんと!?」
「ええ。ただし、先生より甘いいちごを見つけても、怒っちゃ駄目よ?」
「うん!」
「ふふっ。約束ね」
「ぼくも!」
爽太くんが駆け寄ってきた。
「すずさん! ぼくもおっきいいちごみつける!」
「あらあら。じゃあ、爽太くんとも勝負ね」
「うん!」
鈴さんが、楽しそうに笑った。
そのとき、入口のベルが鳴った。
「こんにちは」
入ってきたのは悠人だった。
「翼、来てたんだ」
「おう。悠人、どうした?」
「舞ちゃんに差し入れを持ってきたんだけど……何か楽しそうだね」
「悠人おじちゃん!!」
爽太くんが、悠人に駆け寄った。
「おっ、爽太くん。おかえり」
「ただいま!」
「今日は保育園、楽しかった?」
「うん! あのね、いちごがりいくんだよ!」
「……いちご狩り?」
「うん! いちごいっぱい!」
悠人が微笑んだ。
「いいね。楽しそうだ」
「悠人おじちゃんもいこう!」
「俺も?」
「うん!」
悠人は少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「それなら、俺も一緒に行っていい?」
「いいよ!」
「ありがとう。じゃあ、俺も参加させてもらおうかな」
「やったー!」
爽太くんが飛び跳ねた。
「……お前、すっかり爽太くんに懐かれてるな」
俺が言うと、悠人が肩をすくめて笑った。
「ありがたいことにね。こんな可愛い誘い、断れないだろ?」
「……まあ、そうだな」
分かる。
その気持ちは、よく分かる。
こうして、俺たち七人のいちご狩りが決まった。
……このときの俺は、まだ知らなかった。
鈴さんが、あんなにも手強い相手だったなんて。
*
そして迎えた、いちご狩り当日。
「つーくん! はやくはやく!」
「結衣ちゃん、走ると危ないよ!」
「はーい!」
返事だけは元気だった。
ビニールハウスの入口で、結衣ちゃんがぴょんぴょん跳ねている。
その隣では、爽太くんも目を輝かせていた。
「ゆいちゃん! ぼく、いちばんおっきいいちごみつける!」
「ゆいも!」
「ぼくのほうがおっきいの!」
「ゆいのほうが!」
……始まる前から勝負が始まっていた。
「二人とも、まずは係の人のお話を聞こうね」
星莉奈さんが優しく声をかける。
「はーい!」
「はーい!」
二人が揃って返事をした。
今日は七人全員が揃っている。
星莉奈さんは淡い色のカーディガンに動きやすいパンツ姿。
舞ちゃんも普段とは違う私服で、悠人がさっきからちらちら見ている。
……分かりやすいな、お前。
そして鈴さんは、明るい色の帽子をかぶっていた。
「鈴さん、その帽子、似合ってますね」
「あら、ありがとう。今日のために引っ張り出してきたのよ」
「いいですね」
「ふふっ。朝倉さんも、今日は負けないでね」
「……え?」
「いちご探し」
鈴さんがにっこり笑った。
「私、本気よ?」
「……えっ」
なんだろう。
今、妙な宣戦布告を受けた気がする。
*
係の人から説明を受けて、いよいよいちご狩りが始まった。
ハウスの中は外より暖かく、甘い香りが漂っている。
ずらりと並んだ緑の葉。
その間から、真っ赤ないちごが顔をのぞかせていた。
「わああああ!!」
結衣ちゃんが両手を広げた。
「いちごがいっぱい!!」
「すごいね、結衣ちゃん」
「つーくん! あっちも! こっちも!」
「ほんとだ」
「ぜんぶたべていい!?」
「……全部はちょっと難しいかな」
「ええー!」
その隣で、爽太くんも大興奮だった。
「ママ! みて! いちご!」
「ふふっ。見えてるよ、爽太」
「いっぱいある!」
「そうだね」
「ぼく、ぜんぶたべられる!」
「それは無理だと思うなぁ」
舞ちゃんが笑った。
……二人とも、発想が同じだった。
「爽太くん」
悠人が隣にしゃがんだ。
「一緒に大きないちごを探してみようか」
「うん!」
「どっちが先に見つけるか、勝負してみる?」
「する!」
「じゃあ、負けないよ?」
悠人が爽やかに笑う。
「ぼくもまけない!」
「いいね。その意気だ」
「……悠人、お前、爽太くん相手でも勝負するのか?」
俺が言うと、悠人がこちらを見た。
「もちろん。勝負するなら真剣にやらないとね」
「……大人げないな」
「そうかな? まあ、俺の方がかっこいいけど」
「……それ、関係ある?」
悠人が笑った。
相変わらずだった。
「つーくん!」
結衣ちゃんが俺の服を引っ張った。
「ゆいも!」
「ん?」
「ゆいも、おっきいいちご!」
「よし。じゃあ、俺たちも探そうか」
「うん!」
すると結衣ちゃんが、突然ぴんと背筋を伸ばした。
「……つーくん!」
「はい?」
「ゆい、きめた!」
「何を?」
結衣ちゃんは両手を腰に当てた。
そして、堂々と宣言した。
「ゆいは、いちごのじょおうさま!」
「……女王様?」
「そう!」
「おお……」
なんだか、すごいことになった。
「ママは、おひめさま!」
「あら。ママはお姫様なのね」
星莉奈さんが嬉しそうに微笑む。
「そうたくんは、きし!」
「きし?」
爽太くんが首を傾げる。
「おひめさまをまもるひと!」
「……つよい?」
「つよい!」
「じゃあ、ぼく、きしになる!」
爽太くんが胸を張った。
「がおー!」
「……それ、騎士というより恐竜じゃない?」
俺が言うと、爽太くんは少し考えた。
「……きょうりゅうのきし!」
「なるほど。強そうだ」
そして結衣ちゃんが、俺を指さした。
「つーくんは、けらい!」
「…………」
「けらい!」
「……えっ、俺だけ家来?」
「うん!」
「ママはお姫様で、爽太くんは騎士なのに?」
「うん!」
「……俺、もうちょっといい役職ないかな?」
結衣ちゃんは真剣な顔で考えた。
「うーん……」
おっ。
考えてくれるのか。
「……いちごをさがす、けらい!」
「仕事内容が増えただけ!?」
星莉奈さんが吹き出した。
「ふふっ……翼くん、頑張ってくださいね」
「星莉奈さんまで!」
「女王様のお願いですから」
「……はい。頑張ります」
俺は深々と頭を下げた。
「女王様、甘いいちごを探してまいります」
「うむ!」
……どこで覚えたんだ、その返事。
*
「朝倉さん」
いちごを探していた俺の背後から、声がした。
「はい?」
振り返ると、鈴さんがにこにこと立っていた。
「女王様に仕えているんですって?」
「……聞いてました?」
「ええ。大変ねぇ」
「そうなんですよ。俺だけ家来で」
「ふふっ。でも、よく似合ってるわよ」
「褒められてる気がしないんですが」
「もちろん、褒めてるのよ?」
……本当かな。
鈴さんは楽しそうに笑いながら、いちごの列を眺めた。
「それにしても、立派ないちごねぇ」
「そうですね。あ、あそこに大きいのがありますよ」
俺は葉の陰に、ひときわ大きないちごを見つけた。
真っ赤で、形もきれい。
おお。
これはすごい。
「鈴さん、見てください。あれ!」
「あら、本当」
「結衣ちゃんに採ってあげようかな」
「いいわねぇ」
俺が手を伸ばした。
その瞬間。
ひょいっ。
「……あっ」
鈴さんの手が、俺より先にいちごを摘んだ。
「…………」
「…………」
鈴さんが、にっこり微笑む。
「あら、朝倉さん。どうしたの?」
「……それ、俺が狙ってたんですけど」
「まあ、そうだったの?」
「はい」
「ふふっ」
鈴さんは、摘んだいちごを嬉しそうに眺めた。
「いちごは待ってくれないのよ?」
「そんな名言みたいに言わないでください!」
鈴さんが声を上げて笑った。
「ふふふっ! ごめんなさいねぇ」
……この人。
思った以上にお茶目だ。
「すずさーん!」
そこへ結衣ちゃんがやってきた。
「なあに、女王様?」
「なにしてるの?」
「朝倉さんと、いちご探しの勝負をしてたのよ」
「しょうぶ!?」
「ええ。そして、先生の勝ち」
「すずさん、すごーい!」
結衣ちゃんがぱちぱちと拍手する。
鈴さんは得意げに胸を張った。
「ふふん。まだまだ若い人には負けませんよ」
「すずさん、かっこいい!」
「……結衣ちゃん。俺は?」
「つーくん、まけちゃったね!」
「……はい」
完敗だった。
*
その後も、鈴さんの勢いは止まらなかった。
「朝倉さん、こっちに甘そうなのがあるわよ」
「えっ、どこですか?」
「ここよ、ここ」
「あ、本当だ!」
「ふふっ。いただきます」
「また先に採った!?」
「だって、朝倉さんが遅いんだもの」
「俺を呼んだの、鈴さんですよね!?」
「そうだったかしら?」
……絶対分かってやってる。
少し離れたところで、星莉奈さんが笑いをこらえていた。
「ふふっ……翼くん、鈴さんと仲良しですね」
「星莉奈さん、助けてください」
「楽しそうなので、もう少し見ていたいです」
「味方がいない……!」
「ふふふっ」
星莉奈さんが、とうとう声を上げて笑った。
……まあ。
その笑顔が見られるなら、いいか。
「つーくん!」
結衣ちゃんが俺のところへ駆け寄ってきた。
「ん?」
「ゆい、おっきいの、みつけた!」
「おっ、すごいね!」
「みて!」
小さな手が指さす先には、確かに立派ないちごがあった。
「本当だ。結衣ちゃん、よく見つけたね」
「えへへ!」
「じゃあ、採ってみようか」
「うん!」
結衣ちゃんは教わった通り、いちごを優しく持ち上げた。
そして、慎重に指を動かす。
ぷちっ。
「……とれた!」
「やったね!」
「つーくん! とれたよ!」
「うん。上手だったよ」
「えへへへ!」
結衣ちゃんが、いちごを両手で大切そうに持った。
そして。
「はい!」
俺に差し出してきた。
「……え?」
「つーくんに、あげる!」
「俺に?」
「うん!」
「でも、結衣ちゃんが見つけたんだよ?」
「いいの!」
結衣ちゃんはにこっと笑った。
「つーくん、いっぱいさがしてくれたから!」
「…………」
……ああ。
もう。
本当に。
この子は。
「……ありがとう、結衣ちゃん」
「えへへ!」
俺は受け取ったいちごを、ゆっくり口に運んだ。
甘い。
驚くほど、甘かった。
「どう!?」
「……すっごくおいしい」
「やったぁ!」
結衣ちゃんが飛び跳ねる。
すると、鈴さんが横から顔をのぞかせた。
「あらあら。朝倉さん、いいいちごをもらったわねぇ」
「はい。今日一番おいしいです」
「ふふっ。それは勝てないわ」
鈴さんが優しく笑った。
「私も、女王様に一ついただこうかしら」
「いいよ!」
「まあ、ありがとう」
結衣ちゃんがもう一ついちごを摘み、鈴さんへ差し出した。
「はい、すずさん!」
「ありがとう、結衣ちゃん」
鈴さんは嬉しそうに受け取った。
ぱくり。
「……あら」
「おいしい?」
「ええ。とっても甘いわ」
「やったぁ!」
鈴さんが、俺の方を見た。
「朝倉さん」
「はい?」
「これは、私たちの負けね」
「……そうですね」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
*
「悠人おじちゃーん!」
少し離れたところから、爽太くんの声が聞こえた。
「ん? どうしたの、爽太くん?」
「これ! みて!」
悠人が爽太くんの隣にしゃがむ。
「……おお、すごいね。こんなに大きいの、よく見つけたな」
「ぼくがみつけた!」
「うん。爽太くんの勝ちだね」
「へへっ!」
爽太くんは得意げに胸を張った。
「これ、ママにあげる!」
「えっ、ママに?」
「うん!」
舞ちゃんが目を丸くした。
「……ありがとう、爽太」
「おいしい?」
「うん。きっとおいしいよ」
舞ちゃんがいちごを食べる。
「……甘い!」
「やったー!」
爽太くんが嬉しそうに飛び跳ねた。
悠人も、その様子をにこにこと眺めている。
「よかったね、爽太くん」
「うん!」
すると爽太くんが、今度は悠人を見上げた。
「悠人おじちゃん!」
「ん?」
「おじちゃんにも、あげる!」
「……俺にも?」
「うん!」
爽太くんが、もう一ついちごを摘んだ。
「はい!」
「ありがとう、爽太くん」
悠人が受け取る。
そして、ぱくり。
「……うん。すごく甘い」
「ほんと!?」
「本当。今日食べた中で、一番おいしいかもしれないな」
「へへっ!」
爽太くんが、得意げに笑った。
そして、悠人の手をぎゅっと握る。
「悠人おじちゃん!」
「ん?」
「つぎは、さいきょーのいちごさがそ!」
「最強のいちご?」
「うん! いちばんおっきくて、いちばんあまいやつ!」
悠人は楽しそうに微笑んだ。
「なるほど。それは手強そうだね」
「おじちゃん、みつけられる?」
「どうだろう。爽太くんと一緒なら、見つけられるかもしれないな」
「じゃあ、いこ!」
爽太くんが悠人の手を引っ張る。
「うん。行こうか」
二人が並んで歩き出した。
少し後ろで、舞ちゃんが嬉しそうにその姿を見つめていた。
「……悠人くん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「えっ、何が?」
「……いえ。なんでもないです」
舞ちゃんが小さく笑った。
悠人は少し不思議そうに首を傾げたあと、穏やかに微笑んだ。
「……そっか」
……ああ。
いいな。
俺は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「翼くん」
隣に星莉奈さんが来た。
「はい?」
「……二人とも、楽しそうですね」
「そうですね」
「ふふっ。悠人くんも、すっかり爽太くんと仲良しです」
「……あいつ、子どもと遊ぶの得意なんですよ」
「そうみたいですね」
星莉奈さんが、優しく微笑んだ。
「……舞ちゃんも、嬉しそう」
「……はい」
俺たちは、しばらく二人を眺めていた。
*
「つーくん!」
結衣ちゃんが、また俺の服を引っ張った。
「ん?」
「ゆい、つぎはママにあげる!」
「いいね」
「いちばんおっきいの!」
「じゃあ、一緒に探そうか」
「うん!」
俺たちは、いちごの列をゆっくり歩いた。
「あっ!」
結衣ちゃんが指をさす。
「これ!」
「おお、いいね」
「ママ、よろこぶ?」
「絶対喜ぶよ」
「えへへ!」
結衣ちゃんが、慎重にいちごを摘んだ。
そして、星莉奈さんのところへ駆け寄る。
「ママー!」
「なあに?」
「はい!」
「……え?」
「ママに、いちご!」
星莉奈さんが目を丸くした。
「……私に?」
「うん!」
「……ありがとう、結衣」
星莉奈さんが、いちごを受け取る。
「すごく大きいね」
「ゆいがみつけた!」
「そうなの? すごいね」
「たべて!」
「うん。いただきます」
星莉奈さんが、いちごを口に運んだ。
「……ん!」
「どう!?」
「……すっごく甘い!」
「やったあああ!!」
結衣ちゃんが大喜びする。
星莉奈さんは、そんな結衣ちゃんをぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、結衣」
「えへへ!」
その光景を見ているだけで、胸が温かくなった。
「ゆいちゃん!」
少し離れたところから、爽太くんの声がした。
「こっち! おっきいいちごある!」
「ほんと!?」
結衣ちゃんが顔を上げる。
「ママ! ゆい、そうたくんといってくる!」
「うん。走らないでね」
「はーい!」
結衣ちゃんは爽太くんのところへ駆け寄っていった。
そのそばには、舞ちゃんと悠人がいる。
二人が見てくれているなら安心だ。
「……元気ですね」
俺が言うと、星莉奈さんがくすっと笑った。
「ふふっ。本当に」
俺たちは、並んでいちごの列を眺めた。
少しだけ、静かな時間が流れる。
「……翼くん」
「はい?」
星莉奈さんが、一粒のいちごを手にしていた。
「これ、すごく甘そうじゃありませんか?」
「本当ですね。きれいな赤色です」
「ふふっ。でしょう?」
星莉奈さんは嬉しそうに微笑んだ。
そして、周囲をちらりと見渡す。
「……翼くん」
「はい?」
「……あーん」
「…………え?」
差し出されたのは、さっきのいちごだった。
「……星莉奈さん?」
「……食べませんか?」
「い、いえ! 食べますけど……」
「ふふっ。じゃあ、どうぞ」
星莉奈さんが、少しだけ頬を赤くする。
俺はもう一度、周囲を確認した。
結衣ちゃんたちは、向こうで楽しそうにいちごを探している。
……よし。
俺は覚悟を決めて、口を開けた。
「……あーん」
ぱくり。
甘い。
……いや、それどころじゃない。
目の前の星莉奈さんが、恥ずかしそうに俺を見つめている。
「……どうですか?」
「……すごく、甘いです」
「……よかった」
星莉奈さんが、ほっとしたように微笑む。
その顔があまりにも可愛くて。
俺は思わず、もう一粒いちごを摘んだ。
「……星莉奈さん」
「はい?」
「……今度は、俺からでもいいですか?」
「……えっ?」
俺がいちごを差し出すと、星莉奈さんの頬が赤くなった。
「……そ、それは……」
「……嫌でした?」
「……嫌じゃ、ありませんけど……」
星莉奈さんは少し迷ったあと、小さく口を開けた。
「……あ、あーん……」
ぱくり。
「……甘い、です」
「……よかった」
二人で顔を見合わせる。
……なんだろう。
たったこれだけなのに、ものすごく恥ずかしい。
でも。
すごく、嬉しい。
「……翼くん」
「……はい」
「……こういうの、たまにはいいですね」
「……そうですね」
星莉奈さんが、照れくさそうに笑った。
俺も笑い返そうとした、そのとき。
「……あらあら」
「「……っ!?」」
背後から、聞き覚えのある声。
ゆっくり振り返ると。
そこには、にこにこと微笑む鈴さんが立っていた。
「……す、鈴さん!?」
「あら。こんにちは、朝倉さん」
「こ、こんにちはじゃなくて! いつからそこに!?」
「そうねぇ……」
鈴さんが頬に手を当て、少し考える。
「星莉奈ちゃんが、あーんってしたあたりからかしら」
「最初からじゃないですか!!」
「ふふふっ」
鈴さんが、楽しそうに笑った。
「いやぁねぇ。そんなに驚かなくても」
「お、驚きますよ!」
隣を見ると、星莉奈さんは真っ赤になっていた。
「す、鈴さん……見ていらしたんですか……?」
「ええ。とっても仲がよさそうだったから、声をかけるのも悪いと思って」
「そ、それなら……!」
星莉奈さんが言葉に詰まる。
鈴さんは、そんな俺たちを交互に見つめた。
そして。
「……お熱いわねぇ〜。ふふふっ」
「「…………!」」
……駄目だ。
恥ずかしすぎる。
星莉奈さんは両手で頬を押さえ、うつむいてしまった。
「……鈴さん……もう……」
「ふふっ。ごめんなさいねぇ」
まったく悪びれていない。
むしろ、ものすごく楽しそうだ。
「……朝倉さん」
「……はい」
「いちごも甘いけれど、お二人には負けちゃうわね」
「鈴さん!!」
鈴さんの笑い声が、ハウスの中に響いた。
隣では、星莉奈さんが小さな声で呟いていた。
「……翼くん……」
「……はい」
「……次からは、ちゃんと後ろも確認してください……」
「……俺の仕事なんですか!?」
星莉奈さんが、思わず吹き出した。
それにつられて、俺も笑ってしまう。
少し離れたところでは、鈴さんがまだ楽しそうに笑っていた。
……本当に。
この人には、かなわない。
*
いちご狩りを終える頃には、子どもたちはすっかり満足していた。
「つーくん……」
「ん?」
「ゆい、もうたべられない……」
「百個は食べられた?」
「……ううん」
「何個食べた?」
「……いっぱい!」
「そっか」
「でもね……」
「うん?」
「また、いきたい!」
「……うん。また来ようね」
「やくそく!」
「約束」
結衣ちゃんが、小指を差し出してきた。
俺も小指を絡める。
「ゆびきりげんまん!」
「うん」
「うそついたら、いちごひゃっこ!」
「……それは大変だ」
「えへへ!」
その隣では、爽太くんが悠人の手を握っていた。
「悠人おじちゃん!」
「ん?」
「ぼく、またくる!」
「うん。また一緒に来ようね」
「つぎは、もっとおっきいの!」
「じゃあ、次は俺たちで一番大きいいちごを探そうか」
「うん!」
舞ちゃんが、くすくす笑った。
「ふふっ。二人とも、まだ勝負するつもりなんですね」
悠人が微笑んだ。
「もちろん。爽太くんとの約束だからね」
「……お前、勝負好きだな」
俺が言うと、悠人がこちらを見た。
「翼も次は一緒にどう?」
「……俺も?」
「うん。まあ、俺の方がかっこいいいちごを見つけると思うけど」
「……かっこいいいちごって何だよ」
「そこは見つけてからのお楽しみかな」
悠人が爽やかに笑った。
……相変わらず、よく分からないところで張り合ってくる。
「ふふふっ」
その様子を見て、鈴さんが楽しそうに笑った。
「若いっていいわねぇ」
「鈴さん、今日はありがとうございました」
俺が言うと、鈴さんは首を傾げた。
「あら、どうして?」
「いや……一緒に来てくれて」
「ふふっ。こちらこそよ」
鈴さんは、帽子のつばを少し持ち上げた。
「こんなに楽しいいちご狩り、久しぶりだったわ」
「……そうですか」
「ええ。特に、朝倉さんとの勝負がね」
「……そこですか!?」
「ふふふっ!」
鈴さんが、いたずらっぽく笑う。
「次も負けないわよ?」
「……次こそは、俺が勝ちます」
「あら、頼もしい」
「本気ですからね?」
「ふふっ。私もよ?」
……駄目だ。
勝てる気がしない。
「すずさーん!」
結衣ちゃんが駆け寄ってきた。
「なあに?」
「またいこうね!」
「ええ。もちろん」
「やくそく!」
「ふふっ。約束ね」
結衣ちゃんが、小指を差し出す。
鈴さんも、そっと小指を絡めた。
「ゆびきりげんまん!」
「うふふ。はい、ゆびきり」
二人が顔を見合わせて笑う。
その笑顔が、なんだかとても可愛らしくて。
俺も、つられて笑ってしまった。
*
帰り道。
車を停めた駐車場へ向かう途中で、結衣ちゃんの歩く速度がだんだん遅くなってきた。
「……つーくん」
「ん?」
「……ねむい」
「そっか。いっぱい遊んだもんね」
「……うん」
結衣ちゃんが、両手を伸ばした。
「……おんぶ」
「はいはい」
俺はしゃがんで、結衣ちゃんを背中に乗せた。
「よいしょ」
「……えへへ」
小さな腕が、俺の首に回る。
「……つーくん」
「ん?」
「……きょう、たのしかった」
「うん。俺も楽しかったよ」
「……また、いこうね」
「うん。約束」
「……えへへ……」
それきり、結衣ちゃんの声は小さくなった。
背中から、すうすうと寝息が聞こえてくる。
「……寝ちゃいましたね」
隣を歩く星莉奈さんが、微笑んだ。
「そうですね」
「ふふっ。朝からずっと楽しみにしていましたから」
「百個食べるって張り切ってましたもんね」
「結局、何個食べたんでしょう?」
「……途中から数えてませんでした」
「ふふっ」
星莉奈さんが、そっと結衣ちゃんの髪を撫でた。
「……楽しかったね、結衣」
小さな声だった。
結衣ちゃんは眠ったまま、少しだけ口元を緩めた。
少し前を歩く悠人の背中にも、爽太くんが乗っている。
「……すぅ……」
「……すっかり寝ちゃったね」
悠人が小さく笑った。
「ふふっ。朝からはしゃいでたもんね」
舞ちゃんが、爽太くんの頭を優しく撫でる。
「悠人くん、重くないですか?」
「全然。大丈夫だよ」
「でも、ずっとおんぶしてもらって……」
「気にしなくていいよ。爽太くん、軽いし」
「……ありがとうございます」
「こちらこそ。今日は楽しかったよ」
悠人が微笑んだ。
舞ちゃんも、嬉しそうに笑った。
その後ろを、鈴さんがゆっくり歩いていた。
「……あらあら」
鈴さんが、俺たちを見渡す。
「二人とも、すっかり眠っちゃったのね」
「はい。遊び疲れたみたいです」
「ふふっ。いいことだわ」
鈴さんは、にこにこと微笑んだ。
「それにしても……」
「はい?」
「朝倉さんも一ノ瀬さんも、立派な運び屋さんねぇ」
悠人が振り返った。
「運び屋ですか?」
「ええ。とびきり大切な荷物を運んでいるんでしょう?」
悠人が少し驚いたあと、柔らかく笑った。
「……そうですね。これは慎重に運ばないと」
「ふふっ。そうよ」
俺も、背中の温もりを感じながら笑った。
「……本当に、そうですね」
鈴さんが、優しく微笑む。
「落とさないようにね」
「もちろんです」
俺は、結衣ちゃんを背負い直した。
そのとき。
「……朝倉さん」
「はい?」
鈴さんが、少しだけ声を潜めた。
「ところで、今日のいちご勝負だけど」
「……はい」
「私の勝ちでいいわよね?」
「まだ言うんですか!?」
鈴さんが、くすくす笑った。
「ふふっ。だって、負けたくないんだもの」
「……次は絶対勝ちますからね」
「あら、楽しみ」
そう言って、鈴さんは楽しそうに笑った。
俺も、思わず笑ってしまった。
……本当に。
可愛らしい人だ。
「翼くん」
隣で、星莉奈さんが俺を見上げた。
「はい?」
「……今日は、ありがとうございました」
「えっ?」
「みんなで来られて、嬉しかったです」
「……俺もです」
星莉奈さんが、そっと俺の腕に触れた。
「……また、みんなで来ましょうね」
「……はい」
俺は、笑って頷いた。
前を歩く悠人と舞ちゃん。
その背中で眠る爽太くん。
俺の背中で、気持ちよさそうに眠る結衣ちゃん。
隣で微笑む星莉奈さん。
そして、少し先を歩きながら、鼻歌を口ずさむ鈴さん。
……ああ。
今日も、いい一日だった。
「……翼くん」
「はい?」
「……鈴さん、楽しそうですね」
「……そうですね」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
すると、鈴さんが振り返った。
「あら、二人とも。何を笑っているの?」
「いえ、なんでもないです」
「そう?」
鈴さんは少し首を傾げたあと、にっこり笑った。
「ふふっ。じゃあ、次のいちご狩りも楽しみにしてるわね」
「……はい!」
俺は、元気よく答えた。
……次こそは。
絶対に、鈴さんに勝ってみせる。
そう心に誓いながら。
俺たちは、春の柔らかな日差しの中を歩いていった。




