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第45話 たまには、こんな夜も

田中舞視点


「……ふぅ。今日も忙しかったですね」


閉店後のリアン。


最後のテーブルを拭き終えた私は、思わず小さく息を吐いた。


「お疲れさま、舞ちゃん」


カウンターの向こうから、星莉奈さんが微笑んでくれる。


「今日はランチの時間、すごかったですね」


「そうだね。でも、皆さん喜んでくださってよかった」


そう言って笑う星莉奈さん。


……本当に、この人は。


どれだけ忙しくても、最後にはお客さんの笑顔の話をする。


私はそんな星莉奈さんが好きだった。


「星莉奈さんも、お疲れさまです」


「ふふっ。ありがとう」


片付けを終え、二人でカウンター席に腰を下ろす。


星莉奈さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、何となく話をしていた。


「そういえば、舞ちゃん」


「はい?」


「最近、お酒って飲んでる?」


「……お酒、ですか?」


突然の質問に、少し考える。


「……ああ、そういえば」


最後に飲んだの、いつだっけ。


爽太が生まれる前?


いや、一度くらいは飲んだ気もするけど……。


「全然飲んでないですね」


「やっぱり、そうだよね」


星莉奈さんは苦笑した。


「私も、もうずいぶん飲んでないなぁ」


「子どもがいると、なかなか難しいですよね」


「そうなの。夜に出かけること自体、ほとんどなくて」


「分かります」


私は思わず笑った。


「友達に飲みに誘われても、まず爽太をどうしようって考えちゃいますから」


「ふふっ。私も同じ」


「昔は、何も考えずに出かけられたんですけどねぇ」


「……そうだね」


星莉奈さんは、少し懐かしそうに微笑んだ。


「たまには、夜におしゃれして出かけてみたいなぁ」


「……あ、それ、すごく分かります!」


二人で顔を見合わせて笑う。


その時だった。


「じゃあ、行ってきたらいいじゃないですか」


「……え?」


振り返ると、テーブル席に座っていた悠人くんがこちらを見ていた。


その隣には朝倉くん。


二人とも、閉店まで待っていてくれたらしい。


「……悠人くん?」


「せっかくなんですから、次の休みの前の日にでも行ってきたらどうです?」


悠人くんは、何でもないことのように言った。


「いや、でも……爽太が……」


「俺が見てるよ」


「……え?」


「爽太くん、俺に懐いてくれてるだろ?」


確かに。


爽太は悠人くんが大好きだ。


この前の誕生日だって、二人でずっと恐竜のおもちゃで遊んでいた。


でも……。


「さすがに、夜までお願いするのは……」


「いいよ。爽太くんと遊ぶの、俺も楽しいし」


「……でも」


「大丈夫だって。舞ちゃんの家で一緒に遊んでるからさ」


「……悠人くん」


「なぁ、翼?」


突然話を振られた朝倉くんが、顔を上げる。


「ん?」


「結衣ちゃんは、お前が見てればいいだろ?」


「ああ、もちろん」


朝倉くんは穏やかに頷いた。


「星莉奈さん、たまには舞ちゃんとゆっくりしてきてください」


「……翼くん」


「結衣ちゃんは俺が見てますから」


悠人くんが、にっと笑う。


「ほら、決まり!」


「いや、まだ何も決まって……」


「そういう日も大事じゃないですか」


悠人くんは星莉奈さんに向かって、少しだけ声を柔らかくした。


「星莉奈さんも、いつも頑張ってるんですから。たまには楽しんできてくださいよ」


それから、私の方を見る。


「舞ちゃんもさ。たまには息抜きしてきなよ」


「…………」


「いつも頑張ってるんだから」


……ああ。


そういうことを、さらっと言うんだから。


私は少しだけ視線を落とした。


「……でも、悠人くんの予定は?」


「空けるよ」


「即答!?」


「ははっ。だって、楽しそうじゃん」


「……もう」


思わず笑ってしまった。


隣を見ると、星莉奈さんも少し困ったように笑っている。


「……本当に、いいのかな」


「もちろんですよ」


朝倉くんが優しく答えた。


「星莉奈さん、行ってみたいお店があるんじゃないですか?」


「……実は、あるの」


「じゃあ、なおさらですね」


「…………」


星莉奈さんは私を見た。


私も、星莉奈さんを見る。


「……舞ちゃん」


「……はい」


「……行っちゃう?」


「…………」


私は思わず笑った。


「……行っちゃいましょうか!」


「ふふっ!」


二人で笑い合う。


その向こうで、悠人くんが満足そうに頷いた。


「よし。じゃあ決まり!」


……なんだか。


久しぶりに、わくわくしてきた。


*


そして、約束の夜。


「ママー! いってらっしゃーい!」


玄関で、結衣ちゃんが元気よく手を振っていた。


「ふふっ。行ってくるね、結衣」


「おみやげ!」


「はいはい。何か買ってくるね」


「やったー!」


隣では、朝倉くんが笑っている。


「星莉奈さん、楽しんできてください」


「……うん。ありがとう、翼くん」


星莉奈さんは少しだけ照れたように微笑んだ。


「じゃあ、結衣をお願いします」


「はい。任せてください」


「……ふふっ。それじゃあ、行ってきます」


私たちは顔を見合わせ、歩き始めた。


……なんだろう。


たったそれだけなのに。


ものすごく久しぶりに、自由な夜が始まる気がした。


明日はお休み。


だから、今日は少しくらい夜更かししたっていい。


そんなことを考えるだけで、自然と頬が緩んだ。


*


「……わぁ!」


お店の前に立った瞬間、思わず声が出た。


落ち着いた照明。


大きな窓から見える、温かな店内。


入口には、小さな看板。


以前から気になっていた、少しおしゃれなダイニングバーだった。


「私、ここ来てみたかったんですよね!」


「……実は、私もなの」


「えっ、本当ですか!?」


「うん。前を通るたびに、素敵なお店だなって思ってて」


「じゃあ、今日来られてよかったですね!」


「ふふっ。本当に」


二人で笑いながら、店の扉を開ける。


「いらっしゃいませ」


案内されたのは、窓際の二人席。


柔らかな照明に照らされたテーブルには、小さなキャンドルが置かれていた。


「……おしゃれですねぇ」


「ふふっ。そうだね」


メニューを開く。


色とりどりのカクテル。


ワイン。


料理も、どれもおいしそうだ。


「……どうしましょう」


「迷っちゃうね」


「せっかくだから、普段飲まないものにしません?」


「……いいね」


私たちは顔を見合わせ、笑った。


……今日は、ちょっとだけ特別な夜。


そう思うと、メニューを選ぶ時間さえ楽しかった。


*


「かんぱーい!」


「ふふっ。乾杯!」


グラスが、軽く触れ合う。


私は注文したカクテルを一口飲んだ。


「……ん! おいしい!」


「……本当だね!」


星莉奈さんも目を丸くしている。


「これ、すごく飲みやすいね」


「ですよね! ジュースみたい!」


「ふふっ。危ないね、これ」


そう言いながら、星莉奈さんはもう一口飲んだ。


……あ。


なんか、いいな。


こういうの。


おいしい料理を食べて。


好きなものを飲んで。


子どものことも、仕事のことも、少しだけ忘れて。


ただ、楽しくおしゃべりする。


「……舞ちゃん」


「はい?」


「……今日は、本当にありがとう」


「えっ?」


「誘ってくれて」


「いやいや! 私の方こそ!」


「ふふっ」


星莉奈さんは嬉しそうに微笑んだ。


「……こんなふうに夜に出かけるの、久しぶり」


「私もです」


「……楽しいね」


「……はい!」


私は大きく頷いた。


本当に、楽しかった。


*


「……それでですね!」


「ふふっ。うん」


料理を食べながら、話はどんどん弾んでいった。


リアンのこと。


子どもたちのこと。


最近あった、ちょっとした出来事。


そして、自然と話題は二人の男性のことになった。


「……悠人くんって、本当に爽太と仲がいいんですよ」


「そうなんだ」


「この前なんて、恐竜のおもちゃで一時間以上遊んでくれて」


「ふふっ。目に浮かぶなぁ」


「しかも、爽太に負けてばっかりなんです」


「あら」


「絶対、わざと負けてるんですよ」


星莉奈さんが楽しそうに笑った。


「……優しい人だね」


「……そうなんです」


私はグラスを見つめた。


……本当に、優しい。


爽太のことも。


私のことも。


いつも、自然に気にかけてくれる。


「……星莉奈さんは?」


「え?」


「朝倉くんと、最近どうですか?」


「……えっ!?」


星莉奈さんの頬が、少し赤くなった。


……あ。


これは、何かある。


「……ふふっ。何ですか、その反応」


「い、いや! 別に……!」


「本当ですかぁ?」


「……舞ちゃん」


「はい?」


「……少し、意地悪だよ」


「ふふふっ!」


私は思わず笑ってしまった。


……ああ。


こういう話、久しぶりだなぁ。


*


それから、しばらくして。


「……舞ちゃぁん」


「……はい?」


「……これ、おいしいねぇ」


星莉奈さんが、グラスを持ってにこにこしていた。


「……そうですね」


「……ふふっ」


……あれ?


なんか、さっきより声が柔らかいような。


「星莉奈さん?」


「……はぁい?」


「……大丈夫ですか?」


「……だいじょうぶだよぉ」


……いや。


大丈夫じゃない気がする。


星莉奈さんは、嬉しそうにグラスを見つめた。


「……これ、もう一杯飲みたいなぁ」


「えっ!? いや、ちょっと待ってください!」


「……ふふっ。どうしてぇ?」


「……星莉奈さん、結構飲んでますよ?」


「……そうかなぁ?」


「そうですよ!」


実際、星莉奈さんはいつの間にか何杯も飲んでいた。


最初に注文したフルーツカクテルが気に入ったらしく、料理に合わせて別のものも試していたのだ。


しかも、どれも飲みやすいものばかり。


……これは、まずい。


「星莉奈さん、お水飲みましょう」


「……え〜?」


「ほら、これ」


「……舞ちゃん」


「はい?」


「……たのしいねぇ」


「…………」


……ああ。


もう。


そんな幸せそうな顔されたら。


怒れないじゃないですか。


「……そうですね」


私は小さく笑った。


「でも、そろそろ帰りましょうか」


「……え〜」


「朝倉くんも待ってますよ?」


その瞬間。


星莉奈さんの顔が、ぱっと明るくなった。


「……つばさくん!」


「……はい」


「……つばさくん、だぁいすきなのぉ」


「…………」


……え?


今、何て?


「……星莉奈さん?」


「……ふふっ。やさしくてぇ……かっこよくてぇ……」


「…………」


「……だぁいすき」


……うわぁ。


これは。


完全に酔ってる。


私は思わず額に手を当てた。


……朝倉くん。


ごめんなさい。


今日の星莉奈さん、ちょっと大変かもしれません。


*


帰りのタクシー。


星莉奈さんは、私の肩に頭を預けていた。


「……舞ちゃぁん」


「はいはい」


「……きょう、たのしかったぁ」


「……そうですね」


「……また、いこうねぇ」


「はい。今度は、もう少し控えめに飲みましょうね」


「……ふふっ。はぁい」


……本当に分かってるのかな。


私は苦笑しながら、星莉奈さんの肩を支えた。


そして、朝倉くんに連絡を入れる。


『今から帰ります。星莉奈さん、少し酔ってしまって……』


少しして、返事が届いた。


『分かった。玄関で待ってるね。気をつけて帰ってきて』


……朝倉くん。


本当に、いい人だなぁ。


私は小さく笑った。


*


「……舞ちゃん!」


玄関の前で、朝倉くんが待っていてくれた。


「すみません、遅くなって……」


「ううん、大丈夫だよ」


「……あの、その……」


私は隣の星莉奈さんを見る。


星莉奈さんは、ぼんやりと朝倉くんを見つめていた。


そして。


「……あ〜!」


突然、嬉しそうな声を上げた。


「……つばさくんだぁぁ〜!」


「……えっ!?」


朝倉くんが目を丸くする。


「……星莉奈さん!?」


「……えへへ〜」


星莉奈さんは、ふらふらと朝倉くんに近づいた。


そして。


ぎゅうっ。


「……つばさくぅん!」


「うわっ!?」


朝倉くんが慌てて受け止める。


「ちょ、星莉奈さん!? 大丈夫ですか!?」


「……だいじょうぶぅ〜」


……いや。


全然大丈夫じゃない。


「……すみません、朝倉くん」


私は思わず頭を下げた。


「お酒がすごく飲みやすかったみたいで……」


「あ、いや! 舞ちゃんが謝ることじゃないよ!」


「……本当に、すみません」


「大丈夫。あとは俺が見てるから」


朝倉くんは、星莉奈さんを支えながら微笑んだ。


「舞ちゃんも、気をつけて帰ってね」


「……はい。ありがとうございます」


私はもう一度、星莉奈さんを見る。


「星莉奈さん、今日は楽しかったです」


「……舞ちゃぁん」


「はい?」


「……また、いこうねぇ」


「……ふふっ。はい」


私は小さく手を振った。


「おやすみなさい」


「……おやすみぃ〜」


そして、朝倉くんに小さく頭を下げ、タクシーへ戻った。


……さて。


私も帰らないと。


悠人くんと爽太、どうしてるかな。


*


朝倉翼視点


「……星莉奈さん」


「……ん〜?」


「……歩けますか?」


「……あるけるよぉ〜」


……いや。


全然歩けてないんですけど。


俺は星莉奈さんを支えながら、なんとか玄関へ入った。


「……つばさくん」


「はい?」


「……えへへ〜」


「……どうしました?」


「……だぁいすき」


「…………っ!」


……え?


……えええええ!?


ちょっと待って。


何、この人。


いつもの星莉奈さんは!?


「……星莉奈さん、結衣ちゃんもう寝てますからね。静かにしましょう」


「……ゆい?」


「はい」


「……ねんね?」


「そうです」


「……そっかぁ。えらいねぇ……」


星莉奈さんは、ふにゃっと笑った。


……ああ。


酔ってても、結衣ちゃんのことは気になるんだな。


なんだか、少しだけ安心した。


「……じゃあ、星莉奈さん。ベッドまで行きましょう」


「……はぁい」


俺は星莉奈さんを支えながら、ゆっくりと自分の部屋へ向かった。


*


「……よいしょっと」


なんとかベッドに座ってもらう。


「……ふぅ」


……疲れた。


いや、まだ何も終わってないんだけど。


「星莉奈さん、お水持ってきますね」


「……ん〜?」


「すぐ戻りますから」


俺はキッチンへ向かった。


コップに水を注ぎ、再び部屋へ戻る。


すると。


「あ〜! おかえりぃ〜!」


ベッドの上で、星莉奈さんが両手を広げた。


「……いなくなったとおもったぁ〜」


「いや、さっきお水を持ってくるって言いましたよね?」


「……さみしかったぁ〜」


「……っ!」


……なんだこの可愛い生き物は。


いやいや。


今はそれどころじゃない。


「星莉奈さん、お水です」


「……いやぁ〜」


「え?」


「……いらなぁい」


「いや、飲んでください。明日つらくなりますよ?」


「……やぁだぁ〜」


……困ったな。


「星莉奈さん。少しだけでいいですから」


すると、星莉奈さんは俺を見上げて、にこっと笑った。


「……のませてほしぃ〜」


「……え?」


「つばさくんが、のませてぇ〜」


「……飲ませてって、どうやって……」


すると。


星莉奈さんは目を閉じて、唇を小さく突き出した。


「……ん〜」


「…………」


……え?


……えええええ!?


「せ、せせせ星莉奈さんっ!?」


「……やぁだ?」


「いや、そういう問題じゃ……!」


「……だめぇ?」


「…………っ!」


「……じゃないと、のまなぁい」


……ちょっと待ってくれ。


なんだこの状況。


いや、確かに可愛い。


めちゃくちゃ可愛い。


でも!


今の星莉奈さん、完全に酔っ払ってるから!


「……星莉奈さん」


「……ん〜?」


「それは、ちゃんと起きてる時にお願いします」


「……え〜?」


「今はお水です」


俺は星莉奈さんの手にコップを持たせ、こぼさないように底を支えた。


「はい。ゆっくりですよ」


「……ん……」


星莉奈さんが、こくんと一口飲む。


「……おいしぃ……」


「よかったです」


「……つばさくん」


「はい?」


「……やさしぃねぇ」


「……どうも」


「……だぁいすき」


「…………っ!」


……あああああ!


もう!


心臓に悪すぎる!!


「……ほ、ほら。あとは自分で飲めますか?」


「……はぁい」


星莉奈さんは素直にコップを持ち、もう一口飲んだ。


……さっきまでの攻防は何だったんだ。


*


「……さて、星莉奈さん」


「ん〜?」


「そろそろ寝ましょうか」


「……ねるのぉ?」


「はい。明日、きっと大変ですよ」


「……えへへ〜」


……全然聞いてないな、この人。


俺は星莉奈さんの手からコップを受け取り、サイドテーブルに置いた。


「じゃあ、寝かせますよ」


「はぁ〜い」


素直な返事。


……よし。


俺は星莉奈さんの肩を支え、ゆっくりとベッドに横になってもらおうとした。


その瞬間。


ぎゅっ。


「……え?」


突然、首に両腕が回された。


「ちょっ……!」


ぐいっ。


「うわっ!?」


そのまま引っ張られ、俺までベッドに倒れ込んでしまった。


幸い、星莉奈さんに体重を掛けずに済んだけど。


……近い。


近い近い近い!!


目の前に、星莉奈さんの顔。


しかも、両腕は俺の首に回されたままだ。


「せ、せせせ星莉奈さん!?」


「……えへへ〜」


「ほ、ほら! 寝てください!」


「……え〜?」


星莉奈さんは、少し不満そうに唇を尖らせた。


「……ねちゃうのぉ?」


「寝るんですよ!」


「……つばさくんはぁ?」


「俺は、ちゃんと星莉奈さんが寝るのを見届けますから」


「……ふぅん」


星莉奈さんは俺の顔をじっと見つめた。


そして、ふにゃっと笑う。


「……ねぇ、つばさくん」


「……はい?」


「……わたしを、たべて?」


「…………」


…………。


…………は?


ええええええええええ!?


待て待て待て待て!!


今、何て言った!?


食べて!?


いやいやいやいや!!


だめだ!!


だめだだめだ!!


星莉奈さんは酔っ払ってるんだ!!


落ち着け俺!!


落ち着け、俺の息子おおおお!!


……いや、何を叫んでるんだ俺は!!


「……つばさくん?」


「は、はいっ!」


「……たべないのぉ?」


「た、食べませんっ!!」


「……え〜」


「星莉奈さん! 今日は寝てください!」


「……むぅ」


頬を膨らませる星莉奈さん。


……可愛い。


いや、可愛いけど!!


今はそういう問題じゃない!!


俺はゆっくりと星莉奈さんの腕をほどき、隣に座り直した。


「……星莉奈さん」


「……ん?」


「今日は、ゆっくり休んでください」


「……つばさくん……」


「はい」


「……だいすきぃ……」


「…………」


……ああ、もう。


本当に、この人は。


俺は星莉奈さんの髪をそっと撫でた。


「……俺も、大好きですよ」


そして、彼女の額に軽くキスをした。


「……おやすみなさい」


「……あ〜!」


「えっ?」


星莉奈さんが、嬉しそうに笑った。


「……ちゅーされたぁ〜!」


「……っ!」


……お願いですから、大きな声で言わないでください!!


結衣ちゃんが起きちゃう!!


「しーっ。星莉奈さん、静かに」


「……えへへ〜」


「……ほら、寝てくださいね」


「……はぁ〜い」


今度は素直に目を閉じた。


俺が布団を掛けると、星莉奈さんは満足そうに微笑んだ。


「……つばさくん……」


「はい?」


「……ありがとぉ……」


「……どういたしまして」


やがて、静かな寝息が聞こえ始めた。


「……すぅ……」


……寝た。


ようやく寝た。


俺はベッドの横で、大きく息を吐いた。


「……はぁぁぁぁ……」


……疲れた。


仕事で難しいプログラムを組んでいる時より、よっぽど疲れた。


俺は眠っている星莉奈さんを見つめた。


さっきまでの大胆さが嘘みたいに、穏やかな寝顔。


……まったく。


本当に、ずるい人だ。


「……おやすみなさい、星莉奈さん」


もう一度、小さく呟いた。


……明日。


この人は、どこまで覚えているんだろう。


そして俺は。


明日、まともに顔を見られるんだろうか。


……不安しかない。


*


その頃。


田中舞の家では。


「……すぅ……」


爽太は、恐竜のおもちゃを抱きしめたまま眠っていた。


その隣で、悠人が静かに笑う。


「……お疲れさま、爽太くん」


そっと布団を掛け直す。


テーブルの上には、遊び終えた恐竜のおもちゃ。


今日も、ずいぶん遊んだ。


「……さて」


悠人は時計を見た。


そろそろ、舞が帰ってくる頃だ。


「……楽しめたかな」


小さく呟く。


そして、ふっと笑った。


「……まあ、たまにはこういう日もいいよな」


窓の外には、静かな夜が広がっていた。


誰かのために頑張る毎日。


でも、たまには。


自分のために笑う夜があったっていい。


そんな、少し特別な休日の前夜だった。

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