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第39話 私だけを見て



 待ち合わせの時間より、少し早く着いた。


 車を停め、スマートフォンで時刻を確認する。


 約束までは、あと十分。


 ……少し早すぎたか。


 普段なら、時間ぴったりに着くように動く。


 けれど今日は、家を出る前から妙に落ち着かなかった。


 理由は分かっている。


 舞ちゃんとのデートだからだ。


 付き合い始めてから、二人で過ごす時間は何度もあった。


 それでも、こうして一日を丸ごと二人だけで過ごせるとなると、やっぱり特別な気がする。


 ……俺も、案外浮かれてるんだな。


 そんなことを考えていたときだった。


「悠人さーん!」


 聞き慣れた、明るい声。


 顔を上げる。


 そして。


「…………」


 一瞬、言葉が出なかった。


 こちらへ小走りでやってくる舞ちゃん。


 いつもはポニーテールにしている髪を、今日は下ろしていた。


 柔らかく揺れるオレンジブラウンの髪。


 淡い色のワンピースに、小さなバッグ。


 普段の元気な雰囲気とは少し違う、大人っぽい装い。


 けれど、俺を見つけた瞬間に浮かべた笑顔は、いつもの舞ちゃんそのものだった。


「お待たせしましたー!」


「……いや。俺も今来たところだよ」


「ほんとですか? よかったぁ」


 舞ちゃんは胸元に手を当て、ほっと息をつく。


 それから、俺の顔を覗き込んだ。


「……あれ?」


「ん?」


「悠人さん、どうかしました?」


「……どうして?」


「なんか、じーっと見てるから」


 ……見てたか。


 いや、そりゃ見るだろう。


 こんなに可愛いんだから。


「……今日、雰囲気違うな」


「……!」


 舞ちゃんの背筋が、ぴんと伸びた。


「そ、そうなんです! 今日はちょっと頑張ってみたんですけど……」


 ワンピースの裾をそっと摘まむ。


「……どうですか?」


 少しだけ不安そうな声。


 俺は、その顔をまっすぐ見つめた。


「……すごく可愛い」


「…………!」


「似合ってるよ、舞ちゃん」


 舞ちゃんの頬が、みるみる赤くなった。


「……えへへ」


 照れたように笑う。


「……よかったぁ」


 その声が、本当に嬉しそうで。


 ……参ったな。


 まだデートは始まってもいないのに。


 もう、十分幸せなんだけど。


「じゃあ、行こうか」


「はいっ!」


 舞ちゃんが助手席に乗り込む。


 俺も運転席に座り、エンジンをかけた。


「悠人さん!」


「ん?」


「今日は、いっぱい楽しみましょうね!」


「……ああ」


 俺が笑うと、舞ちゃんも笑った。


 それだけで、今日がいい一日になる気がした。


*


 最初に向かったのは、少し離れた場所にある商業施設だった。


 買い物もできるし、食事もできる。


 特別な目的があるわけじゃない。


 ただ、舞ちゃんと一緒に歩きたかった。


「わぁ、見てください悠人さん!」


「ん?」


「あの雑貨屋さん、可愛いものいっぱいありそう!」


「入ってみる?」


「いいんですか?」


「もちろん」


「やったぁ!」


 舞ちゃんが嬉しそうに店へ入っていく。


 俺はその後ろをついていった。


 店内には、小さなアクセサリーや雑貨が並んでいる。


 舞ちゃんは一つ一つを眺めながら、楽しそうに声を上げた。


「これ可愛い!」


「こっちもいいなぁ」


「あっ、悠人さん! これ見てください!」


 呼ばれて近づくと、舞ちゃんが小さなヘアクリップを手にしていた。


「どうですか?」


「……似合うと思うよ」


「ほんとですか?」


「ああ」


 舞ちゃんは鏡の前で、髪にクリップを当ててみせた。


「……えへへ」


 鏡越しに、俺を見る。


「悠人さんがそう言うなら、これにしようかな」


「……俺の意見で決めていいの?」


「もちろんです!」


 舞ちゃんは当然のように答えた。


「だって、悠人さんに可愛いって思ってもらいたいですもん」


「…………」


 ……そういうことを。


 そんなにまっすぐ言うんだな。


「……悠人さん?」


「……いや」


 俺は小さく笑った。


「もう十分可愛いよ」


「……っ!」


 舞ちゃんが、ぱっと顔を赤くする。


「も、もう! 悠人さん!」


「ん?」


「……今日、いっぱい褒めてくれるじゃないですかぁ」


「思ったことを言ってるだけだよ」


「……そういうところです」


「……?」


「なんでもないですっ!」


 そう言って、舞ちゃんは照れ隠しのように別の棚へ向かってしまった。


 ……可愛いな。


 今日は、何回そう思うことになるんだろう。


*


 昼食は、舞ちゃんが気になっていたという洋食店に入った。


 窓際の席に向かい合って座る。


「うわぁ……どれも美味しそう……!」


 メニューを開いた舞ちゃんの目が輝いていた。


「悠人さん、何にします?」


「俺はハンバーグかな」


「えっ、私もそれ気になってました!」


「じゃあ、同じにする?」


「んー……」


 舞ちゃんは真剣な顔でメニューを見つめた。


 ……そんなに悩むことか?


「……決めました!」


「お?」


「私はオムライスにします!」


「ハンバーグじゃないんだ?」


「だって!」


 舞ちゃんは、にこっと笑った。


「そしたら、二つの味が楽しめるじゃないですか!」


「……なるほど」


「悠人さんのハンバーグ、ひと口くださいね!」


「もちろん」


「やったぁ!」


 ……最初から、そのつもりだったのか。


 思わず笑ってしまった。


 料理が運ばれてくると、舞ちゃんは両手を合わせた。


「いただきまーす!」


 スプーンでオムライスをひと口。


 次の瞬間。


「……んんっ!」


 舞ちゃんの顔が、ぱっと明るくなった。


「おいひい……!」


「……よかったな」


「はいっ!」


 頬を緩ませながら、幸せそうに食べている。


 ……見てるだけで、こっちまで腹が減るな。


「悠人さんのも美味しいですか?」


「ああ。かなり美味い」


「……じーっ」


「…………」


「……じーっ」


「……舞ちゃん」


「はいっ!」


「食べる?」


「いいんですかっ!」


 ……分かりやすいな。


 俺はハンバーグをひと口分切り分けた。


「はい」


「……えっ」


 舞ちゃんが固まる。


「……あの、悠人さん?」


「ん?」


「……それって」


 俺のフォークと、俺の顔を交互に見る。


 ……ああ。


 そういうことか。


「……嫌だった?」


「ち、違います!」


 舞ちゃんが慌てて首を振る。


「全然! 全然嫌じゃないです!」


「じゃあ、どうぞ」


「…………」


 舞ちゃんは少しだけ周りを見た。


 それから、おずおずと顔を近づける。


「……あーん」


 ぱくっ。


 口に入れた瞬間、舞ちゃんの目が丸くなった。


「……おいしい!」


「だろ?」


「はいっ!」


 嬉しそうに頷いたあと。


 舞ちゃんは、自分のオムライスをひと口すくった。


「……悠人さん」


「ん?」


「……今度は、私の番です」


「…………」


 スプーンを差し出してくる。


 その顔は、少し赤い。


 でも、期待に満ちていた。


「……あーん、してください」


 ……参ったな。


 これは、断れない。


「……あーん」


 ぱくっ。


 舞ちゃんが、ぱあっと笑った。


「どうですか?」


「……美味い」


「ですよね!」


 自分が作ったわけでもないのに、得意げに胸を張る。


 俺は笑いながら、水をひと口飲んだ。


 ……本当に。


 この子といると、退屈する暇がない。


*


 食事を終え、施設内を歩く。


 舞ちゃんは俺の隣で、楽しそうに今日の話をしていた。


「さっきのオムライス、本当に美味しかったですねぇ」


「ああ」


「また行きたいです!」


「じゃあ、また来よう」


「……!」


 舞ちゃんが俺を見上げる。


「……また、一緒に?」


「もちろん」


「……えへへ」


 嬉しそうに笑った。


 そして。


 こつん。


 舞ちゃんの手が、俺の手に触れた。


「…………」


 少し歩く。


 また、こつん。


 ……なるほど。


 俺は何も言わず、その手を握った。


「……っ!」


 舞ちゃんの肩が、小さく跳ねた。


「……悠人さん」


「ん?」


「……えへへ」


 きゅっ。


 握り返してくる。


 その手は、小さくて温かかった。


「……嬉しいです」


「……俺も」


 そう答えると、舞ちゃんはますます嬉しそうに笑った。


 それからしばらく、手を繋いだまま歩いた。


 舞ちゃんはときどき俺を見上げては、何か言いたそうに笑う。


「……どうした?」


「んー?」


「何かある?」


「……ないですっ」


「そう?」


「……ただ」


 舞ちゃんは繋いだ手を見つめた。


「……幸せだなぁって」


「…………」


 ……ああ。


 俺も、そう思う。


*


「悠人さん、ちょっと飲み物買ってきますね!」


「ああ。俺も行こうか?」


「大丈夫です! 悠人さんはここで待っててください!」


「分かった」


「何がいいですか?」


「舞ちゃんと同じので」


「えへへ。了解ですっ!」


 舞ちゃんが小走りで離れていく。


 俺は通路脇に移動し、壁際で待つことにした。


 しばらくして。


「……あの、すみませーん!」


 声をかけられた。


 振り向くと、二人組の女性が立っていた。


「ちょっと道を聞きたいんですけど、この辺に駅ってありますか?」


「ああ。ここをまっすぐ行って、二つ目の角を右だな」


「えー! ありがとうございます!」


「助かりましたー!」


 俺が軽く頷くと、女性の一人が隣の友人を肘でつついた。


「……ねえ、やっぱめっちゃイケメンじゃない?」


「ね! 私も思った!」


「……?」


 何の話だ?


 そう思っていると、一人がにこっと笑った。


「あの、お兄さんって、今一人ですか?」


「いや、連れを待ってるんで」


「えー! そうなんですか! ていうか、めっちゃイケメンですね!」


「……どうも」


 女性の一人が、スマートフォンを取り出した。


「ねえねえ、よかったら連絡先教えてくださいよ!」


「悪いけど、それは無理だな」


「えー! なんでですかぁ?」


「彼女がいるんで」


「えっ! 彼女さんいるんだ!」


「そりゃいるでしょー! こんなかっこいいんだもん!」


「じゃあ、インスタだけでも教えてくださいよ!」


「いや。彼女が嫌がることはしたくないから」


 そう答えたときだった。


「……悠人さーん!」


 聞き慣れた声。


 振り向くと、飲み物を二つ持った舞ちゃんがこちらへ歩いてきていた。


「舞ちゃん」


 自然と、頬が緩んだ。


「お待たせしましたー! ……あれ?」


 舞ちゃんが女性たちを見る。


 女性たちも、舞ちゃんを見た。


「あっ! もしかして彼女さんですか?」


「……はい。そうですけど」


「えー! めっちゃ可愛い!」


「ねー! お似合いじゃん!」


「……あ、ありがとうございます」


 舞ちゃんは笑顔で答えた。


 けれど。


 ぷくっ。


 ……ん?


 今、頬が膨らんだような。


「じゃあ、お邪魔しましたー!」


「デート楽しんでくださーい!」


 二人組が手を振って去っていく。


 舞ちゃんは、その背中を見送った。


 それから、ゆっくり俺を見上げる。


「……悠人さん」


「ん?」


「……モテるんですねぇ」


「……そうか?」


「……そうですよぉ」


 ぷくっ。


 ……ああ。


 なるほど。


「……舞ちゃん?」


「……なんですかぁ?」


「……妬いた?」


「…………」


 舞ちゃんが、すっと視線をそらした。


「……ちょっとだけです」


「……そっか」


 俺が笑うと、舞ちゃんは飲み物を差し出してきた。


「……はい、どうぞ」


「ありがとう」


 受け取った、その直後。


 ぎゅっ。


 空いた手で、舞ちゃんが俺の腕に抱きついた。


「……舞ちゃん?」


「……今日は」


「ん?」


「……今日は、私とデートなんですからね」


 顔を上げて、俺を見る。


 少し膨らんだ頬。


 それでも、俺の腕を掴む手は離さない。


 ……可愛い。


 いや。


 本人は真剣なんだろうけど。


 ……それでも、可愛い。


「……ああ。もちろん」


 俺は舞ちゃんを見つめて、微笑んだ。


 舞ちゃんの頬が、少しずつ元に戻っていく。


「……えへへ」


 嬉しそうに笑った。


 それでも、俺の腕を抱きしめる手は離さなかった。


*


 そのあとは、映画を観た。


 舞ちゃんが選んだのは、恋愛ものだった。


 途中で何度か笑い、終盤では小さく鼻をすすっていた。


 エンドロールが流れ始めた頃。


 隣から、そっと手が伸びてきた。


 俺の指先に触れる。


 握り返すと、舞ちゃんはスクリーンを見つめたまま、少しだけ笑った。


 映画館を出ると、舞ちゃんは目元を指で押さえた。


「……うぅ、よかったですぅ……」


「……泣いてた?」


「……ちょっとだけです」


 ……今日、二回目だな。


「……結構泣いてたように見えたけど」


「……悠人さん」


「ん?」


「……そこは、気づかないふりしてください」


「……分かった」


 舞ちゃんは恥ずかしそうに笑った。


 そして、また俺の手を握る。


「……でも」


「ん?」


「……悠人さんと観られて、よかったです」


「……俺もだよ」


 その返事に、舞ちゃんが嬉しそうに目を細めた。


 ……本当に。


 今日は、何度この笑顔にやられるんだろう。


*


 夕食を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 帰りの車内。


 舞ちゃんは助手席で、今日撮った写真を眺めていた。


「……えへへ」


「……楽しそうだな」


「楽しかったですもん!」


 舞ちゃんがスマートフォンをこちらへ向ける。


「見てください、これ!」


 画面には、昼間に二人で撮った写真が映っていた。


 俺の隣で、舞ちゃんが満面の笑みを浮かべている。


「……いい写真だな」


「ですよね!」


 舞ちゃんは嬉しそうに頷いた。


「……悠人さん」


「ん?」


「……また、デートしてくださいね」


「もちろん」


「……約束ですよ?」


「ああ。約束」


 舞ちゃんは、スマートフォンを胸に抱いた。


「……えへへ」


 その笑顔を横目に、俺はハンドルを握り直した。


 ……帰したくないな。


 ふと、そんなことを思った。


 もちろん、無理に引き留めるつもりはない。


 ただ。


 もう少し、一緒にいたかった。


「……舞ちゃん」


「はい?」


「……よかったら、少しうちに寄っていく?」


 舞ちゃんが目を丸くした。


「……悠人さんのおうち?」


「ああ。まだ時間もあるし」


「…………」


 少しだけ、間が空く。


 そして。


「……行きたいです」


 小さな声だった。


「……いい?」


「もちろん」


 舞ちゃんは、ほっとしたように笑った。


「……えへへ。嬉しい」


 その声が、やけに胸に残った。


*


 部屋に入ると、舞ちゃんはきちんと靴を揃えた。


「お邪魔しまーす」


「どうぞ」


「……えへへ」


「ん?」


「……なんか、ちょっと緊張しますね」


「……そう?」


「はい。だって……」


 舞ちゃんは俺を見上げた。


「……二人きり、ですから」


「…………」


 ……そうだな。


 言われると、こっちまで意識する。


「……とりあえず、座ってて。飲み物持ってくるよ」


「はーい」


 キッチンで飲み物を用意して戻ると、舞ちゃんはソファにちょこんと座っていた。


 隣に腰を下ろす。


「はい」


「ありがとうございます」


 舞ちゃんはグラスを受け取った。


 少し飲んで、テーブルに置く。


 それから。


 するり。


 俺の肩に、頭を預けてきた。


「……舞ちゃん?」


「……んー……」


「……疲れた?」


「……違います」


 舞ちゃんは首を横に振った。


「……くっつきたいだけです」


「…………」


 ……参ったな。


 今日は、何回参ればいいんだ。


 俺はそっと舞ちゃんの肩を抱いた。


 すると、舞ちゃんは嬉しそうに身を寄せてきた。


 しばらく、何も話さなかった。


 テレビもつけず、ただ二人で寄り添っていた。


 やがて。


「……悠人さん」


「ん?」


「……今日の女の人たち……」


 舞ちゃんが、小さく呟いた。


「……ああ」


「……悠人さんのこと、かっこいいって……」


「……うん」


「……連絡先も、聞いてた……」


 ……まだ、気にしてたのか。


 俺は舞ちゃんの髪を優しく撫でた。


「ちゃんと断ったよ」


「……知ってます……」


 舞ちゃんが小さく頷く。


「……悠人さん、ちゃんと断ってくれてました……」


「……うん」


「……でも……」


 ぎゅっ。


 舞ちゃんの指が、俺の服を掴んだ。


「……私の悠人さんだもん……」


 心臓が、大きく鳴った。


 舞ちゃんは俺の胸に顔を寄せたまま、続けた。


「……誰にも、あげたくないです……」


 ……ああ。


 これは、ずるいな。


 俺は、舞ちゃんの頬にそっと触れた。


「……舞ちゃん」


「……ん……」


「……顔、見せて」


 ゆっくりと顔が上がる。


 頬を赤く染めて、少し潤んだ瞳で俺を見つめていた。


 ……こんな顔を、俺だけに見せてくれるのか。


 胸の奥が、熱くなる。


「……俺も、舞ちゃんを誰にも渡したくないよ」


「……ほんと、ですか?」


「……ああ」


 頬を撫でながら、まっすぐ目を見つめる。


「今日だって、舞ちゃんしか見てない」


「…………」


「……ずっと、可愛いと思ってた」


 舞ちゃんの頬が、さらに赤くなる。


「……悠人さん……」


「……好きだよ、舞ちゃん」


 その瞬間、舞ちゃんの表情がくしゃりと緩んだ。


「……私も……」


 俺の服を、きゅっと握る。


「……大好きです……」


 そっと顔が近づいてくる。


 俺は舞ちゃんの背中に腕を回し、その唇にキスをした。


 優しく、ゆっくりと。


 やがて唇が離れる。


 舞ちゃんは目を閉じたまま、俺の服を握っていた。


「……舞ちゃん」


 名前を呼ぶと、ゆっくりと瞼が上がった。


 潤んだ瞳が、まっすぐ俺を見つめる。


「…………もう一回……」


 俺は何も言わず、もう一度唇を重ねた。


 今度は、さっきよりも少し長く。


 舞ちゃんの腕が、俺の背中に回る。


 抱きしめる腕に、自然と力がこもった。


 唇が離れる。


 舞ちゃんは、俺の胸に額を寄せた。


 そして、小さな声で囁いた。


「……もう一回……」


 俺は舞ちゃんの頬に手を添えた。


 舞ちゃんが、そっと目を閉じる。


 もう一度、その唇に触れた。


 ――今度は、どちらからも離れようとはしなかった。


*


 目が覚めたとき、最初に感じたのは腕の中の温もりだった。


 隣を見る。


 舞ちゃんが、俺の胸に頬を寄せて眠っていた。


 布団から覗く肩に、柔らかな髪がかかっている。


 昨夜、何度も触れたその髪を、そっと指で梳いた。


 ……可愛いな。


 寝顔を見ているだけなのに、自然と頬が緩む。


 すると。


「……ん……」


 舞ちゃんが、小さく身じろぎした。


 ゆっくりと瞼が開く。


「……悠人さん……?」


「……おはよう、舞ちゃん」


「……おはよう、ございます……」


 まだ眠たそうな声。


 舞ちゃんはしばらく俺を見つめていた。


 それから、昨夜のことを思い出したのか。


「…………っ」


 みるみる頬が赤くなった。


 布団を少しだけ引き上げ、口元を隠す。


「……舞ちゃん?」


「……なんでもないです……」


「……そう?」


「……はい……」


 けれど、布団の下から伸びてきた手が、俺の手を探した。


 指先が触れる。


 握ってやると、舞ちゃんは嬉しそうに目を細めた。


「……悠人さん」


「ん?」


「……昨日、すっごく幸せでした……」


 少し照れながら、そう言った。


 俺はその手を握り返す。


「……俺もだよ」


「……えへへ……」


 舞ちゃんが、俺の胸に顔を埋めた。


「……大好きです……」


「……俺も、大好きだよ」


 そう答えた、そのとき。


 舞ちゃんが、ぱっと顔を上げた。


 そして。


 ちゅっ。


「…………」


 俺の唇に、柔らかな感触が触れた。


 ほんの一瞬。


 舞ちゃんはすぐに顔を離し、いたずらっぽく笑った。


「……えへへ」


「……舞ちゃん」


「……なんですか?」


「……今のは?」


「……したくなっちゃいました」


 そう言って、また笑う。


 ……ああ。


 本当に、この子には敵わない。


 俺が頬を緩めると、舞ちゃんは嬉しそうに俺の首に腕を回した。


 そして、今度はゆっくりと顔を近づけてくる。


 俺も、その背中に腕を回した。


 もう一度、唇が重なる。


 ……昨日よりも、近くなった気がする。


 いや。


 きっと、気のせいじゃない。


 唇が離れると、舞ちゃんは俺の胸に頬を寄せた。


「……えへへ。幸せです」


「……俺もだよ」


 俺はその髪を優しく撫でた。


 腕の中で、舞ちゃんが小さく笑う。


 ……これからも。


 こんなふうに、この子の笑顔を一番近くで見ていたい。


 そう思いながら、俺は舞ちゃんを抱きしめた。


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