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第37話 報告したいことがありまして


 最近、朝が少しだけ楽しみになった。


 目を覚まして、カーテンを開けて。


 結衣の朝ご飯を用意して。


 それから、もう一人分の食器を並べる。


 たったそれだけのことなのに、なんだか胸がくすぐったくなる。


 今日は、翼くんが引っ越してきて初めての朝。


 昨日まで二人分だった朝食の準備が、今日から三人分になった。


 キッチンに並んだお皿を見つめていると、自然と頬が緩んでしまう。


 ……ふふっ。


 本当に、一緒に暮らし始めたんだな。


 私は朝食の準備をひと段落させてから、翼くんの部屋へ向かった。


 昨日は引っ越しで疲れていたはずだし、まだ寝ているかもしれない。


 でも。


 昨夜、約束したこともあるし。


 ……ふふっ。


 私は、そっと扉をノックした。


「……翼くん?」


「……は、はいっ!」


 すぐに返事があった。


 ……あら?


 もう起きてる。


「……入ってもいいですか?」


「……ど、どうぞ!」


 扉を開けると、翼くんがベッドの上に座っていた。


 黒い髪は少し跳ねていて、まだ寝起きみたいなのに。


 なぜか、背筋だけはぴんと伸びている。


「……おはようございます、翼くん」


「……お、おはようございます、星莉奈さん」


「……ふふっ。早起きなんですね」


「……あ、はい。なんだか目が覚めちゃって……」


 翼くんは、少し照れくさそうに笑った。


 ……そうなんだ。


 新しい部屋だから、まだ慣れないのかもしれない。


「……昨日は、ちゃんと眠れました?」


「……は、はい! 大丈夫です!」


「……ふふっ。それならよかった」


 私は、ベッドのそばに腰を下ろした。


 翼くんが、なぜか少しだけ緊張したように背筋を伸ばす。


 ……?


 どうしたんだろう。


「……翼くん」


「……は、はいっ!」


「……昨日、約束しましたよね?」


「…………っ!」


 翼くんの肩が、ぴくっと跳ねた。


 ……あら?


 もしかして、忘れちゃった?


 私は、少しだけ顔を近づけた。


「……おはようの、キス」


「……わ、忘れてません……!」


 ……ふふっ。


 よかった。


「……本当ですか?」


「……は、はい……!」


 翼くんは、耳まで真っ赤になっていた。


 ……もう。


 そんなに照れなくてもいいのに。


 ……なんて。


 私も、結構恥ずかしいんだけど。


 私は、そっと目を閉じた。


 少しだけ待つ。


 すると。


 唇に、柔らかな温もりが触れた。


 ほんの短い、優しいキス。


 ……ふふっ。


 幸せ。


 目を開けると、翼くんが真っ赤な顔で私を見つめていた。


「……お、おはようございます……」


「……ふふっ。おはようございます、翼くん」


 私は、そっと微笑んだ。


「……これから、毎朝ですね」


「…………っ!」


 その瞬間。


 翼くんの身体から、ふにゃあ……っと力が抜けた。


「……つ、翼くん!?」


 ぽすんっ。


 翼くんは、そのままベッドに仰向けに倒れてしまった。


「……だ、大丈夫ですか!?」


「……だ、大丈夫……です……」


 ……全然、大丈夫そうに見えないんだけど。


 翼くんは天井を見つめたまま、真っ赤な顔で小さくつぶやいた。


「……毎朝は……心臓が……もちません……」


「…………っ!」


 ……もう。


 そんなこと言われたら、私まで恥ずかしくなっちゃうじゃない。


 でも。


 真っ赤になって、ベッドに倒れたまま動けなくなっている翼くんを見ていたら。


「……ふふっ」


 思わず、笑みがこぼれてしまった。


「……翼くんって、本当にかわいいですね」


「……そ、それは……星莉奈さんのほうです……」


「……ふふっ。ありがとうございます」


 翼くんは、ますます真っ赤になって、とうとう枕に顔を埋めてしまった。


 ……もう。


 朝から、かわいいんだから。


 こんなふうに毎朝、翼くんと顔を合わせて。


 おはようって言って。


 少しだけ照れながら、キスをして。


 そんな毎日が続くのだと思うと。


 胸の奥が、じんわりと温かくなった。


 ……一緒に暮らすって。


 こういうことなんだな。


 *


「つーくん! おはよー!」


 リビングに戻ると、結衣が元気いっぱいに駆け寄ってきた。


「おはよう、結衣ちゃん」


「きょうもいる!」


「……うん。今日もいるよ」


「やったあ!」


 結衣は、翼くんが今日も家にいることがうれしくてたまらないらしい。


 まだ一緒に暮らし始めたばかりだから、きっと夢みたいなのだろう。


 ……ふふっ。


 実は、私も少しだけ同じ気持ちだったりする。


「ママ! きょう、つーくんといっしょにごはん!」


「そうね。三人で食べましょうね」


「やったー!」


 結衣は、ぴょんぴょん跳ねながら自分の椅子へ向かった。


 翼くんも、その後ろを微笑ましそうに見つめている。


 私は、そんな二人の姿を見ながら思った。


 ……これからは。


 こういう朝が、当たり前になるんだ。


 *


「……星莉奈さん?」


「……えっ?」


 舞ちゃんの声に、私ははっと顔を上げた。


「……あ、ごめんなさい。なんでしたっけ?」


「いえ、それはいいんですけど……」


 舞ちゃんは、じーっと私の顔を覗き込んできた。


「……最近、なんかいいことありました?」


「……え?」


 リアンの開店前。


 私たちは、いつものように準備をしていた。


 結衣を保育園に送って、翼くんも家で仕事を始めている頃だ。


 私はカウンターでカップを並べながら、つい今朝のことを思い出していたらしい。


「……どうして?」


「いやー、なんかですね」


 舞ちゃんは、にやっと笑った。


「最近、星莉奈さんがやたら幸せそうなんですよ」


「……そ、そう?」


「そうですよ! なんか、ずーっとにこにこしてますもん」


「……そんなこと……」


「あります!」


 ……う。


 即答されちゃった。


 舞ちゃんは、私の隣にやってくると、声を少し落とした。


「……で?」


「……で?」


「朝倉くんと、何か進展でもありました?」


「…………っ!」


 ……もう!


 この子は、どうしてこういうことにだけ鋭いのかしら!


「……ま、舞ちゃん」


「はい!」


「……あのね」


 私は、手に持っていたカップをそっと置いた。


 そして、少しだけ深呼吸する。


「……実は、舞ちゃんに報告したいことがあって」


「……おっ?」


 舞ちゃんの目が、きらりと光った。


「なんですかなんですか!」


「……その」


「はい!」


「……翼くんと」


「はいはい!」


「……昨日から、一緒に暮らし始めたの」


 …………。


 舞ちゃんが、ぴたりと止まった。


「…………」


「……ま、舞ちゃん?」


「…………え?」


 次の瞬間。


「ええええええええっ!?」


「きゃっ!?」


 お店に、舞ちゃんの大声が響き渡った。


「ど、同棲ですか!?」


「……う、うん……」


「朝倉くんと!?」


「……うん」


「昨日から!?」


「……そ、そうだけど……」


「えええええええっ!?」


 ……もう。


 そんなに驚かなくても。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 舞ちゃんは、両手をぶんぶん振った。


「え!? もう引っ越し終わったんですか!?」


「……うん。昨日、荷物を運び終わって……」


「じゃあ、もう毎日一緒なんですか!?」


「……う、うん」


「朝も!?」


「……うん」


「夜も!?」


「……うん……」


 舞ちゃんは、両手で口元を覆った。


「……すご……」


「……?」


「……星莉奈さん、めちゃくちゃ幸せじゃないですか!」


「…………っ」


 ……う。


 そんなにまっすぐ言われると、恥ずかしい。


「……そ、そうね」


「うわあああ! いいなあ!」


 舞ちゃんは、カウンターに両手をついて身を乗り出した。


「で!? で!? 朝倉くん、どんな感じですか!?」


「……どんな感じ?」


「一緒に暮らし始めてからですよ! 変わりました!?」


 私は、少し考えた。


 ……翼くん。


 引っ越してきてからも、相変わらず優しい。


 結衣と一緒に遊んでくれるし、家事も自然に手伝ってくれる。


 それに。


 今朝も、キスをしたあと真っ赤になって倒れちゃって……。


「……ふふっ」


「……あっ!」


 舞ちゃんが、すかさず指を差してきた。


「今、絶対なんか思い出しましたよね!?」


「……べ、別に……」


「うそだー!」


 ……もう。


 この子には、隠し事ができない。


「……翼くん、ね」


「はい!」


「……朝、おはようって言うだけで……ちょっと照れるの」


「…………」


「……それが、なんだかかわいくて……」


「…………」


「……つい、からかっちゃうというか……」


「…………」


 ……あれ?


 舞ちゃんが、急に静かになった。


「……舞ちゃん?」


「……星莉奈さん」


「……な、なに?」


 舞ちゃんは、真剣な顔で私を見つめた。


「……めっちゃ惚気てますよ」


「…………っ!」


 ……!


 ……ああああっ!


 私、何を話してるの!?


「……ち、違っ……!」


「いやいや! 違わないですって!」


 舞ちゃんは、楽しそうに笑い始めた。


「もう、顔が完全に恋する乙女じゃないですか!」


「……ま、舞ちゃんっ!」


「ふふふっ!」


 ……もう。


 本当に、かなわない。


 *


「……でも、よかったです」


 ひとしきり笑ったあと、舞ちゃんがぽつりと言った。


「……え?」


「星莉奈さん、すっごく幸せそうだから」


 舞ちゃんは、優しく微笑んだ。


「……結衣ちゃんも、喜んでるんですよね?」


「……うん」


 私は、自然とうなずいていた。


「……今朝も、翼くんがいるって大喜びしてたの」


「……ふふっ。かわいい」


「……翼くんの部屋にも、自分の絵を飾ってあげて……」


「へえ!」


「……それに、昨日の夜も……『あしたも、つーくんいる?』って聞いてたのよ」


 舞ちゃんは、目を細めた。


「……そっかあ」


「……うん」


 私は、そっと微笑んだ。


「……結衣にとっても、翼くんがいることが……少しずつ当たり前になっていくのかもしれない」


 舞ちゃんは、少しだけ考えるような顔をした。


 そして。


「……なんか、いいですね」


「……うん」


「……そういうの」


 その声が、いつもより少し柔らかく聞こえた。


 ……あ。


 そういえば。


 最近の舞ちゃんも、なんだか雰囲気が違う気がする。


 前より、少しだけ楽しそうというか。


 ふとした瞬間に、携帯を見て笑っていたり。


「……舞ちゃん?」


「……はい?」


「……舞ちゃんこそ、最近何かいいことあった?」


「…………っ」


 ……あら?


 舞ちゃんが、ぴたりと固まった。


「……え?」


「……なんだか、最近楽しそうだから」


「……そ、そうですか?」


「……うん」


 舞ちゃんは、少しだけ視線を泳がせた。


 ……これは。


 もしかして。


「……舞ちゃん」


「……は、はい」


「……好きな人、できた?」


「…………」


 舞ちゃんの頬が、じわじわと赤くなっていく。


 ……あ。


 当たり、かもしれない。


「……えへへ」


 舞ちゃんは、照れくさそうに笑った。


「……実は、私も報告がありまして」


「……え?」


「……彼氏、できました」


 …………。


 ……え?


「……ええっ!?」


 今度は、私が声を上げる番だった。


「……ま、舞ちゃん!? 本当!?」


「本当です!」


「……いつの間に!?」


「ちょっと前です!」


 舞ちゃんは、照れながらも得意げに笑った。


 ……もう。


 全然知らなかった!


「……だ、誰なの?」


「……えへへ」


 舞ちゃんは、少しだけいたずらっぽく笑った。


「……星莉奈さんも、知ってる人ですよ」


「……え?」


 私の知ってる人?


 ……誰だろう。


 お店のお客さん?


 それとも、舞ちゃんのお友達?


「……ヒント、いります?」


「……う、うん」


「……背が高くて」


「……うん」


「……かっこよくて」


「……うん」


「……ちょっと余裕ありそうに見えるのに、意外と照れ屋さんで」


「……?」


 ……あれ?


 なんだか。


 聞いたことのあるような……。


「……あと、爽太とも仲良しです」


 …………。


 ……え?


 ………………。


 まさか。


「……舞ちゃん」


「はい?」


「……もしかして……」


 舞ちゃんは、にこっと笑った。


「……一ノ瀬さんです」


 …………。


 ………………。


「……えええええっ!?」


 舞ちゃんが、声を上げて笑った。


「ふふふっ! 星莉奈さん、さっきの私と同じ顔してます!」


「……だ、だって……!」


 一ノ瀬さん!?


 あの、一ノ瀬さん!?


 翼くんのお友達の!?


「……い、いつから!?」


「ちょっと前に、三人でご飯食べに行ったんですよ」


「……三人?」


「私と、悠人さんと、爽太です」


 舞ちゃんは、少しだけ頬を赤くした。


「……それで、帰りに……私から言っちゃいました」


「……えっ?」


「……付き合います? って」


 …………。


 ……舞ちゃん。


 すごい。


「……ふふっ」


 思わず笑みがこぼれた。


「……舞ちゃんらしいね」


「えへへ。悠人さん、めちゃくちゃ驚いてました」


「……想像できるかも」


 舞ちゃんは、楽しそうに笑った。


 でも、その表情は。


 いつもより、少しだけ柔らかかった。


「……悠人さん、優しいんですよ」


「……うん」


「爽太のことも、すっごく大事にしてくれて」


「……うん」


「……だから、なんか……」


 舞ちゃんは、照れくさそうに笑った。


「……好きになっちゃいました」


 ……。


 私は、その笑顔を見つめた。


 ……そっか。


 舞ちゃんにも、大切な人ができたんだ。


「……よかったね、舞ちゃん」


「……はい!」


 舞ちゃんは、うれしそうにうなずいた。


 私たちは顔を見合わせて、自然と笑い合った。


 ……なんだか。


 今日は、素敵な報告が二つもできちゃった。


 *


 その日の夜。


 俺は、悠人と向かい合って座っていた。


 場所は、駅から少し歩いたところにある定食屋。


 久しぶりに二人でご飯でも食べようと、悠人から連絡が来たのだ。


「……で?」


「……ん?」


「最近どうなんだよ、翼」


 悠人は、水の入ったコップを手に取りながら言った。


「……最近?」


「橘さんと。うまくやってんのか?」


「……あ、ああ」


 …………。


 うまく。


 うまくやってるか、だって?


 ……いや。


 待って。


 俺。


 今、星莉奈さんと同棲してるんですけどおおおおっ!?


 ……。


 そうだ。


 まだ悠人には話してなかった。


「……実はさ」


「……ん?」


「……報告があるんだ」


 悠人が、少しだけ眉を上げた。


「……お?」


「……その」


「なんだよ。改まって」


 ……う。


 いざ言おうとすると、なんだか緊張する。


 でも。


 悠人には、ちゃんと話しておきたい。


「……俺、昨日から星莉奈さんの家で暮らし始めたんだ」


 悠人の箸が止まった。


「…………は?」


「……だから、その……同棲、というか……」


「……お前、マジで?」


「……う、うん」


「昨日から!?」


「……昨日から」


 悠人は、しばらく俺の顔を見つめていた。


 そして、大きく息を吐く。


「……いや、驚いた。ずいぶん進んだな、お前ら」


「……そ、そうかな」


「そうだろ。昨日からって、ついさっきじゃねえか」


 ……そ、それはそうなんだけど!


 改めて言われると、なんだか恥ずかしい!


「……まあ、でも」


 悠人は、ふっと笑った。


「よかったな、翼」


「……ありがとう」


「橘さんも結衣ちゃんも、喜んでるだろ?」


「……うん。結衣ちゃんなんて、朝起きて俺がいるだけで大喜びしてくれて……」


「ははっ。目に浮かぶな」


 俺は、昨日からの出来事を思い返して、つい笑ってしまった。


「……なんかさ。まだ一日しか経ってないのに、帰る場所が変わったって、不思議な感じなんだ」


「……そっか」


 悠人は、穏やかにうなずいた。


「いいじゃん。これから楽しみだな」


「……うん」


 ……そうだな。


 これから、三人でどんな毎日を過ごすんだろう。


 考えるだけで、少しわくわくする。


「……たださ」


「……ん?」


 悠人が、にやっと笑った。


「……同棲ってことは、毎日橘さんと一緒なんだよな?」


「……そ、そうだけど」


「……朝も?」


「……うん」


「……夜も?」


「……うん」


「……へえ」


 …………。


 ……あれ?


 なんか。


 嫌な予感がする。


「……お前、ちゃんと眠れてんの?」


「…………っ!?」


 な、何を聞いてるんですかああああっ!?


「……ね、寝てるよ!」


「……本当に?」


「……ほ、本当だって!」


「……ふーん」


 悠人は、楽しそうに笑った。


 ……。


 こいつ。


 絶対、俺の反応を楽しんでる。


「……まあ、幸せそうで何よりだ」


「……う、うるさいな……」


 俺は、水を一口飲んだ。


 ……まったく。


 悠人にはかなわない。


 *


「……そういえば」


 しばらくして、悠人が口を開いた。


「……俺も、報告があるんだよ」


「……え?」


「……まあ、ちょうどいい機会だしな」


 ……報告?


 なんだろう。


 仕事のことかな。


「……何?」


 悠人は、少しだけ照れくさそうに笑った。


「……俺、彼女できた」


 …………。


 ……え?


 ………………。


「……は?」


 悠人が、にやっと笑った。


「……なんだよ、その顔」


「……い、いや……」


 …………。


 待って。


 悠人に。


 彼女?


 ……いや。


 おかしくはない。


 むしろ、こいつなら全然おかしくない。


 背も高いし。


 顔もいいし。


 仕事もできるし。


 ……でも。


 突然すぎませんか!?


「……だ、誰!?」


「……お前も知ってる人」


「……え?」


 ……俺の知ってる人?


 誰だ?


 悠人の会社の人?


 いや、俺は会社の人なんて知らないし。


 ……まさか。


「……橘さんの店の人」


 …………。


 ……え?


 ………………。


 ま、まさかあああああっ!?


「……ま、舞ちゃん!?」


「……正解」


 …………。


 ………………。


「えええええええええっ!?」


 思わず、声が出た。


 店内の何人かが、ちらっとこちらを見る。


「……おい、翼。声でかい」


「だ、だって!!」


 いやいやいや!


 待って待って!


 悠人と舞ちゃんが付き合ってるうううううっ!?


 いつ!?


 どこで!?


 どういう流れで!?


「……い、いつから!?」


「……ちょっと前」


「……ちょっと前!?」


「……おう」


「……な、なんで教えてくれなかったんだよ!」


「……お前も同棲してること、今日初めて言っただろ」


 …………。


 ……あ。


 ………………。


 それはそうですねえええええっ!!


「……で、どうやって付き合うことになったの?」


 俺が尋ねると、悠人は少しだけ視線をそらした。


「……まあ、三人で飯食いに行って」


「……三人?」


「……舞ちゃんと、爽太くんと」


 ……ああ。


 なるほど。


 爽太くんも一緒だったのか。


「……それで?」


「……帰りに、舞ちゃんから言われた」


「……え?」


 悠人は、少しだけ苦笑した。


「……『付き合います?』って」


 …………。


 ……。


 舞ちゃん、強すぎませんかああああっ!?


「……ゆ、悠人は?」


「……もちろん、いいって答えたよ」


「……そ、そっか」


 ……なんだろう。


 すごく、舞ちゃんらしい。


 そして。


 なんだか、悠人らしくない。


 いや、いい意味で。


 普段は余裕たっぷりの悠人が、舞ちゃんに振り回されている姿が目に浮かぶ。


 ……。


 …………。


 あれ?


 ちょっと待てよ。


 悠人が舞ちゃんを好きだったなら。


 こいつのことだから、きっと……。


「……ねえ、悠人」


「……ん?」


「……どうせお前のことだからさ」


「……なんだよ」


 俺は、少しだけにやっと笑った。


「……かっこいい告白のセリフとか、考えてたんだろ?」


「…………」


 悠人の動きが、ぴたりと止まった。


 …………。


 ……あ。


 図星だ。


「……お前な」


「……やっぱり!」


「……別に、そんな大したことじゃ……」


「……じゃあ、何て言うつもりだったの?」


「……言うわけないだろ」


「……えー」


「……えー、じゃねえよ」


 悠人は、少しだけ気まずそうに水を飲んだ。


 …………。


 ……おおおおっ!?


 あの悠人が!!


 いつも俺をからかってくる悠人が!!


 今、完全に照れているうううううっ!!


 ……これは。


 ちょっと楽しいぞ。


「……もしかして、タイミングとかも考えてた?」


「……翼」


「……はい?」


「……お前、今日やけに楽しそうだな」


「……そ、そんなことないよ?」


「……顔に出てるぞ」


 …………。


 ……くっ!


 バレた!!


 でも!


 今日くらい、いいじゃないか!!


 いつも散々からかわれてるんだから!!


「……まあ、でも」


 俺は、思わず笑った。


「……舞ちゃんらしいよね」


「……ああ」


 悠人も、ふっと笑った。


「……本当に、あの子にはかなわないよ」


 …………。


 ……あ。


 なんだ、その顔。


 すごく幸せそうじゃないか。


「……悠人」


「……なんだよ」


「……舞ちゃんのこと、好きなんだ?」


 悠人は、少しだけ黙った。


 そして。


「……ああ」


 短く答えた。


「……好きだよ」


 …………。


 ……。


 なんだこいつ。


 さっきまで照れてたくせに、そういうところは真っすぐ言えるのかよ。


 ……ずるいな、ほんと。


 俺は、少しだけ笑った。


 悠人は、水を一口飲んだ。


「……舞ちゃんも、爽太くんも……一緒にいると楽しいんだよ」


「……うん」


「……なんか、自然なんだよな」


 ……。


 俺は、その言葉を聞いて。


 少しだけ、うれしくなった。


 ……分かる。


 その気持ち。


 俺も、星莉奈さんと結衣ちゃんと一緒にいるとき。


 同じようなことを感じるから。


「……悠人」


「……ん?」


「……よかったな」


 悠人は、少しだけ驚いた顔をした。


 そして。


「……ああ」


 ふっと笑った。


「……ありがとな」


 *


「……しかし」


 悠人が、箸を置いた。


「……なんか、不思議だな」


「……何が?」


「……俺たち、二人とも彼女できてるって」


「……ああ」


 ……確かに。


 少し前までは、こんな話をするなんて思っていなかった。


 俺は、一人暮らしのプログラマーで。


 悠人とは、たまにご飯を食べながら、いろんな話をする仲で。


 それが今では。


 俺は、星莉奈さんと結衣ちゃんと暮らしていて。


 悠人は、舞ちゃんと付き合っている。


 ……人生って。


 本当に、何が起こるか分からない。


「……しかも」


 悠人が、少しだけ笑った。


「……お互い、子どものいる人を好きになったんだな」


「……うん」


 俺は、ゆっくりとうなずいた。


「……そうだね」


 ……結衣ちゃん。


 爽太くん。


 二人とも、まだ小さい。


 これから、いろんなことがあると思う。


 楽しいことも。


 大変なことも。


 きっと、たくさん。


「……悠人」


「……ん?」


「……俺さ」


 俺は、少しだけ考えてから言った。


「……星莉奈さんと結衣ちゃんを、大事にしたいんだ」


 悠人は、黙って聞いていた。


「……まだ、分からないことも多いけど」


「……ああ」


「……ちゃんと、二人のそばにいたい」


 悠人は、しばらく俺を見つめていた。


 そして、ふっと笑った。


「……お前なら、守れるさ」


「……え?」


 悠人は、自分の額を人差し指でとん、と指した。


「……ここ」


 …………。


 俺は、思わず自分の額に触れた。


 指先に、少しだけ残る傷跡の感触。


 ……ああ。


 この傷。


 結衣ちゃんを守ろうとして、できた傷だ。


 悠人は、俺の顔を見ながら静かに続けた。


「……もう、一度守ってるだろ」


「…………」


「……だったら、自信持てよ」


 ……。


 俺は、額に触れていた手をゆっくり下ろした。


 あのときは、ただ必死だった。


 怖くなかったわけじゃない。


 ただ、結衣ちゃんを守りたかった。


 それだけだった。


 ……なのに。


 悠人は、そんな俺をまっすぐ見て、当たり前みたいに言ってくれる。


 …………。


 ……なんだこいつ。


 かっこいいな。


 …………。


 いや、待て。


 なんでこいつ、こんなにさらっとかっこいいこと言えるんだよ!?


 ちょっと悔しいんですけど!?


「……ありがとう、悠人」


「……おう」


 悠人は、何事もなかったように水を一口飲んだ。


 ……。


 そこまで含めてかっこいいの、ずるくないか!?


「……まあ、無理しすぎんなよ」


「……うん」


「……一人で全部背負おうとすんな」


 俺は、ゆっくりとうなずいた。


「……分かった」


 ……そうだな。


 今はもう、一人じゃない。


 星莉奈さんもいる。


 結衣ちゃんもいる。


 そして。


 こんなふうに背中を押してくれる友達もいる。


「……悠人もな」


「……ん?」


「……舞ちゃんと爽太くん、大事にしてやれよ」


 悠人は、一瞬きょとんとした。


 そして、ふっと笑った。


「……言われなくても」


 ……。


 うん。


 その顔なら、大丈夫そうだ。


 *


 食事を終えて、店を出る。


 夜の風が、少しだけ涼しかった。


「……じゃあな、翼」


「……うん。また」


 悠人が、軽く手を上げる。


「……今度、みんなで飯でも行くか?」


「……みんな?」


「……俺と舞ちゃんと爽太くん。お前と橘さんと結衣ちゃん」


 ……ああ。


 なるほど。


「……いいね」


「……だろ?」


 悠人は、少しだけ笑った。


「……六人だと、にぎやかになりそうだな」


「……そうだね」


 ……六人。


 俺と星莉奈さんと結衣ちゃん。


 悠人と舞ちゃんと爽太くん。


 ……なんだか。


 すごく楽しそうだ。


「……楽しみだな」


「……ああ」


 俺たちは、笑い合った。


 *


 家に帰ると、玄関の明かりがついていた。


 ……あ。


 そうか。


 もう、この家に帰ってくるんだ。


 俺は、靴を脱ぎながら声をかけた。


「……ただいま」


 すると。


「つーくんっ!」


 ぱたぱたぱたっ!


 小さな足音が聞こえた。


 そして、結衣ちゃんが元気いっぱいに飛び出してくる。


「おかえりーっ!」


「……ただいま、結衣ちゃん」


 結衣ちゃんは、俺の足にぎゅっと抱きついた。


「つーくん、おそかった!」


「……ごめんね。悠人とご飯食べてたんだ」


「ゆうとおじちゃん?」


「……うん」


「そーたくんもいた?」


「……今日は悠人だけだよ」


「そっかあ!」


 結衣ちゃんは、にこっと笑った。


「じゃあ、こんどそーたくんとあそぶ!」


「……うん。そうだね」


 ……かわいい。


 帰宅して五秒で癒やされるうううううっ!!


「……おかえりなさい、翼くん」


 奥から、星莉奈さんが顔を出した。


 柔らかい笑顔。


 優しい声。


 ……。


 …………。


 あああああっ! やっぱりこの家、最高ですうううううっ!!


「……ただいま、星莉奈さん」


「……ふふっ。楽しかったですか?」


「……はい」


 俺は、靴をそろえながら答えた。


「……悠人から、びっくりする話を聞きました」


「……あら?」


 星莉奈さんが、少しだけいたずらっぽく微笑んだ。


「……どんなお話ですか?」


「……実は、悠人と舞ちゃんが付き合い始めたらしくて」


「……ふふっ」


 …………。


 ……え?


「……星莉奈さん?」


「……はい?」


「……あんまり驚かないですね?」


 星莉奈さんは、くすっと笑った。


「……実は、今日、舞ちゃんから聞いたんです」


 …………。


 ……え?


 ………………。


 先に知ってたんですかあああああっ!?


「……ええっ!?」


「……ふふっ。翼くん、驚きすぎです」


「……だ、だって!」


 星莉奈さんは、楽しそうに笑っていた。


「……私も、昨日から翼くんと一緒に暮らし始めたことを報告したんですよ」


「……あ、そうだったんですね」


「……舞ちゃん、すごく驚いてました」


 ……。


 …………。


 そりゃあ、驚くだろうな。


 悠人も、すごい顔してたし。


「……悠人も、びっくりしてました」


「……ふふっ。そうでしょうね」


 俺たちは、顔を見合わせて笑った。


 すると。


「……ねえ、つーくん!」


 結衣ちゃんが、俺の服を引っ張った。


「……ん?」


「ゆいも、ほーこくある!」


「……え?」


 ……報告?


 結衣ちゃんから?


「……なあに?」


 結衣ちゃんは、得意げに胸を張った。


「きょうね!」


「……うん」


「クロブタロウが!」


「……うん?」


「おみせで、せんえんつかった!」


 …………。


 ……。


 クロブタロウ監督、また高額請求されてるうううううっ!?


「……せ、千円!?」


「うん!」


「……な、何を買ったの?」


「りんご!」


 …………。


 ……りんご。


 千円。


 ……。


 高級りんごすぎませんかああああっ!?


「ふふふっ!」


 星莉奈さんが、楽しそうに笑った。


 結衣ちゃんも、つられて笑い始める。


 ……。


 …………。


 俺も、思わず笑ってしまった。


 ……ああ。


 今日も、にぎやかだな。


 俺は、結衣ちゃんの頭をそっと撫でた。


 そして、星莉奈さんを見つめる。


 ……悠人。


 お互い、いい人に出会えたな。


 きっと、これからも。


 楽しいことばかりじゃないと思う。


 でも。


 それでも。


 大切な人たちと一緒に、笑っていけたらいい。


「……つーくん!」


「……ん?」


「……あしたも、いる?」


 結衣ちゃんが、俺を見上げた。


 ……。


 俺は、笑って答える。


「……うん。明日もいるよ」


「……やったあ!」


 結衣ちゃんは、満面の笑みを浮かべた。


 星莉奈さんも、優しく微笑んでいる。


 ……。


 昨日まで、一人で帰っていた部屋。


 今日からは、扉を開けると二人がいる。


 まだ始まったばかりの、三人の暮らし。


 これからどんな毎日が待っているのか、今はまだ分からない。


 だけど。


 俺は、もう一度だけ心の中でつぶやいた。


 ……ただいま。


 俺の、大切な二人が待つ場所。

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