↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/50

第31話「告白は、早い者勝ち」


――一ノ瀬悠人視点――


 休日の朝。


 俺は、自宅の姿見の前で腕を組んでいた。


 白いシャツに黒のパンツ。上から薄手のジャケットを羽織っている。


「……ちょっと、堅いか?」


 ジャケットを脱いでみる。


 鏡を見る。


 もう一度着てみる。


「…………」


 ……何をやってるんだ、俺は。


 思わず苦笑した。


 今日は、舞ちゃんと爽太くんとハンバーグを食べに行く日だ。


 以前、爽太くんと交わした約束。それをようやく果たすだけ。


 別に、デートというわけじゃない。


 ……いや。


 デートじゃない、と言い切るのも違う気がする。


 俺は、もう一度鏡を見た。


「……はあ」


 自分でも驚くほど、落ち着かない。


 仕事の大事な商談でさえ、こんなに服装を気にしたことはなかった。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


『おはようございます! 今日はよろしくお願いします! 爽太、朝から大騒ぎです(笑)』


 舞ちゃんからだ。


 続けて、一枚の写真が送られてくる。


 そこには、両手を胸の前に曲げ、口を大きく開けた爽太くんが写っていた。


『ゆうとおじちゃんに見せるんだ! って、ずっと恐竜やってます』


「……ははっ」


 思わず笑ってしまった。


『おはよう。俺も楽しみにしてるよ。予定どおり迎えに行くね』


 返信を送る。


 それから、もう一度鏡を見た。


「……よし」


 結局、ジャケットは脱ぐことにした。


 今日は、少し肩の力を抜いていこう。


 そう思った。


 ……この時点では。


***


 約束の時間より少し早く、舞ちゃんのアパートに到着した。


 車を停め、スマートフォンを取り出す。


『着いたよ。ゆっくりで大丈夫だからね』


 送信してから、車を降りた。


 すると、アパートの入り口から、小さな男の子が飛び出してきた。


「ゆうとおじちゃああああん!!」


「……おっ」


 爽太くんだ。


 俺の姿を見つけるなり、ものすごい勢いで走ってくる。


「ゆうとおじちゃん!!」


「うおっ!?」


 小さな身体が、俺の足に勢いよく抱きついた。


「ははっ。おはよう、爽太くん」


「おはよー!!」


「爽太ー! 走らないって言ったでしょー!」


 少し遅れて、舞ちゃんが駆け寄ってきた。


 淡い色のブラウスにデニム。


 いつものポニーテールが、歩くたびに揺れている。


「すみません、悠人さん! もう、朝からずっとこんな感じで……!」


「いや、大丈夫。元気そうで何よりだよ」


「元気すぎるんです!」


 舞ちゃんは腰に手を当て、爽太くんを見下ろした。


「爽太! ちゃんとご挨拶!」


「おはよーした!」


「そうだけど! 走って飛びつかない!」


「だって、ゆうとおじちゃんいたもん!」


「いたもん、じゃありません!」


 ……ふふ。


 相変わらずだ。


 舞ちゃんは俺に向き直り、苦笑した。


「ほんと、すみません……」


「気にしないで。俺は嬉しいよ」


「……え?」


「爽太くんが、こんなに楽しみにしてくれてたなら」


 そう言うと、舞ちゃんは少しだけ目を丸くした。


 それから、嬉しそうに笑った。


「……ふふっ。そうですね」


 ……ああ。


 やっぱり、好きだな。


 そんなことを、朝から考えてしまった。


***


 車に乗り込むと、舞ちゃんは爽太くんと一緒に後部座席へ座った。


「悠人さん、今日は運転までありがとうございます」


「いいよ。せっかくだし、楽しもう」


「はい!」


「ゆうとおじちゃん!」


 さっそく後ろから声が飛んでくる。


「ん?」


「おれ、ハンバーグひゃっこたべる!」


「百個?」


「うん!」


「それはすごいな」


「おれ、つよいから!」


「強さとハンバーグの数って、関係あるのかな」


「ある!」


「あるんだ」


 俺が頷くと、爽太くんは満足そうに笑った。


 舞ちゃんが、隣でため息をつく。


「悠人さん、まともに相手しなくていいですからね」


「いや、面白くて」


「もう……。この子、調子に乗るんですよ」


「おれ、のってない!」


「そういう意味じゃないの!」


 朝から賑やかだ。


 信号待ちの間、バックミラーを見る。


 舞ちゃんが、爽太くんの髪を直している。


 爽太くんは、それを嫌がって首を振った。


「やー!」


「じっとして!」


「きょうりゅうだから!」


「恐竜でも髪くらい直させて!」


 ……ははっ。


 どうやら、今日の爽太くんは一日中恐竜らしい。


 俺は笑いをこらえながら、再び車を走らせた。


***


「うわあああ!!」


 レストランに入った瞬間、爽太くんが歓声を上げた。


「ハンバーグのにおい!!」


「爽太、声!」


「ハンバーグ!!」


「聞いてる!?」


 店員さんが、にこにこと笑っている。


 俺は思わず口元を押さえた。


「……ふっ」


「悠人さん、笑わないでください!」


「ごめん。つい」


 案内されたのは、窓際の四人掛けのテーブルだった。


 爽太くんは、さっそくメニューを開いた。


「これ!!」


 指さしたのは、大きなハンバーグの写真。


 しかも、二枚重ね。


「……爽太」


 舞ちゃんが、嫌な予感のする声を出した。


「これたべる!」


「それ、大人用だから」


「おれ、おとな!」


「四歳!」


「よんさいのおとな!」


「そんな大人いません!」


 ……だめだ。


 面白すぎる。


 俺は、笑いをこらえながらメニューを覗き込んだ。


「爽太くん、こっちのハンバーグもおいしそうだよ」


「どれ?」


「ほら。ポテトもついてる」


「……ぽてと?」


 爽太くんの目が輝いた。


「ぽてと!!」


「それに、デザートもあるみたい」


「でざーと!?」


「うん」


「これにする!!」


 決断が早い。


 舞ちゃんが、俺を見た。


「……悠人さん」


「ん?」


「今の、すごいですね」


「何が?」


「私が何回言っても聞かなかったのに」


「ポテトが決め手だったみたいだね」


「……今度からポテトで交渉しようかな」


「ははっ」


 そのとき。


「ママ!」


「なに?」


「おれ、ぽてとひゃっこたべる!」


「また百個!?」


 ……どうやら、百という数字が気に入っているらしい。


***


 料理が運ばれてくるまでの間も、爽太くんは忙しかった。


 水を飲んでは、


「ぷはーっ!」


 と大げさに息を吐き。


 窓の外に犬を見つけては、


「わんわん!」


 と身を乗り出し。


 俺の腕時計に気づいては、


「これなに!?」


 と指を伸ばしてくる。


「時計だよ」


「とけい?」


「うん。時間がわかるんだ」


「いまなんじ!?」


「十一時四十五分」


「……じゅういち?」


「うん」


「おれ、よんさい!」


「そうだね」


「ゆうとおじちゃんは!?」


「俺?」


「うん!」


 俺が年齢を答えると、爽太くんはしばらく考え込んだ。


 そして。


「……おっきいね!」


「ははっ。ありがとう」


「褒めてないと思いますよ、それ」


 舞ちゃんが笑う。


「そうかな」


「絶対そうです!」


 その笑顔を見て、俺も笑った。


 ……こういう時間。


 いいな。


 何か特別なことをしているわけじゃない。


 ただ、一緒にごはんを待っているだけ。


 それなのに、妙に心地いい。


***


「お待たせいたしました」


 店員さんが料理を運んできた。


 鉄板の上で、ハンバーグがじゅうじゅうと音を立てている。


「うわああああ!!」


 爽太くんが目を輝かせた。


「ハンバーグ!!」


「爽太、熱いから触っちゃだめよ」


「わかってる!」


「ほんとに?」


「うん!」


 そう言いながら、爽太くんの手が鉄板へ伸びかける。


「爽太!」


「……あっ」


 舞ちゃんに止められ、ぴたりと手を引っ込めた。


「ほら、言ったそばから!」


「だって、ハンバーグ!」


「ハンバーグは逃げません!」


 俺は笑いながら、自分のナイフを手に取った。


「爽太くん、冷めるまで少し待とうか」


「えー!」


「その間に、ポテト食べる?」


「ぽてと!!」


 ……本当に、ポテトが好きなんだな。


 舞ちゃんは肩を落としながら笑っていた。


「もう、悠人さんがいてくれて助かります」


「そう?」


「はい。私一人だったら、今ごろ三回くらい怒ってます」


「もう二回くらい怒ってた気がするけど」


「……数えないでください!」


 思わず二人で笑った。


 食事が始まると、爽太くんは驚くほど真剣だった。


「……んむ」


 小さな口いっぱいにハンバーグを頬張る。


「……んむんむ」


 そして。


「おいしー!!」


 満面の笑み。


「よかったね、爽太」


「うん!!」


 舞ちゃんも嬉しそうに笑っている。


 俺はそんな二人を見ながら、自分のハンバーグを口に運んだ。


 ……うん。


 確かに、おいしい。


 でも、料理の味以上に、目の前の光景がなんだか嬉しかった。


「ゆうとおじちゃん!」


「ん?」


「これ、おいしい!」


「うん。おいしいね」


「ゆうとおじちゃんもたべて!」


「俺も食べてるよ」


「もっと!」


「もっと?」


「ひゃっこ!」


「また百個!?」


 舞ちゃんが、とうとう吹き出した。


「あははっ! もう、爽太!」


 俺も笑った。


 ……ああ。


 本当に、楽しいな。


***


 食事のあと。


 爽太くんが窓の外を指さした。


「あっ!!」


「どうしたの?」


「こうえん!!」


 レストランの向かいには、小さな公園があった。


 滑り台にブランコ、広い芝生。


 爽太くんの目が、きらきらと輝く。


「ママ! こうえんいく!」


「ええっ? 今から?」


「いく!!」


「ちょっとだけだよ?」


「やったああ!!」


 ……即決だ。


 舞ちゃんは俺を見て苦笑した。


「すみません、悠人さん。少しだけ付き合ってもらってもいいですか?」


「もちろん」


「ほんとですか?」


「うん。俺も少し歩きたいし」


 ……それに。


 まだ、帰りたくなかった。


***


「がおおおお!!」


 公園に着くなり、爽太くんは恐竜になった。


 両手を胸の前で曲げて、口を大きく開ける。


「きょうりゅうだぞー!!」


「おお、怖いな」


「ゆうとおじちゃん!」


「ん?」


「にげて!!」


「え?」


「たべちゃうぞー!!」


 ……なるほど。


 そういう遊びか。


「じゃあ、逃げないと」


 俺がゆっくり後ずさると、爽太くんが勢いよく追いかけてきた。


「がおおおお!!」


「うわっ、捕まる!」


「まてえええ!!」


 芝生の上を、二人で走る。


 ……いや。


 正確には、俺は逃げるふりをしていた。


 爽太くんは、本気だった。


「ゆうとおじちゃん!!」


「ん?」


「もっとはやく!!」


「えっ?」


「はやくにげて!!」


 ……注文が多い。


 俺は少しだけ速度を上げた。


「うわあ、食べられる!」


「がおおお!!」


 その瞬間。


「つかまえたああ!!」


 爽太くんが、俺の腰に抱きついた。


「うおっ!」


 思わず足を止める。


「……捕まった」


「やったああ!!」


 爽太くんは勝ち誇った顔で両手を上げた。


「おれ、さいきょう!!」


「うん。強いね」


「ゆうとおじちゃん、よわい!」


「……そうかもしれないね」


 少し離れたベンチから、笑い声が聞こえた。


「あはははっ!」


 舞ちゃんだった。


 お腹を抱えて笑っている。


「悠人さん! もう、何やってるんですか!」


「……恐竜に負けた」


「見ればわかります!」


 ……参ったな。


 こんな姿、普段の仕事仲間には絶対見せられない。


 でも。


 舞ちゃんがあんなに楽しそうに笑っているなら。


 ……まあ、悪くないか。


***


 そのあとも、爽太くんの勢いは止まらなかった。


 滑り台を三回。


 ブランコを二回。


 砂場で山を作って。


 途中で突然、


「おれ、かいじゅう!」


 と宣言して、また俺を追いかけ始めた。


「……恐竜じゃなかったの?」


「かいじゅう!」


「そっか」


「がおおお!!」


 ……違いがよくわからない。


 舞ちゃんがベンチから声をかける。


「爽太ー! そろそろ帰るよー!」


「やだー!!」


「もう十分遊んだでしょ!」


「まだ!!」


「まだじゃありません!」


 爽太くんは、ぷいっと顔を背けた。


「おれ、かえらない!」


 ……ああ。


 これも、四歳児らしいな。


 俺は爽太くんの隣にしゃがんだ。


「爽太くん」


「……なに」


「今日、楽しかった?」


「うん!」


「ハンバーグも?」


「うん!!」


「じゃあ、また今度遊ぼうか」


「……また?」


「うん」


 爽太くんは少し考えた。


「……ゆうとおじちゃんも?」


「もちろん」


「……じゃあ、いい!」


 ……お。


 意外とすんなり。


 そう思った、その瞬間。


「でも、かえるまえに、すべりだい!!」


「えっ」


 爽太くんは全速力で走り出した。


「爽太ー!!」


 舞ちゃんの声が、公園に響いた。


 ……はは。


 やっぱり、そう簡単にはいかないか。


***


 帰りの車。


 後部座席から、静かな寝息が聞こえていた。


「……すぅ……」


 爽太くんは、遊び疲れてぐっすり眠っている。


 さっきまであんなに元気だったのに、まるで電池が切れたみたいだ。


「……寝ちゃいましたね」


 後ろから、舞ちゃんの小さな声が聞こえた。


「うん。あれだけ遊べばね」


「ほんと、すみません。悠人さん、疲れたでしょ?」


「……正直、ちょっと」


「あははっ! ですよね!」


「でも、楽しかったよ」


 バックミラー越しに、舞ちゃんと目が合った。


「……本当ですか?」


「うん」


「……よかった」


 舞ちゃんは、ほっとしたように微笑んだ。


 車内に、穏やかな沈黙が流れる。


 信号が赤に変わった。


 俺はブレーキを踏む。


 窓の外には、夕暮れの街。


 後部座席には、舞ちゃんと眠っている爽太くん。


 ……なんだろう。


 この感じ。


 不思議なくらい、落ち着く。


 今日一日、ずっと笑っていた。


 爽太くんに振り回されて。


 舞ちゃんと顔を見合わせて。


 何でもないことで笑って。


 ……こんな時間が。


 これからも続いたらいい。


 ふと、そう思った。


「……悠人さん?」


「ん?」


「どうかしました?」


「……いや」


 俺は少し笑った。


「また、三人で出かけたいなって思って」


「……え?」


 バックミラーの中で、舞ちゃんが目を丸くする。


 それから。


「……ふふっ」


 嬉しそうに笑った。


「私もです」


 その一言が、妙に胸に残った。


***


 舞ちゃんのアパートに着いたころには、空が少しずつ茜色から藍色へ変わり始めていた。


 駐車場に車を停める。


 エンジンを切ると、急に静かになった。


「……着いたよ」


「ありがとうございます」


 舞ちゃんは、隣の爽太くんを覗き込んだ。


「……爽太、起きる?」


「……すぅ……」


「……起きないですね」


「ぐっすりだね」


「もう、しょうがないなあ」


 舞ちゃんは苦笑しながら、車を降りた。


 俺も外に出て、後部座席のドアを開ける。


「爽太、帰るよ」


「……やぁ……」


 寝ぼけた声。


 舞ちゃんが優しく笑う。


「はいはい。おんぶするからね」


 俺が爽太くんを支えている間に、舞ちゃんが背中を向ける。


 小さな腕を舞ちゃんの肩へ回して、よいしょ、と背負い直す。


「……ふう」


「大丈夫?」


「はい! 慣れてますから」


 そう言って、舞ちゃんは笑った。


 ……強いな。


 この人は。


 仕事をして。


 家事をして。


 爽太くんを育てて。


 時には怒って。


 それでも、いつも明るく笑っている。


 俺は、その笑顔が好きだ。


 ……いや。


 笑顔だけじゃない。


 今日、一緒に過ごして、改めてそう思った。


「じゃあ、悠人さん!」


 舞ちゃんがこちらを向いた。


「今日は本当にありがとうございました!」


「こちらこそ。楽しかったよ」


「ふふっ。爽太も、すっごく楽しそうでした」


「うん。俺も嬉しかった」


「また、ぜひ!」


「……うん」


 舞ちゃんは、にこっと笑って。


「じゃあ、おやすみなさい!」


 そう言って、アパートの入り口へ向かって歩き出した。


 一歩。


 二歩。


 その背中を、俺は見つめていた。


 ……このまま。


 帰っていいのか?


 今日、ずっと考えていた。


 舞ちゃんと一緒にいたい。


 これからも。


 爽太くんと過ごす時間も、楽しい。


 でも、それだけじゃない。


 俺は、舞ちゃんが好きだ。


 ちゃんと、伝えたい。


 そう思っていたはずなのに、いざその瞬間になると。


 ……情けないな。


 俺は、小さく息を吸った。


「……舞ちゃん」


 舞ちゃんが足を止めた。


「はい?」


 振り返る。


 ポニーテールが、ふわりと揺れた。


 背中の爽太くんは、ぐっすり眠っている。


 俺は、舞ちゃんのほうへ数歩近づいた。


「……あのさ」


「はい」


「俺、舞ちゃんに話したいことがあって」


 舞ちゃんは、少しだけ首をかしげた。


「……はい?」


 心臓が、妙にうるさい。


 ……落ち着け。


 普段なら、こんなに緊張しない。


 仕事の大事な話だって、平気でできる。


 それなのに。


 たった一言。


 好きだって言うだけなのに。


 ……なんで、こんなに難しいんだ。


「……俺は、舞ちゃんのこと――」


「あっ」


「……え?」


 舞ちゃんが、ぱっと顔を上げた。


 そして。


「付き合います?」


「…………は?」


 ……。


 …………。


 ……今。


 何て?


「……え?」


 思わず、間抜けな声が出た。


 舞ちゃんは、きょとんとしている。


「えっ、違いました?」


「……いや」


 俺は瞬きをした。


「……違わないけど!」


 思わず、声が大きくなった。


「しーっ!」


 舞ちゃんが慌てて人差し指を唇に当てる。


「爽太、起きちゃいます!」


「あっ……ごめん」


 反射的に声を落とした。


 舞ちゃんの背中では、爽太くんが小さく身じろぎした。


「……んむ……」


 ……危ない。


 俺たちは、しばらく黙っていた。


 爽太くんの寝息が、また静かに聞こえ始める。


 舞ちゃんが、くすくす笑った。


「ふふっ」


「……舞ちゃん」


「はい?」


「……俺、今、告白しようとしてたんだけど」


「はい」


「……まだ、好きって言ってないよね?」


「そうですね」


 舞ちゃんは、にっこり笑った。


「でも、わかっちゃいました」


「…………」


 ……参った。


 本当に。


 この人には、かなわない。


「……本当は、俺から言いたかったんだけどな」


 そう呟くと、舞ちゃんは少しだけ得意げに笑った。


「ふふっ。早い者勝ちですよ、悠人さん」


「……はは」


 思わず笑ってしまった。


 ……そうか。


 そういうことか。


 俺は、肩の力を抜いた。


 そして、改めて舞ちゃんを見る。


「……じゃあ、ちゃんと言わせて」


「……はい」


 舞ちゃんの笑顔が、少しだけ柔らかくなる。


 俺は、一度息を吸った。


「……好きだよ、舞ちゃん」


 夕方の風が、静かに吹いた。


「……舞ちゃんと一緒にいると、楽しい」


「…………」


「今日みたいに、何でもないことで笑って。爽太くんに振り回されて」


 舞ちゃんが、小さく笑った。


「……ふふっ」


「そういう時間が、すごく好きなんだ」


 俺は、まっすぐに彼女を見る。


「……これからも、舞ちゃんのそばにいたい」


 舞ちゃんは、しばらく黙っていた。


 それから。


「……私も」


 小さな声で、言った。


「……私も、悠人さんが好きです」


 その頬は、ほんのり赤い。


 いつも明るくて、元気で。


 何でも笑い飛ばしてしまうような舞ちゃんが、今は少しだけ照れている。


「……だから」


 舞ちゃんは、にっこり笑った。


「よろしくお願いします、悠人さん!」


「……うん」


 俺も笑った。


「こちらこそ。よろしく、舞ちゃん」


 ……ああ。


 なんだろう。


 こんなに嬉しいものなのか。


 誰かと付き合うことが、初めてなわけじゃない。


 でも、今までとは何かが違う。


 ……きっと。


 俺は、この人のことを、本当に大切にしたいんだ。


***


「……んむ」


 そのとき。


 舞ちゃんの背中で、爽太くんが小さく動いた。


「……あ」


 二人同時に、口を閉じる。


「…………」


「…………」


 爽太くんは、むにゃむにゃと口を動かした。


 そして。


「……はんばーぐ……」


 ……。


 …………。


「……ぷっ」


 先に吹き出したのは、舞ちゃんだった。


「ふふっ……!」


 俺も、こらえきれずに笑ってしまう。


「……最後までハンバーグなんだね」


「ふふっ。ほんと、誰に似たんでしょうね」


「……舞ちゃんじゃない?」


「ええっ!? 私ですか!?」


「ははっ」


「ひどいですよ、悠人さん!」


 笑い声が、夕暮れの駐車場に小さく響いた。


 ……こんな告白になるなんて。


 想像もしていなかった。


 もっと、かっこよく決めるつもりだったのに。


 ……まあ。


 これも、悪くないか。


***


「じゃあ、今度こそ、おやすみなさい!」


 舞ちゃんが笑った。


「うん。おやすみ」


 俺は手を振る。


 舞ちゃんも、片手を小さく振り返した。


 背中には、眠っている爽太くん。


 そのまま、アパートの入り口へ歩いていく。


 俺は、その後ろ姿を見送った。


 ……恋人、か。


 ふと、口元が緩む。


 ……だめだな。


 今日は、ずっと笑ってばかりだ。


 車に戻り、運転席に座る。


 エンジンをかける。


 それでも、しばらく動けなかった。


「…………」


 ……付き合います?


 ……ははっ。


 思い出しただけで、笑ってしまう。


 あのタイミングで。


 あの言い方で。


 俺の告白を、全部持っていくなんて。


 ……本当に。


 舞ちゃんらしい。


 俺は、ハンドルに軽く手を置いた。


 今日一日を思い返す。


 ハンバーグ。


 公園。


 恐竜ごっこ。


 舞ちゃんの笑顔。


 そして。


 夕暮れの駐車場。


 ……ああ。


 きっと、忘れないだろうな。


 こんな、賑やかで。


 ちょっと格好のつかない。


 でも、最高に幸せな一日を。


「……さて」


 俺は小さく笑った。


「……明日、翼に何て言おうかな」


 ……いや。


 あいつには、まだ黙っておこう。


 絶対、何か言われる。


 ……たぶん。


 俺は、そんなことを考えながら、ゆっくり車を走らせた。


 夜の街に、灯りがともり始めていた。


 そして。


 俺の毎日にも、新しい温かな光がともった気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。