第31話「告白は、早い者勝ち」
――一ノ瀬悠人視点――
休日の朝。
俺は、自宅の姿見の前で腕を組んでいた。
白いシャツに黒のパンツ。上から薄手のジャケットを羽織っている。
「……ちょっと、堅いか?」
ジャケットを脱いでみる。
鏡を見る。
もう一度着てみる。
「…………」
……何をやってるんだ、俺は。
思わず苦笑した。
今日は、舞ちゃんと爽太くんとハンバーグを食べに行く日だ。
以前、爽太くんと交わした約束。それをようやく果たすだけ。
別に、デートというわけじゃない。
……いや。
デートじゃない、と言い切るのも違う気がする。
俺は、もう一度鏡を見た。
「……はあ」
自分でも驚くほど、落ち着かない。
仕事の大事な商談でさえ、こんなに服装を気にしたことはなかった。
そのとき、スマートフォンが震えた。
『おはようございます! 今日はよろしくお願いします! 爽太、朝から大騒ぎです(笑)』
舞ちゃんからだ。
続けて、一枚の写真が送られてくる。
そこには、両手を胸の前に曲げ、口を大きく開けた爽太くんが写っていた。
『ゆうとおじちゃんに見せるんだ! って、ずっと恐竜やってます』
「……ははっ」
思わず笑ってしまった。
『おはよう。俺も楽しみにしてるよ。予定どおり迎えに行くね』
返信を送る。
それから、もう一度鏡を見た。
「……よし」
結局、ジャケットは脱ぐことにした。
今日は、少し肩の力を抜いていこう。
そう思った。
……この時点では。
***
約束の時間より少し早く、舞ちゃんのアパートに到着した。
車を停め、スマートフォンを取り出す。
『着いたよ。ゆっくりで大丈夫だからね』
送信してから、車を降りた。
すると、アパートの入り口から、小さな男の子が飛び出してきた。
「ゆうとおじちゃああああん!!」
「……おっ」
爽太くんだ。
俺の姿を見つけるなり、ものすごい勢いで走ってくる。
「ゆうとおじちゃん!!」
「うおっ!?」
小さな身体が、俺の足に勢いよく抱きついた。
「ははっ。おはよう、爽太くん」
「おはよー!!」
「爽太ー! 走らないって言ったでしょー!」
少し遅れて、舞ちゃんが駆け寄ってきた。
淡い色のブラウスにデニム。
いつものポニーテールが、歩くたびに揺れている。
「すみません、悠人さん! もう、朝からずっとこんな感じで……!」
「いや、大丈夫。元気そうで何よりだよ」
「元気すぎるんです!」
舞ちゃんは腰に手を当て、爽太くんを見下ろした。
「爽太! ちゃんとご挨拶!」
「おはよーした!」
「そうだけど! 走って飛びつかない!」
「だって、ゆうとおじちゃんいたもん!」
「いたもん、じゃありません!」
……ふふ。
相変わらずだ。
舞ちゃんは俺に向き直り、苦笑した。
「ほんと、すみません……」
「気にしないで。俺は嬉しいよ」
「……え?」
「爽太くんが、こんなに楽しみにしてくれてたなら」
そう言うと、舞ちゃんは少しだけ目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。
「……ふふっ。そうですね」
……ああ。
やっぱり、好きだな。
そんなことを、朝から考えてしまった。
***
車に乗り込むと、舞ちゃんは爽太くんと一緒に後部座席へ座った。
「悠人さん、今日は運転までありがとうございます」
「いいよ。せっかくだし、楽しもう」
「はい!」
「ゆうとおじちゃん!」
さっそく後ろから声が飛んでくる。
「ん?」
「おれ、ハンバーグひゃっこたべる!」
「百個?」
「うん!」
「それはすごいな」
「おれ、つよいから!」
「強さとハンバーグの数って、関係あるのかな」
「ある!」
「あるんだ」
俺が頷くと、爽太くんは満足そうに笑った。
舞ちゃんが、隣でため息をつく。
「悠人さん、まともに相手しなくていいですからね」
「いや、面白くて」
「もう……。この子、調子に乗るんですよ」
「おれ、のってない!」
「そういう意味じゃないの!」
朝から賑やかだ。
信号待ちの間、バックミラーを見る。
舞ちゃんが、爽太くんの髪を直している。
爽太くんは、それを嫌がって首を振った。
「やー!」
「じっとして!」
「きょうりゅうだから!」
「恐竜でも髪くらい直させて!」
……ははっ。
どうやら、今日の爽太くんは一日中恐竜らしい。
俺は笑いをこらえながら、再び車を走らせた。
***
「うわあああ!!」
レストランに入った瞬間、爽太くんが歓声を上げた。
「ハンバーグのにおい!!」
「爽太、声!」
「ハンバーグ!!」
「聞いてる!?」
店員さんが、にこにこと笑っている。
俺は思わず口元を押さえた。
「……ふっ」
「悠人さん、笑わないでください!」
「ごめん。つい」
案内されたのは、窓際の四人掛けのテーブルだった。
爽太くんは、さっそくメニューを開いた。
「これ!!」
指さしたのは、大きなハンバーグの写真。
しかも、二枚重ね。
「……爽太」
舞ちゃんが、嫌な予感のする声を出した。
「これたべる!」
「それ、大人用だから」
「おれ、おとな!」
「四歳!」
「よんさいのおとな!」
「そんな大人いません!」
……だめだ。
面白すぎる。
俺は、笑いをこらえながらメニューを覗き込んだ。
「爽太くん、こっちのハンバーグもおいしそうだよ」
「どれ?」
「ほら。ポテトもついてる」
「……ぽてと?」
爽太くんの目が輝いた。
「ぽてと!!」
「それに、デザートもあるみたい」
「でざーと!?」
「うん」
「これにする!!」
決断が早い。
舞ちゃんが、俺を見た。
「……悠人さん」
「ん?」
「今の、すごいですね」
「何が?」
「私が何回言っても聞かなかったのに」
「ポテトが決め手だったみたいだね」
「……今度からポテトで交渉しようかな」
「ははっ」
そのとき。
「ママ!」
「なに?」
「おれ、ぽてとひゃっこたべる!」
「また百個!?」
……どうやら、百という数字が気に入っているらしい。
***
料理が運ばれてくるまでの間も、爽太くんは忙しかった。
水を飲んでは、
「ぷはーっ!」
と大げさに息を吐き。
窓の外に犬を見つけては、
「わんわん!」
と身を乗り出し。
俺の腕時計に気づいては、
「これなに!?」
と指を伸ばしてくる。
「時計だよ」
「とけい?」
「うん。時間がわかるんだ」
「いまなんじ!?」
「十一時四十五分」
「……じゅういち?」
「うん」
「おれ、よんさい!」
「そうだね」
「ゆうとおじちゃんは!?」
「俺?」
「うん!」
俺が年齢を答えると、爽太くんはしばらく考え込んだ。
そして。
「……おっきいね!」
「ははっ。ありがとう」
「褒めてないと思いますよ、それ」
舞ちゃんが笑う。
「そうかな」
「絶対そうです!」
その笑顔を見て、俺も笑った。
……こういう時間。
いいな。
何か特別なことをしているわけじゃない。
ただ、一緒にごはんを待っているだけ。
それなのに、妙に心地いい。
***
「お待たせいたしました」
店員さんが料理を運んできた。
鉄板の上で、ハンバーグがじゅうじゅうと音を立てている。
「うわああああ!!」
爽太くんが目を輝かせた。
「ハンバーグ!!」
「爽太、熱いから触っちゃだめよ」
「わかってる!」
「ほんとに?」
「うん!」
そう言いながら、爽太くんの手が鉄板へ伸びかける。
「爽太!」
「……あっ」
舞ちゃんに止められ、ぴたりと手を引っ込めた。
「ほら、言ったそばから!」
「だって、ハンバーグ!」
「ハンバーグは逃げません!」
俺は笑いながら、自分のナイフを手に取った。
「爽太くん、冷めるまで少し待とうか」
「えー!」
「その間に、ポテト食べる?」
「ぽてと!!」
……本当に、ポテトが好きなんだな。
舞ちゃんは肩を落としながら笑っていた。
「もう、悠人さんがいてくれて助かります」
「そう?」
「はい。私一人だったら、今ごろ三回くらい怒ってます」
「もう二回くらい怒ってた気がするけど」
「……数えないでください!」
思わず二人で笑った。
食事が始まると、爽太くんは驚くほど真剣だった。
「……んむ」
小さな口いっぱいにハンバーグを頬張る。
「……んむんむ」
そして。
「おいしー!!」
満面の笑み。
「よかったね、爽太」
「うん!!」
舞ちゃんも嬉しそうに笑っている。
俺はそんな二人を見ながら、自分のハンバーグを口に運んだ。
……うん。
確かに、おいしい。
でも、料理の味以上に、目の前の光景がなんだか嬉しかった。
「ゆうとおじちゃん!」
「ん?」
「これ、おいしい!」
「うん。おいしいね」
「ゆうとおじちゃんもたべて!」
「俺も食べてるよ」
「もっと!」
「もっと?」
「ひゃっこ!」
「また百個!?」
舞ちゃんが、とうとう吹き出した。
「あははっ! もう、爽太!」
俺も笑った。
……ああ。
本当に、楽しいな。
***
食事のあと。
爽太くんが窓の外を指さした。
「あっ!!」
「どうしたの?」
「こうえん!!」
レストランの向かいには、小さな公園があった。
滑り台にブランコ、広い芝生。
爽太くんの目が、きらきらと輝く。
「ママ! こうえんいく!」
「ええっ? 今から?」
「いく!!」
「ちょっとだけだよ?」
「やったああ!!」
……即決だ。
舞ちゃんは俺を見て苦笑した。
「すみません、悠人さん。少しだけ付き合ってもらってもいいですか?」
「もちろん」
「ほんとですか?」
「うん。俺も少し歩きたいし」
……それに。
まだ、帰りたくなかった。
***
「がおおおお!!」
公園に着くなり、爽太くんは恐竜になった。
両手を胸の前で曲げて、口を大きく開ける。
「きょうりゅうだぞー!!」
「おお、怖いな」
「ゆうとおじちゃん!」
「ん?」
「にげて!!」
「え?」
「たべちゃうぞー!!」
……なるほど。
そういう遊びか。
「じゃあ、逃げないと」
俺がゆっくり後ずさると、爽太くんが勢いよく追いかけてきた。
「がおおおお!!」
「うわっ、捕まる!」
「まてえええ!!」
芝生の上を、二人で走る。
……いや。
正確には、俺は逃げるふりをしていた。
爽太くんは、本気だった。
「ゆうとおじちゃん!!」
「ん?」
「もっとはやく!!」
「えっ?」
「はやくにげて!!」
……注文が多い。
俺は少しだけ速度を上げた。
「うわあ、食べられる!」
「がおおお!!」
その瞬間。
「つかまえたああ!!」
爽太くんが、俺の腰に抱きついた。
「うおっ!」
思わず足を止める。
「……捕まった」
「やったああ!!」
爽太くんは勝ち誇った顔で両手を上げた。
「おれ、さいきょう!!」
「うん。強いね」
「ゆうとおじちゃん、よわい!」
「……そうかもしれないね」
少し離れたベンチから、笑い声が聞こえた。
「あはははっ!」
舞ちゃんだった。
お腹を抱えて笑っている。
「悠人さん! もう、何やってるんですか!」
「……恐竜に負けた」
「見ればわかります!」
……参ったな。
こんな姿、普段の仕事仲間には絶対見せられない。
でも。
舞ちゃんがあんなに楽しそうに笑っているなら。
……まあ、悪くないか。
***
そのあとも、爽太くんの勢いは止まらなかった。
滑り台を三回。
ブランコを二回。
砂場で山を作って。
途中で突然、
「おれ、かいじゅう!」
と宣言して、また俺を追いかけ始めた。
「……恐竜じゃなかったの?」
「かいじゅう!」
「そっか」
「がおおお!!」
……違いがよくわからない。
舞ちゃんがベンチから声をかける。
「爽太ー! そろそろ帰るよー!」
「やだー!!」
「もう十分遊んだでしょ!」
「まだ!!」
「まだじゃありません!」
爽太くんは、ぷいっと顔を背けた。
「おれ、かえらない!」
……ああ。
これも、四歳児らしいな。
俺は爽太くんの隣にしゃがんだ。
「爽太くん」
「……なに」
「今日、楽しかった?」
「うん!」
「ハンバーグも?」
「うん!!」
「じゃあ、また今度遊ぼうか」
「……また?」
「うん」
爽太くんは少し考えた。
「……ゆうとおじちゃんも?」
「もちろん」
「……じゃあ、いい!」
……お。
意外とすんなり。
そう思った、その瞬間。
「でも、かえるまえに、すべりだい!!」
「えっ」
爽太くんは全速力で走り出した。
「爽太ー!!」
舞ちゃんの声が、公園に響いた。
……はは。
やっぱり、そう簡単にはいかないか。
***
帰りの車。
後部座席から、静かな寝息が聞こえていた。
「……すぅ……」
爽太くんは、遊び疲れてぐっすり眠っている。
さっきまであんなに元気だったのに、まるで電池が切れたみたいだ。
「……寝ちゃいましたね」
後ろから、舞ちゃんの小さな声が聞こえた。
「うん。あれだけ遊べばね」
「ほんと、すみません。悠人さん、疲れたでしょ?」
「……正直、ちょっと」
「あははっ! ですよね!」
「でも、楽しかったよ」
バックミラー越しに、舞ちゃんと目が合った。
「……本当ですか?」
「うん」
「……よかった」
舞ちゃんは、ほっとしたように微笑んだ。
車内に、穏やかな沈黙が流れる。
信号が赤に変わった。
俺はブレーキを踏む。
窓の外には、夕暮れの街。
後部座席には、舞ちゃんと眠っている爽太くん。
……なんだろう。
この感じ。
不思議なくらい、落ち着く。
今日一日、ずっと笑っていた。
爽太くんに振り回されて。
舞ちゃんと顔を見合わせて。
何でもないことで笑って。
……こんな時間が。
これからも続いたらいい。
ふと、そう思った。
「……悠人さん?」
「ん?」
「どうかしました?」
「……いや」
俺は少し笑った。
「また、三人で出かけたいなって思って」
「……え?」
バックミラーの中で、舞ちゃんが目を丸くする。
それから。
「……ふふっ」
嬉しそうに笑った。
「私もです」
その一言が、妙に胸に残った。
***
舞ちゃんのアパートに着いたころには、空が少しずつ茜色から藍色へ変わり始めていた。
駐車場に車を停める。
エンジンを切ると、急に静かになった。
「……着いたよ」
「ありがとうございます」
舞ちゃんは、隣の爽太くんを覗き込んだ。
「……爽太、起きる?」
「……すぅ……」
「……起きないですね」
「ぐっすりだね」
「もう、しょうがないなあ」
舞ちゃんは苦笑しながら、車を降りた。
俺も外に出て、後部座席のドアを開ける。
「爽太、帰るよ」
「……やぁ……」
寝ぼけた声。
舞ちゃんが優しく笑う。
「はいはい。おんぶするからね」
俺が爽太くんを支えている間に、舞ちゃんが背中を向ける。
小さな腕を舞ちゃんの肩へ回して、よいしょ、と背負い直す。
「……ふう」
「大丈夫?」
「はい! 慣れてますから」
そう言って、舞ちゃんは笑った。
……強いな。
この人は。
仕事をして。
家事をして。
爽太くんを育てて。
時には怒って。
それでも、いつも明るく笑っている。
俺は、その笑顔が好きだ。
……いや。
笑顔だけじゃない。
今日、一緒に過ごして、改めてそう思った。
「じゃあ、悠人さん!」
舞ちゃんがこちらを向いた。
「今日は本当にありがとうございました!」
「こちらこそ。楽しかったよ」
「ふふっ。爽太も、すっごく楽しそうでした」
「うん。俺も嬉しかった」
「また、ぜひ!」
「……うん」
舞ちゃんは、にこっと笑って。
「じゃあ、おやすみなさい!」
そう言って、アパートの入り口へ向かって歩き出した。
一歩。
二歩。
その背中を、俺は見つめていた。
……このまま。
帰っていいのか?
今日、ずっと考えていた。
舞ちゃんと一緒にいたい。
これからも。
爽太くんと過ごす時間も、楽しい。
でも、それだけじゃない。
俺は、舞ちゃんが好きだ。
ちゃんと、伝えたい。
そう思っていたはずなのに、いざその瞬間になると。
……情けないな。
俺は、小さく息を吸った。
「……舞ちゃん」
舞ちゃんが足を止めた。
「はい?」
振り返る。
ポニーテールが、ふわりと揺れた。
背中の爽太くんは、ぐっすり眠っている。
俺は、舞ちゃんのほうへ数歩近づいた。
「……あのさ」
「はい」
「俺、舞ちゃんに話したいことがあって」
舞ちゃんは、少しだけ首をかしげた。
「……はい?」
心臓が、妙にうるさい。
……落ち着け。
普段なら、こんなに緊張しない。
仕事の大事な話だって、平気でできる。
それなのに。
たった一言。
好きだって言うだけなのに。
……なんで、こんなに難しいんだ。
「……俺は、舞ちゃんのこと――」
「あっ」
「……え?」
舞ちゃんが、ぱっと顔を上げた。
そして。
「付き合います?」
「…………は?」
……。
…………。
……今。
何て?
「……え?」
思わず、間抜けな声が出た。
舞ちゃんは、きょとんとしている。
「えっ、違いました?」
「……いや」
俺は瞬きをした。
「……違わないけど!」
思わず、声が大きくなった。
「しーっ!」
舞ちゃんが慌てて人差し指を唇に当てる。
「爽太、起きちゃいます!」
「あっ……ごめん」
反射的に声を落とした。
舞ちゃんの背中では、爽太くんが小さく身じろぎした。
「……んむ……」
……危ない。
俺たちは、しばらく黙っていた。
爽太くんの寝息が、また静かに聞こえ始める。
舞ちゃんが、くすくす笑った。
「ふふっ」
「……舞ちゃん」
「はい?」
「……俺、今、告白しようとしてたんだけど」
「はい」
「……まだ、好きって言ってないよね?」
「そうですね」
舞ちゃんは、にっこり笑った。
「でも、わかっちゃいました」
「…………」
……参った。
本当に。
この人には、かなわない。
「……本当は、俺から言いたかったんだけどな」
そう呟くと、舞ちゃんは少しだけ得意げに笑った。
「ふふっ。早い者勝ちですよ、悠人さん」
「……はは」
思わず笑ってしまった。
……そうか。
そういうことか。
俺は、肩の力を抜いた。
そして、改めて舞ちゃんを見る。
「……じゃあ、ちゃんと言わせて」
「……はい」
舞ちゃんの笑顔が、少しだけ柔らかくなる。
俺は、一度息を吸った。
「……好きだよ、舞ちゃん」
夕方の風が、静かに吹いた。
「……舞ちゃんと一緒にいると、楽しい」
「…………」
「今日みたいに、何でもないことで笑って。爽太くんに振り回されて」
舞ちゃんが、小さく笑った。
「……ふふっ」
「そういう時間が、すごく好きなんだ」
俺は、まっすぐに彼女を見る。
「……これからも、舞ちゃんのそばにいたい」
舞ちゃんは、しばらく黙っていた。
それから。
「……私も」
小さな声で、言った。
「……私も、悠人さんが好きです」
その頬は、ほんのり赤い。
いつも明るくて、元気で。
何でも笑い飛ばしてしまうような舞ちゃんが、今は少しだけ照れている。
「……だから」
舞ちゃんは、にっこり笑った。
「よろしくお願いします、悠人さん!」
「……うん」
俺も笑った。
「こちらこそ。よろしく、舞ちゃん」
……ああ。
なんだろう。
こんなに嬉しいものなのか。
誰かと付き合うことが、初めてなわけじゃない。
でも、今までとは何かが違う。
……きっと。
俺は、この人のことを、本当に大切にしたいんだ。
***
「……んむ」
そのとき。
舞ちゃんの背中で、爽太くんが小さく動いた。
「……あ」
二人同時に、口を閉じる。
「…………」
「…………」
爽太くんは、むにゃむにゃと口を動かした。
そして。
「……はんばーぐ……」
……。
…………。
「……ぷっ」
先に吹き出したのは、舞ちゃんだった。
「ふふっ……!」
俺も、こらえきれずに笑ってしまう。
「……最後までハンバーグなんだね」
「ふふっ。ほんと、誰に似たんでしょうね」
「……舞ちゃんじゃない?」
「ええっ!? 私ですか!?」
「ははっ」
「ひどいですよ、悠人さん!」
笑い声が、夕暮れの駐車場に小さく響いた。
……こんな告白になるなんて。
想像もしていなかった。
もっと、かっこよく決めるつもりだったのに。
……まあ。
これも、悪くないか。
***
「じゃあ、今度こそ、おやすみなさい!」
舞ちゃんが笑った。
「うん。おやすみ」
俺は手を振る。
舞ちゃんも、片手を小さく振り返した。
背中には、眠っている爽太くん。
そのまま、アパートの入り口へ歩いていく。
俺は、その後ろ姿を見送った。
……恋人、か。
ふと、口元が緩む。
……だめだな。
今日は、ずっと笑ってばかりだ。
車に戻り、運転席に座る。
エンジンをかける。
それでも、しばらく動けなかった。
「…………」
……付き合います?
……ははっ。
思い出しただけで、笑ってしまう。
あのタイミングで。
あの言い方で。
俺の告白を、全部持っていくなんて。
……本当に。
舞ちゃんらしい。
俺は、ハンドルに軽く手を置いた。
今日一日を思い返す。
ハンバーグ。
公園。
恐竜ごっこ。
舞ちゃんの笑顔。
そして。
夕暮れの駐車場。
……ああ。
きっと、忘れないだろうな。
こんな、賑やかで。
ちょっと格好のつかない。
でも、最高に幸せな一日を。
「……さて」
俺は小さく笑った。
「……明日、翼に何て言おうかな」
……いや。
あいつには、まだ黙っておこう。
絶対、何か言われる。
……たぶん。
俺は、そんなことを考えながら、ゆっくり車を走らせた。
夜の街に、灯りがともり始めていた。
そして。
俺の毎日にも、新しい温かな光がともった気がした。




