第27話「運動会・後編」
――橘星莉奈視点――
『それでは、親子競技に参加する皆さん、入場してください!』
先生の声に合わせて、軽快な音楽が流れ始めた。
園庭の入場門から、小さな子どもたちが大人と手をつないで歩いてくる。
その中に、見慣れた二組の姿があった。
「あっ、いた!」
隣にいた舞ちゃんが声を上げる。
「爽太、こっち向いてくれないかなぁ」
私はスマートフォンを構えながら、列の中を探した。
いた。
翼くんと結衣。
翼くんは結衣の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いている。
一方、その少し後ろでは――。
「……ふふっ」
思わず笑ってしまった。
「どうしました?」
「見て、舞ちゃん」
私が指さした先で、爽太くんが一ノ瀬さんの手をぐいぐい引っ張っていた。
「はやく! はやく!」
「爽太くん、まだ走らないよ!」
「でも、はやく!」
「入場だから! 今は歩くところ!」
一ノ瀬さんが一生懸命に説明している。
けれど、爽太くんは今にも駆け出しそうだ。
「あははっ! もう、爽太ったら!」
舞ちゃんが笑いながら手を振った。
「爽太ー!」
その声に気づいた爽太くんが、こちらを向く。
「ママー!!」
そして、大きく手を振ろうとして――。
「あっ」
一ノ瀬さんの手を離し、その場で立ち止まってしまった。
後ろから歩いてきた親子が、慌てて足を止める。
一ノ瀬さんはすぐに爽太くんの隣にしゃがみ、何かを耳打ちした。
爽太くんがこくんと頷く。
それから二人は、また仲良く歩き始めた。
「……始まる前から大変そうだね」
私が言うと、舞ちゃんは苦笑した。
「悠人さん、今日一日で疲れ果てちゃうかもしれません」
「ふふっ。そうかも」
そう話していると、結衣がこちらに気づいた。
「ママー!」
「結衣ー!」
私が手を振ると、結衣は嬉しそうに笑った。
その隣で、翼くんもこちらを見つける。
目が合った瞬間、少し照れくさそうに笑って、小さく手を振ってくれた。
……頑張ってね、翼くん。
私は声に出さず、そう呟いた。
*
今回の親子競技は、障害物を越えながらゴールを目指すリレー形式だった。
最初は親子で手をつないで走り、途中に置かれたカードを一枚引く。
カードには動物の絵が描かれていて、その動物の真似をしながら次の地点まで進むらしい。
最後は、親子で大きな輪をくぐってゴール。
勝ち負けよりも、一緒に楽しむことを大切にした競技だ。
……の、はずだった。
「……星莉奈さん」
舞ちゃんが、隣でぽつりと呟く。
「何?」
「あの二人、なんだかすごく真剣じゃないですか?」
視線の先には、スタートラインに並んだ翼くんと一ノ瀬さん。
二人は何やら話し込んでいる。
「……悠人、いいか」
「何だ?」
「子どものペースに合わせるんだぞ」
「分かってるよ」
「無理に引っ張ったら危ないからな」
「お前こそ気をつけろよ」
「俺は大丈夫」
「さっきまで緊張してただろ」
「それはそれ!」
……何をそんなに確認しているんだろう。
すると、結衣が翼くんの服を引っ張った。
「つーくん!」
「ん?」
「ゆい、はやいよ!」
「うん、知ってるよ」
「だから、つーくんも、はやく!」
「……頑張るね」
一方、爽太くんは一ノ瀬さんに向かって、力強く宣言していた。
「ゆうとおじちゃん!」
「ん?」
「ぜったい、かつぞ!」
「お、おう!」
一ノ瀬さんが少し驚いた顔をする。
「……勝つのか」
「うん!」
「……よし」
一ノ瀬さんは爽太くんの目線に合わせて、拳を差し出した。
「じゃあ、頑張ろう!」
「おー!」
二人が小さく拳を合わせる。
その様子を見て、舞ちゃんが目を丸くした。
「……悠人さん、意外と乗り気ですね」
「ふふっ。楽しそう」
私たちは顔を見合わせて笑った。
*
『それでは、第一組! 位置についてください!』
先生の声が響いた。
翼くんと結衣。
一ノ瀬さんと爽太くん。
なんと、二組は同じ組で走ることになった。
「同じ組なんだね」
「ですね!」
舞ちゃんはスマートフォンを構え直した。
「これ、どっちを応援したらいいんでしょう?」
「ふふっ。両方でいいんじゃない?」
「そうですね!」
スタートラインでは、結衣と爽太くんが並んでいる。
二人とも、やる気満々だ。
その隣にいる翼くんと一ノ瀬さんは――。
「……悠人」
「何だ?」
「手加減しろよ」
「何でだよ」
「お前、足速そうだから」
「子どもと走るんだから、全力疾走なんかしないって」
「……それもそうか」
「今さら気づいたのか?」
翼くんが苦笑する。
そのとき、先生が笛を手にした。
『よーい……』
二人の会話が止まる。
結衣が翼くんの手を、ぎゅっと握った。
爽太くんも、一ノ瀬さんの手を握る。
『スタート!』
笛が鳴った。
「結衣ー! 頑張れー!」
「爽太ー! いけー!」
私と舞ちゃんの声が、同時に響いた。
四人が走り出す。
……はずだった。
「……あれ?」
翼くんが、一歩目で少しよろけた。
結衣が思いきり駆け出そうとして、手を引っ張ったのだ。
「つーくん! はやく!」
「ちょ、結衣ちゃん! 待って、待って!」
「はやくー!」
「そんなに急がなくても大丈夫だから!」
その隣を、爽太くんと一ノ瀬さんが走っていく。
「ゆうとおじちゃん! はやい!」
「爽太くん、いいペースだ!」
「もっと!」
「いや、これ以上は――!」
一ノ瀬さんも、なかなか大変そうだった。
私は笑いながら、翼くんたちを見つめた。
結衣は小さな足を一生懸命に動かしている。
翼くんは、その歩幅に合わせながら、転ばないように気を配っていた。
速く走ることよりも、結衣と一緒に走ること。
その姿を見ていると、なんだか嬉しくなった。
*
最初の障害物に到着した。
机の上には、裏返しになったカードが何枚も並んでいる。
子どもが一枚引き、描かれた動物の真似をして進む。
まずは、爽太くんがカードを引いた。
「……ぞう!」
「象か!」
一ノ瀬さんが笑った。
「じゃあ、鼻を作って進もう!」
「うん!」
爽太くんは片腕を鼻のように伸ばした。
一ノ瀬さんも、それを真似する。
二人は腕をぶらぶら揺らしながら、次の地点へ進み始めた。
「あははっ!」
舞ちゃんが笑う。
「悠人さん、似合わない!」
確かに。
普段は落ち着いた雰囲気の一ノ瀬さんが、真剣な顔で象の真似をしている。
その姿が、なんともおかしかった。
「……あっ、翼くんたちも!」
結衣がカードを引いた。
「……うさぎ!」
「おっ、ウサギだね!」
翼くんが笑う。
「じゃあ、ぴょんぴょん跳ねて進もうか」
「うん!」
結衣は両手を胸の前に置き、ぴょんぴょん跳ね始めた。
翼くんも、それに合わせて軽く跳ねる。
……けれど。
「……あれ?」
結衣が振り返った。
「つーくん?」
「ん?」
「うさぎさん、もっとぴょん!」
「……もっと?」
「うん!」
翼くんは少し考えた。
そして。
「……こう?」
ぴょん。
「もっと!」
ぴょん、ぴょん。
「もっとー!」
「結衣ちゃん、ウサギってそんなに高く跳ぶっけ!?」
思わず吹き出してしまった。
翼くんは結衣の要求に応えようと、一生懸命跳ねている。
でも、結衣はなかなか満足しない。
「つーくん! おみみ!」
「……耳?」
「うさぎさんのおみみ!」
「あっ、そうか!」
翼くんは両手を頭の上に立てた。
「……これでどう?」
結衣は、ぱっと笑った。
「うん! かわいい!」
「……ありがとう」
翼くんが照れくさそうに笑う。
その姿を見て、周りの保護者からも笑い声が起こった。
「……星莉奈さん」
舞ちゃんが、笑いをこらえながら言う。
「朝倉くん、すごい頑張ってますね」
「……うん」
私はスマートフォンを向けた。
画面の中には、ウサギの耳を作って跳ねる翼くんと、楽しそうに笑う結衣。
……これは、絶対に残しておこう。
*
その頃、少し先を進んでいた爽太くんたちは、最後の障害物に差しかかっていた。
大きな輪を、二人でくぐる。
それだけの簡単なもの。
……の、はずだった。
「……あっ!」
爽太くんが、輪の手前で足をもつれさせた。
小さな身体が、前へ傾く。
「爽太!」
舞ちゃんが声を上げた。
私も思わず息をのんだ。
けれど。
「おっと!」
一ノ瀬さんが、すぐに爽太くんの身体を支えた。
転ぶ寸前で、しっかり受け止める。
「大丈夫か?」
爽太くんは、少し驚いたように目を丸くしていた。
「……うん」
「痛いところない?」
「……ない」
「そっか。よかった」
一ノ瀬さんは、ほっとしたように笑った。
「じゃあ、ゆっくり行こうか」
「……うん」
爽太くんは、一ノ瀬さんの手を握り直した。
その姿を見て、舞ちゃんが小さく息を吐く。
「……よかったぁ」
「うん。びっくりしたね」
「悠人さん、すぐに支えてくれて……」
舞ちゃんは、しばらく二人を見つめていた。
その表情は、いつもの明るい笑顔とは少し違っていた。
大切な息子を、誰かがちゃんと見ていてくれる。
その安心感を、私もよく知っている。
*
「つーくん! はやく!」
少し遅れて、翼くんと結衣が最後の障害物へやってきた。
「よし、あと少しだね!」
「うん!」
二人は大きな輪の前に立った。
「結衣ちゃん、先にくぐっていいよ」
「つーくんも!」
「うん、俺も行くよ」
結衣がしゃがんで、輪をくぐる。
翼くんも、その後ろから身体をかがめた。
……けれど。
「……あれ?」
翼くんが止まった。
「……どうしたんでしょう?」
舞ちゃんが首を傾げる。
翼くんは、輪の高さを確かめるように見ている。
そして。
「……低いな、これ」
思わず笑ってしまった。
翼くんは身長が高いほうではないけれど、それでも大人がくぐるには少し窮屈な輪だった。
結衣はすでに向こう側にいる。
「つーくん!」
「ちょっと待ってね!」
翼くんは慎重に身体をかがめた。
頭を下げて。
肩をすぼめて。
片足を出して――。
「……よし!」
ようやく輪をくぐり抜けた。
結衣が嬉しそうに手を伸ばす。
「つーくん!」
「お待たせ!」
二人は手をつないだ。
そして、ゴールへ向かって走り出す。
その少し先では、一ノ瀬さんと爽太くんが最後の直線を進んでいた。
「爽太くん、あと少し!」
「うん!」
一ノ瀬さんは、爽太くんの歩幅に合わせて走っている。
翼くんも、結衣の隣を走る。
「結衣ちゃん、ゴール見えたよ!」
「うん!」
私は思わず立ち上がった。
「結衣ー!」
舞ちゃんも、隣で声を上げる。
「爽太ー!」
二組が、ゴールへ近づいていく。
そして――。
「やったー!!」
爽太くんと一ノ瀬さんが、先にゴールテープを越えた。
少し遅れて、翼くんと結衣もゴールする。
「やったぁ!」
結衣が両手を上げた。
翼くんも笑顔で、結衣と手を合わせる。
「やったね、結衣ちゃん!」
「うん!」
二人の小さなハイタッチ。
その光景を見て、私は自然と拍手していた。
……よかった。
二人とも、楽しそう。
それが何より嬉しかった。
*
午前中の競技が終わると、お昼休みになった。
園庭の端や木陰にはレジャーシートが広げられ、あちこちから楽しそうな話し声が聞こえてくる。
私たちも場所を見つけて、二枚のシートを並べて敷いた。
「ママー! おべんとう!」
結衣が待ちきれない様子で覗き込んでくる。
「はいはい。今出すからね」
お弁当箱の蓋を開けると、結衣の顔がぱっと明るくなった。
「たまごやき!」
「ふふっ。結衣の好きなもの、いっぱい入れたよ」
「やったぁ!」
隣では、爽太くんも舞ちゃんのお弁当を覗き込んでいた。
「ママ! からあげ!」
「はいはい。ちゃんとお野菜も食べてね」
「えー!」
「えー、じゃありません」
そのやり取りに、一ノ瀬さんが笑う。
「爽太くん、唐揚げ好きなんだ?」
「うん! ゆうとおじちゃんも、たべる?」
「いいの?」
「うん!」
爽太くんは嬉しそうに唐揚げを一つ差し出した。
「ありがとう。いただきます」
「おいしい?」
「うん、すごく美味しい!」
一ノ瀬さんがそう答えると、爽太くんは得意げに胸を張った。
「ママがつくった!」
「そっか。舞ちゃん、料理上手なんだね」
「えっ?」
舞ちゃんが顔を上げる。
「あ、ありがとうございます」
いつもなら冗談の一つでも返しそうなのに、今日は少し照れくさそうだ。
私はそれを見て、そっと笑った。
一方、翼くんはおにぎりを手に取っていた。
「星莉奈さん、このおにぎり、すごく美味しいです」
「ふふっ。ありがとうございます」
「朝から作ってくれたんですよね」
「はい。でも、結衣が楽しみにしてたので、作りがいがありました」
「つーくん!」
結衣が、同じようにおにぎりを持ち上げた。
「ん?」
「ゆいも、おにぎり!」
「おっ、一緒だね」
「いっしょ!」
二人は顔を見合わせて笑い、仲良くおにぎりを頬張った。
翼くんは、結衣が食べやすいようにおかずの容器を少し近づける。
「結衣ちゃん、卵焼きも食べる?」
「うん!」
「はい、どうぞ」
「ありがと!」
「どういたしまして」
そんな何気ないやり取りを見ていると、自然と頬が緩んだ。
……ふふっ。
結衣、本当に嬉しそう。
そのときだった。
「あら、皆さん。お食事中すみません」
顔を上げると、結衣たちの担任の先生が立っていた。
「先生、こんにちは」
「こんにちは。皆さん、運動会は楽しんでいただけていますか?」
「はい。とっても」
私が答えると、先生は嬉しそうに微笑んだ。
「よかったです。よろしければ、お食事の様子も記念に撮らせていただいているんですが、お写真いかがですか?」
「ぜひお願いします」
私はスマートフォンを取り出した。
「こちらでも一枚お願いしていいですか?」
「もちろんですよ」
先生にスマートフォンを渡すと、結衣が嬉しそうに顔を上げた。
「しゃしん!」
「そうだよ。みんなで撮ってもらおうね」
「つーくんも!」
「うん、俺も写るよ」
翼くんが結衣の隣に座り直す。
私もその反対側に寄った。
「では、撮りますね。皆さん、そのまま自然にしていてください」
先生がスマートフォンを構える。
結衣はおにぎりを両手で持ち、翼くんも同じようにおにぎりを手にしていた。
「はい、チーズ!」
カシャッ。
「ふふっ。いい笑顔ですね」
先生が画面を見て微笑む。
「ありがとうございます」
スマートフォンを受け取ると、私は軽く画面を確認した。
三人とも楽しそうに写っている。
「素敵に撮れてます。ありがとうございます」
「いえいえ。引き続き、楽しんでくださいね」
先生はそう言って、次の家族のところへ歩いていった。
「ママ! みせて!」
「ふふっ。あとでゆっくり見ようね」
「はーい!」
結衣は元気よく返事をして、またおにぎりを頬張り始めた。
私もスマートフォンをしまい、お弁当に手を伸ばした。
その写真に、小さな偶然が写り込んでいることには、まだ気づいていなかった。
*
午後は、玉入れや年長さんたちのリレーが行われた。
結衣も爽太くんも、午前中の疲れを感じさせないくらい元気いっぱいだった。
玉入れでは、結衣が一生懸命に玉を投げる。
けれど、なかなか籠に入らない。
「がんばれー、結衣ー!」
私が声をかけると、結衣は一度こちらを向いて、にっこり笑った。
そして、もう一度玉を拾う。
小さな両手で持ち上げて、えいっと投げた。
ぽすん。
「あっ、入った!」
翼くんが嬉しそうに声を上げる。
「星莉奈さん! 今、入りましたよ!」
「はい! 見ました!」
二人で思わず拍手する。
その隣では、一ノ瀬さんが爽太くんを応援していた。
「爽太くん、もう少し上!」
「こう!?」
「そうそう!」
「えいっ!」
玉は籠の縁に当たって、ぽとりと落ちた。
「あー!」
爽太くんが悔しそうに声を上げる。
一ノ瀬さんは笑いながら拍手した。
「惜しい! 次だ、次!」
「うん!」
その様子を見て、舞ちゃんがぽつりと呟いた。
「……なんだか、すごいですね」
「何が?」
「悠人さん、すっかり爽太の応援係になってる」
「ふふっ。そうだね」
「……朝倉くんも」
舞ちゃんの視線の先には、結衣の動きを目で追いながら、嬉しそうに笑う翼くん。
「本当に、楽しそう」
「……うん」
私は小さく頷いた。
「私も、そう思う」
*
すべての競技が終わり、閉会式が始まった。
子どもたちは先生の前に並び、一人ずつ参加賞のメダルを受け取っていく。
結衣も名前を呼ばれ、少し緊張した顔で前へ出た。
先生からメダルを首にかけてもらうと、ぱっと笑顔になる。
「……ふふっ」
私は思わず微笑んだ。
去年は、みんなの前に出るだけで緊張していたのに。
今年は、こんなに堂々としている。
本当に、大きくなったね。
閉会式が終わると、結衣がメダルを揺らしながら駆け寄ってきた。
「ママ! みて!」
「わぁ、素敵!」
「めだる!」
「よかったね。頑張ったもんね」
結衣は、すぐに翼くんのところへ向かった。
「つーくん!」
「ん?」
「みて!」
「おお! メダルだ!」
翼くんが目を丸くする。
「すごいね、結衣ちゃん!」
「えへへ!」
結衣は誇らしそうに胸を張った。
そして。
「つーくん」
「ん?」
「またつぎも、いっしょにはしろうね!」
翼くんが、少し驚いたように結衣を見た。
「……また?」
「うん!」
結衣は大きく頷いた。
「ゆい、つーくんと、はしるのすき!」
翼くんは、ほんの少しだけ目を細めた。
そして、結衣の前にしゃがむ。
「……俺もだよ」
「ほんと?」
「うん。結衣ちゃんと走るの、すごく楽しかった」
結衣が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、またね!」
「うん。また一緒に走ろうね」
二人は、小さな指で指切りをした。
その姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。
……よかったね、結衣。
大好きな人と、一緒に走れて。
*
「ゆうとおじちゃん!」
少し離れたところから、爽太くんの元気な声が聞こえた。
「ん?」
一ノ瀬さんが振り向く。
爽太くんは、首にかけたメダルを揺らしながら駆け寄った。
「またつぎも、いっしょ!」
「……また次も?」
「うん!」
爽太くんは、大きく頷いた。
「ゆうとおじちゃんと、はしる!」
一ノ瀬さんは、少し驚いたように笑った。
「……そっか」
そして、爽太くんの頭を優しく撫でる。
「もちろん。また一緒に走ろうな」
「やったー!」
爽太くんは嬉しそうに飛び跳ねた。
その様子を見て、舞ちゃんが笑った。
「もう、爽太ったら」
「ははっ。元気だね」
一ノ瀬さんも笑う。
「悠人さん」
「ん?」
「今日は、本当にありがとうございました」
舞ちゃんが頭を下げる。
「爽太、すごく楽しそうで。私も、嬉しかったです」
「いやいや。俺も楽しかったよ」
一ノ瀬さんは爽太くんを見て、笑った。
「誘ってもらえてよかった」
舞ちゃんは、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
「……そう言ってもらえると、嬉しいです」
私は、そんな二人を見つめていた。
……ふふっ。
なんだか、いい雰囲気。
もちろん、今は何も言わないでおこう。
*
運動会が終わり、帰り道。
舞ちゃんたちとは保育園の門のところで別れ、私たちは三人で歩いていた。
結衣は翼くんと手をつなぎながら、今日の出来事を何度も話している。
「つーくん、うさぎさんだったね!」
「そうだね」
「ぴょんぴょん!」
「うん、ぴょんぴょんしたね」
「かわいかった!」
「……それ、何回も言わなくていいよ、結衣ちゃん」
「やだ!」
「即答!?」
私は思わず笑った。
「ふふっ。結衣、すごく気に入ったんだね」
「うん!」
結衣は嬉しそうに頷く。
その隣で、私はスマートフォンを取り出した。
今日撮った写真を、もう一度見返してみる。
かけっこ。
お遊戯。
親子競技で、ウサギの耳を作って跳ねている翼くん。
そして、お昼休みに先生が撮ってくれた写真。
「……あれ?」
思わず、足を緩めた。
「星莉奈さん?」
翼くんが振り向く。
「どうしました?」
「翼くん、ちょっとこれ見てください」
私はスマートフォンの画面を見せた。
そこには、お弁当を食べている私たち三人が写っていた。
結衣はおにぎりを両手で持ち、翼くんも隣でおにぎりを頬張っている。
「……いい写真ですね」
「ふふっ。そうなんですけど……ここ」
私は画面を少し拡大した。
「……え?」
翼くんが目を凝らす。
そして。
「……あっ」
写真の中の翼くんの右頬には、小さなご飯粒。
その隣にいる結衣の右頬にも、まったく同じようにご飯粒がついていた。
「……二人とも、同じところについてます」
「……本当だ」
翼くんが目を丸くする。
「全然気づかなかった……」
「ふふっ。私も今気づきました」
すると、結衣がぴょんと背伸びした。
「なになに? ゆいもみる!」
「ほら、結衣。ここ」
画面を見せると、結衣はじっと写真を見つめた。
「……あ!」
そして、嬉しそうに笑った。
「つーくんと、いっしょ!」
「ははっ。本当だね」
「おそろい!」
結衣が笑うと、翼くんもつられて笑った。
私は、もう一度写真を見る。
同じおにぎりを食べて。
同じほっぺにご飯粒をつけて。
二人とも、何も知らずに笑っている。
「……なんだか、親子みたいですね」
思わず、そんな言葉がこぼれた。
翼くんは少し驚いた顔をしたあと、照れくさそうに笑った。
「……そう見えますか?」
「はい。とっても」
結衣が二人の顔を交互に見上げる。
「ママも、おそろいする?」
「えっ、私も?」
「うん! ごはんつぶ!」
「ふふっ。それは今度にしようかな」
「えー!」
翼くんが吹き出した。
「ははっ! 星莉奈さんも仲間入りですね」
「翼くんまで!」
三人の笑い声が、秋の帰り道に響いた。
私はスマートフォンの画面をもう一度見つめた。
何気ないお昼休みの一枚。
きれいに並んでポーズを決めた写真ではない。
それなのに、今日撮ったどの写真にも負けないくらい、好きだと思った。
「……星莉奈さん?」
翼くんが私の顔を覗き込む。
「ん?」
「また笑ってますよ」
「ふふっ。だって、可愛いんですもん」
「……ご飯粒が?」
「はい」
「……複雑だなぁ」
翼くんが困ったように笑う。
その手を、結衣がぎゅっと握り直した。
「つーくん!」
「ん?」
「きょう、たのしかったね!」
翼くんは、優しく笑った。
「……うん。楽しかったね」
「ママも?」
私は頷いた。
「うん。とっても楽しかったよ」
結衣は満足そうに笑った。
「じゃあ、みんな、たのしかったね!」
「……そうだね」
私は結衣の頭を撫でた。
三人で歩く、秋の帰り道。
結衣の首にかかった小さなメダルが、陽の光を受けてきらりと輝いている。
今日の運動会は、きっと結衣にとって忘れられない思い出になる。
そして、私にとっても。
私はスマートフォンをしまい、翼くんの空いているほうの手をそっと握った。
翼くんがこちらを見る。
「……星莉奈さん?」
「今日は、ありがとうございました」
「……こちらこそ」
翼くんは、私の手を優しく握り返した。
「誘ってもらえて、嬉しかったです」
その言葉が、何より嬉しかった。
結衣は私たちの手を交互に見て、にっこり笑う。
「ママ! つーくん!」
「なあに?」
「はやくかえろ!」
「ふふっ。そうだね」
翼くんも笑った。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん!」
三人で並んで歩き出す。
今日の写真を、またいつか一緒に見返したい。
きっとそのときも、二人のほっぺについた小さなご飯粒を見て、みんなで笑うんだろうな。
そんなことを考えながら、私は二人の手の温もりを感じていた。
**――第27話・完**




