↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/50

第27話「運動会・後編」


――橘星莉奈視点――


『それでは、親子競技に参加する皆さん、入場してください!』


先生の声に合わせて、軽快な音楽が流れ始めた。


園庭の入場門から、小さな子どもたちが大人と手をつないで歩いてくる。


その中に、見慣れた二組の姿があった。


「あっ、いた!」


隣にいた舞ちゃんが声を上げる。


「爽太、こっち向いてくれないかなぁ」


私はスマートフォンを構えながら、列の中を探した。


いた。


翼くんと結衣。


翼くんは結衣の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いている。


一方、その少し後ろでは――。


「……ふふっ」


思わず笑ってしまった。


「どうしました?」


「見て、舞ちゃん」


私が指さした先で、爽太くんが一ノ瀬さんの手をぐいぐい引っ張っていた。


「はやく! はやく!」


「爽太くん、まだ走らないよ!」


「でも、はやく!」


「入場だから! 今は歩くところ!」


一ノ瀬さんが一生懸命に説明している。


けれど、爽太くんは今にも駆け出しそうだ。


「あははっ! もう、爽太ったら!」


舞ちゃんが笑いながら手を振った。


「爽太ー!」


その声に気づいた爽太くんが、こちらを向く。


「ママー!!」


そして、大きく手を振ろうとして――。


「あっ」


一ノ瀬さんの手を離し、その場で立ち止まってしまった。


後ろから歩いてきた親子が、慌てて足を止める。


一ノ瀬さんはすぐに爽太くんの隣にしゃがみ、何かを耳打ちした。


爽太くんがこくんと頷く。


それから二人は、また仲良く歩き始めた。


「……始まる前から大変そうだね」


私が言うと、舞ちゃんは苦笑した。


「悠人さん、今日一日で疲れ果てちゃうかもしれません」


「ふふっ。そうかも」


そう話していると、結衣がこちらに気づいた。


「ママー!」


「結衣ー!」


私が手を振ると、結衣は嬉しそうに笑った。


その隣で、翼くんもこちらを見つける。


目が合った瞬間、少し照れくさそうに笑って、小さく手を振ってくれた。


……頑張ってね、翼くん。


私は声に出さず、そう呟いた。


*


今回の親子競技は、障害物を越えながらゴールを目指すリレー形式だった。


最初は親子で手をつないで走り、途中に置かれたカードを一枚引く。


カードには動物の絵が描かれていて、その動物の真似をしながら次の地点まで進むらしい。


最後は、親子で大きな輪をくぐってゴール。


勝ち負けよりも、一緒に楽しむことを大切にした競技だ。


……の、はずだった。


「……星莉奈さん」


舞ちゃんが、隣でぽつりと呟く。


「何?」


「あの二人、なんだかすごく真剣じゃないですか?」


視線の先には、スタートラインに並んだ翼くんと一ノ瀬さん。


二人は何やら話し込んでいる。


「……悠人、いいか」


「何だ?」


「子どものペースに合わせるんだぞ」


「分かってるよ」


「無理に引っ張ったら危ないからな」


「お前こそ気をつけろよ」


「俺は大丈夫」


「さっきまで緊張してただろ」


「それはそれ!」


……何をそんなに確認しているんだろう。


すると、結衣が翼くんの服を引っ張った。


「つーくん!」


「ん?」


「ゆい、はやいよ!」


「うん、知ってるよ」


「だから、つーくんも、はやく!」


「……頑張るね」


一方、爽太くんは一ノ瀬さんに向かって、力強く宣言していた。


「ゆうとおじちゃん!」


「ん?」


「ぜったい、かつぞ!」


「お、おう!」


一ノ瀬さんが少し驚いた顔をする。


「……勝つのか」


「うん!」


「……よし」


一ノ瀬さんは爽太くんの目線に合わせて、拳を差し出した。


「じゃあ、頑張ろう!」


「おー!」


二人が小さく拳を合わせる。


その様子を見て、舞ちゃんが目を丸くした。


「……悠人さん、意外と乗り気ですね」


「ふふっ。楽しそう」


私たちは顔を見合わせて笑った。


*


『それでは、第一組! 位置についてください!』


先生の声が響いた。


翼くんと結衣。


一ノ瀬さんと爽太くん。


なんと、二組は同じ組で走ることになった。


「同じ組なんだね」


「ですね!」


舞ちゃんはスマートフォンを構え直した。


「これ、どっちを応援したらいいんでしょう?」


「ふふっ。両方でいいんじゃない?」


「そうですね!」


スタートラインでは、結衣と爽太くんが並んでいる。


二人とも、やる気満々だ。


その隣にいる翼くんと一ノ瀬さんは――。


「……悠人」


「何だ?」


「手加減しろよ」


「何でだよ」


「お前、足速そうだから」


「子どもと走るんだから、全力疾走なんかしないって」


「……それもそうか」


「今さら気づいたのか?」


翼くんが苦笑する。


そのとき、先生が笛を手にした。


『よーい……』


二人の会話が止まる。


結衣が翼くんの手を、ぎゅっと握った。


爽太くんも、一ノ瀬さんの手を握る。


『スタート!』


笛が鳴った。


「結衣ー! 頑張れー!」


「爽太ー! いけー!」


私と舞ちゃんの声が、同時に響いた。


四人が走り出す。


……はずだった。


「……あれ?」


翼くんが、一歩目で少しよろけた。


結衣が思いきり駆け出そうとして、手を引っ張ったのだ。


「つーくん! はやく!」


「ちょ、結衣ちゃん! 待って、待って!」


「はやくー!」


「そんなに急がなくても大丈夫だから!」


その隣を、爽太くんと一ノ瀬さんが走っていく。


「ゆうとおじちゃん! はやい!」


「爽太くん、いいペースだ!」


「もっと!」


「いや、これ以上は――!」


一ノ瀬さんも、なかなか大変そうだった。


私は笑いながら、翼くんたちを見つめた。


結衣は小さな足を一生懸命に動かしている。


翼くんは、その歩幅に合わせながら、転ばないように気を配っていた。


速く走ることよりも、結衣と一緒に走ること。


その姿を見ていると、なんだか嬉しくなった。


*


最初の障害物に到着した。


机の上には、裏返しになったカードが何枚も並んでいる。


子どもが一枚引き、描かれた動物の真似をして進む。


まずは、爽太くんがカードを引いた。


「……ぞう!」


「象か!」


一ノ瀬さんが笑った。


「じゃあ、鼻を作って進もう!」


「うん!」


爽太くんは片腕を鼻のように伸ばした。


一ノ瀬さんも、それを真似する。


二人は腕をぶらぶら揺らしながら、次の地点へ進み始めた。


「あははっ!」


舞ちゃんが笑う。


「悠人さん、似合わない!」


確かに。


普段は落ち着いた雰囲気の一ノ瀬さんが、真剣な顔で象の真似をしている。


その姿が、なんともおかしかった。


「……あっ、翼くんたちも!」


結衣がカードを引いた。


「……うさぎ!」


「おっ、ウサギだね!」


翼くんが笑う。


「じゃあ、ぴょんぴょん跳ねて進もうか」


「うん!」


結衣は両手を胸の前に置き、ぴょんぴょん跳ね始めた。


翼くんも、それに合わせて軽く跳ねる。


……けれど。


「……あれ?」


結衣が振り返った。


「つーくん?」


「ん?」


「うさぎさん、もっとぴょん!」


「……もっと?」


「うん!」


翼くんは少し考えた。


そして。


「……こう?」


ぴょん。


「もっと!」


ぴょん、ぴょん。


「もっとー!」


「結衣ちゃん、ウサギってそんなに高く跳ぶっけ!?」


思わず吹き出してしまった。


翼くんは結衣の要求に応えようと、一生懸命跳ねている。


でも、結衣はなかなか満足しない。


「つーくん! おみみ!」


「……耳?」


「うさぎさんのおみみ!」


「あっ、そうか!」


翼くんは両手を頭の上に立てた。


「……これでどう?」


結衣は、ぱっと笑った。


「うん! かわいい!」


「……ありがとう」


翼くんが照れくさそうに笑う。


その姿を見て、周りの保護者からも笑い声が起こった。


「……星莉奈さん」


舞ちゃんが、笑いをこらえながら言う。


「朝倉くん、すごい頑張ってますね」


「……うん」


私はスマートフォンを向けた。


画面の中には、ウサギの耳を作って跳ねる翼くんと、楽しそうに笑う結衣。


……これは、絶対に残しておこう。


*


その頃、少し先を進んでいた爽太くんたちは、最後の障害物に差しかかっていた。


大きな輪を、二人でくぐる。


それだけの簡単なもの。


……の、はずだった。


「……あっ!」


爽太くんが、輪の手前で足をもつれさせた。


小さな身体が、前へ傾く。


「爽太!」


舞ちゃんが声を上げた。


私も思わず息をのんだ。


けれど。


「おっと!」


一ノ瀬さんが、すぐに爽太くんの身体を支えた。


転ぶ寸前で、しっかり受け止める。


「大丈夫か?」


爽太くんは、少し驚いたように目を丸くしていた。


「……うん」


「痛いところない?」


「……ない」


「そっか。よかった」


一ノ瀬さんは、ほっとしたように笑った。


「じゃあ、ゆっくり行こうか」


「……うん」


爽太くんは、一ノ瀬さんの手を握り直した。


その姿を見て、舞ちゃんが小さく息を吐く。


「……よかったぁ」


「うん。びっくりしたね」


「悠人さん、すぐに支えてくれて……」


舞ちゃんは、しばらく二人を見つめていた。


その表情は、いつもの明るい笑顔とは少し違っていた。


大切な息子を、誰かがちゃんと見ていてくれる。


その安心感を、私もよく知っている。


*


「つーくん! はやく!」


少し遅れて、翼くんと結衣が最後の障害物へやってきた。


「よし、あと少しだね!」


「うん!」


二人は大きな輪の前に立った。


「結衣ちゃん、先にくぐっていいよ」


「つーくんも!」


「うん、俺も行くよ」


結衣がしゃがんで、輪をくぐる。


翼くんも、その後ろから身体をかがめた。


……けれど。


「……あれ?」


翼くんが止まった。


「……どうしたんでしょう?」


舞ちゃんが首を傾げる。


翼くんは、輪の高さを確かめるように見ている。


そして。


「……低いな、これ」


思わず笑ってしまった。


翼くんは身長が高いほうではないけれど、それでも大人がくぐるには少し窮屈な輪だった。


結衣はすでに向こう側にいる。


「つーくん!」


「ちょっと待ってね!」


翼くんは慎重に身体をかがめた。


頭を下げて。


肩をすぼめて。


片足を出して――。


「……よし!」


ようやく輪をくぐり抜けた。


結衣が嬉しそうに手を伸ばす。


「つーくん!」


「お待たせ!」


二人は手をつないだ。


そして、ゴールへ向かって走り出す。


その少し先では、一ノ瀬さんと爽太くんが最後の直線を進んでいた。


「爽太くん、あと少し!」


「うん!」


一ノ瀬さんは、爽太くんの歩幅に合わせて走っている。


翼くんも、結衣の隣を走る。


「結衣ちゃん、ゴール見えたよ!」


「うん!」


私は思わず立ち上がった。


「結衣ー!」


舞ちゃんも、隣で声を上げる。


「爽太ー!」


二組が、ゴールへ近づいていく。


そして――。


「やったー!!」


爽太くんと一ノ瀬さんが、先にゴールテープを越えた。


少し遅れて、翼くんと結衣もゴールする。


「やったぁ!」


結衣が両手を上げた。


翼くんも笑顔で、結衣と手を合わせる。


「やったね、結衣ちゃん!」


「うん!」


二人の小さなハイタッチ。


その光景を見て、私は自然と拍手していた。


……よかった。


二人とも、楽しそう。


それが何より嬉しかった。


*


午前中の競技が終わると、お昼休みになった。


園庭の端や木陰にはレジャーシートが広げられ、あちこちから楽しそうな話し声が聞こえてくる。


私たちも場所を見つけて、二枚のシートを並べて敷いた。


「ママー! おべんとう!」


結衣が待ちきれない様子で覗き込んでくる。


「はいはい。今出すからね」


お弁当箱の蓋を開けると、結衣の顔がぱっと明るくなった。


「たまごやき!」


「ふふっ。結衣の好きなもの、いっぱい入れたよ」


「やったぁ!」


隣では、爽太くんも舞ちゃんのお弁当を覗き込んでいた。


「ママ! からあげ!」


「はいはい。ちゃんとお野菜も食べてね」


「えー!」


「えー、じゃありません」


そのやり取りに、一ノ瀬さんが笑う。


「爽太くん、唐揚げ好きなんだ?」


「うん! ゆうとおじちゃんも、たべる?」


「いいの?」


「うん!」


爽太くんは嬉しそうに唐揚げを一つ差し出した。


「ありがとう。いただきます」


「おいしい?」


「うん、すごく美味しい!」


一ノ瀬さんがそう答えると、爽太くんは得意げに胸を張った。


「ママがつくった!」


「そっか。舞ちゃん、料理上手なんだね」


「えっ?」


舞ちゃんが顔を上げる。


「あ、ありがとうございます」


いつもなら冗談の一つでも返しそうなのに、今日は少し照れくさそうだ。


私はそれを見て、そっと笑った。


一方、翼くんはおにぎりを手に取っていた。


「星莉奈さん、このおにぎり、すごく美味しいです」


「ふふっ。ありがとうございます」


「朝から作ってくれたんですよね」


「はい。でも、結衣が楽しみにしてたので、作りがいがありました」


「つーくん!」


結衣が、同じようにおにぎりを持ち上げた。


「ん?」


「ゆいも、おにぎり!」


「おっ、一緒だね」


「いっしょ!」


二人は顔を見合わせて笑い、仲良くおにぎりを頬張った。


翼くんは、結衣が食べやすいようにおかずの容器を少し近づける。


「結衣ちゃん、卵焼きも食べる?」


「うん!」


「はい、どうぞ」


「ありがと!」


「どういたしまして」


そんな何気ないやり取りを見ていると、自然と頬が緩んだ。


……ふふっ。


結衣、本当に嬉しそう。


そのときだった。


「あら、皆さん。お食事中すみません」


顔を上げると、結衣たちの担任の先生が立っていた。


「先生、こんにちは」


「こんにちは。皆さん、運動会は楽しんでいただけていますか?」


「はい。とっても」


私が答えると、先生は嬉しそうに微笑んだ。


「よかったです。よろしければ、お食事の様子も記念に撮らせていただいているんですが、お写真いかがですか?」


「ぜひお願いします」


私はスマートフォンを取り出した。


「こちらでも一枚お願いしていいですか?」


「もちろんですよ」


先生にスマートフォンを渡すと、結衣が嬉しそうに顔を上げた。


「しゃしん!」


「そうだよ。みんなで撮ってもらおうね」


「つーくんも!」


「うん、俺も写るよ」


翼くんが結衣の隣に座り直す。


私もその反対側に寄った。


「では、撮りますね。皆さん、そのまま自然にしていてください」


先生がスマートフォンを構える。


結衣はおにぎりを両手で持ち、翼くんも同じようにおにぎりを手にしていた。


「はい、チーズ!」


カシャッ。


「ふふっ。いい笑顔ですね」


先生が画面を見て微笑む。


「ありがとうございます」


スマートフォンを受け取ると、私は軽く画面を確認した。


三人とも楽しそうに写っている。


「素敵に撮れてます。ありがとうございます」


「いえいえ。引き続き、楽しんでくださいね」


先生はそう言って、次の家族のところへ歩いていった。


「ママ! みせて!」


「ふふっ。あとでゆっくり見ようね」


「はーい!」


結衣は元気よく返事をして、またおにぎりを頬張り始めた。


私もスマートフォンをしまい、お弁当に手を伸ばした。


その写真に、小さな偶然が写り込んでいることには、まだ気づいていなかった。


*


午後は、玉入れや年長さんたちのリレーが行われた。


結衣も爽太くんも、午前中の疲れを感じさせないくらい元気いっぱいだった。


玉入れでは、結衣が一生懸命に玉を投げる。


けれど、なかなか籠に入らない。


「がんばれー、結衣ー!」


私が声をかけると、結衣は一度こちらを向いて、にっこり笑った。


そして、もう一度玉を拾う。


小さな両手で持ち上げて、えいっと投げた。


ぽすん。


「あっ、入った!」


翼くんが嬉しそうに声を上げる。


「星莉奈さん! 今、入りましたよ!」


「はい! 見ました!」


二人で思わず拍手する。


その隣では、一ノ瀬さんが爽太くんを応援していた。


「爽太くん、もう少し上!」


「こう!?」


「そうそう!」


「えいっ!」


玉は籠の縁に当たって、ぽとりと落ちた。


「あー!」


爽太くんが悔しそうに声を上げる。


一ノ瀬さんは笑いながら拍手した。


「惜しい! 次だ、次!」


「うん!」


その様子を見て、舞ちゃんがぽつりと呟いた。


「……なんだか、すごいですね」


「何が?」


「悠人さん、すっかり爽太の応援係になってる」


「ふふっ。そうだね」


「……朝倉くんも」


舞ちゃんの視線の先には、結衣の動きを目で追いながら、嬉しそうに笑う翼くん。


「本当に、楽しそう」


「……うん」


私は小さく頷いた。


「私も、そう思う」


*


すべての競技が終わり、閉会式が始まった。


子どもたちは先生の前に並び、一人ずつ参加賞のメダルを受け取っていく。


結衣も名前を呼ばれ、少し緊張した顔で前へ出た。


先生からメダルを首にかけてもらうと、ぱっと笑顔になる。


「……ふふっ」


私は思わず微笑んだ。


去年は、みんなの前に出るだけで緊張していたのに。


今年は、こんなに堂々としている。


本当に、大きくなったね。


閉会式が終わると、結衣がメダルを揺らしながら駆け寄ってきた。


「ママ! みて!」


「わぁ、素敵!」


「めだる!」


「よかったね。頑張ったもんね」


結衣は、すぐに翼くんのところへ向かった。


「つーくん!」


「ん?」


「みて!」


「おお! メダルだ!」


翼くんが目を丸くする。


「すごいね、結衣ちゃん!」


「えへへ!」


結衣は誇らしそうに胸を張った。


そして。


「つーくん」


「ん?」


「またつぎも、いっしょにはしろうね!」


翼くんが、少し驚いたように結衣を見た。


「……また?」


「うん!」


結衣は大きく頷いた。


「ゆい、つーくんと、はしるのすき!」


翼くんは、ほんの少しだけ目を細めた。


そして、結衣の前にしゃがむ。


「……俺もだよ」


「ほんと?」


「うん。結衣ちゃんと走るの、すごく楽しかった」


結衣が嬉しそうに笑う。


「じゃあ、またね!」


「うん。また一緒に走ろうね」


二人は、小さな指で指切りをした。


その姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。


……よかったね、結衣。


大好きな人と、一緒に走れて。


*


「ゆうとおじちゃん!」


少し離れたところから、爽太くんの元気な声が聞こえた。


「ん?」


一ノ瀬さんが振り向く。


爽太くんは、首にかけたメダルを揺らしながら駆け寄った。


「またつぎも、いっしょ!」


「……また次も?」


「うん!」


爽太くんは、大きく頷いた。


「ゆうとおじちゃんと、はしる!」


一ノ瀬さんは、少し驚いたように笑った。


「……そっか」


そして、爽太くんの頭を優しく撫でる。


「もちろん。また一緒に走ろうな」


「やったー!」


爽太くんは嬉しそうに飛び跳ねた。


その様子を見て、舞ちゃんが笑った。


「もう、爽太ったら」


「ははっ。元気だね」


一ノ瀬さんも笑う。


「悠人さん」


「ん?」


「今日は、本当にありがとうございました」


舞ちゃんが頭を下げる。


「爽太、すごく楽しそうで。私も、嬉しかったです」


「いやいや。俺も楽しかったよ」


一ノ瀬さんは爽太くんを見て、笑った。


「誘ってもらえてよかった」


舞ちゃんは、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。


「……そう言ってもらえると、嬉しいです」


私は、そんな二人を見つめていた。


……ふふっ。


なんだか、いい雰囲気。


もちろん、今は何も言わないでおこう。


*


運動会が終わり、帰り道。


舞ちゃんたちとは保育園の門のところで別れ、私たちは三人で歩いていた。


結衣は翼くんと手をつなぎながら、今日の出来事を何度も話している。


「つーくん、うさぎさんだったね!」


「そうだね」


「ぴょんぴょん!」


「うん、ぴょんぴょんしたね」


「かわいかった!」


「……それ、何回も言わなくていいよ、結衣ちゃん」


「やだ!」


「即答!?」


私は思わず笑った。


「ふふっ。結衣、すごく気に入ったんだね」


「うん!」


結衣は嬉しそうに頷く。


その隣で、私はスマートフォンを取り出した。


今日撮った写真を、もう一度見返してみる。


かけっこ。


お遊戯。


親子競技で、ウサギの耳を作って跳ねている翼くん。


そして、お昼休みに先生が撮ってくれた写真。


「……あれ?」


思わず、足を緩めた。


「星莉奈さん?」


翼くんが振り向く。


「どうしました?」


「翼くん、ちょっとこれ見てください」


私はスマートフォンの画面を見せた。


そこには、お弁当を食べている私たち三人が写っていた。


結衣はおにぎりを両手で持ち、翼くんも隣でおにぎりを頬張っている。


「……いい写真ですね」


「ふふっ。そうなんですけど……ここ」


私は画面を少し拡大した。


「……え?」


翼くんが目を凝らす。


そして。


「……あっ」


写真の中の翼くんの右頬には、小さなご飯粒。


その隣にいる結衣の右頬にも、まったく同じようにご飯粒がついていた。


「……二人とも、同じところについてます」


「……本当だ」


翼くんが目を丸くする。


「全然気づかなかった……」


「ふふっ。私も今気づきました」


すると、結衣がぴょんと背伸びした。


「なになに? ゆいもみる!」


「ほら、結衣。ここ」


画面を見せると、結衣はじっと写真を見つめた。


「……あ!」


そして、嬉しそうに笑った。


「つーくんと、いっしょ!」


「ははっ。本当だね」


「おそろい!」


結衣が笑うと、翼くんもつられて笑った。


私は、もう一度写真を見る。


同じおにぎりを食べて。


同じほっぺにご飯粒をつけて。


二人とも、何も知らずに笑っている。


「……なんだか、親子みたいですね」


思わず、そんな言葉がこぼれた。


翼くんは少し驚いた顔をしたあと、照れくさそうに笑った。


「……そう見えますか?」


「はい。とっても」


結衣が二人の顔を交互に見上げる。


「ママも、おそろいする?」


「えっ、私も?」


「うん! ごはんつぶ!」


「ふふっ。それは今度にしようかな」


「えー!」


翼くんが吹き出した。


「ははっ! 星莉奈さんも仲間入りですね」


「翼くんまで!」


三人の笑い声が、秋の帰り道に響いた。


私はスマートフォンの画面をもう一度見つめた。


何気ないお昼休みの一枚。


きれいに並んでポーズを決めた写真ではない。


それなのに、今日撮ったどの写真にも負けないくらい、好きだと思った。


「……星莉奈さん?」


翼くんが私の顔を覗き込む。


「ん?」


「また笑ってますよ」


「ふふっ。だって、可愛いんですもん」


「……ご飯粒が?」


「はい」


「……複雑だなぁ」


翼くんが困ったように笑う。


その手を、結衣がぎゅっと握り直した。


「つーくん!」


「ん?」


「きょう、たのしかったね!」


翼くんは、優しく笑った。


「……うん。楽しかったね」


「ママも?」


私は頷いた。


「うん。とっても楽しかったよ」


結衣は満足そうに笑った。


「じゃあ、みんな、たのしかったね!」


「……そうだね」


私は結衣の頭を撫でた。


三人で歩く、秋の帰り道。


結衣の首にかかった小さなメダルが、陽の光を受けてきらりと輝いている。


今日の運動会は、きっと結衣にとって忘れられない思い出になる。


そして、私にとっても。


私はスマートフォンをしまい、翼くんの空いているほうの手をそっと握った。


翼くんがこちらを見る。


「……星莉奈さん?」


「今日は、ありがとうございました」


「……こちらこそ」


翼くんは、私の手を優しく握り返した。


「誘ってもらえて、嬉しかったです」


その言葉が、何より嬉しかった。


結衣は私たちの手を交互に見て、にっこり笑う。


「ママ! つーくん!」


「なあに?」


「はやくかえろ!」


「ふふっ。そうだね」


翼くんも笑った。


「じゃあ、帰ろうか」


「うん!」


三人で並んで歩き出す。


今日の写真を、またいつか一緒に見返したい。


きっとそのときも、二人のほっぺについた小さなご飯粒を見て、みんなで笑うんだろうな。


そんなことを考えながら、私は二人の手の温もりを感じていた。


**――第27話・完**

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。