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第26話「運動会・前編」


――橘星莉奈視点――


「ママ!」


夕食の片づけをしていると、リビングから元気な声が聞こえてきた。


「なあに、結衣?」


「これ!」


振り向くと、結衣が一枚の紙を両手で掲げていた。


「あら、保育園のお手紙?」


「うん! うんどうかい!」


「運動会?」


私は手を拭いて、結衣からプリントを受け取った。


色とりどりのイラストが描かれた、保育園からのお知らせ。


開催日時に、持ち物。


そして、当日のプログラム。


「……そっか。もうそんな季節なんだね」


「ゆい、はしるんだよ!」


「そうなの?」


「うん! いちばんになる!」


結衣は両手を大きく広げて、その場で足踏みを始めた。


「いち、に! いち、に!」


「ふふっ。元気いっぱいだね」


去年の運動会では、たくさんの人に緊張して、私の後ろに隠れていた結衣。


それが今年は、こんなに張り切っている。


子どもの成長って、本当に早い。


私は微笑みながら、プリントに目を落とした。


かけっこ。


お遊戯。


玉入れ。


そして――。


「……親子競技?」


『おうちの人と一緒に、ゴールを目指そう!』


そんな文字が目に入った。


「結衣、これも出るんだね」


「うん!」


「じゃあ、ママも頑張らなきゃ」


そう言うと、結衣が私の顔を見上げた。


「……ママ」


「ん?」


「ゆいね」


「うん」


「つーくんと、いっしょにやりたい!」


「……え?」


思わず、プリントから顔を上げた。


「翼くんと?」


「うん!」


結衣は大きく頷いた。


「つーくんと、はしるの!」


「……そっか」


私は、少しだけ驚いてしまった。


もちろん、翼くんが結衣にとって大切な存在になっていることは分かっている。


でも、運動会の親子競技に一緒に出たいと言い出すとは思わなかった。


「……結衣」


「なあに?」


「ママとじゃなくていいの?」


「ママもきて!」


結衣は当然のように答えた。


「ママは、おうえん!」


「……ふふっ」


なるほど。


役割分担まで決まっているらしい。


「でもね、翼くんにも予定があるかもしれないよ?」


「……よてい?」


「お仕事とか、お出かけとか」


結衣は少し考えた。


そして。


「じゃあ、きいてみる!」


「うん。そうしようか」


私が頷くと、結衣は嬉しそうにプリントを抱きしめた。


「つーくん、きてくれるかなぁ」


その期待に満ちた顔を見て、胸が温かくなる。


……翼くん。


また一つ、あなたにお願いしたいことが増えちゃいました。


*


翌日の午後。


リアンのランチタイムが落ち着いた頃、翼くんがやってきた。


「こんにちは」


「いらっしゃいませ、翼くん」


「こんにちは、星莉奈さん」


そのやり取りを聞いていた舞ちゃんが、カウンターの向こうでにやりと笑う。


「……もうすっかり自然ですねぇ」


「……舞ちゃん」


「何も言ってませんよ?」


「顔が言ってるよ」


「えへへ」


……まったく。


この前、名前で呼び合っていることが舞ちゃんに知られてからというもの、こうして何かとからかわれるようになってしまった。


翼くんは相変わらず、あまり気にしていない様子だけれど。


「今日は結衣ちゃん、保育園ですよね?」


「はい。でも、翼くんにお願いがあって」


「俺に?」


私は昨日のプリントを取り出した。


「実は、今度、保育園の運動会があるんです」


「へぇ! 運動会ですか!」


翼くんの顔が明るくなる。


「結衣ちゃん、張り切ってそうですね」


「ふふっ。もう、すごいですよ」


「ははっ。想像できます」


私はプリントを翼くんに見せた。


「それで、親子競技があるんですけど……」


「はい」


「結衣が、翼くんと一緒に出たいって言っていて」


「……え?」


翼くんが瞬きをした。


「……俺と?」


「はい」


「……結衣ちゃんが?」


「はい」


翼くんは、もう一度プリントを見た。


そして、少し困ったように笑った。


「……そっか」


「もちろん、無理にとは言いません。お仕事もあるでしょうし……」


「いや」


翼くんは、すぐに首を振った。


「行きたいです」


「……え?」


「結衣ちゃんが俺と出たいって言ってくれたなら、ぜひ」


その言葉に、思わず笑みがこぼれた。


「……ありがとうございます」


「いえいえ。俺も楽しみです」


翼くんは嬉しそうにプリントを眺める。


「それで、親子競技って何するんですか?」


「障害物を越えながら、二人でゴールを目指すみたいです」


「へぇ、楽しそうですね」


「途中で一緒に走るところもあるみたいですよ」


「……走る?」


翼くんの笑顔が、ぴたりと止まった。


「はい」


「……結構、走ります?」


「えっと……そこまでは書いてないですね」


「…………」


翼くんは、ゆっくり自分の足元を見た。


「……最近、まともに走ってないな」


「ふふっ」


「いや、笑い事じゃないですよ。俺、普段ずっと座って仕事してるんで」


「大丈夫ですよ。競争というより、親子で楽しむ競技みたいですから」


「……ですよね」


翼くんが、ほっと息をつく。


すると、横から舞ちゃんが口を挟んだ。


「朝倉くん、運動不足なんですか?」


「まあ、そうですね」


「じゃあ、ちょうどいいじゃないですか!」


「何がですか?」


「運動会で体力づくり!」


「本番で体力づくりするんですか!?」


思わず笑ってしまった。


翼くんは苦笑いしながら、もう一度プリントを見る。


「……でも、楽しみだな」


ぽつりと呟いた声が、とても優しかった。


「結衣ちゃんと、一緒に運動会かぁ」


その横顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。


……結衣、喜ぶだろうな。


*


「何の話をしてるんだ?」


不意に、入口のほうから声がした。


振り向くと、一ノ瀬さんが立っていた。


「あ、一ノ瀬さん。いらっしゃいませ」


「こんにちは、橘さん」


一ノ瀬さんはいつものように爽やかに笑った。


「ずいぶん楽しそうだったから」


「悠人、ちょうどいいところに来たな」


翼くんが手を上げる。


「今度、結衣ちゃんの運動会に出ることになったんだ」


「……お前が?」


「ああ」


「親子競技に?」


「そう」


一ノ瀬さんは、翼くんをじっと見た。


そして。


「……走れるのか?」


「お前までそれ言う!?」


舞ちゃんが吹き出した。


「一ノ瀬さん、ひどい!」


「いや、翼が走ってるところ、あんまり想像できなくて」


「俺だって走るときは走るよ!」


「いつ?」


「……急いでるときとか」


「それはそうだろ」


二人のやり取りに、私も笑ってしまう。


以前は、どこか距離のあった二人。


それが今では、こんなふうに気軽に冗談を言い合っている。


……よかった。


本当に。


そう思っていると、舞ちゃんが何気なく言った。


「そういえば、爽太も同じ運動会なんですよね」


「……爽太くんも?」


一ノ瀬さんが舞ちゃんを見る。


「はい。結衣ちゃんと同じ保育園ですから」


「ああ、そうだったね」


「うちも親子競技があるんですけど……」


舞ちゃんは少し考えるように首を傾げた。


「どうしようかなぁって思ってたところなんです」


「舞ちゃんが出るんじゃないの?」


私が尋ねると、舞ちゃんは頷いた。


「そのつもりだったんですけど、爽太が最近、かけっこで一緒に走る人の話ばっかりしてて」


「ふふっ。楽しみにしてるんだね」


「そうなんですよ」


舞ちゃんが笑う。


「でも、私、足が速いほうじゃないので。爽太に怒られそうで」


「ははっ。爽太くん、厳しそうだな」


翼くんが笑った。


そのとき。


「……一ノ瀬さん」


舞ちゃんが、何かを思いついたように顔を上げた。


「はい?」


「そういえば、爽太、一ノ瀬さんのこと大好きなんですよ」


「……そうなの?」


「はい。この前も『ゆうとおじちゃん、またあそぼうね』って言ってました」


一ノ瀬さんは、少し嬉しそうに笑った。


「そっか。それは嬉しいな」


「……あ」


舞ちゃんが、そこで口を閉じた。


どうやら、自分が何を言いかけたのか気づいたらしい。


「……いや、でも」


「ん?」


「何でもないです!」


「……?」


一ノ瀬さんが不思議そうに首を傾げる。


その横で、翼くんがにやりと笑った。


「……悠人」


「何だ?」


「お前、運動会って興味ある?」


「……は?」


「いや、爽太くんと一緒に走ってみるのも楽しそうだなって」


「ちょ、朝倉くん!?」


舞ちゃんが慌てる。


「そんな、いきなりお願いするのは……!」


「別にいいんじゃないですか?」


翼くんは、あっさり言った。


「悠人、子どもと遊ぶの好きそうだし」


「……お前な」


一ノ瀬さんは苦笑した。


けれど、すぐに舞ちゃんを見る。


「……舞ちゃん」


「は、はい」


「もし爽太くんがよければ、俺でよければ参加するよ」


「……えっ?」


舞ちゃんが目を丸くした。


「い、いいんですか?」


「うん。予定も確認しないといけないけど、たぶん大丈夫」


「でも、お仕事もお忙しいでしょうし……」


「休日だし、予定が合えば問題ないよ」


一ノ瀬さんは、穏やかに笑った。


「それに、爽太くんと一緒に走るの、楽しそうだし」


「…………」


舞ちゃんは、少しだけ言葉を失っていた。


そして。


「……ありがとうございます」


いつもの元気な声より、少しだけ小さな声で答えた。


「爽太、絶対喜びます」


その表情を見て、私は思わず微笑んだ。


……ふふっ。


舞ちゃん、なんだか嬉しそう。


すると翼くんが、一ノ瀬さんの肩を軽く叩いた。


「よし。じゃあ、当日はよろしくな」


「……翼」


「ん?」


「お前、俺を巻き込んだな?」


「いやいや、そんなことないって」


「本当か?」


「……ちょっとだけ」


「やっぱりな!」


二人の笑い声が、リアンに響いた。


*


その日の夕方。


保育園から帰ってきた結衣に、翼くんが運動会へ来てくれることを伝えた。


「……ほんと!?」


結衣の目が、ぱっと輝く。


「ほんとだよ」


私が頷くと、結衣は両手を上げた。


「やったー!!」


そして、すぐに翼くんへ駆け寄った。


「つーくん!」


「おっ、結衣ちゃん」


「うんどうかい、きてくれる!?」


「もちろん!」


「いっしょにはしる!?」


「うん。一緒に走ろう」


「やったぁ!」


結衣は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。


「ゆい、いちばんになる!」


「おお、すごい意気込みだね」


「つーくんも、いちばん!」


「……えっ」


翼くんが固まった。


「……俺も?」


「うん!」


「……頑張ります」


その真剣な返事に、思わず笑ってしまった。


すると、少し遅れて爽太くんも舞ちゃんに連れられてやってきた。


「ママー! おなかすいたー!」


「はいはい、もうちょっと待ってね」


舞ちゃんが笑いながら答える。


そのとき、爽太くんが一ノ瀬さんの姿を見つけた。


「……あっ!」


「ん?」


「ゆうとおじちゃん!!」


「おっ、爽太くん」


一ノ瀬さんが笑顔で手を振る。


爽太くんは勢いよく駆け寄った。


「ゆうとおじちゃん! あそぼ!」


「ははっ。元気だね」


舞ちゃんが、その様子を見て笑った。


「爽太、あのね」


「なあに?」


「運動会、一ノ瀬さんが一緒に走ってくれるかもしれないんだって」


「…………」


爽太くんが、一瞬固まった。


そして。


「……ほんと!?」


「うん。予定が合えばね」


一ノ瀬さんが頷く。


すると爽太くんは、両手を上げて飛び跳ねた。


「やったー!!」


その声につられて、結衣も飛び跳ねる。


「やったー!」


「ゆいちゃん!」


「そーたくん!」


二人は顔を見合わせて笑った。


「つーくんと、はしるの!」


「ぼく、ゆうとおじちゃん!」


「いっしょだね!」


「うん!」


小さな二人の笑顔。


それを見守る、大人たち。


なんだか、運動会が始まる前から賑やかになりそうだった。


*


そして、運動会当日。


朝から空は気持ちよく晴れていた。


保育園の園庭には、色とりどりの旗が飾られ、楽しそうな音楽が流れている。


子どもたちは体操服姿で、元気いっぱいに走り回っていた。


「ママ! はやくー!」


結衣が私の手を引っ張る。


「ふふっ。そんなに急がなくても大丈夫だよ」


「つーくん、いるかな!?」


「いると思うよ」


そう答えた、そのとき。


「結衣ちゃーん!」


聞き慣れた声がした。


振り向くと、少し離れたところで翼くんが手を振っていた。


「つーくん!!」


結衣が嬉しそうに駆け出す。


「おっと!」


翼くんはしゃがんで、結衣を迎えた。


「おはよう、結衣ちゃん」


「おはよー!」


「今日は頑張ろうね」


「うん!」


私は二人のところへ歩いていった。


「翼くん、おはようございます」


「おはようございます、星莉奈さん」


翼くんは、いつもより少し動きやすそうな服装をしていた。


「……あれ?」


「はい?」


「翼くん、今日は運動する気満々ですね」


「いやぁ、一応」


翼くんは照れくさそうに笑った。


「結衣ちゃんに、一番になってほしいんで」


「ふふっ。無理しないでくださいね」


「大丈夫ですよ」


そう言いながら、翼くんは軽く肩を回した。


以前怪我をした腕も、今は日常生活に支障がないくらいまで回復している。


それでも、私は少しだけ心配だった。


「……本当に、無理はしないでくださいね」


「はい。約束します」


翼くんは、優しく笑ってくれた。


そのとき。


「おーい、翼!」


声のしたほうを見ると、一ノ瀬さんが歩いてきた。


隣には、舞ちゃんと爽太くん。


「おはようございます、星莉奈さん!」


「おはよう、舞ちゃん」


「つーくん!」


爽太くんも元気よく手を振る。


「おっ、爽太くん。おはよう!」


「ゆうとおじちゃんも、きた!」


「うん、見れば分かるよ」


翼くんが笑う。


一ノ瀬さんは、動きやすそうなスポーツウェア姿だった。


……しかも。


なんだか、妙に似合っている。


「……悠人」


翼くんが、じっと一ノ瀬さんを見た。


「何だ?」


「お前、なんか本気じゃない?」


「……何が?」


「服装が」


「運動会なんだから、動きやすい格好にしただけだろ」


「いや、そうなんだけど……」


翼くんは、自分の服装と一ノ瀬さんの服装を見比べた。


そして。


「……なんか負けた気がする」


「まだ始まってもいないだろ」


舞ちゃんが吹き出した。


「あははっ! 朝倉くん、頑張ってください!」


「舞さん、応援してくださいよ!」


「もちろんです! でも一ノ瀬さんのほうが速そうですね!」


「ひどい!」


みんなで笑った。


すると、結衣が翼くんの手をぎゅっと握った。


「つーくん!」


「ん?」


「ゆい、つーくんがいい!」


「……え?」


「つーくんと、いっしょがいい!」


翼くんが、少し驚いたように結衣を見る。


そして、ふっと笑った。


「……うん」


結衣の小さな手を、優しく握り返す。


「俺も、結衣ちゃんと一緒がいいよ」


そのやり取りを見て、胸が温かくなった。


……そうだよね。


速いとか、遅いとか。


そんなこと、結衣には関係ないんだ。


一緒に走りたい人がいる。


それだけで、きっと十分なんだ。


*


開会式が始まった。


子どもたちが整列し、先生の話を聞いている。


結衣も爽太くんも、いつになく真剣な顔をしていた。


……ふふっ。


二人とも、頑張ってる。


やがて、準備体操が始まった。


音楽に合わせて、子どもたちが元気いっぱいに身体を動かす。


「いち、に! いち、に!」


結衣も一生懸命、腕を伸ばしている。


その姿を見ていると、自然と笑顔になった。


「……可愛いですね」


隣で翼くんが呟いた。


「ふふっ。そうですね」


「結衣ちゃん、すごい真剣」


「今日は張り切ってますから」


「……俺も頑張らないとな」


翼くんが、小さく拳を握る。


すると、隣にいた一ノ瀬さんが笑った。


「翼、準備運動しておけよ」


「してるよ」


「本当に?」


「……一応」


「一応じゃだめだろ」


「悠人、お前、今日ちょっと厳しくない?」


「怪我されたら困るからな」


その言葉に、私は少しだけ目を丸くした。


一ノ瀬さんは、笑いながら続けた。


「せっかく結衣ちゃんが楽しみにしてるんだ。最後までちゃんと走れよ」


「……分かってるって」


翼くんも笑った。


……ふふっ。


なんだか、本当に仲良しね。


*


かけっこが始まった。


小さな子どもたちが、順番にスタートラインへ並ぶ。


「よーい……」


先生の声。


「どん!」


一斉に走り出す子どもたち。


途中で転んでしまう子。


反対方向へ走りそうになる子。


ゴールを通り過ぎても、そのまま走り続ける子。


園庭には、笑い声と拍手が広がった。


そして。


「次は、結衣ちゃんたちの組ですね」


翼くんが言った。


私は、思わず背筋を伸ばした。


「……結衣、頑張って」


スタートラインに並ぶ結衣。


隣には、爽太くんもいる。


二人とも、真剣な顔。


「よーい……」


私は、息を止めた。


「どん!」


「結衣ー! 頑張れー!」


思わず声が出た。


翼くんも、大きく手を振る。


「結衣ちゃーん! 頑張れー!」


舞ちゃんも叫ぶ。


「爽太ー! 頑張れー!」


一ノ瀬さんも、笑顔で声を上げた。


「爽太くん! その調子!」


小さな足が、一生懸命に地面を蹴る。


結衣は腕を大きく振って、前へ前へと走った。


そして――。


ゴール!


「……やった!」


私は思わず拍手した。


順位なんて、すぐには分からなかった。


でも、結衣は最後まで一生懸命走った。


それだけで、十分だった。


「……すごいですね」


隣で翼くんが呟いた。


「……はい」


「結衣ちゃん、あんなに速く走れるんだ」


その声は、どこか嬉しそうだった。


まるで、自分のことのように。


私は、そんな翼くんの横顔を見つめた。


……ありがとう。


結衣の成長を、こんなふうに一緒に喜んでくれて。


*


かけっこが終わり、いくつかの競技が続いた。


お遊戯では、結衣も爽太くんも一生懸命に踊っていた。


途中で動きを間違えて、隣の子を見ながら慌てて真似する結衣。


音楽に合わせて、なぜか一人だけ大きくジャンプする爽太くん。


そのたびに、保護者席から笑い声が起こった。


「……可愛いですねぇ」


舞ちゃんが、しみじみと呟く。


「うん。本当に」


私は頷いた。


すると、翼くんがスマートフォンを構えながら言った。


「……あっ、結衣ちゃん、こっち見た」


「本当ですか?」


「はい。今、手振ってくれました」


嬉しそうに笑う翼くん。


その姿を見て、私まで嬉しくなった。


……ふふっ。


翼くんも、すっかり楽しんでる。


やがて、園内放送が流れた。


『次は、親子競技です。参加される保護者の皆様は、入場門へお集まりください』


「……あ」


翼くんが顔を上げた。


一ノ瀬さんも、ゆっくり立ち上がる。


「……来たな」


「……来たな」


二人が顔を見合わせた。


「……悠人」


「何だ?」


「俺、ちょっと緊張してきた」


「……奇遇だな」


「え?」


「俺もだ」


「……お前も?」


「当たり前だろ。こういうの初めてなんだから」


二人は、しばらく顔を見合わせた。


そして。


「……ははっ!」


同時に笑い出した。


私は、その様子を見て思わず微笑んだ。


……ふふっ。


二人とも、頑張ってくださいね。


「翼くん」


「はい?」


「結衣のこと、よろしくお願いします」


翼くんは、私を見た。


そして、いつもの優しい笑顔で頷いた。


「はい。任せてください」


その言葉に、胸が温かくなる。


舞ちゃんも、一ノ瀬さんへ声をかけていた。


「一ノ瀬さん、爽太のこと、よろしくお願いします」


「うん。任せて」


「……でも、無理しないでくださいね」


「ははっ。大丈夫だよ」


二人は笑い合った。


やがて、翼くんと一ノ瀬さんが入場門へ向かって歩き出す。


その背中を見送りながら、私は思った。


……なんだか、不思議。


少し前まで、こんな光景を想像したこともなかった。


結衣が翼くんと一緒に運動会に出ること。


爽太くんが一ノ瀬さんと一緒に走ること。


そして、私と舞ちゃんが、こうして並んで応援していること。


でも。


今は、それがとても自然に感じられる。


「……星莉奈さん」


隣で舞ちゃんが呟いた。


「……何?」


「なんか、すごいですね」


「……うん」


「朝倉くんと一ノ瀬さんが、運動会に出るなんて」


「ふふっ。本当だね」


舞ちゃんが、少し照れくさそうに笑った。


「……爽太、喜ぶだろうなぁ」


「うん。きっとね」


私は、入場門のほうへ目を向けた。


そこには、結衣と手をつないで笑う翼くん。


そして、爽太くんに何かを話しかけながら、楽しそうに笑う一ノ瀬さん。


二人とも、少し緊張しているように見える。


それでも。


子どもたちの手を、しっかり握っていた。


『それでは、親子競技に参加する皆さん、入場してください!』


先生の声が響く。


音楽が流れ始めた。


小さな選手たちと、大きな応援団。


いよいよ、今日一番の賑やかな競技が始まろうとしていた。


**――第26話・完(運動会・前編)**

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