第17話「いつもと違うリアン」
カラン、と。
店の扉についたベルが、小さく鳴った。
「……いらっしゃいませー!」
元気な声が店内に響く。
「……って、悠人さんじゃないですか」
カウンターの向こうから顔を出したのは、舞だった。
「なんだよ、その残念そうな反応」
「いやぁ、お客さんかと思ったので」
「俺だって客だろ」
「あ、そうでしたね!」
「お前なぁ……」
悠人は呆れたように笑いながら、いつもの席へ向かった。
窓際のテーブル。
そこに腰を下ろそうとして、ふと隣の席に目が留まる。
「…………」
いつもなら、そこには一人の男がいた。
少し寝癖のついた黒髪。
コーヒーを飲みながら、ノートパソコンとにらめっこしている男。
朝倉翼。
「……朝倉くんがいないと、なんか変な感じだな」
悠人は小さく呟いた。
「ですよねー!」
いつの間にか、舞が水の入ったグラスを持って立っていた。
「朝倉くん、いつもあの辺に座ってましたもんね」
「……だな」
「早く元気になってほしいですね!」
「ああ」
悠人は頷いた。
あの日。
動物園で起きた事故。
結衣を助けるために、迷わず飛び出していった朝倉くん。
そして、救急車で運ばれていく姿。
思い出すだけで、今でも背筋が冷たくなる。
「……ほんと、無茶するやつだよ」
「でも、朝倉くんらしいですよね」
舞が笑う。
「……まあな」
悠人も小さく笑った。
「で、星莉奈さんは?」
「あ、お見舞いです!」
「そっか」
「今日は私がお店を任されてるんですよ!」
舞は得意げに胸を張った。
「へえ。大丈夫なのか?」
「ちょっと! どういう意味ですか!」
「いや、別に?」
「絶対バカにしてますよね!?」
「はははっ!」
いつもの調子だ。
悠人は笑いながら、メニューを開いた。
「じゃあ、コーヒー頼むわ」
「かしこまりましたー!」
舞は元気よく返事をすると、カウンターへ戻っていった。
その後ろ姿を眺めながら、悠人は小さく息を吐いた。
(……ほんと、騒がしい子だな)
けれど。
不思議と、嫌いではなかった。
*
午後のリアンは、いつもより静かだった。
昼の混雑が過ぎ、客足も落ち着いている。
悠人は運ばれてきたコーヒーを口に運んだ。
「……うん、うまい」
「でしょう!」
舞が嬉しそうに笑う。
「いや、舞ちゃんが淹れたわけじゃ……」
「私が淹れましたけど!?」
「……マジ?」
「なんでそんなに驚くんですか!」
「いや、意外とちゃんとしてるんだなって」
「意外とってなんですか!」
舞は頬を膨らませた。
悠人は思わず吹き出す。
「悪い悪い」
「もう……!」
そう言いながらも、舞は楽しそうだった。
そして。
「あ、そういえば悠人さん!」
「ん?」
舞は何かを思い出したように手を叩いた。
「星莉奈さんと朝倉くん、気持ちが通じ合ったみたいですね!」
「…………え?」
悠人の手が止まった。
「……ああ、そうなんだ」
できるだけ、何でもないように答えた。
舞は嬉しそうに続ける。
「いやー、よかったですよね! あの二人、見ててじれったかったですもん!」
「……そうだな」
「朝倉くんも、あんな大怪我したんだから、早く元気になってもらわないと!」
「……ああ」
悠人はコーヒーを一口飲んだ。
少し、苦かった。
いや。
いつもと同じ味のはずだった。
(……そっか)
薄々、わかっていた。
朝倉くんが星莉奈さんを見る目。
星莉奈さんが朝倉くんに向ける笑顔。
そして、あの日。
病院へ向かう星莉奈さんの、必死な姿。
あれを見れば、誰だって気づく。
二人がお互いを、特別に思っていることくらい。
(……とうとう、か)
悠人は静かにカップを置いた。
「……よかったな、あの二人」
そう言って、笑った。
心から、そう思っている。
朝倉くんは大切な友人だ。
星莉奈さんだって、幸せになってほしい人だ。
だから。
二人が結ばれたことは、素直に嬉しい。
……嬉しい、はずなのに。
胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
「…………」
舞は、そんな悠人の顔をじっと見つめていた。
「……なんだよ?」
「いやぁ……」
舞は首をかしげる。
そして。
何の前触れもなく、言った。
「……もしかして悠人さん、星莉奈さんのこと好きでした?」
「ぶっ!!」
悠人は思わずむせた。
「げほっ! お、お前なぁ!?」
「えっ!? 図星ですか!?」
「いきなり何聞いてんだよ!」
「いや、だって!」
舞はずいっと身を乗り出す。
「今、めちゃくちゃ寂しそうな顔してましたよ?」
「してねえよ!」
「してましたって!」
「気のせいだろ!」
「えー? 本当に?」
舞が悠人の顔を覗き込む。
「…………」
「…………」
悠人は視線をそらした。
「……近いって、舞ちゃん」
「あ、すみません!」
舞は笑いながら、少しだけ身体を引いた。
けれど、その目はまだ悠人を見ている。
「……で?」
「……何が」
「好きだったんですか?」
「…………」
悠人は深いため息をついた。
(……この子、本当に遠慮ってもんを知らねえな)
しばらく、沈黙が続いた。
窓の外を、車が一台通り過ぎる。
悠人は手元のコーヒーカップを見つめた。
そして。
「…………うん」
小さく、答えた。
「……やっぱり!!」
「声でけえよ!」
舞は勢いよく身を乗り出した。
「いやー! なんとなくそうじゃないかと思ってたんですよ!」
「だったら聞くなよ……」
「えー! だって本人の口から聞きたいじゃないですか!」
「……お前なぁ」
悠人は額に手を当てた。
舞は構わず続ける。
「で!? 告白はしたんですか!?」
「……してねえよ」
「えええっ!? なんでですか!?」
「なんでって……」
「好きだったんですよね!?」
「……まあ」
「じゃあ、言えばよかったのに!」
「簡単に言うなよ……」
悠人は苦笑した。
「……あの二人見てたら、わかるだろ」
「……?」
「俺が入り込む隙なんて、最初からなかったんだよ」
舞は一瞬、目を瞬かせた。
悠人は続ける。
「星莉奈さんが笑うとき、朝倉くんの方を見てることが多くてさ」
「…………」
「朝倉くんも、星莉奈さんのことになると、なんかいつもと違うし」
悠人は小さく笑った。
「……ほんと、わかりやすい二人だよ」
そう言って、窓の外へ目を向ける。
「……だから、これでよかったんだ」
少しだけ、声が小さくなった。
「俺が何か言って、あの二人の関係を変えたくなかったしな」
「…………」
「……まあ、ちょっとくらいは、寂しいけど」
悠人は笑った。
今度は、少しだけ無理をして。
すると。
「……悠人さん!」
「……ん?」
舞が、突然立ち上がった。
「もったいない!!」
「……は?」
「もったいないですよ、それ!!」
「な、なんだよ急に!?」
舞は腰に手を当てた。
「好きだったんなら、もっと頑張ればよかったじゃないですか!」
「……だから、簡単に言うなって」
「だって! 何もしないで終わっちゃったんですよ!?」
「……まあ、そうだけど」
「そりゃ寂しくもなりますよ!」
舞は大きく頷いた。
「うんうん! それは寂しい!」
「……舞ちゃん、ほんと容赦ねえな」
「でも!」
舞は、びしっと悠人を指さした。
「悠人さん!」
「……はい?」
「失恋したくらいで、そんな顔してちゃダメですよ!」
「……は?」
「世の中、女の人なんていっぱいいるんですから!」
「いや、そりゃそうだけど……」
「星莉奈さんが幸せになったんなら、悠人さんも幸せになればいいんですよ!」
「…………」
「それに!」
舞はにっと笑った。
「悠人さん、結構いい男だと思いますよ!」
「…………は?」
悠人は目を瞬かせた。
「……なんだよ、急に」
「いや、だって!」
舞は指を折りながら続ける。
「面倒見いいし!」
「……お、おう」
「困ってる人、放っておけないし!」
「…………」
「口は悪いですけど!」
「おい!」
「なんだかんだ優しいし!」
「……褒めてんのか、それ」
「褒めてますよ!」
舞は胸を張った。
そして。
「だから、もっと自信持ってください!」
満面の笑みで、そう言った。
「…………」
悠人は、しばらく舞を見つめていた。
……なんだ、この子。
失恋した男を前にして。
普通、もう少し気を遣うだろ。
そっとしておくとか。
慰めるとか。
そういうものじゃないのか。
なのに。
この子は。
人の心に土足で踏み込んできて。
言いたいことを言いたいだけ言って。
最後には、なぜか笑っている。
「…………っ」
悠人の肩が、小さく震えた。
「……ふっ」
「……?」
「……ははっ」
「え?」
「ははははっ!!」
とうとう、悠人は声を上げて笑い出した。
「ちょ、ちょっと! なんで笑うんですか!?」
「いや……舞ちゃん……!」
笑いすぎて、うまく言葉が出てこない。
「……ほんっと、すげえな!」
「ええっ!? 何がですか!?」
「失恋した男に、よくそこまで言えるよな!」
「だって、本当のことですもん!」
「はははっ!」
悠人はしばらく笑い続けた。
こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
胸の奥にあった重たいものが。
少しずつ、ほどけていく気がした。
やがて。
「……はぁ」
悠人は目元を拭った。
「……ありがとな、舞ちゃん」
「……え?」
舞がきょとんとする。
「いや……なんか、元気出たわ」
悠人は素直に笑った。
舞は一瞬だけ驚いた顔をした。
けれど。
すぐに、いつもの笑顔に戻る。
「でしょう!?」
「……自分で言うなよ」
「私、人を元気にするの得意なんですよ!」
「……そうみたいだな」
悠人はもう一度、コーヒーを口に運んだ。
さっきまで苦く感じていた味が。
今は、不思議といつもどおりだった。
*
「……あ、そうだ!」
舞が突然、手を叩いた。
「……今度はなんだよ」
「悠人さん、今度ご飯行きましょうよ!」
「……は?」
「失恋祝いです!」
「そんな祝いがあってたまるか!」
「えー! いいじゃないですか!」
「なんで失恋した俺が祝われるんだよ!」
「新しい恋に向けての出発祝いですよ!」
「……なんだよ、それ」
悠人は呆れたように笑った。
舞は楽しそうに続ける。
「おいしいもの食べて、いっぱい笑って、嫌なことなんて忘れちゃいましょう!」
「……舞ちゃん、ほんと単純だな」
「人生、楽しまなきゃ損ですよ!」
その言葉に。
悠人は、ふっと笑った。
「……まあ、それもそうか」
「おっ! じゃあ決まりですね!」
「……え?」
「ご飯!」
「いや、まだ行くとは……」
「いつにします!?」
「人の話聞けよ!」
「私、焼肉がいいです!」
「舞ちゃんが食いたいだけだろ!!」
舞は、けらけらと笑った。
悠人も、つられて笑ってしまう。
(……ほんと、調子狂うな)
悠人は思った。
今まで、こんな女の子は周りにいなかった。
遠慮がなくて。
騒がしくて。
人の気持ちなんて、お構いなしに見えるのに。
なぜか。
一緒にいると、少しだけ気持ちが軽くなる。
「……じゃあ、今度な」
悠人がそう言うと。
「やったー!!」
舞は両手を上げて喜んだ。
「……そんなに嬉しいか?」
「そりゃそうですよ!」
「……なんで?」
「焼肉ですよ!?」
「……そっちかよ!」
また、二人の笑い声が店内に響いた。
ふと。
悠人は、窓際の空いた席へ目を向けた。
朝倉くんがいつも座っていた場所。
そこには、まだ誰もいない。
(……早く戻ってこいよ、朝倉くん)
心の中で、そう呟いた。
そして。
(……幸せになれよ)
今度は、胸の奥が痛まなかったわけじゃない。
けれど。
その気持ちは、さっきよりもずっと穏やかだった。
「悠人さーん!」
「……ん?」
「焼肉、約束ですからね!」
「……わかったよ!」
悠人は笑った。
窓から差し込む午後の日差しが、カウンターを柔らかく照らしている。
いつもより、少し静かなリアン。
けれど。
今日のこの店には。
いつもとは違う、賑やかな笑い声が響いていた。
失った恋の痛みが、すぐに消えるわけじゃない。
それでも。
誰かと笑い合える時間があれば。
少しずつ、前を向けるのかもしれない。
悠人は、目の前で楽しそうに笑う舞を見た。
そして、ふと思う。
(……この子といると、退屈しねえな)
その感情に、まだ名前はなかった。
ただ。
次にこの店を訪れるときも。
あの騒がしい声が聞こえたらいいなと。
ほんの少しだけ、そう思った。
今回は少し視点を変えて、悠人と舞のお話でした。
大切な友人の幸せを心から喜びたい。でも、少しだけ寂しい。
そんな悠人の気持ちを、舞らしい豪快さで吹き飛ばしてもらいました。
失恋の痛みはすぐには消えないけれど、誰かと笑い合うことで、少しずつ前を向けることもあると思います。
そして、悠人と舞の距離にも小さな変化が……?
二人のこれからも、温かく見守っていただけたら嬉しいです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました!




