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第15話「僕も、同じです」

「……好きです……」


自分の口からこぼれ落ちた言葉に、誰よりも驚いていたのは星莉奈自身だった。


言うつもりなんてなかった。


少なくとも、こんなタイミングで伝えるつもりはなかった。


けれど、目の前で翼が笑ってくれた瞬間。


胸の奥に押し込めていた気持ちが、どうしようもなくあふれてしまった。


「…………」


翼はベッドの上で、少し目を見開いていた。


星莉奈は自分が何を言ったのかを理解すると、みるみる頬が熱くなっていくのを感じた。


「あっ……その……!」


何か言わなければ。


そう思った、そのときだった。


コンコン。


病室の扉がノックされた。


「朝倉さん、失礼しますね」


看護師が入ってきた。


先ほど押したナースコールを受けて来てくれたのだ。


「あ、意識が戻られたんですね。よかったです」


「あ……はい」


翼が小さく答える。


「先生を呼んできますので、少しお待ちくださいね」


看護師が慌ただしく病室を出ていく。


星莉奈はようやく、自分が翼の手を握ったままだったことに気づいた。


「あっ……ご、ごめんなさい!」


慌てて手を離す。


「いえ……」


翼も、どこか落ち着かない様子で視線をそらした。


ほんの少し前まで、命が助かったことだけで胸がいっぱいだったのに。


今は別の意味で、心臓がうるさかった。


やがて医師が訪れ、翼の意識や身体の状態を確認した。


いくつかの質問に翼が答える。


医師の説明によれば、今のところ意識ははっきりしており、状態も落ち着いているという。


ただし、事故による怪我があるため、しばらくは入院して経過を見る必要があった。


「無理はしないでくださいね。何か変わったことがあれば、すぐに呼んでください」


「はい。ありがとうございます」


医師と看護師が病室を後にした。


扉が閉まる。


そして。


再び、静けさが訪れた。


「…………」


「…………」


先ほどとは違う沈黙だった。


星莉奈はベッドの横に置かれた椅子に座り直した。


何を話せばいいのかわからない。


翼の顔を見ることさえ、なんだか恥ずかしかった。


窓の外では、夕暮れの光が少しずつ薄れていた。


病室に響くのは、医療機器の小さな電子音だけ。


そんな静けさの中。


「……あの、橘さん」


翼が口を開いた。


「は、はいっ!」


思わず声が裏返る。


翼は少し困ったように笑った。


「その……さっきのことなんですけど」


「…………っ」


星莉奈の肩がぴくりと跳ねた。


「さっきの……?」


わかっている。


何のことを言っているのかなんて、わかっている。


それでも、思わず聞き返してしまった。


翼は頬をかきながら、少し視線を泳がせた。


「いや、その……聞き間違いだったら、すごく恥ずかしいんですけど」


「…………」


「さっき、好きって……」


そこまで言って、翼は言葉を止めた。


そして、少し照れくさそうに笑った。


「……あれって、どういう意味なのかなって」


星莉奈は、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。


ああ。


ちゃんと、聞こえていたんだ。


自分の言葉が。


この人に、届いていたんだ。


「…………」


星莉奈は膝の上で、ぎゅっと手を握った。


そして、小さく息を吸った。


「……朝倉さん」


「はい」


「私……たぶん、ずっと前から……朝倉さんのことが好きだったんだと思います」


翼が静かにこちらを見る。


星莉奈は自分の気持ちを確かめるように、ゆっくりと言葉を続けた。


「最初は……ただのお客さんだったんです」


「……はい」


「リアンに来てくれて、コーヒーを飲んで……少しお話をして」


思い出す。


カウンター越しに交わした、何気ない会話。


いつもの席。


いつもの注文。


そして、いつもの優しい笑顔。


「朝倉さんと話していると、不思議と落ち着くんです」


星莉奈は少し笑った。


「特別なことを話しているわけじゃないのに……なんだか、楽しくて」


「…………」


「結衣にも優しくしてくれて……あの子が朝倉さんと笑っているのを見るのも、すごく嬉しかったんです」


星莉奈は一度、言葉を止めた。


自分の中にある気持ちを、ひとつずつ探していく。


「それで……いつからだったのかな」


少しだけ首をかしげる。


「気づいたら、リアンに朝倉さんが来てくれるのを……待ってる自分がいたんです」


翼の目が、わずかに大きくなった。


「今日は来てくれるかな、とか……」


星莉奈は恥ずかしそうに微笑んだ。


「扉が開くたびに、朝倉さんだったらいいなって……そんなことを考えるようになって」


「…………」


「来てくれた日は、嬉しくて。来てくれなかった日は、ちょっと寂しくて……」


口にしてみると、なんだかおかしかった。


自分でも気づかないうちに。


あの小さなカフェで過ごす日々の中に、翼という存在が当たり前のように入り込んでいた。


「動物園も……本当に楽しかったんです」


星莉奈は、あの日の光景を思い浮かべた。


結衣の笑い声。


並んで歩いた道。


そして。


『また来たいですね』


あの何気ない一言が、どうしてあんなに嬉しかったのか。


今なら、わかる気がした。


「また一緒に出かけたいって……思いました」


星莉奈は、少しだけ声を震わせた。


「結衣と三人で、また笑って……そんな時間が、これからも続いたらいいなって」


そして、静かに首を振った。


「だから……」


星莉奈は翼を見つめた。


「今日、結衣を助けてくれたから……好きになったわけじゃないんです」


「…………」


「もちろん、結衣を守ってくれたことは……本当に、本当に感謝しています」


あの瞬間を思い出すだけで、胸が苦しくなる。


もう二度と、あんな思いはしたくない。


「でも……それよりもずっと前から」


星莉奈は胸元に手を当てた。


「朝倉さんと一緒にいる時間が、私にとって……すごく大切なものになっていたんです」


そこまで話して、ようやく気づいた。


ああ。


そうだったんだ。


自分は、こんなにも。


この人のことが好きだったんだ。


「……だから」


星莉奈は少しうつむいた。


「さっきの『好き』は……その……」


頬が熱い。


心臓が痛いくらいに鳴っている。


それでも、今度はちゃんと伝えたかった。


「……一人の男性として、朝倉さんのことが……好きです」


言い終えた瞬間。


星莉奈は、ぎゅっと目を閉じた。


言ってしまった。


全部。


自分の気持ちを、全部。


「…………」


返事がない。


急に不安になった。


もしかしたら、困らせてしまっただろうか。


朝倉さんは、そんなつもりじゃなかったのかもしれない。


そう思いながら。


星莉奈は、おそるおそる顔を上げた。


「…………え?」


そこにいたのは。


片手で口元を覆い、顔を横に向けている翼だった。


耳が、真っ赤だった。


「……朝倉さん?」


「…………」


「……あの?」


「……すみません」


翼は口元を隠したまま、小さく答えた。


「ちょっと……待ってください」


「……はい?」


「いや……その……」


翼はさらに顔をそらした。


「……思ってた以上に、嬉しくて」


「…………っ!」


今度は星莉奈の顔が真っ赤になった。


「そ、そんな……!」


「……いや、本当に」


翼は困ったように笑った。


そして、少しだけ深呼吸をした。


「……僕も、リアンに行くのが楽しみだったんです」


「……え?」


星莉奈が顔を上げる。


翼は照れくさそうに視線を落とした。


「仕事が終わって、あの店に行って……橘さんと話して」


少し笑う。


「それだけで、なんか……一日がいい日だったなって思えるんですよね」


「…………」


「最初は、居心地のいいカフェを見つけたなって……それくらいだったんですけど」


翼は、ぽつぽつと言葉を続けた。


「いつの間にか、コーヒーを飲みに行くっていうより……橘さんに会いに行ってる感じになってて」


「…………っ」


星莉奈は思わず口元を押さえた。


翼はそんな星莉奈を見て、少しだけ笑った。


「それに……橘さんって、たまにずるいんですよ」


「……ず、ずるい?」


「はい」


翼は少し考えてから、照れくさそうに続けた。


「普段はしっかりしてるのに……たまに、すごく可愛い顔するんです」


「……っ!?」


「結衣ちゃんと笑ってるときとか……ちょっと慌ててるときとか」


「ま、待ってください……!」


星莉奈が慌てて両手を振る。


「そ、そんなこと……!」


「……ほら、今みたいな」


「~~~~っ!!」


星莉奈は両手で顔を覆った。


翼も、自分で言ったことが恥ずかしくなったのか、再び視線をそらした。


「……すみません。なんか、変なこと言いました」


「い、いえ……!」


「…………」


「…………」


二人の間に、また沈黙が落ちた。


けれど。


不思議と、嫌な沈黙ではなかった。


星莉奈は顔を覆っていた手を、そっと下ろした。


翼は窓の外を見つめていた。


その横顔は、まだ少し赤い。


「……橘さん」


やがて、翼が口を開いた。


「……はい」


翼はゆっくりと星莉奈に顔を向けた。


先ほどまでの照れくさそうな表情が、少しずつ変わっていく。


まっすぐな瞳。


穏やかで、優しい眼差し。


星莉奈の胸が、高鳴った。


「……僕も」


翼は一度、言葉を止めた。


そして。


まるで、大切なものをそっと差し出すように。


静かに微笑んだ。


「僕も、好きです」

第15話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、ついに翼と星莉奈、二人の想いが重なるお話となりました。


何気ない会話、いつものカフェ、当たり前のように過ぎていく日々。


そんな小さな幸せの積み重ねが、いつの間にか特別な感情へと変わっていた。


星莉奈が自分の気持ちを一つひとつ確かめながら言葉にしていく姿を、温かく見守っていただけたなら嬉しいです。


そして、普段はどこか落ち着いている翼も、今回ばかりは照れを隠せませんでした。


不器用ながらも、まっすぐに伝えた「僕も、好きです」。


ようやく通じ合った二人ですが、これはゴールではなく、新しい関係の始まりです。


これから二人がどんな時間を重ね、どんな未来を描いていくのか。


そして、結衣を含めた三人の関係がどう変わっていくのか。


引き続き、温かく見守っていただけたら嬉しいです。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


次回もよろしくお願いいたします!

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