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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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鑑定の卓

朝の光が昨日と同じように隣の建物の屋根を斜めに渡って、部屋の中の壁の高い場所に当たっていた。


伊勢は寝台の縁に腰掛けて、卓の上に置いた石をもう一度両手で軽く包んだ。石の表面の青みを帯びた灰色の部分は、朝の光の中では夕方に見たものよりもわずかに白く見えた。


「もって、いくの?」


ルカは寝台の縁に腰掛けて、両足を床の上に降ろしていた。布の袋は寝台の縁の奥の方に置かれたままだった。


「ええ」


伊勢は石を上着の内側のポケットに入れた。書簡とは別の側だった。


「いってらっしゃい」


ルカはそれから軽くうなずいた。


「行ってきます」



食堂の入口の扉の鈴が短く鳴った。


ハルカは昨日と同じ深い紺色の上着で、戸口の脇に立っていた。書付の束は片手に抱えていた。


喉の奥で、何かが、半拍、遅れた。昨日よりもわずかに短い遅れだった。


「おはよう」


「ハルカさん。おはようございます」


ハルカは目元だけで軽く笑った。


「行こうか」



宿の戸口を出てからハルカは脇の通りを北の方へ歩き始めた。歩幅は昨日と同じだった。床の上を必要な歩数だけで進む歩き方だった。


朝の通りは昨日の南の大通りよりも人の数が少なかった。荷を背負った人ではなく、書付の束を片手に抱えた人の方が多かった。書付の縁の色は深い紺色のものと、もっと薄い色のものが半々くらいに混じっていた。


「北は、どの辺りまで機関の建物が続いているんですか」


「大通りの四つ目の角まで。その先は住む人の通りになる」


ハルカはそれだけ言ってまた少し歩いた。それから伊勢の方を見もしないで言葉を継いだ。


「今日の集まりは最初の日だから、顔合わせと、議題の入り口までで終わる。本格的な議論は明日から」


「分かりました」


「参加する人は、伊勢くんを入れて六人」


伊勢はその数を頭の中で一度だけ繰り返した。


「あとの四人は、こっちで仕事をしてる人。中央の機関の中で書付の整え方をずっと考えてきた側の人たち。伊勢くんとは、たぶん、半分くらいは同じ言葉で話せる」


「半分」


「うん」


ハルカは通りの先の建物の方を見ていた。


「残りの半分は、たぶん、伊勢くんが自分の言葉で置き直さないと伝わらない」



十五分ほど歩いて、大通りの脇から一本入ったところでハルカが足を止めた。


三階建ての石造りの建物が通りに面して立っていた。戸口の上に看板は出ていなかった。代わりに戸口の脇の壁に四角い石の板が嵌め込まれていて、その上に書簡の差出の印と同じ形が彫られていた。


伊勢はその印を一度だけ見た。


「ここ」


「はい」


戸口の中に入ると広い土間があった。土間の奥に階段があって、階段の脇に小さな受付の卓があった。卓の向こうに座っていた中年の男がハルカの顔を見て軽く会釈をした。


ハルカは男に向かって書付の束の一番上を見せた。男はその縁の色を見てもう一度会釈をした。


「二階の、東の部屋」


「うん」



二階の東の部屋は、長方形の卓が部屋の真ん中に一つ置かれていて、卓の周りに椅子が六脚並んでいた。窓は東向きで、朝の光が卓の上に斜めに差し込んでいた。卓の上には書付の束と墨壺と羽根筆が、人数分置かれていた。


部屋の中には既に四人の人がいた。


伊勢が入っていくと、四人のうちの三人がこちらに視線を向けた。残りの一人だけは卓の自分の前の書付を見たままだった。


ハルカが卓の向こうの席の方へ歩いていきながら軽く言った。


「街から来た、伊勢くん」


それだけだった。それ以上の紹介はなかった。


伊勢は卓の手前の側の空いている椅子に腰掛けた。


最初に視線を返してきたのは、卓の向かいのいちばん奥に座っていた年配の男だった。白いものの混じった髭を短く整えていて、書付の縁の色は深い紺色だった。男は伊勢の方を見て、低い声で言った。


「鑑定の、卓へ、ようこそ」


伊勢はその語を一度だけ頭の中で受け止めた。


(鑑定)


「お招きありがとうございます」


髭の男はそれから卓の上の自分の書付の縁を、指の先で軽く揃え直した。卓の右手側に座っていたもう少し若い男が、髭の男の所作の合間に軽く口を開いた。


「街では、何と」


「査定、と」


「査定」


若い男はその語を口の中でもう一度繰り返した。それから髭の男の方を見た。髭の男は書付の縁から指を離して伊勢の方に視線を戻した。


「査定、ね」


それだけ言って、笑いも何もしなかった。卓の左手側に座っていた女が書付の角を一度だけ動かして、伊勢の方に向き直った。年は伊勢と同じくらいに見えた。書付の縁の色は薄い方だった。


「同じものですか」


伊勢は女の顔を見た。問い方がまっすぐだった。


伊勢はすぐには答えなかった。卓の上に置かれた自分の書付の束を一度見て、それから視線を上げた。


「——たとえば、ですが」


伊勢は卓の真ん中の辺りを、軽く右手で示した。


「ここに、一束の薬草が置かれているとします。乾かして束ねた、初心者でも使える薬草です」


髭の男は何も言わなかった。女は伊勢の右手の先を見ていた。


「これに、等級を付けます。乾き具合、葉の傷み、束ね方の揃い方を見て、上から三段目、と書きます。書いた紙を、薬草に付けます」


伊勢はそこで一度、間を置いた。


「ここまでが、こちらで仰る鑑定だと思います」


髭の男が小さくうなずいた。


「街では、その続きまで含めて、査定と呼んでいました」


「続き」


若い男が短く繰り返した。


「三段目の薬草は、初めて街の外に出る冒険者の腰に挿さってこそ意味があります。腕の立つ冒険者の手元にあったり、売れ残ったりすると、その薬草は使われずに乾いていきます。」


伊勢は卓の上で、見えない薬草の束を、軽く左の方へ動かす所作をした。


「等級を付けるところと、その薬草をどの棚の、どの高さに、どれくらいの数置くか。そこを別の人間が別の部屋で決めていたときに、棚の上で乾く薬草と、本当に欲しい人に行き渡らない薬草の両方が同じ店の中で出ました」


部屋の中の音が、一度、低くなった。


「街ではそれを何度か繰り返したあとで、薬草に等級を付ける人間が、商売の棚を見にいくようになりました。商人の方からも、等級の話を聞きにくるようになりました」


伊勢は卓の上の右手を、自分の方へ軽く引き戻した。


「街で査定と呼んでいたのは、そういう、行ったり来たりまで、含めた仕事のことでした」


髭の男は卓の上で組んでいた両手の指を、一度だけほどいた。それから組み直した。


「行ったり来たり」


「ええ」


「ここでは、それは、別の人間の仕事だ」


髭の男は低い声のまま続けた。


「鑑定の卓は、物に、名前と等級を付ける。棚を見にはいかない。聞かれれば答える、それだけだ」


伊勢はその言葉を頭の上で一度だけ受け止めた。


(紙の上の話だけで返したら、お前は向こうの形になって戻ってくる)


上着の内側の、書簡とは別の側のポケットに入れた石の、わずかな重みが、肋骨のあたりに当たっていた。卓の縁に置いた自分の手のひらを軽く開いて、また閉じた。


「分かりました」


伊勢はまずそう返した。


「ここでは別の人間の仕事になっている、ということは、分かりました。ただ、その別の人間が棚を見にいけないままでいたときに、事実、街では薬草が乾き、等級を満たさないものが売れました。

そうしたら果たして、冒険者は何を信じればよいのでしょうか?今の状態だけを見て仕事をすれば、いつかそのツケは回ってきます。」


部屋の中の音が、もう一段、低くなった。


髭の男は伊勢の顔をしばらくの間、見ていた。視線は揺れなかった。それから軽く息を吐いた。


「それは街の話だ」


「ええ」


「ここで、話す価値があるかどうかは、まだ分からん」


髭の男はそれから卓の上の自分の書付の束を、軽く右手で押さえた。


「明日からの議論で、その話がどこに当てはまるか、こっちで考える」


伊勢は軽くうなずいた。


「お願いします」



最初の日の集まりは、それから議題の輪郭をなぞる話で半刻ほど続いた。伊勢は髭の男と若い男と薄い縁の女の話の合間に、自分の側の意見を二度だけ口にした。あとは聞いていた。


最初は卓の自分の前の書付を見たままだった男だけは、最後まで一度も顔を上げなかった。書付の縁の色は深い紺色でも薄い色でもなく、その中間のような灰色がかった色だった。


日が高くなった頃に、髭の男が卓の上の書付の束を閉じた。


「明日も同じ時間に」


「うん」


ハルカが卓の向かい側で軽くうなずいた。



建物を出てから、ハルカは来た時と同じ通りを宿の方角へ戻り始めた。


「最初の日にしては、よく話してた」


「そうですか」


「うん」


ハルカはそれから少しだけ笑った。


「あの髭の人は、最初の日はよくああいう言い方をする。話す価値があるかどうかは、こっちで考える、って。聞いてないように見えて、いちばん聞いてる」


伊勢はハルカの横顔を見た。


「いちばん、聞いてる」


「うん」


通りの音の層の中で、書付の縁を揃える指先の所作が、伊勢の頭の中で一度だけ甦った。


「いちばん最後まで顔を上げなかった人は」


伊勢は続けて聞いた。


ハルカは少しだけ歩く速さを落とした。


「あの人は——明日、話す」


それだけだった。



宿に戻ると、ルカは寝台の窓に近い方の縁に腰掛けて、空の布の袋を膝の上に置いていた。袋の中には何も入っていなかった。


伊勢が入っていくと、ルカは顔を上げた。


「おかえり」


「ただいま戻りました」


伊勢は上着の内側のポケットから石を取り出した。両手で軽く包んでから卓の上に置いた。


ルカはその石をしばらく見ていた。


「重かった?」


「いえ。軽かったです」


「ふぅん」


ルカはそれからニコッと笑った。


「それで、いいの」


大人びた語尾だった。伊勢は卓の上の石をもう一度両手で包んでから、ポケットには戻さずに、卓の上のルカから見える側の端に置いた。


窓の外の建物の屋根の向こうで、空の色が昼の側へゆっくり傾いていた。

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