表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
64/104

伝えること

 石化木を運ぶのは明日の昼の予定だった。だが、棚の据え置き場所は決まっている。本数も決まっている。今日はもう、行く必要はなかった。


 ただ、ブリジットの顔を見ておきたかった。理由はうまく言葉にならなかった。昨日の発注の話が、自分の中で短すぎた気がしていた。「同じ寸法でいいんだな」「材は」——あれだけで終わる話のはずではなかった。少なくとも、自分の側では。


(一回、寄ろう)


 通りを折れて、工房の煙突が見えてきた。煙は細く立っていた。



 扉を押すと、火の音が鼓膜に当たった。マルコは作業台の前にいた。今日は布で台を拭いてはいなかった。新しい木材を寸法ごとに並べている。明日からの仕事の準備だった。


「あ、伊勢さん」


 マルコが顔を上げた。煤がまた頬についている。


「ブリジットさんは」


「奥にいます。さっき、リリアさんが来てましたよ」


 手が止まった。


「リリアが」


「はい。書類届けに来たって。少しだけ話して、帰っていきました」


 マルコはそれだけ言って、また木材の方へ目を戻した。書類のことだろうと思っているらしかった。書類で来たのなら、仕事だ。仕事なら、自分が行ったあとの時間でも、おかしくはなかった。


 ただ——リリアが工房に来たのは、たぶん、初めてではないが、頻繁ではなかった。


 伊勢は奥の部屋に向かった。



 ブリジットは作業台に向かっていなかった。


 工具棚にもたれて、腕を組んでいた。火床は炭を落として、薄く赤いだけだった。鉄工用の刃は、布の上に置かれたままだった。今日は油を塗っている途中ではなかった。さっきまで塗っていた、という置かれ方だった。


「来たね、海人」


 ブリジットは振り向かずに言った。声は、低かった。いつもの「最高!」のときの抜けた高さは、そこになかった。


「あ、はい」


「マルコから聞いた?」


「リリアが来た、と」


「それだけ?」


 ブリジットがこちらを向いた。腕は組んだままだった。瞳の奥に、火の前にいるときの熱とは違う種類の熱があった。怒っている、というより、何かを飲み込みかけている顔だった。


 伊勢は、少しだけ間を置いて、


「リリアが、何か」


「中央の話、聞いたよ」


 ブリジットは短く言った。


 伊勢の足が、半歩だけ止まった。



「半年で戻る、って話でしょ」


「……はい」


「二十日で答え出さなきゃいけない、っていう」


「はい」


「いつから知ってたの」


「三日前です」


 ブリジットは鼻から息を吐いた。長い息だった。それから、ようやく腕をほどいた。


「昨日、来たじゃない」


「はい」


「あと二本削ってくれ、って言ったじゃない」


「言いました」


「同じ寸法だな、って、私は普通に答えたよ」


「ええ」


 ブリジットはそこで言葉を切った。次の言葉を、口の中で組み直しているのが分かった。


「海人、さあ」


 と一度言って、


「先に言ってよ」


 と言った。


 怒鳴ってはいなかった。声は低いままだった。だからこそ、その低さの中に、収まりきらない感情が入っているのが、はっきり聞こえた。



「すみません」


 伊勢は素直に言った。言い訳の言葉を探さなかった。探しても、たぶんブリジットの顔は晴れない。


「すみません、じゃないよ」


 ブリジットは工具棚から離れて、火床の方へ二歩歩いた。それから、戻ってきた。歩く目的のない動きだった。


「私はさ、海人があと二本って言うから、あと二本削るつもりで刃を研いでた」


「はい」


「明日、石化木が来る。来週、二本目に入る。再来週、三本目だ。そうやって、頭の中で並べてた」


「はい」


「その三本目を、海人は見ないかもしれないんでしょ」


 伊勢は、答えなかった。答えられなかった、というほうが近かった。


 半年で戻る、と言われている。三本目の石化木が削り上がるのは、その「半年」の境目に近い。自分が見届けない可能性は、たしかにあった。昨日、ブリジットの前で発注したとき、そのことを、自分は意識から外していた。


 外していた、というよりも——意識すると発注ができなくなる気がして、外した。


「先に言ってくれてもよかったじゃない」


 ブリジットの声が、少しだけ揺れた。



「言わない方がいい、と思いました」


 伊勢はゆっくり言った。


「決まってもいないことを伝えて、仕事の手を鈍らせたくなかった」


「私の手が鈍るかどうか、海人が決めるの?」


 ブリジットの声が、また低くなった。今度の低さは、さっきとは別の温度だった。


「すみません」


「そうじゃないんだよ」


 ブリジットは首を振った。


「謝ってほしいんじゃないの。私はあと二本削る。三本目もだ。それは決まってる。決まってることに、海人の半年は関係ない」


「……はい」


「ただ、海人が今ここにいるのに、知ってるのを私だけ知らなかった、っていうのが——」


 ブリジットはそこで止めた。


 止めたまま、しばらく何も言わなかった。火床の薄い赤を見ていた。


 言葉の続きは、出てこなかった。



 工房の中が、しんと音を落とした。マルコの作業の音は、扉一枚向こうから細く聞こえていた。


 伊勢は、自分の足元の床板を見た。粉が薄く残っていた。昨日まで、ここで石化木を削っていた粉だった。


(言ってくれてもよいじゃないか、と——たぶん、そう言いたかった)


 ブリジットは言わなかった。最後まで言葉にしなかった。代わりに、火床の赤を見て、息を整えていた。


 伊勢は、自分が昨日の発注のとき、淡々と話したことを思い出していた。同じ寸法、底の厚み、口径、それで終わらせた。あれは、自分にとっての「動いていた方が考えやすい」だった。だが、ブリジットにとっては、ただの発注だった。何も渡されていない発注だった。


 それは、たぶん、不誠実な順序だった。



「ブリジットさん」


 伊勢は顔を上げた。


「まだ、答えは出していません」


「うん」


「半年で戻るかどうかも、決めていません」


「うん」


「でも、決まっていないからこそ、先に伝えるべきでした」


 ブリジットは、ようやくこちらを向いた。火床の赤がまだ瞳に残っていた。


「そうだね」


「すみません」


「謝るな、って言ったでしょ」


 ブリジットは少し笑った。笑いには、まだ少し棘が残っていた。


「私はさ、海人にとっての発注先かもしれないけど」


 ブリジットは、それから一拍置いて、


「発注先だけじゃない、と思ってるからね」


 と言った。


 火の前で言うには、その声はずいぶん静かだった。



「はい」


 伊勢は短く返した。


 何かを長く返す言葉は、たぶん、ここでは要らなかった。


 ブリジットは工具棚の方へ戻って、刃をもう一度手に取った。布を当てて、油を塗り直し始めた。さっきまでの止まっていた手つきとは違って、いつもの動きだった。


「明日、石化木、運んでこい」


「はい」


「同じ寸法だ」


「はい」


「あと二本、ちゃんと削るよ」


「お願いします」


 それで、話は終わった。


 ブリジットはこちらを見なかった。だが、肩のこわばりは、少しだけ抜けていた。



 工房を出ると、夕方の光が通りに伸びていた。


 マルコは作業台で木材を測っていた。伊勢が出ていくのには気づいていたが、声はかけなかった。子供ながらに、奥の部屋で何が話されたかを、たぶん、半分くらいは察していた。


 通りを歩きながら、伊勢はリリアの顔を思い浮かべた。


 書類を届けに来たついでに、ブリジットに伝えたのだろう。リリアが、自分から伝える側に回った。それは、リリアにしては——いや、リリアだからこそ、できたことだった。「先回りされても悪い気がしない」と昨日言った人が、今日はブリジットに先回りした。


(先回り、ではなかったかもしれない)


 たぶん、リリアは、自分が言わないと伊勢が言わない、と思った。それで、自分が言うことを選んだ。仕事のついで、という形で。


 ギルドに戻ったら、礼を言うべきだろうか、と一瞬考えて、伊勢は首を小さく振った。礼を言うのは、たぶん違う。リリアはそれを望んでいない。


 ただ——昨日、リリアが何も聞かなかったとき、自分は「答えを急がせない、ということが、これほど助かるとは、思っていなかった」と思った。


 今日は、それと別のことを思っていた。


 答えを急がせない、というのと、何も伝えない、というのは、別のことだ。リリアは、そこを分けていた。自分は、分けていなかった。



 ギルドに戻ると、リリアはカウンターで書類を整えていた。


 伊勢が席に着くと、リリアは目を上げた。今日も、口元だけで小さく笑った。


「工房、行ってきました」


「そう」


「ブリジットさんに、怒られました」


 リリアは、書類を揃える手を一度だけ止めた。それから、また揃えた。


「先に言え、って」


「ああ」


「リリアが伝えたんですね」


 リリアは少し、間を置いた。


「書類のついでに」


「はい」


「ついでに、しただけ」


 リリアはそう言って、書類を脇に寄せた。それ以上の説明はなかった。


 伊勢は、自分の机に書類を広げた。ペンを取った。


 動いていた方が、考えやすい。だが、動きながら、誰に何をいつ伝えるか——その順序は、自分一人で組まなくてもいい、ということが、今日少しだけ分かった。


(先に、言うべきだった)


 その思いは、明日からの自分の動き方を、たぶん少しだけ変える。



 夜、ギルドを出ると、空はまだ少しだけ明るかった。


 伊勢は宿への道を歩いた。十九、という数字を、また一度だけ思い浮かべた。それから、脇に置いた。


 脇に置く前に、もう一つだけ、思った。


 明日、石化木を運んだら、ブリジットにもう一度、ちゃんと話そう。半年で戻るかどうか、まだ決まっていない、と。決めるときには、伝える、と。


 それは、答えではなかった。順序の話だった。


 だが、今日の自分には、答えよりも、順序のほうが、先に必要だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ