削れるかどうかは、触ってみないとわからない
翌朝、ラッジの店に入ると、すでに奥から木材を引き出している音がしていた。
伊勢が「おはようございます」と言うと、振り向かないまま「昨日頼まれると思った」とラッジが返した。
「早いですね」
「夕方、おまえの顔を思い出したんだ。あの流れなら次は絶対これだ、と」
ラッジが木材を一本、カウンターに置いた。灰みがかった茶色で、見た目は普通の木材と変わらない。ただ、置いた音が重かった。鈍い、詰まった音。
「これが石化木です」
「そうだ」
伊勢は手を伸ばした。持ち上げると、予想より重い。同じ太さの木材の感覚で掴むと、手首が少し驚く。
「表面は……木のままですね」
「石っぽくはない。でも中が違う。目が詰まっている」
ラッジがカウンターの下から布を出し、端の方に水をかけた。水は表面で粒になって転がる。染み込んでいかない。
伊勢はしばらくその様子を見ていた。
「加工は、工房でできますか」
「ブリジットが見てから言う話だ。俺にはわからない」
答えは予想通りだった。伊勢はうなずいた。
「何本か借りられますか。まずサンプルとして持っていきます」
「倉庫に十数本はある。必要な分は言え」
ラッジが布で水を拭いて、木材を端に寄せた。それ以上は言わない。準備だけして、あとは任せる、という置き方だった。
◆
工房には昼前に着いた。
マルコが入口近くで作業していた。伊勢が石化木を抱えて入ると、目線を上げて「重そうですね」と言った。
「重い」
「石化木ですか」
「知っていますか」
「聞いたことはある。見るのは初めてです」
マルコが立ち上がって近づいてきた。伊勢が置くと、マルコが同じように持ち上げる。少し目が丸くなった。
「本当に重い。これ、同じ太さの杉の倍くらいある気がします」
「ラッジがそう言っていました」
奥からブリジットが出てきた。マルコが持っている木材を見て、すぐに「石化木か」と言った。
「持ってこられました」
ブリジットは何も言わずに歩いてきて、マルコの手から受け取った。持ち上げて、ひっくり返す。表面を指の腹でなぞる。爪で軽く引っ掻く。それだけで、顔に何かが動いた。
「硬い」
「通常の鑿では歯が立たないとラッジが言っていました」
「立たない。これは鑿じゃない」
ブリジットが作業台に置き、腕を組んだ。しばらく黙っている。マルコも声を出さなかった。
「削れないわけじゃない」
やがてそれだけ言った。
「専用の刃がいる。それと、形を決めてから削らないと無駄が出る。やり直しが利かない材だ」
「どういうことですか」
「普通の木材なら、削りすぎたらまた削って調整できる。これは硬すぎて修正が難しい。寸法を先に決めて、そこに合わせて一発で削る」
伊勢はその言葉を受け取った。
(一発で、か)
工房でのやり方が変わる。失敗の余白が小さい。それはブリジットとマルコが引き受ける負担の話だった。
「作れますか」
「作れないとは言っていない。ただ、どういう形にするかを先に教えろ。口の大きさ、深さ、底の厚み。それが決まってから、こちらの話だ」
伊勢がうなずいて、帰ろうとした、そのとき。
「詰め替えるとき、こぼれない?」
声がした。
工房の隅、材木が立てかけてある場所の陰から、ルカが出てきた。いつからいたのかわからない。音もなかった。
マルコが少し目を丸くした。ブリジットは表情を変えなかった。
伊勢はルカの方を向いた。
「こぼれる?」
「親容器から子容器に入れるとき」
ルカが石化木のかけらを指した。小さな手が、口の形を示す。
「口の大きさが同じだと、入れにくい。でも大きすぎると、蓋がいる」
それだけ言って、ルカは黙った。
工房が静かになった。
伊勢は少しの間、何も言わなかった。
(口径の差、か)
親容器の口を、子容器より少し広くとる。詰め替えやすくする。でも広くしすぎれば蓋が必要になって、加工が増える。その間のどこかを取る。単純なことだった。でも、伊勢はそこまで考えていなかった。「合わせる」とだけ思っていた。
「……そうだな」
伊勢がメモを取り出した。ルカはもう材木の方に視線を移していた。
ブリジットが口を開いた。
「悪くない問いだ」
ルカに言ったのか、伊勢に言ったのか、判然としない声だった。
「口径は親容器の内側で決める。子容器の外径より五分ほど大きくとれば入れやすい。蓋は、布で押さえる程度でいい——液体が飛ばない速さで注ぐなら」
伊勢が書き留めた。ブリジットが続ける。
「深さは、子容器の倍は欲しい。底は厚くとる。据え置きなら、倒れたときの衝撃に耐えられるだけ」
数字が並んでいく。ルカの一言がなければ、口径の話は今日は出なかった。「形を決めてこい」という言葉を受けて、持ち帰るだけで終わっていた。
(あの子は、何を見ているんだろう)
メモを取りながら、伊勢は少し考えた。答えは出なかった。ただ、出なくていい気もした。
「サンプルを削る前に、一度木で試作する。石化木で直接やれば失敗できない」
ブリジットが言った。
「わかりました」
「それからだ。形が確認できてから、石化木に入る」
ブリジットは石化木を作業台に戻した。これ以上は今日の話ではない、という置き方だった。
伊勢は工房を出た。ルカはまだ材木の陰にいた。
◆
石畳の上で、少し立ち止まった。
メモに寸法が並んでいる。口径、深さ、底の厚み。三つの数字が決まれば、木で試作できる。試作が通れば、石化木に入れる。手順が見えていた。
ルカが工房にいた理由は、わからない。ついてきたのかもしれないし、先に入っていたのかもしれない。ただ、あの問いがなければ、今日の話はここまで進まなかった。
空はまだ高かった。市場のにおいが、どこか遠くから混ざり始めていた。
伊勢は歩き始めた。
◆
工房を出た伊勢は、ギルドに寄った。リリアに報告するためではなく、少し考えるために、いつも座っている席に座りたかった。
窓から光が入っていた。シャウプはいなかった。リリアが書類を広げていて、伊勢が席に着くと「どうだった」と聞いた。
「削れるとのことです。試作を一本通してから石化木に入るそうで」
「口径の話、まとまったんだね」
「ええ。……子容器より少し広くとる方向で」
「誰が気づいたの」
伊勢は少し間を置いた。
「工房にいた子どもが、先に問いを立てました」
リリアが顔を上げた。何かを言いかけて、やめた。代わりに「そうか」とだけ言って、書類に目を戻した。
◆
夕方、ケインがギルドの廊下を歩いていたとき、伊勢とすれ違った。
「お疲れ様です」
「お疲れ様」
それだけだった。ケインは振り返らずに歩いた。
何かが進んでいる、とは思う。液体回復薬のことも、護衛の仕組みも。自分はその端に立っていて、なかを見ているわけではない。でも、端から見えるものはある。
掲示板の前で依頼票を確認していると、後ろからエナが来た。
「今日は何を取った」
「採掘エリアの護衛です。往復で」
「何事もなかったか」
「はい」
エナが隣に立って、掲示板を見た。しばらく黙っていた。
「液体の方、親容器の話が進み始めたらしい」
「そうなんですか」
「ラッジが朝に話していた。石化木のサンプルを出したと」
ケインは「そうか」と思った。自分が関わっているわけではないが、知っている流れの先の話だ。
「ケインは、その辺の仕組みに関わりたいと思うか」
エナが聞いた。試すような言い方ではなかった。ただ確認する、という声だった。
「……関わりたいとは思いますけど、どう関わればいいかはわからないです」
「それでいい」
エナが掲示板から目を離した。
「わかってから動こうとすると、動けなくなる。わからないまま近くにいる、でいい」
ケインは少し間を置いた。それは自分への言葉でもあるが、エナ自身が長く持っている考え方でもある気がした。
「エナさんはそうやってきたんですか」
「だいたいは」
それだけで、エナは掲示板から離れた。ケインはしばらくそこに立っていた。




