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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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削れるかどうかは、触ってみないとわからない

翌朝、ラッジの店に入ると、すでに奥から木材を引き出している音がしていた。


 伊勢が「おはようございます」と言うと、振り向かないまま「昨日頼まれると思った」とラッジが返した。


「早いですね」


「夕方、おまえの顔を思い出したんだ。あの流れなら次は絶対これだ、と」


 ラッジが木材を一本、カウンターに置いた。灰みがかった茶色で、見た目は普通の木材と変わらない。ただ、置いた音が重かった。鈍い、詰まった音。


「これが石化木です」


「そうだ」


 伊勢は手を伸ばした。持ち上げると、予想より重い。同じ太さの木材の感覚で掴むと、手首が少し驚く。


「表面は……木のままですね」


「石っぽくはない。でも中が違う。目が詰まっている」


 ラッジがカウンターの下から布を出し、端の方に水をかけた。水は表面で粒になって転がる。染み込んでいかない。


 伊勢はしばらくその様子を見ていた。


「加工は、工房でできますか」


「ブリジットが見てから言う話だ。俺にはわからない」


 答えは予想通りだった。伊勢はうなずいた。


「何本か借りられますか。まずサンプルとして持っていきます」


「倉庫に十数本はある。必要な分は言え」


 ラッジが布で水を拭いて、木材を端に寄せた。それ以上は言わない。準備だけして、あとは任せる、という置き方だった。



 工房には昼前に着いた。


 マルコが入口近くで作業していた。伊勢が石化木を抱えて入ると、目線を上げて「重そうですね」と言った。


「重い」


「石化木ですか」


「知っていますか」


「聞いたことはある。見るのは初めてです」


 マルコが立ち上がって近づいてきた。伊勢が置くと、マルコが同じように持ち上げる。少し目が丸くなった。


「本当に重い。これ、同じ太さの杉の倍くらいある気がします」


「ラッジがそう言っていました」


 奥からブリジットが出てきた。マルコが持っている木材を見て、すぐに「石化木か」と言った。


「持ってこられました」


 ブリジットは何も言わずに歩いてきて、マルコの手から受け取った。持ち上げて、ひっくり返す。表面を指の腹でなぞる。爪で軽く引っ掻く。それだけで、顔に何かが動いた。


「硬い」


「通常の鑿では歯が立たないとラッジが言っていました」


「立たない。これは鑿じゃない」


 ブリジットが作業台に置き、腕を組んだ。しばらく黙っている。マルコも声を出さなかった。


「削れないわけじゃない」


 やがてそれだけ言った。


「専用の刃がいる。それと、形を決めてから削らないと無駄が出る。やり直しが利かない材だ」


「どういうことですか」


「普通の木材なら、削りすぎたらまた削って調整できる。これは硬すぎて修正が難しい。寸法を先に決めて、そこに合わせて一発で削る」


 伊勢はその言葉を受け取った。


(一発で、か)


 工房でのやり方が変わる。失敗の余白が小さい。それはブリジットとマルコが引き受ける負担の話だった。


「作れますか」


「作れないとは言っていない。ただ、どういう形にするかを先に教えろ。口の大きさ、深さ、底の厚み。それが決まってから、こちらの話だ」


 伊勢がうなずいて、帰ろうとした、そのとき。


「詰め替えるとき、こぼれない?」


 声がした。


 工房の隅、材木が立てかけてある場所の陰から、ルカが出てきた。いつからいたのかわからない。音もなかった。


 マルコが少し目を丸くした。ブリジットは表情を変えなかった。


 伊勢はルカの方を向いた。


「こぼれる?」


「親容器から子容器に入れるとき」


 ルカが石化木のかけらを指した。小さな手が、口の形を示す。


「口の大きさが同じだと、入れにくい。でも大きすぎると、蓋がいる」


 それだけ言って、ルカは黙った。


 工房が静かになった。


 伊勢は少しの間、何も言わなかった。


(口径の差、か)


 親容器の口を、子容器より少し広くとる。詰め替えやすくする。でも広くしすぎれば蓋が必要になって、加工が増える。その間のどこかを取る。単純なことだった。でも、伊勢はそこまで考えていなかった。「合わせる」とだけ思っていた。


「……そうだな」


 伊勢がメモを取り出した。ルカはもう材木の方に視線を移していた。


 ブリジットが口を開いた。


「悪くない問いだ」


 ルカに言ったのか、伊勢に言ったのか、判然としない声だった。


「口径は親容器の内側で決める。子容器の外径より五分ほど大きくとれば入れやすい。蓋は、布で押さえる程度でいい——液体が飛ばない速さで注ぐなら」


 伊勢が書き留めた。ブリジットが続ける。


「深さは、子容器の倍は欲しい。底は厚くとる。据え置きなら、倒れたときの衝撃に耐えられるだけ」


 数字が並んでいく。ルカの一言がなければ、口径の話は今日は出なかった。「形を決めてこい」という言葉を受けて、持ち帰るだけで終わっていた。


(あの子は、何を見ているんだろう)


 メモを取りながら、伊勢は少し考えた。答えは出なかった。ただ、出なくていい気もした。


「サンプルを削る前に、一度木で試作する。石化木で直接やれば失敗できない」


 ブリジットが言った。


「わかりました」


「それからだ。形が確認できてから、石化木に入る」


 ブリジットは石化木を作業台に戻した。これ以上は今日の話ではない、という置き方だった。


 伊勢は工房を出た。ルカはまだ材木の陰にいた。



 石畳の上で、少し立ち止まった。


 メモに寸法が並んでいる。口径、深さ、底の厚み。三つの数字が決まれば、木で試作できる。試作が通れば、石化木に入れる。手順が見えていた。


 ルカが工房にいた理由は、わからない。ついてきたのかもしれないし、先に入っていたのかもしれない。ただ、あの問いがなければ、今日の話はここまで進まなかった。


 空はまだ高かった。市場のにおいが、どこか遠くから混ざり始めていた。


 伊勢は歩き始めた。



 工房を出た伊勢は、ギルドに寄った。リリアに報告するためではなく、少し考えるために、いつも座っている席に座りたかった。


 窓から光が入っていた。シャウプはいなかった。リリアが書類を広げていて、伊勢が席に着くと「どうだった」と聞いた。


「削れるとのことです。試作を一本通してから石化木に入るそうで」


「口径の話、まとまったんだね」


「ええ。……子容器より少し広くとる方向で」


「誰が気づいたの」


 伊勢は少し間を置いた。


「工房にいた子どもが、先に問いを立てました」


 リリアが顔を上げた。何かを言いかけて、やめた。代わりに「そうか」とだけ言って、書類に目を戻した。



 夕方、ケインがギルドの廊下を歩いていたとき、伊勢とすれ違った。


「お疲れ様です」


「お疲れ様」


 それだけだった。ケインは振り返らずに歩いた。


 何かが進んでいる、とは思う。液体回復薬のことも、護衛の仕組みも。自分はその端に立っていて、なかを見ているわけではない。でも、端から見えるものはある。


 掲示板の前で依頼票を確認していると、後ろからエナが来た。


「今日は何を取った」


「採掘エリアの護衛です。往復で」


「何事もなかったか」


「はい」


 エナが隣に立って、掲示板を見た。しばらく黙っていた。


「液体の方、親容器の話が進み始めたらしい」


「そうなんですか」


「ラッジが朝に話していた。石化木のサンプルを出したと」


 ケインは「そうか」と思った。自分が関わっているわけではないが、知っている流れの先の話だ。


「ケインは、その辺の仕組みに関わりたいと思うか」


 エナが聞いた。試すような言い方ではなかった。ただ確認する、という声だった。


「……関わりたいとは思いますけど、どう関わればいいかはわからないです」


「それでいい」


 エナが掲示板から目を離した。


「わかってから動こうとすると、動けなくなる。わからないまま近くにいる、でいい」


 ケインは少し間を置いた。それは自分への言葉でもあるが、エナ自身が長く持っている考え方でもある気がした。


「エナさんはそうやってきたんですか」


「だいたいは」


 それだけで、エナは掲示板から離れた。ケインはしばらくそこに立っていた。

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