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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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そういう話じゃなかった

 工房の朝は削る音から始まる。


 マルコが作業台の前に座り、鑿を小さく動かしていた。試作品の口の部分を薄く削っている。壁が厚すぎれば重くなる。薄くしすぎれば割れる。その間のどこかを、手の感覚で探っている。


 ブリジットは離れた場所から、その手元を見ていた。


「底は」


「昨日より締まってます。でもまだ」


 マルコが試作品に水を入れ、逆さにした。しばらくして、指の腹に湿り気が伝わった。布で拭けばわかる程度だが、漏れていることは漏れている。


 ブリジットは腕を組んだ。継ぎ目を接着剤で固める方法は試した。乾燥後に収縮して、かえって隙間ができた。一体削りにすれば継ぎ目はなくなるが、口が狭くなって詰め替えが手間になる。どこかを立てれば、どこかが倒れる。



 昼を過ぎたころ、伊勢がやってきた。


「どうですか」


「まだ漏れる」


 ブリジットは試作品をひとつ差し出した。伊勢は逆さにして少し持ち、静かに戻した。


「急ぎませんから」


「……一つ、聞いていいか」


 ブリジットは作業台に背をもたせた。


「あれは、余った在庫を減らすための話だったはずだ。道具屋の棚を少し空けて、保存を延ばして——それで終わりのはずだった」


 伊勢は答えず、続きを待った。


「ラッジのところで聞かれているというのは知っている。でも、量産するとなると話が変わる。今のやり方は一度に少ししか作れない。設備も手順も、そこまで考えていない」


 工房の中が静かになった。マルコが手を止めているのが、視界の端に映った。


「量産、という話になってきているんですか」


 伊勢が言った。断定ではなく、確認するような言い方だった。


「そういう声が出てきているなら、そうなる。需要が先に走っている」


 ブリジットの声は平坦だったが、どこか釘を刺すような響きがあった。できる、できないの話ではなく、順序が違う、という意味だった。


「今の工房で無理に増やせば、質が落ちる。それは困る」


 伊勢はしばらく黙っていた。在庫処理の延長で動いていた話が、いつの間にか需要に引っ張られている。自分でもうっすら気づいていたが、こうして言葉にされると輪郭がはっきりした。


「続けるかどうか、考え直す必要があるということですね」


「少なくとも、今のままで応えようとするのは無理だ。どうしたいのかを決めてから、また来い。こちらはその後の話だ」


 ブリジットは試作品を作業台に置いた。それ以上は言わなかった。



 工房を出た伊勢は、しばらく石畳の上に立っていた。


 需要が出てきたのは悪いことではない。でも、需要に応えるための仕組みが何もない。設備も、手順も、人も。在庫処理の話として始めたから、そこまで考えていなかった。


(どうしたいのか、か)


 答えは出ないまま、歩き始めた。



 翌朝。ケインがギルドに着いたとき、掲示板の前で声がしていた。


 中堅どころの冒険者が、小さな木の容器を手に持ちながら話していた。三人ほどが聞いている。


「組んだ先輩に少し分けてもらった。効き目は強くないけど、すぐ出せるのがいい」


「どこで売ってる?」


「まだ表には出てないらしい。持ってる人から、という感じで」


 ケインは近づかずに聞いていた。エナが以前「液体にすれば持ち運びやすい」と言っていたのを思い出した。それが今、掲示板の前の会話になっている。


(広まってる)


 自分が関わった話ではない。でも、知っている流れの先にある光景だった。



 その日の護衛依頼は、採掘エリアまでの往復だった。


 ケインは後ろを歩きながら、依頼人である採掘師二人組の足取りを見ていた。ペースは一定で、荷物の揺れ方も安定している。慣れた人間の歩き方だ。


「最近、護衛つけて来る採掘師が増えたな」


 前を歩く片方が言った。


「単純に、安心料として払うやつが増えた感じがする」


 ケインは何も言わなかった。ただ、その言葉を聞きながら、自分の足が少し軽くなった気がした。剣を抜かなかった一日が、ここに積み重なっている。



 帰り道、偶然エナと一緒になった。


「ギルドで聞きました。液体のやつ、口コミで広まってるみたいで」


「そうか」


 エナは多くを語らなかった。ただ少し間を置いてから、ぽつりと言った。


「広まるのはいい。ただ、広まった先に何があるかを考えないといけない」


「どういうことですか」


「需要が出れば、量がいる。量を作るには、今とは違うやり方がいる。今はまだ、そこまで追いついていない」


 ケインには詳しい段取りはわからなかった。でも、エナが目の前の話ではなく、もう少し先のことを見ていることは伝わった。


「難しいんですね」


「悪い話じゃない。ただ、順番がある」


 エナはそれだけ言って、角を曲がっていった。ケインはしばらくその背中を見ていた。


 石畳の先で、夕方の市場のにおいが混ざり始めていた。

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