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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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口から口へ

 ギルドの詰め所は、朝の空気をまだ残していた。


 窓から差し込む光が、カウンターの木目をなぞっている。伊勢は手元の書類に目を落としながら、シャウプの声を待った。


「先月と比べると、護衛依頼の成立件数は三割増し。キャンセルは一件だけだ」


 シャウプが羊皮紙を置く。数字は淡々としていた。けれど、淡々としているほど、中身は確かだと伊勢は思う。


「採取者側の苦情は?」


「ほぼ出ていない。最初の週は『余分な費用だ』という声がちらほらあったが——今は聞かなくなった」


 リリアが隣で手元に目線を落とし、小さく書き込みをしている。伊勢はそれを視界の端に収めながら、もう一度数字を見た。


(思ったより早い)


 強制にしたから動いた、ではなく、動いた結果が数字になっている。そこが違う、と伊勢は感じていた。



 午後。伊勢は道具屋に寄った。補充の確認ではなく、ただの立ち話のつもりだった。


 ラッジは奥の棚に背を向けて、木箱の整理をしていた。入口の鈴が鳴っても振り向かないのはいつものことで、伊勢は黙って待つ。


「今日は何の用だ」


「特には」


 ラッジが振り向く。少しだけ眉を上げて、また棚に向き直った。


「最近、冒険者に聞かれることが増えた」


 なんの前置きもなかった。伊勢はカウンターに肘をついて、「何を」と返す。


「液体のやつだ。どこで売ってるか、と。まだ正式には扱っていないのにな」


 ラッジの声は平坦だった。驚いているわけでもない。ただ、事実として置いているような言い方だった。


「誰かから聞いたんだろう」


「だろうな。口だろう。誰かが誰かに、という」


 伊勢は少し黙った。


(口コミ、か)


 制度でも告知でもなく、自然に広がっている。それは予測の内だったが、こんなに早いとは思っていなかった。


「具体的にはどういう聞き方だ」


「『小さいやつで、少しだけ買える薬があると聞いた』——そういう言い方が多い。値段を聞いてくるやつもいる」


 伊勢は答えを引き延ばすように息を吸って、「まだ値段は決まっていない」と言った。


「知ってる」


 ラッジが棚から振り向いた。目は穏やかで、急かす気配はなかった。


「急かしてるんじゃない。そういう声が出てきてる、というだけだ」



 帰り道、リリアと並んで歩いた。


 石畳の隙間から草が伸びている。雨上がりの街は、においが変わる。リリアはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「根付いてきてる、って感じがするね」


「護衛の方か」


「うん。それも。液体の方も」


 伊勢は「そうだな」とだけ返した。根付く、という言葉は正確だと思った。植えた記憶がある。育っているかどうかは、しばらく見ないとわからない。でも今は、育っている気がした。


「焦らなくていいんだよな、こういうのは」


 リリアがぽつりと言った。独り言のようだったが、こちらに向けた言葉でもあった。


「そうだな」


「でもちょっとわくわくする」


 伊勢は少しだけ笑った。リリアも笑っていた。石畳の先に、夕方の市場のにおいが混ざり始めていた。



 その日の夜。


 シャウプは机の前に座って、引き出しを一度だけ引いた。開けず、また押し込む。


 書簡はまだそこにある。


 外では、誰かが笑い声を上げていた。少し遠い。


 シャウプは灯りを消した。

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