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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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通り過ぎた、だけ

 朝霧がまだ低く漂う時間帯、ダンジョン入口の石造りの門は薄灰色に沈んでいた。太陽はようやく建物の陰から顔を出したばかりで、冒険者たちの吐く息が白く、風もなく空中に溶けていく。


 ケインが気づいたのは、入口に近づいたときだった。採取者と護衛がペアで待機している組が、今日は三組いる。少し前まで、こんな光景はなかった。採取者が一人で入口に立っているのが当たり前で、誰かと並んでいるほうが珍しかった。


(いつの間に、こうなったんだろう)


 そう思いながら、ケインは今日の護衛対象——中年の男と、その弟子らしき若い女——の背後に立ち、あたりを見回した。隣に並ぶエナは腕を組み、正面を向いたまま動かない。表情は読めないが、目だけが静かに動いている。入口の端、荷物を整える冒険者たち、遠くで話し声、石畳の上を転がる小石。そのすべてを、順番に確かめているようだった。


「……思ったより、静かですね」


 ケインがつぶやくと、エナは視線を動かさずに答えた。


「そういう日もある。騒がしい日より、こういう日のほうが気が抜けなかったりするけど」


 少し間があって、エナがもう一言付け加えた。


「最近、こういう依頼が増えた。前はほとんどなかったのに」


 感慨があるわけでも、不満があるわけでもない。ただ事実として、そう言った。ケインは黙って前を向いた。(戦う前の空白が、いちばん長く感じられる——それはどうやら、どんな場面でも変わらないらしい)



 採取が始まると、ケインはひたすら後ろから目を配り続けた。攻撃ではなく、気配を読むことだけに集中する時間。松明の光が届かない壁際の暗がり、採取者が屈み込むたびに生まれる死角、水音が遠くで鳴るたびに硬直しそうになる自分の肩。それは今まで経験したどの狩りとも違う種類の緊張だった。


 エナは無駄な動きをしない。採取者が立ち止まるたびに自然に位置を変え、常に二人の間に自分が入るように動いている。声をかけるわけでも、指示を出すわけでもない。ただそこにいるだけで、場の空気が少し落ち着く——ケインにはそれがどうしても言葉にできなかった。


(こうやって、体で覚えていくものなのか)


 足元の砂利を踏む感覚に意識を落とし、ケインは自分の呼吸を整えた。



 帰り道、採取を終えた二人の足どりは行きよりいくらか軽かった。弟子の女が師匠の背中に向かって、小声で話しかけている。


「……やっぱり、違いますね。誰かいてくれると」


「そうだな」と師匠が短く返した。「前は一人で来てたから、帰り道がいちばん怖かった。荷物も増えてるし、疲れてるし」


 弟子が小さく笑う。師匠も口元をわずかに緩めた。


 ケインはその背中を見ながら、護衛というのは戦うだけではないのだと、改めて思った。剣を抜かなかった一日が、それでも誰かの役に立っていた。



 少し開けた通路に差しかかったとき、前方から足音が近づいてきた。


 大柄な体つき。手には大振りの剣を提げ、歩く速度は速く、迷いがない。松明の光を横から受けた顔は影が濃く、目だけが前をまっすぐ向いている。周囲に目を向ける様子はなかった——そのはずだった。


 すれ違う直前、相手がちらりとこちらを見た。


 視線がケインの上を一瞬流れ、エナの上を通り過ぎ、採取者二人の上で——止まった。ほんの数秒。値踏みではなく、確認でもない。何かを数えるような、静かな止まり方だった。


 次の瞬間には、もう通り過ぎていた。足音が遠ざかり、暗がりに消えていく。


「……今の、誰ですか」


 ケインが小声で聞くと、エナは前を向いたまま答えた。


「ユウト。最近よく見かける」


 それだけだった。採取者の二人は気づいた様子もなく、先を歩いている。



 ダンジョンを出ると、外の光が一気に広がった。霧はすっかり晴れ、石畳が朝の白い日差しを跳ね返している。ケインは目を細め、それから少しだけ後ろを振り返った。入口の闇はもうただの暗がりで、足音はどこにも残っていない。


 それでも、あの視線の止まり方がまだ頭の中にあった。


(採取者を見た。あの一瞬の止まり方——何かを、見ていた)


 何が引っかかったのか、うまく言葉にならない。敵意ではなかった。好奇心とも違う。ただ何かを確かめるような、あの目の静けさ。


 エナが先に歩き出す。ケインも続きながら、その疑問を胸の中に引っ張ったまま、今日の護衛任務は終わった。

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