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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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見えない価値

翌朝、ラッジは約束通り工房の扉を叩いた。

伊勢が開けると、老商人はいつものように飄々とした顔で立っていた。ただ、昨日より少しだけ早い時間だった。


「続きを聞かせてもらおうか」

短く言って、ラッジは中に入った。



工房の隅には、昨日の試作の痕跡がまだ残っていた。ブリジットが削った木片、細い棒、染みのついた布。エナがいくつか並べ直した葉のかけら。伊勢はそれらをちらりと見てから、丸椅子をラッジの前に置いた。


「昨日、うまく言えなかったんですが」

「うん」

「少し整理してきました」

ラッジは黙って腰を下ろした。

(昨日の「続きはまた明日」——あれはいつものラッジではなかった。急かさず、でも確かに待っていた。)

伊勢は言葉を選びながら、話し始めた。



「まず、草のままだとかさばりますよね」

「そうだな」

「回復薬草を一種類並べるだけで、棚の一段が埋まる。状態を保つために重ねられないし、湿気にも気を使う。ラッジさんの店、薬草の棚、いつも窮屈そうにしてますよね」


ラッジは少し目を細めた。

「見てたのか」

「何度か寄らせてもらってるので」

伊勢は続けた。

「液体にして小さな瓶に詰めれば、同じ棚に三倍か四倍の種類を並べられる。棚が空けば、別の道具を置ける。道具屋にとって棚のスペースは——」

「資産だ」

ラッジが静かに言葉を引き取った。


「空いた棚は、売れる場所だ」

伊勢は頷いた。



ラッジはしばらく黙って、手の甲を見ていた。

考えているのか、計算しているのか、伊勢には判断できなかった。ただ、老商人の背筋がわずかに前に傾いていた。昨日よりも、少し。

「もう一つあります」

伊勢は続けた。

「草は傷む」

「ああ」

「仕入れてから売れるまでに時間がかかると、廃棄が出る。廃棄はそのまま損になる。ラッジさんの店で、薬草の廃棄ってどのくらい出ていますか」

ラッジは答えなかった。ただ、口の端がほんの少し動いた。

それが答えだ、と伊勢は思った。


「液体にすれば、保存期間が延びる可能性がある。草の状態より長く、品質を保てる。廃棄ロスが減れば——」

「コストが変わる」

またラッジが言葉を継いだ。今度は少し速かった。


「棚が広くなって、廃棄が減る。同じ仕入れで、残るものが増える」

静かな声だったが、その中に何かが混じっていた。伊勢がこれまで聞いたことのない、ラッジの声の質だった。



工房の外で、鳥が鳴いた。

朝の光が窓から斜めに差し込んで、昨日の試作の痕跡を照らしていた。染みのついた布が、ほんの少しだけ光っているように見えた。


伊勢はゆっくりと言った。

「だから、売れなくてもいいかもしれない、と思ったんです」

ラッジが顔を上げた。

「売ること自体より、ラッジさんの損を減らすことの方が、先にある気がして。液体の回復薬が売れるかどうかより、道具屋の棚が変わることの方が、実は大きいんじゃないかと」

(うまく言えているか分からなかった。でも、昨日よりは近かった。)


「新しいものを売るより、今あるものの損を埋める方が、先だということか」

ラッジは確かめるように言った。押しつけるでもなく、否定するでもなく、ただ声に出して確かめていた。

「……そう、だと思います」



ラッジは立ち上がり、工房の中を一度ゆっくりと見回した。

木片、細い棒、葉のかけら。試作の痕跡。どこかまだ不完全な、入口の景色。

「伊勢」

「はい」

「値段の話は、まだしなくていい」

それだけ言って、ラッジは扉の方へ歩いた。振り返らずに続けた。

「続きを、作れ」

扉が閉まった。工房に、朝の静けさが戻った。


伊勢はしばらくその場に立ったまま、閉まった扉を見ていた。

(値段の話は、まだしなくていい——それはラッジが初めて言った言葉だった。いつも最初に値段を聞く男が。)

窓の外で、もう一度鳥が鳴いた。

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