液体にしてみる
朝のギルドは、昨日より少し静かだった。
護衛必須化が動き出して二日目。掲示板の前の空気は、まだぎこちないが、止まってはいない。
伊勢は執務室の机に、薬草の束を一つ置いた。
回復薬の試作。枠組みは決まっている。だが、誰もまだ手をつけていない。
(問題は、やり方だ)
液体にする、と言った。
しかし、この世界でそれをやった者が、果たしているのか。
◆
伊勢はまずブリジットの工房へ向かった。
「液体にしたい」
「薬草を?」
ブリジットは手を止めた。怪訝というより、考えている顔だ。
「やったことは?」
「ない。でも、似たことならある」
ブリジットは炉の前に立ち、顎に手を当てる。
「金属を溶かすのと、草を溶かすのは違う。熱をかけすぎると、たぶん何かが飛ぶ」
「魔力ですか」
「そう呼ぶかは知らないけど。鉄も、熱しすぎると性質が変わるから」
伊勢は短く頷いた。
熱は使えるが、加減が要る。そこまでは分かった。
◆
次に、エナを訪ねた。
採取者として長年ダンジョンに入り続けた女だ。薬草の扱いなら、誰より詳しい。
「液体……か」
エナは少しだけ眉を動かした。
「昔、試した人間がいた。煮たんだ」
「どうなりましたか」
「緑のお湯になった。効き目は、ほとんどなかった」
一拍置いて、エナは続ける。
「葉脈が白くなってたよ。煮たら、何かが抜けるんだと思う」
「逆に、冷たい水に漬けたら?」
「やった人間は知らない」
エナは首を振った。
「でも……草は、水に弱い。浸けすぎると、腐る前に魔力が散る感じがする。経験則だけど」
◆
執務室に戻り、伊勢は机に材料を並べた。
薬草の束。水の入った椀。ブリジットから借りた小さな火種。
リリアが隣に立つ。
「……試すんですか」
「やってみないと分からないので」
まず、葉を軽く水に浸けてみた。
五分。十分。
葉の色は変わらない。だが、水がうっすら緑がかってきた。
試しに指に取り、傷口に当ててみる。
(効果が……薄い)
次に、ごく弱い熱をかけた椀に葉を入れた。
湯気が立つ前に取り出す。
葉脈の色が、わずかに白くなっていた。
エナの言っていた通りだ。
「駄目ですね」
リリアが静かに言う。
「駄目ですね」
伊勢も繰り返した。
だが、表情は穏やかだった。
◆
伊勢はしばらく、机の上の葉を見つめていた。
なぜ、効果が出ないのか。
熱でも、水でも、何かが失われる。
以前、薬草の携帯方法を考えたとき、気づいたことがある。
魔力は葉脈に沿って流れている。無秩序に潰すと、その流れが乱れる。
(では、液体にしたとき、何が起きている?)
伊勢は葉を指で軽く押しながら、考えを続けた。
葉脈の中に、回復の成分がある。
だが葉肉の部分には——別の何かがあるのかもしれない。
「エナさんに聞いたことがあります。ダンジョンの魔物は、薬草を食べないと」
リリアが顔を上げる。
「言われてみれば……そうですね。薬草はどこにでも生えていますが、食い荒らされているのは見たことがないです」
「魔物にとって、都合よく回復できるなら、真っ先に食べるはずです」
「……食べない理由がある」
伊勢は葉を裏返した。
「葉脈の外側に、回復を打ち消す成分があるとしたら。無差別に潰すと、両方が混ざって相殺される」
「だから、煮ても水に漬けても効かない?」
「仮説ですが」
リリアはしばらく黙っていた。
それから、静かに言う。
「……筋は通っています」
◆
「だとすれば」
伊勢は続ける。
「葉脈だけを、狙って絞り出す必要がある」
以前やったことを、もう一度たどる。
潰し方を揃えた。葉脈を傷つけない方向で、圧をかけた。
壊すのではなく、形を変えた。
(同じ発想で、できるはずだ)
「リリアさん。すり潰す道具、ありますか。薬研でも」
「医務室に、あるかもしれません」
リリアは立ち上がった。
◆
借りてきた小さな石臼。
伊勢は薬草を置き、葉脈の向きを揃えた。
壊すのではなく、押しつぶす。
葉脈に沿って、ゆっくりと圧をかける。
葉が、潰れる。
緑の液体が、少しずつにじみ出した。
「……出た」
リリアの声が、わずかに高くなる。
伊勢は指に取り、確かめる。
魔力の感触が、残っている。
かすかだが、確かにある。
「薄いですが、効果はあります」
「これを……濃くできますか」
「葉の量を増やせば、濃度は上がるはずです。葉脈に沿って絞る精度を上げれば、もう少し安定するかと」
まだ荒削りだ。
試作にもなっていない。
でも、方向は見えた。
◆
夕方、伊勢はラッジの店に立ち寄った。
薬草の余剰は今日も変わらない。棚に積み上がったまま、静かに待っている。
「どうだ」
ラッジが帳面から顔を上げる。
「方向は分かりました。葉脈に沿って絞り出す方向で、試作を続けます」
「精度は」
「まだです。繰り返す必要があります」
ラッジは短く鼻で笑った。
腕を組み、天井を見上げる。
伊勢は小さく頭を下げ、店を後にした。
夜風が、街を静かに通り過ぎていく。
答えはまだないが、手は動き始めた。
それで、今日は十分だった。




