余っているものと、足りないもの#1
朝のギルドは、静かだった。
昨日の怒号が嘘のように、空気だけが重く残っている。
人はいる。声もある。
だが、誰もが少しだけ、目を伏せていた。
伊勢は入口の前で一度立ち止まり、ギルド全体を見渡した。
(まず、見る)
それだけを決めて、外へ出た。
◆
「伊勢様、どちらへ」
リリアが追いかけてくる。
「街を回ります。道具屋から」
「私もお供します」
頷きかけたとき、後ろから小さな足音がした。
振り返ると、ルカが立っていた。
昨日保護された少女。
名前だけは、自分で名乗った。
「……いく」
短く言う。
「ついていっていい?」
伊勢は少し困った顔をした。
断る理由を探す。
だが、ルカはもうそこに立っている。
「……危なくなったら、すぐ言ってください」
それだけ言って、歩き出した。
ルカは素直に頷いた。
リリアが小さく息を吐く。
苦笑とも安堵ともつかない顔だった。
◆
道具屋の店内は、薄暗かった。
棚には薬草の束が積み上がっている。
昨日より増えている気がした。
「ラッジさん」
店主が顔を上げる。
「ああ、伊勢か」
目の下に隈がある。帳面を睨んでいたのだろう。
「在庫の状況を見せてもらえますか」
ラッジは無言で帳面を差し出した。
伊勢は数字を追う。
薬草。包帯。保存食。
どれも、余っている。
「売れない」
ラッジが短く言う。
「怪我人が減った。それは分かってる。だが、これだと仕入れを止めるしかなくなる」
「仕入れを止めると」
「採取者の収入が消える」
伊勢は帳面を閉じた。
「分かりました」
そのとき、ルカが棚の薬草をじっと見ていた。
「これ、たくさんあるね」
当たり前のように言う。
ラッジが苦い顔をする。
「そうだな。多すぎる」
ルカは少し首を傾げた。
「つかわないの?」
「使う人が減ったんだ」
「……ふーん」
ルカは何も言わなかった。
だが、その目はどこか考えているように見えた。
伊勢は視線を向けない。
ただ、頭の隅に置いておく。
◆
次は鍛冶屋通りへ向かった。
ブリジットの工房は、炉の火が弱かった。
「海人」
ブリジットが振り向く。その顔は、疲れていた。
「修理が来ない」
開口一番に言う。
「壊れる前に終わるから、修理が要らない」
「武器は消耗しているはずですが」
「してる」
ブリジットは壁の武器を指した。
「でも、本人が気づいてない。怪我してないから、武器のせいだとも思わない」
伊勢は少し考える。
「点検に来ない」
「そう。悪くないうちは来ない」
沈黙が落ちる。
ルカが炉の近くをうろうろしていた。
「ねえ」
ブリジットが振り向く。
「なに?」
「このひと、剣つくってるの?」
「そうだよ」
「つよくなれる?」
ブリジットは少しだけ笑った。
「使い方次第だね」
ルカは「そっか」と頷いた。それだけだった。
だが、ブリジットはその後、少しだけ伊勢を見た。
「……変な子だね」
「拾ったんですよ、昨日」
「そう」
ブリジットはそれ以上聞かなかった。
◆
昼前。
ダンジョン入口の前に立った。
冒険者たちが数人、入口を見ながら話している。
「入るか?」
「浅層だぞ。でも昨日のことがあるしな……」
足が止まっている。
采取者の一人が、道具を持ったまま立ち尽くしていた。
「……入れないんですか」
伊勢が声をかける。
採取者は振り向いた。
「入れないわけじゃない」
苦い顔で言う。
「でも、一人じゃ怖い」
「護衛は」
「頼んだら金がかかる。薬草の買い取りが下がってるから、頼む余裕もない」
伊勢はその顔を見た。
疲れている。
怒っているわけでもない。
ただ、詰まっている。
(冒険者が余っている。採取者が動けない)
頭の中で、線が繋がりかけた。
そのとき、ルカが採取者の顔を見上げた。
「こわい?」
採取者が苦笑した。
「まあ、そうだな」
「いっしょにいくひと、いないの?」
「いないんだよ、子供」
ルカは少し考えるように首を傾げた。
「おかねとかじゃなくて、いっしょにいってくれるひと、いないの?」
採取者は少し黙った。
「……いないな」
伊勢はその会話を聞いていた。
何も言わない。
ただ、線が一本、はっきりと繋がった。
◆
ギルドへ戻る道すがら、リリアが言う。
「……見えてきましたか」
伊勢は少し考えてから答えた。
「構造は分かりました」
一拍置く。
「余っているものと、足りないものが、繋がっていない」
リリアが静かに頷く。
「冒険者の仕事が減っている。採取者は護衛がいなくて動けない」
「そうです」
「繋げれば……」
「動き出す可能性はあります」
断言はしない。
だが、手が届く場所に答えがある。
そう感じていた。
ルカが、二人の少し後ろを歩いていた。
「ねえ」
伊勢が振り向く。
「どうしましたか」
ルカは少し考えるような顔で言った。
「みんな、もってるのにわけあってないだけ?」
伊勢は少し目を細めた。
「……そうかもしれません」
ルカは「ふーん」と頷いた。
それ以上は何も言わない。
だが、その一言は、妙に核心を突いていた。
◆
夕方。
ギルドの外で、伊勢は一人になった。
空は橙に染まっている。
(余っているものと、足りないものを繋げる)
言葉にすれば単純だ。
だが、単純なことほど、動かすのは難しい。
誰が動くのか。
誰が決めるのか。
誰が責任を持つのか。
答えはまだない。
だが、問いははっきりした。
それで、今日は十分だった。
少し離れた場所で、ルカが石畳の目地を踏みながら歩いていた。
一人でも、特に不安そうではない。
(不思議な子だ)
そう思うだけで、深くは考えない。
風が吹いた。
ルカの髪が、さらりと揺れた。




