割れた街
昼のギルドは、騒がしかった。
だが、その騒がしさはいつもとは違う。
笑い声がない。
怒鳴り声と、押し殺した声が混ざっている。
怒りと不安が混じり合い、どこに向ければいいか分からないまま、ただ部屋の中を満たしていた。
「だから危ねえって言ってんだろ!」
「でも魔物が減って助かってるだろ!」
「死人が出てんだぞ!!」
声と声がぶつかる。誰も引かない。
受付前では採取者たちが詰め寄っていた。
「採れねえのに危険だけ増えてる!」
「仕事にならねえんだよ!」
「どう責任取るんだ!」
その正面に、リリアが立っていた。
制服はきちんと整っている。
背筋は伸びている。
それだけは、崩さない。
「……現状は把握しています」
だが、その言葉は押し返される。
「遅えんだよ!」
「もう死んでんだぞ!!」
声が、胸に刺さる。
(分かっている)
言い訳はしない。
謝罪で誤魔化すつもりもない。
ただ――何も言えなかった。
正しい言葉が、出てこない。
言葉を探すほど、喉が詰まる。
それでもリリアは、その場を離れなかった。
◆
ギルドの奥では、冒険者たちが別の声を上げていた。
「勇者がいるからこの程度で済んでる」
「止めたら一気に来るぞ」
「今は我慢するしかねえ」
正論だった。
だからこそ、採取者側の火に油を注ぐ。
「じゃあ俺たちはどうする!」
「採取やめろってのか!」
正論と正論がぶつかると、どちらも引けなくなる。
ギルドは、完全に割れていた。
◆
伊勢は、その光景を少し離れた場所から見ていた。
何も言わない。ただ、見ている。
声を聞く。
立場を見る。
感情の向きを確かめる。
どの怒りも、根拠がある。
どの不安も、本物だ。
そのどれかを否定すれば、場は静まるかもしれない。
だが、問題は残る。
(全部、繋がっている)
まだ仮説だ。確信ではない。
だが――繋がっていない方が、むしろ不自然だった。
◆
「……どうすればいいですか」
リリアの声だった。
振り向くと、制服の袖を少しだけ握りしめている。
いつもなら書類を胸に抱えている手が、今日は空だった。
小さい声。
だが、確かに頼っていた。
伊勢は一拍だけ間を置いた。
「リリアさん」
「……はい」
「今まで、ちゃんと立っていましたよ」
リリアの目が、わずかに揺れる。
「それだけで、十分です」
何かを言おうとして、言葉が出なかった。
代わりに、小さく頷いた。
伊勢はゆっくりと歩き出す。
騒ぎの中心へ。
◆
足音がする。
誰かが気づき、視線が動く。
やがて全員の目が、伊勢に集まった。
声が少しだけ、小さくなる。
伊勢は立ち止まった。
そして、はっきりと言った。
「補填はしません」
一瞬で空気が止まる。
「……は?」
怒りの気配が、形を変える。
だが伊勢は続ける。
「補填しても、同じことが起きるだけです」
声は穏やかだった。だが、軸がぶれない。
「だから――まず整理します」
◆
指を一本立てる。
「一つ。冒険者が余っている。魔物が減って、依頼が減っている」
次。
「二つ。薬草採取者が動けない。危険が増えているのに、採れる場所がない」
三つ目を立てる。
「三つ。薬草は余っている。武器の手入れも、止まっている」
ざわめきが起きる。
四つ目。
「四つ。浅層に、強い魔物が出始めている」
空気が、静まる。
誰もが、その四つの言葉を頭の中で並べている。
バラバラに見えていたものが、一本の線の上に並んでいる。
その感覚が、少しずつ伝わっていく。
◆
伊勢は、一度言葉を止めた。
少しだけ視線を落とす。
そして、ゆっくり言う。
「……これが全部、繋がっている可能性があります」
断定はしない。あくまで、仮説だ。
「ただ、まだ分かりません」
はっきり言う。
「だから、確かめます」
リリアが息を呑む。
「確かめる……?」
「街を見ます。全部です」
伊勢は続ける。
「何が余っているのか」
「何が足りないのか」
「どこで詰まっているのか」
一拍。
「それを見ないと、何も決められない」
◆
「……そんなこと、できるのか」
誰かが言う。
採取者の一人だった。
怒りではない。
本当に、分からないから聞いている声だ。
伊勢は首を振る。
「分かりません」
正直な言葉。
室内が、わずかにざわつく。
だが伊勢は続けた。
「でも、見ないまま進めば、また死ぬ」
沈黙が落ちる。
今度は、誰も反論しなかった。
◆
リリアは、その横顔を見ていた。
怒っているわけでもない。
英雄的なことを言っているわけでもない。
正しい、とも言い切れない。
ただ――前に進もうとしている。
(この人は)
いつも、そうだ。
答えが見えていないときでも、止まらない。
それが羨ましいのか、頼もしいのか。
それとも――別の何かなのか。
リリアは自分でも分からないまま、視線を外せなかった。
◆
「シャウプさん」
伊勢がギルド長に視線を向ける。
シャウプは腕を組んだまま、ずっとその場を見ていた。
「……分かった」
低い声だった。
「動いてみろ」
それだけだった。
だが、その一言で場の空気が変わる。
反論していた採取者たちも、怒りの矛先を一度収める。
全員が解決策を持っているわけではない。
だが、誰かが動こうとしていることは分かった。
◆
その頃。
ダンジョンの入口近く。
薄暗い通路の、地面に近い場所。
穏やかな風が、奥から吹き込んでくる。
その風に撫でられるように、小さな人影が横になっていた。
子供だ。
眠っているのか、気を失っているのか。
小さな胸が、規則正しく上下している。
「……誰だ?」
「子供?」
ダンジョン入口付近を巡回していた冒険者の一人が、立ち止まった。
視線を落とす。
白い髪。
小さな手。
見たことのない顔だった。
「親とはぐれたのか?」
もう一人が近づく。
だが、次の瞬間。
空気が、変わった。
音もなく。
気配もなく。
暗闇の中から、影が滲み出る。
一つ。
二つ。
三つ。
暗い目が、光る。
舌なめずりをする音が、石の壁に静かに響く。
魔物だ。
子供を囲むように、その影たちがゆっくりと近づいていた。
冒険者たちの手が、無意識に腰の武器へ伸びた。




