正しいこと
空が、赤かった。
燃えているみたいな色だった。
ダンジョンの入口前に、人が集まっている。
誰も喋らない。風の音だけが、やけに響いていた。
トーマスの名前は、何度も呼ばれていた。
けれど――もう返事はなかった。
伊勢は、立っていた。
動けない。
頭の中で、同じ言葉が繰り返される。
(止められた)
(分かっていた)
(なのに)
「伊勢様……」
リリアの声がする。
でも、振り向けない。ダンジョンから目を離せなかった。
そのとき、足音が聞こえた。
軽い、迷いのない足音。
「……勇者だ」
空気が、わずかに揺れる。
ユウトが戻ってきた。
装備は綺麗だった。傷もない。
何も起きていないみたいに、そこに立っていた。
「……どうしたんですか?」
その声は、いつも通りだった。
何も知らない声だった。
誰も答えない。
伊勢が、一歩前に出る。
「人が死にました」
空気が凍る。
ユウトの目が揺れる。
「……え?」
「浅層で。採取者が一人、戻ってきませんでした」
ユウトの顔が青くなる。
「そんな……浅層で……?」
一歩、踏み出そうとする。
「俺が――」
「もう遅い」
伊勢が言った。
低い声だった。
「間に合いませんでした。あなたが、いなかったから」
リリアが息を呑む。
ユウトが言う。
「……俺は、深層に。魔物を減らして――」
「知ってます」
伊勢は遮る。
さらに一歩、踏み出す。
「全部、知ってる」
拳が震えている。
「正しいことしてるのも、分かってる」
声が揺れる。
「分かってるのに……」
言葉が詰まる。
喉が、うまく動かない。
そして、絞り出す。
「……なんでだよ」
その一言が落ちる。
誰も動けない。
「なんで、死ぬんだよ」
声が震える。
「助けるためにやってるんだろ。守るためにやってるんだろ」
一歩、踏み出す。
「じゃあ、なんで――」
◆
「守れてないんだよ」
◆
ユウトの目が揺れる。
完全に、言葉を失っていた。
伊勢の呼吸が荒くなる。
「……あの人は」
トーマスの顔が浮かぶ。
笑っていた顔。娘の話をしていた顔。
「ただ、仕事してただけだ。危険なこと、何もしてない」
声が低くなる。
「それでも死ぬのかよ」
沈黙が落ちる。
リリアの手が震える。
ユウトが、かすれた声で言う。
「……俺は」
だが、その先が出ない。
伊勢は、ゆっくり息を吐いた。
怒りが少しだけ引く。
でも、消えない。
「……もう、いいです」
顔を上げる。
「あなたが悪いって言ってるわけじゃない」
一歩、下がる。
「でも」
静かに言う。
「このままだと、また誰か死ぬ」
風が吹く。
赤い空が揺れる。
ユウトは、動けなかった。
初めて。
勇者が――何もできなかった。




