いつもの仕事
空気は冷たく、湿っていた。
ダンジョンの入口には採取者たちが集まっている。
だが、その顔にいつもの余裕はない。
笑い声もない。
「……どうする」
「でも、行かないと」
「昨日の話、聞いただろ」
押し殺したような声が交わされる。
その中に――
トーマスがいた。
背中には大きな籠。
腰には使い慣れた鎌とナイフ。
いつもと同じ装備。
そして、いつもと同じように笑っていた。
「おう、揃ってるな」
軽く手を上げる。
その声に、若い採取者たちが少しだけ安心したように息を吐いた。
◆
「トーマスさん……本当に行くんですか」
若い一人が言う。
トーマスは肩をすくめた。
「行くに決まってるだろ」
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「昨日のが何か分からねえまま、放っとく方が怖い」
視線をダンジョンへ向ける。
「仕事だ」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
◆
伊勢とリリアが近づく。
「トーマスさん」
リリアの声は、明確に止めるものだった。
「今日は控えてください」
トーマスは振り向く。
少し困ったように笑う。
「無理だな」
伊勢が言う。
「危険です」
トーマスは少し考えるように顎を撫でた。
そして、ゆっくり言う。
「伊勢」
名前を呼ぶ。
「薬草採取ってのはな」
視線を落とす。
「誰かがやらなきゃ、止まるんだ」
そして顔を上げる。
「怪我した奴が薬草使う」
「それがないと困る奴がいる」
少しだけ笑う。
「俺の仕事は、そこだ」
◆
リリアが言葉を詰まらせる。
トーマスは続けた。
「それにな」
ほんの少しだけ、声が柔らかくなる。
「家で待ってる奴もいる」
伊勢が目を細める。
「……娘さんですか」
トーマスは小さく笑った。
「ああ」
「パン屋やりたいって言ってたろ」
少し空を見上げる。
「まだガキだけどな」
口元が、優しく緩む。
「でもな」
「やりたいって言うなら、やらせてやりてえ」
◆
若い採取者が言う。
「俺たちも行きます」
トーマスはその顔を見る。
怖がっている。
だが、逃げていない。
トーマスは頷いた。
「いいか」
声が変わる。
「奥には行くな」
「違和感があったら、すぐ戻れ」
「命の方が大事だ」
一人が言う。
「トーマスさんは」
トーマスは笑った。
「俺は大丈夫だ」
◆
ダンジョンに入る。
空気が変わる。
冷たい。
重い。
静かすぎる。
トーマスは歩きながら、壁を軽く叩いた。
「……音が死んでるな」
若い採取者が小さく言う。
「はい……」
トーマスは床を見る。
足跡が少ない。
魔物の痕跡も、ない。
「こんな日はな」
振り返る。
「一番危ねえ」
◆
奥の暗闇。
何も見えない。
だが――
いる。
トーマスは手を上げる。
「止まれ」
全員が止まる。
耳を澄ます。
音はない。
だが、確かに何かがいる。
「戻るぞ」
その一言で、空気が変わる。
全員が動き出す。
その瞬間だった。
一人の体が、横に消えた。
「――っ!?」
声が出る前に引きずられる。
何も見えない。
だが、そこに“何か”がいる。
「走れ!!」
トーマスが叫ぶ。
若い採取者たちが駆け出す。
トーマスは、一歩前に出た。
逃げない。
前に立つ。
「こっちだ!!」
声を張る。
意識を引きつける。
若い採取者の足音が遠ざかる。
トーマスはそれを確認した。
そして、ほんの少しだけ息を吐く。
(大丈夫だ)
◆
娘の顔が浮かぶ。
小さな手。
パンを持って笑う顔。
「お父さん、これ私が焼いたの」
まだ見たことのない未来。
(見てえな)
その瞬間。
何もない空間が、歪んだ。
衝撃。
トーマスの体が揺れる。
だが、倒れない。
踏ん張る。
「……上等だ」
小さく呟く。
そのまま――
闇に、飲み込まれた。
静寂が戻る。
まるで何事も無かったかのように、ダンジョンの風が薬草の葉を撫でていった。
◆
地上。
ダンジョン入口。
伊勢は立っていた。
風が吹く。
冷たい。
◆
足音。
二人。
戻ってくる。
伊勢が聞く。
「トーマスは」
二人は、魂の抜けたような顔で地面を目見つめるだけだった。
リリアの手が震える。
伊勢は動かなかった。
ただ、ダンジョンを見ていた。
(これは)
(誰の責任だ)
「守るための力が、守るべきものを壊した」




