静寂の代償
朝。
ギルドの空気が、重かった。
扉を開けた瞬間、伊勢は違和感に気づく。
ざわめきが低い。
笑い声がない。
誰もが、何かを押し殺している。
「……何かあったな」
◆
受付の前に人だかり。
その中心に、リリアがいた。
顔色は青い。
だが背筋は伸びている。
伊勢は近づく。
「何があったんですか」
リリアが振り向く。
「伊勢様……」
一瞬、迷う。
そして。
「冒険者が一人、戻っていません」
空気が沈む。
◆
「最後の確認は」
「浅層の手前です」
「三人組で、二人は帰還しています」
周囲から声が上がる。
「一人だけ消えたんだ」
伊勢の視線が鋭くなる。
「何があった」
◆
戻ってきた二人は、椅子に座っていた。
顔色は蒼白。
装備には血と泥。
リリアが静かに声をかける。
「落ち着いてください」
「何があったか、教えてください」
一人が言う。
「……何もいなかった」
「魔物が、いなかったんだ」
もう一人が続ける。
「スライムも、ゴブリンも……」
◆
「だから奥に行った」
「楽だったんだ」
「でも」
言葉が詰まる。
伊勢が促す。
「その先は」
「急に来た」
「……見えなかった」
◆
「気配もなかった」
「音もなかった」
「気づいたら……」
拳が震える。
「いなくなってた」
沈黙。
◆
そのとき。
誰かが言った。
「……勇者は?」
空気が揺れる。
「最近、浅層も掃除してたじゃねえか」
「なんで今日は来てない」
「呼べば来るんだろ?」
ざわめきが広がる。
◆
リリアが静かに言う。
「……勇者様は」
一度、言葉を選ぶ。
「現在、深層に潜っています」
ざわめきが止まる。
◆
「深層……?」
「じゃあ、戻ってこねえのか?」
「浅層は誰が守るんだ」
誰かが言った。
「……届かねえじゃねえか」
◆
その言葉が、全員に刺さる。
勇者はいる。
だが――
ここにはいない。
◆
伊勢は目を閉じる。
考える。
魔物が減る。
餌が減る。
上位が上がる。
そして。
「……一件ではない可能性があります」
リリアが振り向く。
「伊勢様?」
伊勢は続ける。
「過去の未帰還者の記録はありますか」
リリアの目が揺れる。
「それは……」
一瞬の沈黙。
そして、小さく言った。
「……あります」
◆
「ですが」
リリアの声が震える。
「“事故扱い”で処理されています」
ギルドの空気が、凍る。
◆
伊勢が静かに言う。
「もしこれが同じ原因なら」
誰も、続きを言えない。
◆
「すでに、かなりの数が消えている可能性があります」
◆
誰かが椅子を蹴った。
「ふざけるな!」
「今まで気づかなかったのか!?」
「勇者がいれば安全じゃなかったのかよ!」
怒号が飛ぶ。
恐怖が、怒りに変わり始める。
リリアが袖を掴む。
「伊勢様……どうすれば……」
声が震えている。
伊勢は一瞬だけ目を閉じる。
そして開く。
「……まだ間に合います」
静かに言う。
「ですがこれは」
一拍置く。
「事故ではありません」
(構造が壊れている)
◆
ダンジョンの奥。
深層。
勇者は、さらに奥へ進んでいる。
その背後で。
餌を失った魔物たちが、上へと移動する。
浅層へ。
人間のいる場所へ。
◆
誰も気づいていない。
この街はすでに――
“安全ではない”




