火は、ひとつでは燃えない
鍛冶街の朝は、熱い。
鉄と油の匂いが混じり合い、煙が低く漂う。
槌が金床を打つ音が通りを震わせる。
だが、その日の音はどこか荒れていた。
振り下ろす角度が強い。
打撃が深い。
通りを行く職人の視線が、ほんの一拍だけ長い。
(……来てるね)
噂が。
ブリジットは炉に火を入れた。
炎が立ち上がり、橙の光が褐色の肌を照らす。
いつもなら落ち着く熱が、今日は少しだけ重い。
午前だけで点検は四件。
刃を見て、油を引き、布で拭い、短い助言を残す。
客の背後に“試す目”がある。
評価されているのは武器ではない。
ブリジットという職人だ。
昼前、重い足音が工房の前で止まった。
「……派手にやってるな」
低く、腹の底から出る声。
炎の向こうに立つ影。
グレアムだった。
背は高く、肩幅は広い。
前掛けは煤で黒くなり、何年も使われた革は柔らかく馴染んでいる。
分厚い腕には古い火傷の跡があり、
顎には無精髭。
額には細い傷。
怒りの男ではない。
長くこの街で鉄を打ち続けてきた男の、測る目。
「最近、初心者相手に手取り足取りらしいな」
「点検してるだけだよ」
ブリジットは炉を背に立つ。
炎が揺れ、二人の影が床に長く伸びる。
「武器屋は武器を売る店だ」
グレアムは棚を一瞥する。
「武器を売ることで食ってる連中もいる」
一歩踏み込む。
「武器が回らなくなれば、小さい工房は潰れる」
遠くで槌が鳴る。
振動が床を伝う。
「私は壊れない武器なんて作ってない」
声は静かだ。
「ちゃんと使えば長く持つ。それを伝えてるだけ」
「綺麗事だ」
即答だった。
「武器は消耗するから回る。回るから職人が食える」
拳が、わずかに握られる。
炎が背中を押す。
「壊れる前提で作りたくない。それだけ」
一拍。
「生き残らせたいだけなんだよ」
炎がはぜる。
グレアムは黙る。
怒りではない。
焦りと現実の重さだ。
「……噂は止まらん」
低く言う。
「今はいい。だがな、お前が倒れたら全部終わる」
それは脅しではない。
忠告だ。
重い足音が遠ざかり、槌の音が街に戻る。
だが、空気は完全には戻らない。
ブリジットはその場に立ったまま、炎を見つめる。
「……あいつ、間違ってない」
小さく呟く。
「私も、間違ってない」
腕は二本しかない。
点検は増える。
炉の前に立つ時間は減っている。
赤くなるのを待つ鉄が、横たわっている。
◆
夕暮れ。
鍛冶街が赤く染まり、煙が空へ溶けていく。
ブリジットはギルドの応接室に座っていた。
工房とは違う、静かな空気。
「……ちょっと、時間ある?」
伊勢が静かに頷く。
ブリジットは、普段より少しだけ視線を落とす。
「噂、広がってる。反発もある」
一拍。
「このままだと、私が潰れるかもしれない」
弱音ではない。
現実の報告だ。
「点検は増える。敵も増える。でも、私一人の腕は増えない」
指先を組む。
「どうすればいい?」
伊勢はすぐに答えなかった。
窓の外に目を向ける。
鍛冶街の煙が、夕日に染まっている。
「まずは、見ましょう」
静かな声。
「鍛冶屋の数、規模、売れ筋、流通の構造」
「ブリジットさん一人の問題ではありません」
立ち上がる。
「現場を、見ます」
火は、ひとつでは燃えない。
広がるには、薪がいる。
だが、燃え広がれば、何かを焦がす。
伊勢の目は、すでに次を見ていた。




