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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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その話をするには、少しだけ信頼が必要だった

 工房の火が落ち、

 炉の奥で赤く残っていた熾火が、ゆっくりと暗くなっていく。


 昼間の熱が嘘のように、

 空気は少しだけ重たい。


 ブリジットは革のエプロンを外しながらも、

 すぐにはその場を離れなかった。


 片腕でエプロンを掴んだまま、

 もう一方の手で、無意識に指先を擦っている。

 金属の熱が、まだ皮膚に残っているのだろう。



「……伊勢」


 呼びかける声は、

 昼間の張りのあるものとは違っていた。


 少し低く、

 少しだけ慎重だ。


 ブリジットは顔を上げず、

 床に落ちた煤を見つめたまま続ける。


「もう一個だけさ」


 一拍。


 唇を引き結び、

 それから短く息を吐く。


「聞いてほしい話がある」


 伊勢は、すぐに答えなかった。

 ただ、ゆっくりと頷く。


 それだけで、

 ブリジットの肩がほんの少し下がった。


 リリアも空気の変化を察し、

 手にしていた書類を胸に抱え直し、一歩だけ下がる。


 ――仕事の話。

 そう自分に言い聞かせながら。



「初心者向けの装備が売れない」


 ブリジットは工具棚にもたれ、

 体重を預けるように立った。


「それ自体はさ、

 別に珍しくもない」


 軽く言おうとしたのだろう。

 だが、語尾は少しだけ掠れていた。



「でも」


 彼女は拳を握る。


 その拳が、

 かすかに震えている。


「問題は、その先」



「ちゃんとした武器を作るほど、

 儲からなくなる」


 言い切った瞬間、

 ブリジットは一度、視線を逸らした。


 自分の言葉を

 真正面から見るのが、少し怖いかのように。


 リリアの指先が、

 紙の上で止まる。



「壊れにくい」


 指を一本立てる。


「無理をさせない」


 二本目。


「結果、

 買い替えも修理も減る」


 三本目を立てたところで、

 ふっと力が抜けた。


「……商売としては、

 最悪だよね」


 口元だけで笑う。

 だが、目は笑っていない。



 伊勢は、

 相槌を打たなかった。


 遮らず、

 急かさず。


 この話には、

 それが必要だと分かっている。



「派手でさ」


 ブリジットは壁に掛けられた装飾剣を指差す。


「無茶がきいて」


「壊れやすい武器の方が」


 指を戻し、

 自分の胸を軽く叩く。


「……正直、回る」


 唇を噛む。


「分かってるんだよ」


「全部」



「だから」


 顔を上げる。


 その目は、

 これまで見せたことのないほど真剣だった。


「私、

 ずっと中途半端なんだ」


 苦笑するが、

 目は逸らさない。


「理想はある」


「でも、

 商売を捨てきれない」


「かといって」


 手を広げ、

 すぐに閉じる。


「何も言わずに作るのも、違う」



 沈黙。


 炉の奥で、

 木材がぱちりと音を立てた。



 ブリジットは、

 いつの間にか伊勢のすぐ横に立っていた。


 肩が触れるほど近い。

 だが、そこに甘さはない。


 ただ、

 同じ方向を見て話す距離だった。



 リリアは胸の奥に、

 小さな棘のような違和感を覚えた。


(……この人)


(こんな話を、

 誰にでもする人じゃない)


 視線が、

 無意識に伊勢へ向く。


 その前で、

 これほど無防備になる。


 その事実が、

 ちくりと刺さる。


(……距離が、近い)


 嫉妬だと断じるほど、

 自分は単純ではない。


 けれど、

 平気な理由も見つからなかった。



「正直に言うね」


 ブリジットは、

 今度ははっきりと伊勢を見る。


「今日のやり方」


「ランクで装備を見せるやつ」


 一瞬、

 言葉を探すように眉を寄せる。


「……あれで、

 ちょっと怖くなった」



「売れなくなるかもしれない」


 ぽつり、と。


 工房の空気に、

 その言葉が沈む。



「それでも」


 ブリジットは拳を握り直す。


「ちゃんと選んでくれた顔を見たらさ」


 目を伏せる。


「……逃げたくなくなった」


 その声は、

 ほとんど囁きだった。



 伊勢は、

 ここで初めて口を開く。


「ブリジットさん」


 落ち着いた声。


「それは、

 中途半端じゃない」


 ブリジットの目が、

 ぱっと見開かれる。



「一番、

 現実的な葛藤です」


「全員を救うやり方は、

 ありません」


 静かに、しかし明確に。


「でも」


「選択の結果を、

 誰が背負うのかは決められる」



「今までは」


 伊勢は、

 ブリジットの握った拳を見る。


「ブリジットさんが、

 一人で背負っていた」


 その言葉に、

 彼女の肩がすっと落ちた。



「……ずるいね、アンタ」


 そう言って、

 ブリジットは伊勢の腕を、軽く肘で小突いた。


 力は弱い。

 照れ隠しでもない。


 ただ、

 気を許した相手にしかしない動作だった。


「そんな言い方されたらさ」


 顔を背け、

 短く息を吐く。


「もう、

 戻れないじゃん」



「伊勢」


 ブリジットは、

 少しだけ言い淀んでから言った。


「……あんたさ、下の名前は?」


「え?」


 伊勢は一瞬だけ目を瞬かせる。


「海人ですが」


「ふうん」


 ブリジットは視線を逸らし、

 ほんの一拍考える。


「じゃあ、今から海人」


 そう言ってから、少し遅れて――


 ブリジットが、

 少しだけ照れたように言う。


 その呼び方に、

 特別な響きはない。


 ただ、

 壁が一枚、なくなった音がした。



 リリアは、

 その瞬間を見逃さなかった。


(……名前で)


 胸の奥が、

 静かに軋む。


 それでも、

 目を逸らさなかった。



「もう少しだけさ」


 ブリジットは頭を掻き、

 視線を泳がせる。


「一緒に考えてほしい」


「商売としても」


「人としても」


 伊勢は、

 迷わず頷いた。


「はい」



 工房の外で、

 夕暮れの風が吹く。


 火の残り香は、

 まだ消えていなかった。


 正しいものほど、残らない。


 ――その現実から、

 目を逸らさずに済む相手が、

 今、目の前にいる。


 ブリジットは、

 初めてそう思えた。

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