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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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期限という言葉が、静かに刺さる

 その考えは、突然浮かんだわけではなかった。


 むしろ、

 ずっと視界の端にあったものが、

 ある瞬間、はっきりと形を持った――そんな感覚だった。



 人事局の書庫は、朝でもひんやりとしている。


 高い天井。

 並ぶ書棚。

 紙とインクの匂い。


 リリアは古い記録簿を抱え、静かに歩いていた。

 靴音が、石床に控えめに響く。


 出向者名簿。

 他国、他組織、他部署。


 それぞれの名前の横に、

 小さな文字で並ぶ情報。


 任期

 目的

 帰任


 淡々とした言葉だ。

 感情の入り込む余地など、最初からない。


 指先で行を追っていたリリアは、

 ある瞬間、動きを止めた。


(……出向)


 胸の奥が、かすかに冷える。


(伊勢様も……)


 そうだった。

 彼は、この世界に「来た」人間だ。


 ここで生まれ、ここで生きてきた人ではない。


(終わりが、ある)


 その事実が、

 今になって重くのしかかってきた。



 書庫を出ると、窓から光が差し込んでいた。


 埃が舞い、

 光の筋がゆっくりと揺れる。


 リリアは、しばらくその光を見つめたまま動けなかった。


(……考えすぎ)


 そう言い聞かせようとする。


 だが、胸の奥に沈んだ違和感は、

 簡単には消えてくれなかった。


(もし……)


(もし、突然いなくなったら)


 想像した瞬間、

 喉の奥が詰まる。


 慌てて首を振った。


(違う)


(まだ、何も決まっていない)


 だからこそ――

 確認しなければならなかった。



 午後。


 ギルド長室の前に立ったとき、

 リリアは一度、深く息を吸った。


 ノックの音が、

 思ったよりも大きく響く。


「失礼します」


「入れ」


 シャウプは、書類から目を離さず応じた。


 部屋の空気は、落ち着いている。

 だが、今日はそれが少しだけ重い。


「……ギルド長」


「何だ」


 ペンを置き、こちらを見る。


 その視線に、逃げ場はない。


「伊勢様の件で……

 一つ、確認をさせてください」


 シャウプの眉が、わずかに動いた。


「出向には……

 期限があるものではないかと」


 言葉にした途端、

 胸が締め付けられる。


「伊勢様も、

 いずれは……」


 その先が、どうしても言えなかった。



 シャウプは、すぐには答えなかった。


 椅子に背を預け、

 天井を一瞬だけ見上げる。


 それは、考えている仕草というより――

 覚悟を整える仕草だった。


「……心配する必要はない」


 やがて、静かに言う。


「少なくとも、

 今すぐどうこうなる話じゃない」


 その声は、落ち着いていた。


 だが、リリアは気づいてしまった。


 ほんのわずかな、間。


 それでも、その言葉に救われたのも事実だった。


「……そう、ですか」


 息が、自然と漏れる。


「ああ」


 シャウプは頷く。


「伊勢は、今ここに必要な人間だ」


「ギルドにとっても……な」


 それは、嘘ではなかった。


 だからこそ、

 余計に安心してしまう。


 リリアは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」



 部屋を出たあと、

 廊下の窓辺で足を止める。


 外では、冒険者が行き交っている。

 いつも通りの風景。


(……よかった)


 胸の奥に溜まっていたものが、

 少しずつ溶けていく。


(期限がないなら)


(今は、考えなくていい)


 そう思えるだけで、

 世界が少し明るく見えた。



 ギルド長室。


 扉が閉まったあと、

 シャウプは長く息を吐いた。


「……まったく」


 小さく呟き、

 机の引き出しを開ける。


 そこにあるのは、一通の書類。


 厚手の紙。

 赤い封蝋。


 中央ギルドの印。


 表題は、簡潔だった。


――《異世界出向者・伊勢海人

   現状確認および今後の配置に関する照会》


 シャウプは、それを手に取らず、

 ただ見つめる。


「今は……まだだ」


 誰に言うでもなく呟き、

 引き出しを静かに閉めた。


 その音は、とても小さい。


 だが――

 確かに、何かが閉じられた音だった。


 真実は、まだ表に出ない。


 それでも、

 期限という言葉だけが、

 静かに時を刻み始めていた。

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