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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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仕事だから、だと思いたかった

 リリアは、その日いつもより早く出勤していた。


 朝のギルドは静かだ。

 冒険者の足音もなく、掲示板の前も空いている。


 石床に靴音が響くたび、

 自分の呼吸がはっきり聞こえる。


(……落ち着こう)


 深く息を吸い、吐く。


 制服の襟を整え、

 いつもの自分を取り戻すための動作を、丁寧に繰り返す。



 昨日から、周囲の視線が変わった。


 あからさまではない。

 だが、微妙に違う。


 挨拶のあとに一拍置かれる。

 何気ない一言に、含みが混じる。


「今日は早いですね」


「ええ、少し……」


 それ以上は続かない。

 けれど、その“続かない”こと自体が、気になった。


(……仕事に、集中しないと)


 そう思うほど、

 意識が余計なところへ向いてしまう。



 書類を確認する。


 人員配置。

 採取者のローテーション。

 農園との連絡。


 数字と文字は、嘘をつかない。


 だから、好きだ。


(感情より、分かりやすい)


 そう思ってきた。


 ――思っていたはずだった。



「リリアさん」


 声をかけられ、顔を上げる。


 伊勢だった。


「この件ですが……」


 差し出された資料を受け取りながら、

 リリアは一瞬、言葉に詰まった。


 距離が、近い。


 ほんの少し。

 昨日までなら、気にも留めなかった距離。


(……いけない)


 すぐに一歩、後ろへ下がる。


「ありがとうございます。確認します」


 声は、完璧に業務用だった。


 伊勢は、ほんの一瞬だけ瞬きをする。


 だが、何も言わない。


「よろしくお願いします」


 それだけを残して、去っていった。



 胸の奥が、ちくりと痛む。


(……何をしているの)


(私は、人事官)


(距離は、必要)


 自分に言い聞かせる。


 仕事に感情を持ち込まない。

 それは、誇りでもあった。



 昼休み。


 一人で中庭のベンチに腰を下ろす。


 風が吹き、木々が小さく揺れる。

 遠くで、冒険者の笑い声が聞こえた。


(……助かった人たち)


(その裏で、

 私は何を考えている)


 無意識に、昨日の夜を思い出す。


 杯の数。

 柔らかくなった声。

 敬語が消えた自分。


(……違う)


 小さく首を振る。


(あれは、ただの労い)


(仕事が一区切りついたから)


(それ以上じゃない)


 そう思おうとするほど、

 胸の奥が静かにならない。



 午後。


 再び伊勢とすれ違う。


 今度は、目が合った。


 一瞬。

 ほんの一瞬だけ。


 だが、リリアはすぐに視線を逸らした。


「……」


 伊勢は、何も言わない。


 その沈黙が、

 なぜか責められているように感じてしまう。


(……違う)


(責められているわけじゃない)


(ただ……)


 言葉が、続かない。



 夕方。


 執務を終え、机を片付ける。


 書類は整理され、

 明日の予定も整っている。


 完璧だ。


 ――なのに。


(……終わらない)


 胸の奥のざわめきだけが、残る。



 ギルドを出る直前、

 廊下の角で伊勢と鉢合わせた。


「あ……」


「……お疲れさまです」


 声が、少しだけ硬い。


 リリアは、反射的に頷いた。


「お疲れさまでした」


 一歩、すれ違う。


 その瞬間。


「……リリアさん」


 呼び止められ、足が止まる。


「何でしょうか」


 振り返る。


 伊勢は、少し迷ったあと、言った。


「何か、

 私が不都合なことをしましたか」


 その問いは、静かだった。


 責めも、詰問もない。


 ただ、確認だった。


 リリアの胸が、ぎゅっと締まる。


(……違う)


(伊勢が悪いわけじゃない)


 唇を噛み、正直に答える。


「いいえ」


 一拍。


「……私の問題です」


 伊勢は、それ以上踏み込まなかった。


「そうですか」


 それだけ言って、

 少しだけ距離を取る。


 その背中を見送りながら、

 リリアは気づいてしまった。


(……距離を取ったのは、私なのに)


(どうして、こんなに苦しいの)



 夜。


 部屋に戻り、椅子に腰を下ろす。


 今日一日を、ゆっくり振り返る。


 仕事は、問題なく終わった。

 判断も、配置も、正しかった。


 それなのに。


(仕事だから)


(仕事として)


 何度も、心の中で繰り返す。


 だが、最後に残ったのは、

 その言葉ではなかった。


(……私は)


(どこまでを、仕事にしたいんだろう)


 答えは、まだ出ない。


 ただ一つ確かなのは――


 割り切ろうとするほど、

 心は割り切れていなかった

 ということだけだった。

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