二年越しの〝ありがとう〟
支店長マルクスから異動の報告を受けたグレンが店内に戻ると、既に営業終了している薄暗いフロアにて従業員たちが手慣れた動作で掃除を行っていた。
そして、グレンの姿を見るなりポツポツと近付いてくる。
「おうグレン、実家を継ぐために帰るのか?」と、脳筋事務員のガイが聞いて来たかと思えば、「何処かの支店で支店長に就任するって噂は本当?」と、受付嬢のロザリアが目を輝かせる。
マルクスからは「適当な理由をつけておいた」と聞いていたが、これほどまでに整合性が取れていない事にまず驚かされた。
とりあえずグレンは「まあ、本部の命令で急な異動が入りまして」と、無難な定型文で応答し納得してもらったわけだが。
フィルネだけは既に退勤したようで、広々とした店内にその姿はなかった。
その後、アダマンサイホンを狩りに行こうとグレンは、人目を避けるようにそそくさとギルドの裏口から店を出た。
すると街灯の下に、まるで待ち伏せしていたかのようなタイミングでフィルネが立っている。
「ふ、フィルネ、もう帰ったんじゃ?」
「待ってたのよ。キミ、どうせ今から『アダマンサイホン』を狩りに行くんでしょ?」
サラリと核心をついてくるフィルネに、グレンは「な、何で僕がそんな危険な真似を……」と必死にトボけて誤魔化す。
しかしフィルネは呆れたように左右に首を振り、グレンの瞳を真っ直ぐに見据えて、言い放った。
「……本当は、キミが打ち切りにした依頼をキミ自身で解決してること、私ずっと前から知ってたわよ」
(ずっと前から……?)
グレンの思考回路が一瞬フリーズする。
今までそんな素振りは一切見せず、ただの『使えない後輩』として扱われていた記憶が脳裏に蘇る。
グレンは「そ、そんな非効率な事、僕がするわけないじゃないですか」と言いつつ、フィルネの目を見る事は出来ない。
「どんだけ嘘が下手なのよ、キミは」
「そ、そんな。憶測だけで言われても……ねぇ?」
グレンの決死の反論にもフィルネは全く動じない様子で答えた。
「証拠なら、あるわよ。……二年前の『リバイフラワー』の採取依頼。奇跡的にその薬草を届けにきた〝名もなき冒険者〟。それがキミだったのは知ってるから」
それは、グレンがルウラ支店に赴任して、まだ間もない頃の話で既に忘れかけていたが、彼女の言葉で一瞬にして当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。
一人の医師がゼルー山脈の頂上付近に自生する秘薬〝リバイフラワー〟を求めて依頼を出してきた事を。
当時のグレンは、まだその座標へ『空間転移』が出来ず。物理的な山登りの時間を確保するために、無理やり連休を取って山脈へ向かったので意外と大変な仕事だったのを覚えている。
あの時の依頼主がまさかフィルネの親戚だとは夢にも思わなかったが。その時から彼女はグレンの動向を裏で監視しており。グレンが夜な夜なギルドの不良債権を解決している事を知っていたという。
「……どうして、今までそれを言わなかったんですか?」
「……知られたくない理由があるんだろうな、って察したからよ。余計な干渉は、イヤでしょ?」
「……全く。アリアさんといい、フィルネといい。その執念には驚かされますね」
グレンが溜息混じり零すと、フィルネは少しだけ声のトーンを落として、寂しげな響きで答える。
「……やっぱり、あの人は知ってたんだ。それでキミに協力してたのね。……結局、事務処理しか出来ない私では、あの人には敵わないってことか……」
フィルネが、一瞬だけ見せたどこか切ない表情と言葉の真意まではグレンには解読できなかった。
それより、何故このタイミングで、二年間隠し通してきた事を話す気になったのか。グレンがその意図を問うと、フィルネは夜風に靡く髪を押さえながら答えた。
「これが、最後だと思ったからよ。どうしても言っておきたい事があったの。……キミ、もうすぐココを去るんでしょ?」
「なるほど……フィルネが昼間に言ってた話って、その事だったんですか」
「そうよ。それを聞いて正直、私……寂しかったんだよ」
「え? な、何で!?」
普段の彼女からは想像もできない殊勝な言葉に思わずグレンは戸惑った。
すると彼女は、いつもの意地悪な……でも、どこか無邪気な少女らしい笑顔を浮かべる。
「だってさぁ……、私のストレスを発散する『サンドバッグ』が無くなっちゃうじゃない。キミに小言や文句を浴びせなきゃ、こんな過酷な仕事なんてやってらんないわよ。……実務では殆ど使い物にならないけど、……アンタみたいなのでも、いないと困るって事よ」
フィルネの容赦ない辛口に、グレンは思わず「もう勘弁してよ……」と苦笑いする。
彼女の毒舌を聞くと、不思議とグレンは気が楽になった。
当初は正体不明の余所者として、他の従業員たちに文句すら言ってもらえず、完全に無視される冷たい時期が長かった。
だが、フィルネだけは。最初から今まで、仕事上の不手際に関してはグレンを見捨てず、容赦なくズバズバと意見をぶつけてくれた存在だったからかもしれない。
「……なんてね。でも……私が今、キミに伝えたい事は、一つだけ」
「な、何……? 怖いんですけど……」
身構えるグレンに対し、フィルネは己の胸に両手を当てて、ルウラの冷たい夜気を大きく吸い込み、深く深呼吸をした。
フィルネが、これほど緊張し、魔力波長を乱している姿を見るのは初めてだった。
やがて彼女は意を決したように震える唇を開く。
「私は、キミが……」
「ぼ、僕がなにか……?」
「……うん。いや……グレンくん。私はキミに心から感謝しています。あの日、私の大切な祖母を救ってくれて本当に……ありがとう。あなたは私の『英雄』です」
そう言って、フィルネは何故か泣き出しそうなほど寂しげな微笑みを浮かべていた。
グレンは、彼女の口から出た想定外の言葉に張り詰めていた緊張の糸は解け、心からの笑みが溢れ出した。
「ははは……っ。僕たちは、『敬語禁止』じゃなかった? それに僕は世界を救うような英雄なんかじゃない。……そんな言葉は本物の『英雄』に言わなきゃ。まぁ、英雄ナルシーさんにもボロクソ言うけどね、フィルネは」
「……ふん。あの脳筋団長はいいのよ。あの人に文句言うのも、ストレスのはけ口なんだから」
なんという鋼のメンタルだと、グレンは目の前の小さな金髪少女に、畏怖にも近い感情を覚えた。
だが同時に、これが彼女らしさだとも思っている。
「二年以上もかかっちゃったけど。キミが居なくなる前に直接御礼を言えて良かったよ。……さあ、早く行きなさいよ。依頼やりに行くんでしょ?」
「……あ、うん。今まで本当にありがとう。まだ暫くはルウラにいるけど。今のうちに僕からも君に感謝を────って、おーい!……」
グレンが話し終える前に、フィルネはグレンに背を向けて早足で去って行ってしまった。
相変わらず、最後まで素っ気ないな、などと思いながら。グレンもまた、彼女とは反対方向、闇に沈む路地裏へと向かって静かに、しかし力強く駆け出した。
ルウラ支店で、最後になるだろうソティラスの仕事を終わらせる為に。




