リバイフラワーの冒険者
フィルネは、自分の隣を「背景」のように歩くグレン・ターナーの横顔を、言葉にできないもどかしさで見つめていた。
俯き加減の視線、やる気のない歩調。どこからどう見ても、彼はただの「無能な従業員」という役割を完璧に演じきっている。
────しかし。
(これだけきっかけを作っているのに、どうして貴方は、本当のことを言わないのよ……!)
彼女の胸の内に渦巻くのは怒りよりも深い、やり場のない焦燥感だった。
────それは、約二年前。
当時十六歳のフィルネ・レンペルにとって、世界はもっと単純で、そして残酷な場所だった。
ベッドに横たわる祖母の右腕。昨日まで土に塗れ、自分を慈しんでくれたその手は、今や血の気を失い、不気味な薄紫色に染まっていた。
診察に当たっていた叔父であり医師のレフ・エリートが宣告するように呟く。
「……やはり、腐食病だ。治すには『リバイフラワー』が必要になる」
腐食病。それは、指先からゆっくりと腐りはじめ、一ヶ月後には内臓をも腐らせて死に至らしめる、神の悪戯のような難病だ。
唯一の希望は、別名『復活の花』とも呼ばれるリバイフラワーのみ。それは、あらゆる毒と病を浄化する万能の触媒だが、その入手難度は「命と引き換え」といわれるほどの難易度という。
「彼女には僕も世話になったから、出来ることは全力でやる。だが……あの花ばかりは、金で手に入るものじゃないんだ」
「はい……わかってます」
フィルネは典型的なお婆ちゃん子だった。両親が仕事に身を投じる中、誰より彼女を温かく見守ってくれたのは祖母の笑顔だった。
その光が消えようとしているのだ。
翌日、フィルネは祈るような思いで依頼書を作成した。頼みの綱は、奇跡を成し遂げる冒険者たちしかいない。
しかし、掲示板に貼り出された『ゼルー山脈のリバイフラワー採取』という真新しい希望は、何故か数日と経たずに無残に引き剥がされた。
犯人は、中央大陸の本部から送り込まれてきた「新人」──グレン・ターナー。
当時のルウラ支店において、打ち切りの判断は全従業員の合議制だったが、彼が来てからはその全権がグレンの独断に委ねられ、ギルドマスター直々の命により、他の職員の介入は一切禁じられたのだ。
納得できるはずがなく、フィルネは詰め寄った。
「グレンくん! あの依頼、どうして打ち切ったの!?」
「いや……あれはもう、見込みがありませんから」
「一週間も経ってないのに!?」
「ええ、まあ。あそこは危険すぎます。死にたがりの馬鹿でもない限り、請け負う者はいないでしょう」
「それでも……!多くの冒険者に紹介するのが私たちの仕事じゃない!」
「この界隈の冒険者に、あれをこなせる実力者は……一人も、いないかと」
グレンの言葉は、氷のように冷徹な正論だった。
しかし冒険者を死地へと送り出すのは確かにギルドの規約違反だ。ランクという名の安全装置が、祖母の命を救うための道を塞いでいた。
(――じゃあ、私のお婆ちゃんは、ただ死ぬのを待つしかないって言うの!?)
私的な感情をぶつけることはできなかったが、彼女の心にはグレンへの拭い難い遺恨が刻まれた。
その日の夜。
家に流れる沈滞した空気。冒険者という頼みの綱すら断ち切れた現実を受け入れたフィルネは部屋で一人、自分の無力さを呪い、涙を流すことしかできなかった。
絶望に塗りつぶされ、ストレスにより体調を崩したフィルネは仕事を休んだ。
しかし、二日程が経った夕暮れ時。
その奇跡は、唐突に叔父の家へと届けられたという。
それは紛れもない一輪のリバイフラワー。
叔父の話によれば、「冒険者によって達成された」という旨を、ギルドの従業員が花と共に伝えに来たのだという。
フィルネは歓喜した。しかし同時に、拭えない違和感を覚えた。
あの依頼は、確かに「打ち切り」となり、誰の手にも渡らなかったはずだからだ。
翌日、這うようにして出勤したフィルネは、血眼になって調査を開始した。もはや理由はなんでも良い。ただ、その冒険者にお礼を言いたかった。
しかし、依頼をこなした冒険者も、それを処理した従業員すら。従業員の誰も知らないという奇妙な状況に陥っていた。
『リバイフラワー?そんな依頼、受けた冒険者なんていたかな?』
『昨日は受付が戦場だったからね。外回りに出た奴はいないはずだよ』
『完了報告? 三件あったけど、薬草関係は一つもなかったけど…』
冒険者の情報は皆無。それどころか、昨日の夕方までに店を出た従業員は、誰一人として存在しなかった。
唯一、話を聞いていないのはグレン・ターナーだけだったが、彼は受付をしないし、何より、あの依頼を冷酷に打ち切った張本人なので聞くまでも無い。
では一体誰が、その冒険者とコンタクトを取ったというのか?
この時、フィルネは、まだ何も知らなかった。誰にも知られずに「秘密の任務」を果たしている、一人の英雄の存在を。




