精霊の牢獄
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いま思えば、あの時のアリアの行動は〝そういう事〟だったのか。と、グレンは、自分の胸の中にすっぽりと顔を埋め、幸せそうな表情を浮かべているアリアを見ながら全てを理解した。
イルマール大森林の遺跡からルウラ近郊への空間転移が終了して、魔法陣のパーティクルが消散したというのに彼女はグレンの腕の中から離れようとしない。
遺跡に向かう時もやたらと物理的な距離感を詰めて来たし、一瞬で転移のプロセスが終わってしまった事を露骨に名残惜しそうにしていた。
彼女の好意を知ってしまえば、「なるほど、そういう行動原理だったのか」とクリアになるのだが。
「……あの、アリアさん。転移……終わってますよ? 」
「うん、知ってる。グレンくんの魔法は本当に便利だけど……私は二人で歩いて帰るのも悪くないなぁって思うんだ。だって、その方が長く一緒に居られるし」
「そ、そうですか……」
グレンとて、出会ってからこれまでの期間、アリアとの事務的な会話には十分すぎるほど慣れていたはずだったのだが。
いざ互いの気持ちを再確認してしまうと、どうにも〝ぎこちなさ〟が出てしまう。
ルウラの街へと歩いて戻ったグレン達は、今日の所は一旦解散する事にした。
遺跡の底で発見した不気味な石碑について詳細な解析をしようにも、図書館は朝にならないと開かないからだ。
「じゃあ、グレンくん。今日はもう遅いし、私の部屋に泊まっていく?」
「な、なにを言ってるんですか!」
「あははっ、冗談だよ。 顔真っ赤にして可愛いなぁ。……でも私、これからは遠慮しないから覚悟してね! じゃあ、また明日。 私の宿まで迎えに来て」
アリアは悪戯っぽい笑みを浮かべ、大きく手を振ると、自分の定宿へと跳ねる様な足取りで帰っていった。
これまでとは打って変わった、あまりに積極的なアリアの行動にグレンの思考回路は終始緊張を強いられていたが。気持ちを切り替えて、冒険者ギルドの奥──支店長室のマルクスの元へと今回の〝死生蝶事件〟の報告に向かった。
「────と、いう事で。発生源であった遺跡の異常はアリアさんの光魔法で浄化され、事態は収束しました。明日の朝、原因となった石碑について少し調べたいのでギルドへの出勤が遅れると思います」
「……わかりました。いやはや、今回の件は肝を冷やす大事件でした。我がギルド支店の運営資金も底を尽きかけていましたから」
マルクスは心底ホッとした表情で安堵のタメ息を吐き、デスクの上の高級な紅茶をすすっているが……その紅茶はグレンの目の前に置かれていたものだ。
国家規模の危機解決の報告を受け、極度の緊張から解放されて気が抜けているのだろう。グレンも敢えてツッコミを入れなかった。
「まあ、後は徐々に魔物の数も落ち着いていくと思います。魔物さえ減れば、依頼主の方々も納得して、滞納していた達成報酬金をギルドへ支払ってくれるでしょう。
全てはグレンさんの迅速な対応のお陰です。我がルウラ支店は、最悪の危機を免れることができました。本当に、お疲れ様でした」
立ち上がり、深々と直角に頭を下げる支店長マルクスに対し、グレンは慌てて両手を振って制止する。毎度毎度、上司と部下の関係性が完全に逆転したやり取りが、グレンは一番苦手だった。
「いや、だから普通に部下として扱ってくださいよ。表向き、僕はただの事務員なんですから」
「いえいえ、我々が背負っている責任の重さは違いますからな。遅刻報告も、本来であれば全く必要ありませんが、律儀に報告いただき恐縮です」
確かに、マルクスは普段からソティラスであるグレンの仕事を最優先とし、自由出勤の権限を認めているので遅刻報告の必要はなかった。
赴任してきた一昔前は、他の従業員に対する体裁として厳しく接していた事もあったのだか。今となってはギルドの従業員達すら、グレンがどれだけ好き勝手に仕事を抜け出しても「ああ、またグレンくん、どっか行ったね」と普通に受け入れる始末。
それでも、こればかりは生真面目なグレンの性格。しっかり遅刻する事を報告した上で平穏な翌日の朝を迎えたかった。
そんな翌朝。昨夜の約束通り定宿までアリアを迎えに行き、そのまま二人で王立図書館の重厚な扉を開いた。
館内に所蔵されている膨大な書籍の中から古代文字についての専門書を閲覧しながら、遺跡の石碑から書き写した文字を照らし合わせて解読していくと。
それは、古代の魔法言語で〝精霊の牢獄〟を意味する言葉であった。
そこで、更に〝精霊の牢獄〟についての歴史的記述を調べた所。遥か昔の神話の時代に、イルマール大森林の遺跡に複数の『高位精霊』を人工的に集め、封印した大魔導士の話に行き着いた。
資料によれば精霊という純粋なエネルギー体は、生物の肉体『器』に宿っていないと自我を維持できず、やがて〝死生蝶〟と呼ばれる分散した『魔力の発光体』へと変質してしまう事が記載されていた。
アンデッドを生み出すあの〝死生蝶〟が、古文書で別名〝精霊の灯火〟とロマンチックに呼ばれている理由もそこからだろう。
つまり、死生蝶が無限に湧き出していたあの地底湖の発生源は、あの石碑の地下に何千年も閉じ込められていた古代の精霊たちの成れの果てという事だろうか。
では、長きに渡って封印されていたものが何故『今になって』解放され、生態系を破壊し始めたのか。それこそが謎である。
「……ねえ。この資料、『精霊の波長は他の精霊の波長と共鳴する』……みたいな事が書いてあるよね? 私の中にあの〝死生蝶〟が強制的に流れ込んできた状況と関係するのかな? 」
「確かに、共鳴という理論は合っていますが。アリアさんが遺跡の最深部に入った時には、既に〝死生蝶〟は大量に湧いてましたからね」
時間軸で考えるならば、グレン自身も過去のパトロールでこの遺跡の奥まで足を運んでいるので、その時に自身の精霊と共鳴し、トリガーを引いてしまった可能性もゼロではない。
とは言え、グレンが遺跡を訪れたのは相当昔の事。もしグレンの精霊の波長に反応していたなら、もっと前に〝死生蝶〟が報告されていた筈だ。
それにグレンがこの西方大陸に赴任して来た時には、既に自分の深淵に潜む凶暴な精霊をある程度は制御出来ていたので、魔力を無自覚にだだ漏れさせるような事はない。
アリアに関しては、回復魔法で直接的な魔力を繋いだ事で〝死生蝶〟とリンクしてしまったのだろうが。その異常な負荷に、たまたま彼女の中の未知の精霊が反応したような感じだったとグレンは分析している。
「……〝精霊憑き〟って言っても、普段は精霊なんて表に出てこないのよね? じゃあ、自分の精霊の力を100%解放出来るヤバい奴が、あの遺跡で封印を解放したとか……そういう可能性は?」
可愛いらしい唇に細い指を当て、小首を傾け真剣な表情で推論を立てるアリアからグレンはスッと目を逸らす。
どうも昨日、遺跡の底で突然の告白を受けて以来、グレンは彼女の何気ない仕草にすらも照れてしまう。
だが、そんな内心を悟られると、また彼女にいじられる事になるので必死に冷静を装った。
「……精霊の力を自由に解放する事は考えられませんね。アリアさんも昨日、自身の精霊に乗っ取られる事のリスクを身をもってわかったでしょ? そもそも、〝精霊憑き〟自体が、珍しい」
グレンが昔、師匠である『シオン・ハイド』から叩き込まれた教えによれば、精霊にも明確な階級があるという事だった。
自然の中に紛れている微小な精霊が稀に人に宿るが、一時的で、そのくらいで〝精霊憑き〟とは定義しないという。
〝精霊憑き〟とは、自我を持つ強大な精霊が宿っている事を言い、聖王国の水巫女なんかは生まれつき『水』を司る〝精霊の王〟が魂に宿っていると聞いた事がある。
そんな災害級の精霊憑きが世界中にポンポンといたら、水巫女だけがあれほど危険視される事はない。
「ま、まあね。心も体も好き勝手されたら社会生活が崩壊して困るもん。……でも凄い偶然だよね。私と、グレンくんと、リュシカちゃん。世界でも超レアな三人の〝精霊憑き〟が、このルウラの近郊に一時的に集結してたって事になるのか」
「言われてみれば、すごい確率ですね」
何気に同意しながらも、グレンの思考回路は急激に一つの真実に向かって収束し始めていた。
水巫女リュシカが西方大陸のルウラ近郊に潜伏し始めた時期。そして、イルマール大森林で死生蝶の異常発生し始めた時期。これらは同時期ではないか、と。
当時のリュシカの行動を知るには、一緒にいたビリディに聞くのが早い。
「……アリアさん。一度、ナルシーさんに口利きしてもらって、ビリディさんの居場所を教えてもらいましょう。リュシカさんと、イルマール大森林の遺跡の付近を通行していた可能性もあります」
グレンとアリアは、その足でナルシー団長への面会を求めに王城へと向かう事にした。




