零れ落ちる本音
◇◇◇◇◇
「……光の精霊よ、慈悲の光を我が魂に宿し………」
その時アリアは、無限に羽化する蒼白く光る水面に向かって自身の回復魔法の奔流を惜しげもなく流し込んでいた。
それが死生蝶に対してどんな効果をもたらすかは完全に未知だが、グレンが『効果があるかも』と言う事なので、とりあえず全開でやってみたのだ。
しかし、膨大な魔力を放出しながらも、アリアの脳内は背後に立つ『グレン』の事ばかりで埋め尽くされていた。
自分に好意を持ってくれているのではないかと思って舞い上がっていたが、次の瞬間には〝単なるパートナー〟とばかりに突き放されたりする。
ここ最近、アリアの感情はアッチコッチ振り回されっぱなしだった。本人に直接問いただせばいいのだが、こういう事だけは、どうしても踏み込めないのがアリアの弱点だ。
今回も夜の遺跡デートに誘われた、なんて甘い期待を抱いていたが、蓋を開けてみれば彼が必要としていたのは『自分自身』ではなく、『聖魔法』だったという事実に一人で勝手に落胆していた。
もちろん、普段から勝手にグレンの仕事に首を突っ込んで、彼に付きまとっている迷惑な女だという自覚はある。しかし。
(──私って、もしかして……メチャクチャ都合のいい女として扱われてるのかな?)
アリアの中で、らしくない自己肯定感の低いネガティブな思考ループが作動していた。
あの合理主義のグレンが、他者の感情を意図的に弄んで振り回すとは思ってはいないのだが、胸の奥に渦巻くモヤモヤとした感情は一向に消えなかったのだ。
そんな生産性のない事を考えながら、魔力を放置していたら。ふと、アリアは自身の内部に起きている『異変』に気付いた。
先ほどからずっと最大出力で回復魔法を使用し続けているのに、体内の魔力が減る感覚が一切ないのだ。
正確には、消費していないのではなく外部から、全く『別の魔力』が自分の中へ強制的に逆流して来ている感覚だった。
それは、アリアが照射している光の回復魔法を『導線』として、池の底から膨大な魔力がアリアの体内に直接侵入してきている感覚だった。
〝死生蝶〟を生み出す不思議な魔力が体内に流入して、自身が持つ魔力と混ざり合う事で、激しい拒絶反応が起きている。それは、〝魔力暴走〟の始まりにも思えた。
(ダメ、これ以上は抑えきれない!)
アリアが諦めかけた瞬間。自分の中の深淵から、底知れない巨大な『別の魔力』が突然マグマのように沸き上がってくる。
それはまるで、自我を持った大波のように、大量の死生蝶を片っ端から飲み込み、貪り喰っていくような凄まじい感覚だった。
自身の肉体という密室の中で突然勃発した未知の魔力により、自らの意識すら暗闇に引きずり込まれていく。
遠くから自分を呼ぶグレンの声が聞こえた気がして、アリアは千切れそうな意識の糸を必死でシッカリと繋ぎ止めた。
巨大に膨れ上がった未知の魔力が、一気に〝死生蝶〟を食らいつくしていく。
まるで、自分の体内に潜んでいた『別の〝何か〟』が、宿主の危機に気付いて一時的に肉体の権限を奪い、力を貸してくれたようだった。
激しい負荷から解放され身体がスッと楽になる。体内で起きた〝魔力暴走〟は、何とか押さえ込んだように見えたが。
今度は、自分とは全く別の〝未知の意思〟に身体を支配されるのを感じた。
気が付けばアリアは自分の論理的な意思とは全く無関係に、目の前のグレンを馬乗りになって押さえ付けていた。
一難去ってまた一難。……死生蝶に肉体を乗っ取られた!? と一瞬疑ったが、体内から死生蝶の不快な波長が完全に消滅している事は直感的にわかる。
では、一体〝何が〟私の体を勝手に動かしているのか……と戸惑っていた次の瞬間。アリア自身の口から、全く意図していない言葉が勝手に零れ出した。
「……ねえ。キミは、私の事をどう思ってるの?」
完全に状況が理解できず困惑するグレンの顔を見下ろしながら、誰よりも一番激しく戸惑ったのはアリア自身である。
アリアの中の『別の何か』が、感情を解放するように暴れだす。同時に膨大に生み出される魔力は、アリアの体内に留まりきれずに外に漏れだす。
自分が力任せに押さえ込んでいるグレンの身体に、別の強い力がのし掛かっていく。
このままではグレンの身体を押し潰しかねない。事実、アリアの中でグレンは、あまりの重圧に苦しそうに顔を歪めていた。
一刻も早く離れなければと脳では思うのだが、アリアの身体はミリ単位すら自分の意思通りに動かなかった。
それどころか、自らの口が勝手に言葉を紡ぎ始める。
「……私は、キミにとってただの道具なの? お願い、聞かせて……」
(ちょっ、バカ! 急になに言い出してんの、わたし!』
確かに、日頃から自分がグレンに対して抱いている想いではあったが。今、この命懸けの遺跡探索の最中に問う事では決してない。
極端に場違いな事を口走る『別の自分』に腹が立つやら恥ずかしいやらで発狂しそうだった。
しかし、その暴走はついに自分の中に封印している感情までも吐露し始めた。
「……あなたが好きよ、グレン。ずっと一緒にいたい。キミは……どうなの?」
自分の発した言葉に我が耳を疑った。
よもや、彼を押さえ付けた状態で愛の告白をする時がこようとは思いもしない。これでは、完全にイカれた女だ。
ふと、アリアの瞳からポロポロと涙が溢れ出た。どういう感情かはハッキリしないが、アリア本人は確かに泣き出したい気分ではある。
ある程度は自分の意思も肉体に反映される余地が残っている事を感じたアリアは。何とかこの状態から脱出しようと、必死で自分の中の〝別の自分〟を抑え込もうと足掻いた。
そんな必死の抵抗の結果、少しづつではあるが身体のコントロール権を取り戻しつつある。
とめどなく流れ落ちるように溢れ出す感情と、暴走する魔力の圧を必死で押し殺しながら。今の自分の本来の意思を伝えようと、アリアは口を動かす。
「ち、違う……っ! 私は、こんな……!」
こんな風に一方的な告白をして彼を困らせたいわけではない!……そうではなくて。
「────こんなの、私じゃないッ!!」
アリアは魂の底から叫んだ。
すると途端に、身体にかかっていた異常な重力がフッと消え去り、体外に漏れ出していた魔力が一気に体内へと収縮されていくような感覚に陥る。
急に肉体の自由を取り戻した事で、アリアは慌ててグレンから離した。
「ご、ごめんなさい、グレンくん! 私……自分でも、何がどうなってるのか全くわからなくて……!」
「アリアさん。……ひょっとして……」
「ち、違う! さっきの告白は私じゃない……っていうか────」
「いや……アリアさん、僕と同じ〝精霊憑き〟じゃないんですか?」
「…………はっ? せいれい、つき?」
どうやら見当違いだったらしき弁明の言葉を遮られ、全く知らない単語を投げかけられたアリアは思わず素っ頓狂な声を上げる。
グレンは、ゆっくりと床から身を起こし、衣服の埃を払いながら〝精霊憑き〟と呼ばれる現象について説明しはじめた。
高位の精霊に取り憑かれる人間が世界に極稀に存在するという。精神の波長が不安定な者、あるいは生まれつき魂に宿っていたりするらしかった。
そして、体内に精霊が宿っている者は膨大な魔力を持っている反面、時に精霊の意思が宿主の意思に反した行動を起こす事もあると、グレンは語る。
(……なるほど。さっきの私の猟奇的な告白も、まさに乗っ取りだったのか?)
思い返せば昔からアリアには、自分の記憶に全く残らない『空白の時間』があった。
自分の精神状態が不安定に陥ると、その後の記憶が部分的に綺麗に抜け落ちているのだ。
これまで『疲労で寝落ちでもしたのか?』くらいに考えていたが、それが精霊という存在に意識を支配されていた時間ではないと、否定出来るほどアリアの精神は強くない。
「ちなみに、実は僕自身もそうです。そして、おそらく水巫女のリュシカさんも同じ体質かな?と。前にビリディさんに聞いた事があるんです。彼女は『自分が召喚魔法を使った事を全く覚えていないって」
グレンの言う事は、直ぐに「はいそうですか」と受け入れられる話ではない。
しかし今回に限っては、その精霊が先程〝しでかした取り返しのつかない暴走〟の記憶を、アリア自身がハッキリと覚えているのだから、自分の中の〝未知の同居人〟のせいにしたい気持ちではあった。
「……そ、そっかぁ! じゃあ、さっき言った事や行動は全部私の中の精霊が勝手にやってたのね! いやー、驚いちゃった!」
「おそらく、そういう事でしょう。……それより僕、アリアさんの『気持ち』に全然気付けてなかったなんて。ごめんなさい」
「へ!?い、いや……だからソレも精霊が勝手に言った事で私の本心じゃ……」
「……精霊は嘘をつけないんです。一応は術者と一心同体なので、リミッターが外れると『術者の奥底の本音』もボロボロと出てしまうので」
グレンが淡々と話す〝精霊憑き〟である者の特徴を聞きながら、アリアは自分の顔面の温度が沸点を超えて熱くなり、耳の先まで真っ赤に染まっていくのを感じていた────。




