魔力の泉
出発の準備を済ましたグレンが、アリアの拠点である宿屋裏へと向かうと、既にその暗闇の中には待機しているアリアの姿が確認出来た。
「じゃあ、行きましょうか」と声をかけると彼女はコクりと頷き、グレンの横に並ぶ。グレンは転移魔法を作動させるため、彼女の華奢な肩をそっと抱き寄せた。
淡いエメラルドグリーンをした微小な魔力の粒子が、二人の周囲を円筒状に囲み出し、空間座標の書き換えプロセスが開始される。
直後、アリアがグレンに自身の体重を預ける形でピタリと密着してきた。
次の瞬間、緑の発光体は全てシャボン玉のように弾けて消えた。
二人の目の前の景色はルウラの街並みから、鬱蒼と生い茂るイルマール大森林の古代遺跡の前へと完全に切り替わっている。
「……あ、アリアさん。指定座標に着きましたよ」
「うん……。なんか、一瞬過ぎてちょっと寂しいなぁ」
「いや、まあ。転移とは、そういうものなので」
彼女の「寂しい」という言葉に対し、なんと返せばよいか全くわからず。グレンは、自分の胸の奥で早鐘のように高鳴っている心臓を感知されないよう極めて静かに、かつ自然な動作でアリアの身体を自分からそっと離す。
そして、直ちに広域の感知魔法を展開した。
遺跡の周囲にはおびただしい数の魔物の生体反応が存在していた。
魔物の半分以上は攻撃的な意思を持たず徘徊しているようだが、残りの半数は当然のように、新鮮な魔力源であるグレン達に引き寄せられるように容赦なく襲いかかってくる。
グレンは、前方から突進してきた一匹の巨大な人型の魔物──『オーガ』に圧縮した風魔法をぶつけ、その巨体を木っ端微塵に蹴散らした。
そして、その死角を突いて背後から飛びかかってきた二つの首を持つ凶悪な魔物──〝オルトロス〟の頭蓋を、振り返りざまに風を纏わせた拳で無造作に殴り落とし、即死させる。
「……とりあえず、死体は燃やして灰にしておきますね」
グレンが息をするように魔物を瞬殺し、その死骸を焼却する為に強力な火炎魔法を浴びせるという一連の効率的な流れを、アリアはポカンと口を開けて見ていた。
「……グレンくんって、あのレベルの強暴な魔物でも、まるで肩に止まった虫を払い落とすみたいに倒しちゃうよね」
「まあ、純粋な反復演習による『慣れ』みたいな?」
グレンは油断なく辺りの環境を索敵する。
しかし、周囲を徘徊している他の魔物たちは先程のオーガ達と違い、グレン達に対して全く興味が無い様子である。
「ねえ、あそこでウロウロしてるのは、全部『死んでる魔物』なのかな?」
「おそらく」
「見た目じゃ、生きてるか死んでるか全然わからないのにね。あの子たち、攻撃しても死なないの?」
「いや。物理的に外傷を与えれば、傷口から一旦『動力源』が抜け出るので、機能停止して動かなくなるでしょう。でも、また〝コレ〟が内部に入り込むと、動くんじゃないですかね」
グレンが指差す方向に、まるでホタルのようにヒラヒラと頼りなく舞う〝青い光の玉〟が飛んでいた。
それこそが、この森の生態系を狂わせている〝死生蝶〟なのだが、アリアはその発光体を不気味がるどころか、興味深そうにじっと見つめていた。
「……なんだか、すごく綺麗だね」
「美しいものには毒があると言いますし、実は『人魂』かもしれませんよ?」
「ひぇっ! ……ち、ちょっとグレンくん! 脅かさないでよ!」
「あはは、冗談ですよ。とりあえず遺跡の中へ入ってみましょう」
グレンが先行して遺跡の暗所へと足を踏み入れると、アリアは膨れっ面をしながらグレンの背中に隠れるように後に続いた。
遺跡の内部にも数体の魔物が巣食っていたが、どれも死生蝶が寄生していない『普通の魔物』だった。
それらをグレンが風の刃で効率的に始末し、アリアが光魔法で焼却していく。
本来、この遺跡の内部には魔力を忌避して殆ど魔物が生息していなかった記憶がグレンにはあった。それが今は空間全体が何らかの異常事態に侵食されている雰囲気を、ひしひしと感じさせる。
時折、空中を不規則に飛んでいる〝死生蝶〟を見かけるが、基本的に生体活動を行っている生者に対しては全く害が無さそうだった。
その後、グレンとアリアは共に遺跡の最奥部まで散策したが、特に異常な発生源となるものは見当たらない。
すると、アリアが「ねえ、こっちに隠された階段があるよ!」と叫ぶ。
二人は遺跡の更に地下へと降りていく。最初は、明らかに人工的に切り出された石造りの地下通路が続いていたが、深度が下がるにつれ次第に壁の意匠が荒々しい天然の岩壁に変わる。
気が付けば、そこは自然形成の広大な洞窟へと変貌していた。
光源が一切ないはずの地底洞窟の中は、松明や魔法の明かりを灯さなくても、何故か仄かに青白く明るい。その理由は明白で、洞窟の奥深くへ進行する程、宙を漂う〝死生蝶〟の絶対数が異常な密度で増殖している為だった。
「……やはり、この奥に何かあるのかもしれません」
「ねえ、グレンくん……なんだかすごく不気味なんだけど。あのね……手を、繋いでもいい?」
「えっ? ……べ、別に、かまわないですけど……」
恐る恐る、そっと細い指を絡めるように手を握ってくるアリアの横顔を、グレンは横目で見下ろした。
(……随分と距離が近いな……。いや、これは純粋に暗所やオカルトに対する恐怖心からの防衛本能であって、他意はないはずだ)
己に言い聞かせながらも、死生蝶の淡い蒼白い光に照らされるアリアの美しすぎる顔面に、グレンは心臓の鼓動を跳ね上げる。
だが、その緊張も束の間。
すぐに視界が開け、無数の蒼白い光に照らされた広大な空間が二人の前に姿を現した。
グレンが過去に探索した時の記憶では、この遺跡の深層にこのような地形は存在しなかった。そこに、地下水を湛えた巨大な『地底湖』が広がっている。
池の底の深淵から圧倒的な濃度の蒼白い光が水面へと漏れ出ている。おそらく、天文学的な量の〝死生蝶〟が、あの水中で培養されているのだろう。
池の水面から次々と羽化するように青い光の玉が飛び出し、周辺の空間へと際限なく飛散していく。
「ちょ、ちょっとこれ……。こんなに信じられない数いるの!?」
「これは完全に予想外ですね。……でも、間違いなくこの巨大な池から、とてつもない魔力を感じます」
「……え? グレンくんって、もしかして魔力の波長とかを見れる特異体質な人なの?」
「いえ、魔力そのものを視認できるわけじゃないんですが。強大な力は、自分の中の〝別のもの〟を通して感じます」
アリアが不思議そうに小首を傾げたので、グレンは自分の中に寄生している〝風の精霊〟という理不尽な存在を通したこの特異な知覚を、どう説明しようか考えたが。
それよりも、眼前に広がるこの無限増殖する死生蝶をどう処理するか……という最適解を導き出すのが先決だと思考を改める。
グレンは懐から、ギルドの書庫で借りてきた『一冊の古文書』を取り出した。
「ここに記されている、〝荒れ狂う精霊の灯火、聖なる光により浄化せん〟っていう一節が僕はこの現象を止める為の『キー』だと思うんですよ」
アリアにその古めかしいページを開いて見せると、彼女は難解な古代文字にキョトンとした顔をしたので、グレンは更に噛み砕いて説明する。
「死生蝶っていうのは、『死』の概念に対して寄生するウイルスです。ひょっとしたら、全く逆のベクトルである〝生命のエネルギー〟を送り込む事で浄化出来る気がしませんか? たとえば、ここに書いてる〝聖なる光〟っていうのは、回復魔法の事じゃないのかなって、僕は考えてるんです」
「……まあ、理屈としては確かに一理あるね……」
「アリアさんの使う回復魔法って、まさに〝聖なる光〟そのものじゃないですか。だから、アリアさんの魔法なら、この池の〝死生蝶〟の源を浄化させられるんじゃないですか?」
自分の推論を自信満々に熱弁するグレンを、アリアは静かに、どこか冷めたような瞳でじっと見つめて答えた。
「……ひょっとして。私を誘ったのって……デートとかじゃなくて、単に『浄化の魔法役』として……だったの?」
「はい! 僕自身もこの仮説に100%の確信があったわけではないのですが、アリアさんの能力なら間違いないと思いまして!」
「……なんだ。結局、そういう事だったんだ」
蒼白い光に照らされたアリアの表情が突然、ひどく不機嫌なように感じ。グレンは慌てて謝罪の言葉を紡ぐ。
「ご、ごめんなさい! ちょっとアリアさんに頼り過ぎですね」
「……ううん、そんな事ないよ。いいよ、わかった。とりあえず、全力の回復魔法を使ってみるね」
力なく微笑んだアリアは、池の淵に立ち、水面に向かって高位回復魔法の長大な詠唱を開始した。
アリアの身体から放たれた目映い黄金の光は、まるで吸い込まれるように、その不気味な青い水の中へと奔流となって流れ込んでいった。
二つの光が交じり合い周囲の空間が様々な光の乱反射で昼間のように白く明るくなった。
その後もアリアの体内から出力される光の魔力は、衰える事なく尋常ではない量で水の中に流出し続けている。
「アリアさん。もう、十分効果は出ているんじゃないですか!? それ以上魔力を放出し続けると、魔力回路が焼き切れてしまいます!」
しかし、アリアはグレンの警告にも何も答えなかった。
それどころか、アリアの体から放たれる光の奔流は、逆に暴走するように光度を強くしていく。
(流石にこの出力は命に関わる!)
グレンは、詠唱を強制中断させる為にアリアの肩を激しく揺すってみたが、まるで反応がない。
「アリアさんッ! 聞こえますか!!」
グレンが耳元で大きな声で叫ぶと、アリアはようやくピクリと反応し、静かにその瞼を開けたが、その瞳にはいつもの優しい光はなく、虚ろな瞳だけが機械的な動作でゆっくりとグレンへ向けられた。
アリアの体から池へと流出していた莫大な魔力が今度は突然反転し、彼女自身を不気味な繭のように包み込み始めた。
そして次の瞬間。アリアが人間離れした異常な腕力でグレンの胸倉を掴み、そのまま強引に押し倒す。
グレンが冷たい石の床へ背中を打ち付けると、その上に馬乗りになってグレンの両肩を凄い力で抑えつけてきた。
グレンは反射的に風の魔力を練って起き上がろうとしたが、まるで身体の上に数十トンの大岩でも乗せられているかのように、ピクリとも動かすことが出来なかった。
──『……おいヤバいぞ。こいつ……もう〝人〟じゃねぇ!』──
グレンの深淵で眠っていた『風の精霊』が、かつてないほどに危機感を覚えていた────。




