死生蝶
レイクレイルの森でアダマンサイホンの〝動く死骸〟を確認したグレンとアリアは、重い足取りでルウラのギルドへと帰還した。
とたんに受付嬢のフィルネが、グレンの姿を視認するなり藁にもすがるように近付き、切迫した声で耳打ちをしてくる。
「ねえ、ちょっと本気でヤバいんだけど。今日たった一日で、魔物討伐の依頼が『二十件』も入ってる。……正直、うちのギルドでの対応は完全に限界よ」
「いや、まあ。確かにここ最近、魔物が多いような気はしてたんですよ」
正直なところ、グレンも少し前からこの不自然な生態系に気がついていた。
本来、野生の魔物はそんなに頻繁に姿を現すものではない。あのアダマンサイホンのように、人間を警戒して隠れ潜む臆病な魔物の方が自然界には圧倒的に多いのだから。
だがここ最近、グレンが占拠している西の森の屋敷付近でも、本来生息していないはずの様々な魔物の姿が頻繁に目撃されるようになっている。
それに伴い、掲示板の依頼傾向を分析していると、以前より『簡単な採取依頼』や『護衛依頼』が目立っている。
つまり、以前なら一般人が単独で移動できた安全な交易ルートでさえ、魔物のせいで護衛を付けないと危険になっているという事だ。
これがもっと増えてくると、冒険者不足で依頼の相場は上がっていくかもしれないし、そうなると簡単な採取依頼や護衛依頼でそこそこ稼げるようになり、危険度の高い本当に重大な依頼などを受ける冒険者は減る可能性もある。
通常の依頼よりも王国案件に高ランク冒険者を取られるような流れは終わるかもしれないが、通常依頼の件数が異常増殖するのは、それはそれでバランスが悪いのだ。
翌日、レビルの依頼は一旦掲示板へと残し。グレンはギルドの事務仕事を終えた後、それ以外の魔物の討伐依頼書を数件破棄し、〝ソティラス〟として始末した。
純粋な討伐系依頼であれば、いちいち依頼主への面倒な完了報告のプロセスを踏む必要も無い。ようは魔物を排除すれば困っている人はいなくなるのだから。
────しかし、その三日後。
グレンは、自分の考えがどれほど甘かったかを知る事になる。
指定された座標に向かい、討伐対象を風の刃で次々と始末していくのは簡単な作業だった。
ところがグレンが破棄して自ら処理した依頼の数件は、減る取り消されるどころか増えているのだ。
というのも本来、魔物は特定の発生源を持たない限り、同じ場所に大量に湧くものではないので、そこの魔物を排除すれば依頼は完了するはず。
しかし、グレンが確実に殺したはずの魔物が同じ場所にまた発生しているようなのだ。
その日を境に、ギルドの窓口に怒号と共にクレームが殺到し始めた。
グレンの時と同様に、実際に冒険者達により正規で受けられ討伐完了したはずの依頼に関しても、〝討伐されていない〟というクレームである。
「もう、いい加減にしてよ……! 今日一日で何件のクレーム対応に追われてると思ってるのよ!」
フィルネの絶望する気持ちも痛いほどわかるが、その処理を多少でも手伝っているグレンも完全にヘトヘトだった。
ネズミ算式に増え続ける魔物に関する依頼。冒険者からの完了報告。されど、依頼主からはクレーム。
「本当に討伐したのか!? 嘘の報告で報酬を騙し取ったんじゃないのか!」
「完了したと報告されたが、現場ではまだ魔物がウロウロしてるぞ! この前払った報酬を全額返してくれ!」
ギルドという組織に対する依頼主からの信用は完全に落ち始めていた。
ギルド側は依頼達成の報告を受ければ、規定通り冒険者に『ギルド報酬』を支払わなければならないが。その一方で、魔物からの被害が減っていない依頼主からすれば、当然ギルドへの『達成報酬の支払い』を拒否する。
このままではルウラの冒険者ギルドの経営は回収不能債権で崩壊してしまうだろう。
ソティラスとして、グレンもこの絶望的な状況を黙って見過ごすわけにはいかない。逸早く根本的な原因究明に取りかかっていた所、一つの有力な情報を入手した。
それは、北の港町へ向かう一人の冒険者の奇妙な証言だった。
その冒険者は北の港町シースへ向かう為のショートカットとして、広大なイルマール大森林を抜けていたという。
その薄暗い道中で、彼は『完全に息絶えていたはずの一匹の魔物の死骸が、不気味にも動き出す瞬間』を目撃したと言うのだ。
その証言を聞いて、グレンの脳裏に真っ先にフラッシュバックしたのは、アリアと共にレイクレイルの森で見た、あのアダマンサイホンの〝動く死体〟である。
つまり、アダマンサイホンという単一種に限った特異な話ではなく。この周辺一帯の魔物の死骸全てが、何らかの理由で『復活』している可能性が極めて濃厚になった。
そこで、グレンは仮説を検証するため、倒した魔物を高火力の魔法で完全に焼き尽くし、物理的に消滅させてみた。
案の定、器を完全に失ったその魔物が復活する事はなかった。
しかし普通は死体の処理などという面倒な事をいちいち行わない。討伐の証拠部位だけを切り取れば、死骸はその場に放置する。
その結果、魔物がゾンビ化する事態になっているのではないか?
そこでグレンは依頼の場所の特徴や広域探知魔法などを駆使し、魔物の異常発生の震源地を探り、更に王城の書庫で古文書を調べる事にした。
アリアも協力する事になり、二人で数時間にわたり大量の書物に埋もれた結果。
今回の魔物復活の原因を起こしている最も可能性の高い場所としてグレンが突き止めたのは。
最近魔物の発生率が異常に突出している『イルマール大森林』の深部である。
グレンは、隣で熱心に書物を読み込んでいるアリアに告げる。
「────やはり、イルマール大森林『古代遺跡』周辺が怪しいですね。あの辺りで最近、一部の冒険者が頻繁に〝浮遊する光り〟を目撃しています」
「……浮遊する…ひかり?」
「はい。古文書の一説にも、死者の魂を操り肉体を動かすという、不気味な発光体の話が記されてるんです」
「えっ!? ……ちょ、ちょっと待ってやめてよ。私、幽霊みたいなの本当に苦手なんだから……ッ」
アリアは顔を青ざめさせ、不安そうな顔でグレンから一歩スッと身を引いた。
別にグレンはオカルトや幽霊といった話をしてるわけではない。その目撃された光りの正体が、古代の文献にある〝死生蝶〟だった場合、あの遺跡の奥に発生源が存在する可能性がある、という推論を説明したにすぎないのだ。
死生蝶──それは、単なる美しい昆虫などではない。一見すると浮遊する光だが、極めて特殊で高濃度の魔力環境下でのみ発生する、魔力自体が形を成した〝寄生虫〟のような生体である。
死生蝶は生命活動を停止した死体の内部に侵入し、腐敗する前の神経に己の魔力を疑似的な電気信号として流し込み、強制的に肉体を動かすという。
レイクレイルの森で、死んでいるはずのアダマンサイホンが徘徊していたのも、この死生蝶の寄生が原因である可能性が高い。
故に、グレンが放った『無効化魔法』によって魔力(動力源)を強制的にリセットすると、ただの肉塊に戻って動かなくなるのだろう。
最初の段階では、神話の時代の生き残りである『死霊術師』でも暗躍しているのかと疑ったが。
〝死生蝶の大量発生〟の方が現実的だ。ただ問題は、その死生蝶の発生源である。
それを生み出す巨大な〝魔力の源〟が、イルマール大森林の遺跡の何処かに存在している可能性がある。
「……とりあえず、イルマール大森林の遺跡の調査に向かいます。アリアさんにも出来れば同行してほしいんですけど……」
「えっ? わ、私に? ……うーん、幽霊とか呪いじゃなくて、ただの寄生虫なんだったら……私も行けるかなぁ。だって、ほら。私は一応……グレンくんのパートナー、だし」
「アリアさんがいてくれると心強いです」
「そ、そう…?まぁ、グレンくんがそう言うなら……」
「ありがとうございます!では、準備をして後から落ち合いましょう。遺跡の入り口までは、僕の空間転移でショートカット出来ますから」
死生蝶という魔力発光体は、夜の闇の中の方が圧倒的に視認し易い。
現在、無限に死体が動き出す夜のイルマール大森林が、どれ程の危険に満ちているかは予測不可能だが……グレンの頭の片隅には、古文書のページの一節が深く刻まれていた。
──『荒れ狂う精霊の灯火、絶対なる聖なる光により浄化せん』──
古文書の中で〝死生蝶〟は、古代の隠語で別名〝精霊の灯火〟とも呼ばれている。
論理ではなく、本当にただの〝直感〟ではあるのだが。グレンは、アリアの放つ『光魔法』に、この現象を根本から解決出来るかもしれない可能性を感じていた。




