悪魔と聖女の光
何故、この無人島沖に、ルベリオン王国の正規軍が?
エルギルトの明晰な頭脳が、即座にこの不測の事態の要因を洗い始める。しかし、どれだけ考えても、こんな外洋の航路から外れた海域で他国の軍艦と偶然エンカウントする確率など天文学的に低い。
となると、国籍不明の不審船としてエルギルトの船を追尾してきたか、あるいはあの海賊船の方を追跡してきたかのどちらかだ。
もしエルギルトの船に用があるなら、マリンルーズの港でどうとでも出来たはずだ。
海賊船と合流したタイミングから考えれば、海軍が狙っているターゲットは十中八九『海賊』の方。むしろそれが極めて自然だ。
ならば、まだこの盤面はコントロール可能だとエルギルトは考えた。
エルギルトは腐っても、大国である聖王国の『王配』という身分。
普通に考えれば「誘拐された愛娘を、海賊から奪還しに来た」という理由は容易に成り立つだろう。表面的にも、それが大義名分なのだから。
ただ、海賊が海軍に拿捕されれば、自分との取引を白状するリスクはある。しかし、下賎な海賊がそんな理由を並べたところで、王族の誘拐を正当化するための〝見苦しい言い訳〟だと処理される可能性の方が高い。
問題は、『リュシカの存在』だ。
彼女が、先程の自分との会話を海軍にありのまま証言された場合、他国の海軍はどちらの証言を真実と見るだろうか。
(……所詮は、ショックで錯乱した子供の戯言だ。海賊に『お前の父親が首謀者だ』とデタラメを〝吹き込まれた〟と主張すれば押し通せるのではないか?)
エルギルトは思う。しかし、それでは盤石ではない。多少なりともエルギルトへの疑いはかかるだろう。
ならば、リュシカという生きた証拠は、この世界から消した方が確実だと、エルギルトの中の悪魔が囁く。
現時点で、ルベリオンの海軍も『二隻の大型船が接触している』という表面上の事実を確認しただけにすぎない。
真相を知るのは、海賊とリュシカのみ。
ならば、海軍が介入してくる前に、証拠を物理的に『消去』してしまえばよい。
エルギルトとしても、血を分けた娘のリュシカを自分の手で殺したくはない。それくらいの人間性は残っている。あくまで自分の支配する国から、聖女の血統がいなくなればそれでよいのだ。
その為に、エルギルトはリュシカを、マールーン公国〟に売り飛ばす事を選択したのだから。
だが、このままでは十数年かけて練り上げた計画の全てが水の泡になる。
エルギルトの精神は焦燥に焼かれていた。最悪の場合、自分が実の娘を売った外道である事まで国際社会に明るみに出てしまうのだから。それならば────
(……今、この瞬間に海賊の奇襲を受けていたという事にし、正当防衛で海賊全員を皆殺しにしたとて問題ではない)
幸い、自分の甲板には先程口封じで始末した『忠義の兵士たち』の死体が十数名転がっており、海賊に襲撃されたという悲惨な証拠として利用できる。
「こうなれば、もはや手段は選んでおれん。全てを海の底へ沈めるまで。────古の盟約に従い顕現せよ、我は汝の絶対の主なり。汝、我の敵を滅ぼす無慈悲なる正義の剣となりて、この空を血で染めよ…………!」
エルギルトは、特級の召喚魔法の長大な詠唱を開始する。途端に海上の風が不自然にピタリと止み、晴れ渡っていた空には暗雲が発生し、雷鳴が轟く。
両船の上空の空間が歪み、巨大な幾何学模様の魔方陣が浮かび上がったかと思うと、そこからおぞましい一体の獣が這い出るように現れた。
それは頭部に鋭い角を持つ雄鹿のような見た目で、背中には漆黒の巨大な翼が生えており、空を滑るように飛翔する。
『ペリュトン』と呼ばれるその神話クラスの魔獣は、次々と魔方陣から生み落とされては、空を禍々しく舞った。
合計四体ものペリュトンを実体化させた所で、上空の魔方陣は最後に激しい光を散らして消滅した。
キシャァァァァッ!! と、ガラスを引っ掻くような奇っ怪な咆哮をあげて、ペリュトン達が獲物を見つけた猛禽のように海賊船に向かって急降下していく。
海賊達は慌てて武器を構えて応戦の弾幕を張るが、ペリュトンの鋼のような羽毛には全く通用せず、鋭利な爪や巨大な角による一方的で圧倒的な質量差によって、海賊船の甲板は瞬く間に血肉の飛び交う地獄絵図となった。
そんな阿鼻叫喚の中で、海賊船の船長は、震えるリュシカを背後に庇いながらも、シミターたった一本で複数体のペリュトンの攻撃を捌き、驚異的な健闘を見せていた。
海賊の船員にも、攻撃魔法を放てる者が数名生き残っているようで、ただの野盗にしては練度の高い精鋭を揃えているように見えた。
(一瞬で皆殺しにできるかと思ったが、予想以上に手こずりそうだな……)
エルギルトが苦悩の表情を浮かべていると、いつの間にかルベリオンの巨大な軍艦は距離を詰めており、エルギルトの船の真横へ圧倒的なプレッシャーと共に横付けしてきた。
軍艦の甲板で、威風堂々とした海軍の最高指揮官らしき男が、エルギルトに向かって叫んだ。
「ルベリオン王国海軍、海軍大将マギロン・ルーサーである! 双方直ちに戦闘を中止せよ! 」
エルギルトは舌打ちしながらも答えた。
「見ての通りいま、ワシらはこの海賊共と戦闘中だ! 貴殿らが本当にルベリオン海軍ならば、直ちに大砲で我々の援護をしてほしい!」
「……ふむ。本当に、そういう事態であれば我々も協力は惜しみはしないのだが……」
海軍の言葉を聞いて、エルギルトの口元には勝利を確信した歪な笑みが浮かんだ。
軍艦の火力を借りて一方的に海賊船を袋叩きに出来る。後は、砲撃のどさくさに紛れてペリュトンにリュシカを殺させ、証拠を消去すれば全てが丸く収まる。
そう、完璧なシナリオを思い描いていたエルギルトだが、その耳に、マギロンの冷徹な言葉が叩きつけられた。
「一つ確認しておきたい。そちらで指揮を執っておられるのは……セルシアクベイルート聖王国の、エルギルト殿下とお見受けするが? 間違いありませんかな?」
突如、異国の海軍大将から正確な固有名詞を呼ばれた事で、エルギルトの心臓が跳ね上がり、激しく驚愕した。
この辺境の海軍が、この顔を知っているのか?と。
それはあまりに予期せぬ事で、一瞬返答の処理が追いつかなかったが。ここで「人違いだ」と下手な誤魔化しをすれば、かえって不審を買うと判断した。
「……いかにも。ワシは聖王国の王配、エルギルト・クライストである」
「やはりそうですか。では、大至急、その召喚獣による攻撃を停止していただきたい。貴殿が『海賊』だと主張して攻撃しているその船は、我々が知る限り『善良な冒険者の船』であると聞いている。一度、こちらで確認させてもらおう」
「な、なにを…! あのマークを見ても……間違いなく海賊船だ!」
再度、隣の船のメインマストを指差すが、やはり帆にはエルギルトが〝よく知っている海賊〟のエンブレムがデカデカと自己主張している。
しかし、他国の海軍大将に公の場でそう通告されてしまえば、こちらも一国の王配という公的な身分を名乗ってしまった以上、国際法上、その要請を無視して攻撃を続行する事は出来ない。
現在、海賊船の甲板の状況はペリュトンの蹂躙によりかなり悪い。海賊船の船長がリュシカを庇い切れるのも時間の問題。
(……あと少し。もう少しだけ制圧に時間を稼げれば、確実に娘を始末できる……!)
考えた末、エルギルトはマギロンに向けて言う。
「う、うむ。協力したいのは山々だが……ワシが召喚したペリュトンは、一度標的を定めたら相手を殺し尽くすまで制御不可能だ! もはやワシには止める事も……!」
「……制御不能。それならば、こちらで『排除』しても文句はありませんな。────グレン殿。アレを何とか出来るかね?」
マギロンは自らの背後に控えていた、なんとも地味な青年に向かって、絶対的な信頼を込めて呼び掛けた。
その青年の顔を視認し、エルギルトの全身から血の気が引いた。彼は森の中の屋敷で出会ったヒョロりとした青年だったからだ。
(何故、あの一般人が海軍の軍艦に乗っている!?)
グレンは軍艦の船首に無造作に立ち、何やらぶつぶつと何かと対話をしているように見える。
すると、海賊船の上空の空間だけが局地的に真っ暗に染まり、異常な密度の積乱雲が瞬時に形成される。直後、空がフラッシュを焚いたように激しく発光した。
すると、集まった真っ黒な雲が、まるでそれ自体が一個の巨大な意思を持った生物のように高速でうねり、飛び回り。
その雲の軌道上にいた、空中を飛び回っていた四体の強靭なペリュトンたちは、見えない巨大な断層に巻き込まれたかのように、一瞬にして音もなくバラバラに切断され、消滅したのだ。
「ま、まさか……そんなバカな! 今の魔法は……一体なんだ!? ペリュトンは上位召喚の魔獣だぞ!? それを、四体同時に、一瞬で切断だと!? そんな無茶苦茶な事が……」
ペリュトンが完全に消滅し脅威が去ると、先程までの暗雲が嘘のように、空は再び青々と晴れ渡った。
海賊達は全員がペリュトンとの死闘でボロボロになり、多くの者は致命傷を負って甲板に倒れ伏している。立っている船長も、あれでは呼吸をするのがやっとの状態だ。
(……今なら。ワシが直接魔法を放って隙を突けば、リュシカを確実に殺せる)
いや、もはや自分の身を守るためにはそれしか手段は残されていないと、エルギルトが密かに攻撃魔法の構築を演算し始めた時。急に、己の視界の端に無数の『温かな光の粒』が舞い散るのが写った。
エルギルトは思わず魔法の構築を止め、天を見上げる。神が直接この地上に降臨したかのように、神々しく優しい黄金の光が空全体を染め上げ、その目映い光の粒子が、雪のように静かに海賊船の甲板へと降り注いできたのだ。
その奇跡の光を浴びた瞬間。海賊船で虫の息だった者達の傷が瞬く間に塞がり、一人、また一人と立ち上がり出す。
それどころか、エルギルトの船で先程『見せしめとして自ら始末した』はずの忠誠厚き船員たちの何人かの顔色までもが、死の淵から引き戻されるように赤みを取り戻してきた。
おそらくは、致命傷を受けながらも、まだかろうじて魂が肉体に繋ぎ止められていた者たちが回復させられたのだろう。
エルギルトが、空へと噴き上げるその圧倒的な光の粒子の発生源を視線で辿ると。それは、ルベリオン海軍の巨大な軍艦の中腹、最も高いマストの麓にあった。
これまた、森の屋敷で青年と共にいた、赤毛の少女が、静かに瞳を閉じ、両手を天高く広げて祈りを捧げていたのだ。
(……この規格外の生命の粒子は、あの小娘が一人で展開している超広域の回復魔法だというのか)
エルギルトの思考はようやくその奇跡を理解した。それも、聖王国に伝わる伝説級の最高位白魔法、〝神聖なる癒し(グレイテスト・ヒール)〟と完全に同等である。
他者の命を無条件で救済しようとするアリアの神々しい姿に。エルギルトは一瞬、遥か彼方の南方大陸の神殿で、今も孤独に祈り続けているであろう自身の妻、〝聖女〟フリューシカの若き日の面影を重ね合わせていた────。




