悪魔の囁き
何故、ここにルベリオンの軍艦が?
エルギルトは考えていた。
こんな海の中では、偶然の可能性は少ないだろう。
となると不審船としてエルギルトの船を追ってきたか、海賊船の方を追ってきたかのどちらかだろうが。
エルギルトの船に用があるなら、マリンルーズでどうとでもなったはずだ。
海賊船が来たタイミングを考えると、海軍が狙っているのは海賊の可能性が高い。
むしろそれは自然な事だ。
おおかた、海賊達はここに来る途中でルベリオンの軍艦に追跡されたのだろう。
ならば、まだ何とかなるとエルギルトは考える。
エルギルトは聖王国の王配である。
最悪の場合、リュシカを海賊から取り返しに来た所だったと理由もつけられるだろう。
もし海賊が捕まった場合、自分との関係を白状する可能性はあるが。
海賊ごときがそんな事を言っても、誘拐を正当化する〝言い訳〟だと捉えられる可能性の方が高い。
ただ問題はリュシカの存在だ。
彼女が、先程の事を海軍に話す可能性は高いだろう。
そうなると、海軍は王配と水巫女のどちらの発言を信用するだろうか?
所詮子供の言う事だ。
海賊にデタラメを〝吹き込まれた〟と言う事にも出来るのではないか? とエルギルトは考えた。
しかし、弱いのだ。
万が一を考えるならば、リュシカの存在は無い方が良かった。
現時点では海軍も、二隻の大型船を確認しただけにすぎないだろう。
唯一の証拠は取引していた海賊達とリュシカのみ。
ならば海軍に介入される前に消してしまえばよいのではないか? と、エルギルトの中の悪魔が囁きかける。
エルギルトとしても娘のリュシカを殺したくはない。
あくまで国からいなくなればよい。
その為にエルギルトはリュシカを〝海賊〟に売ったのだが。
このままでは全てが無駄になる、とエルギルトは焦っていた。最悪、自分が娘を売った事まで明るみに出る。
エルギルトは現在、海賊に襲われていたという事にすれば、反撃したとしても何も不思議な事ではない。
幸い、甲板には十名程の死体もあり、襲われていた証拠としても使える。
「こうなれば仕方ない。────古の盟約に従い顕現せよ、我は汝の主なり。汝、我の敵を滅ぼす正義の剣となり…………」
エルギルトは召喚魔法の詠唱を開始する。
途端にパタリと風が止み、空に雷鳴が轟く。
船の上空に魔方陣が浮かび上がり、そこから一体の獣が現れた。
その大きさは大人が二人分程で、雄鹿のような見た目だが背中には大きな翼が生えており空を飛んでいた。
ペリュトンと呼ばれるその獣が、次々と魔方陣から生み落とされては空を舞う。
四体程を生み出して魔方陣は消えた。
キシャァァ! と奇っ怪な声をあげて、ペリュトン達は海賊船に向かって飛んで行く。
海賊達はそれぞれ武器を構えて、それに応戦するがペリュトンは鋭い爪や大きな角で襲いかかり圧倒的な力差で海賊船を蹂躙していく。
そんな中で、海賊船の船長はリュシカを守りながらも剣一本で健闘していた。
他の海賊にもそこそこの魔法を使える者がいるようで、海賊にしては精鋭を揃えているようだ。
一瞬で終わるかと思われたが暫しかかりそうだ。
そうしてる間にルベリオンの軍艦が、近付いてきてエルギルトの船に横付けしてきた。
甲板に海軍の船長らしき男が現れ、エルギルトに向かって叫ぶ。
「ルベリオン王国海軍、海軍大将のマギロン・ルーサーである。これはどういう状況だ?」
「今、ワシらは海賊に襲われていたのだ。これを見てくれ。既に仲間が十人程やられている! 海軍の方々にも大砲で援護してほしい」
「そういう事であれば我々も協力は惜しまない」
エルギルトは笑みを浮かべた。
こうなれば一方的に海賊船を袋叩きに出来る。後は、どさくさ紛れにリュシカを殺して一番の証拠を消せばよい。
そう思っていたエルギルトに、マギロンが再度声をかけてきた。
「だがその前に、そちらはセルシアクベイルート聖王国のエルギルト殿下とお見受けするが、間違いないかな?」
突如、名前を呼ばれた事でエルギルトは驚いた。
この海軍は自分の顔を知っているのか? と、あまりに意外な言葉に一瞬返答を考えたが。
ここで誤魔化すのもおかしいと判断する。
「いかにも、ワシは聖王国王配エルギルトである」
「やはりそうですか。では、一度停戦していただきたい。貴殿が攻撃しているのは海賊ではなく、冒険者の船だと我々は聞いている。一度確認させてくれ」
「な、なに? いやあれは……間違いなく」
再度海賊船を見たが、やはり帆にはエルギルトが〝よく知っている海賊〟のマークが入っている。
しかし他国の海軍にそう言われてしまえば、こちらも聖王国の王配を名乗った以上、無視する事は出来ない。
現在、海賊船の状況はかなり悪い。
あの船長がリュシカを守り切れるのも時間の問題だろう。
もう少し時間を稼げれば……と考えた末、エルギルトはマギロンに答えた。
「う、うむ。しかし、ワシが出したペリュトンは相手を殺し尽くすまで消せはしないのだ。もはやワシにもどうする事も……」
「それならば仕方ない。────アレを何とか出来るかね?」
マギロンは自分の後ろにいた男に呼び掛ける。
その男を見てエルギルトは驚いた。
彼は森の中の屋敷で会った、グレンという男だったのだ。
グレンは軍艦の船首に立って、何やらぶつぶつと詠唱をしているように見えた。
すると海賊船の上の空だけが真っ暗になり、真っ黒な雲が集まる。
直後、空が激しく光った。
すると集まった真っ黒な雲が、まるで意思を持ったように飛び回り。
その周囲を飛び回っていた四体のペリュトンは、一瞬にして雲に切断されるようにバラバラになって消えたのだ。
「ま、まさか! そんなバカな。今の魔法は……なんだ? ペリュトンは上位召喚の魔獣だぞ。それを四体全部を一瞬? あんな無茶苦茶な魔法なんか存在するはずが……」
ペリュトンが完全に消滅すると、空は再び晴れ渡った。
海賊達は全員がボロボロになり、多くの者は致命傷を追っている。あれでは動くのがやっとだ。
今なら隙を見て、船長とリュシカを殺すのは簡単だ。
いや、もはやそれしかないとエルギルトが考えていると。急に目の前に無数の光の粒が写った。
エルギルトは天を見上げる。
神が降臨するかのように神々しい光が空を染めて、その目映い光の粒子が地面へと降り注いできていた。
見れば海賊船の倒れていた者達が一人、また一人と立ち上がり出す。
それどころか、エルギルトの船で倒れていた船員の何人かの顔色までも良くなってきた。
おそらくは、まだかろうじて生きていた者が回復したのだろう。
エルギルトが空へと噴き上げるその粒子の元を視線で辿ると、それは海軍の軍艦の中腹辺りにあった。
これまた屋敷で会った美しい少女、アリアがそこで瞳を閉じて両手を天高く広げていたのだ。
この粒子は彼女の使った回復魔法だったのか、とエルギルトはようやく理解した。
それも最上級の〝グレイテストヒール〟である。
そのアリアの姿にエルギルトは、遥か離れた大陸にいるはずの妻、フリューシカを重ねていた────




