聖女のチェックメイト
ペット探しという依頼は、その甘い響きとは裏腹に、時としてドラゴンの首を狩るよりも過酷な徒労へと変貌する。
今回グレンが手にした『リセリア・アースノルの猫探し』もその類だ。提示された報酬額に対し、要求される捜索範囲と成功率は絶望的に釣り合っていない。
二ヶ月もの間、掲示板の隅で埃を被り続けていたのも、冒険者たちが「算盤を弾く」知能を有していた証拠と言える。
夜の九時。静まり返った王都ルウラの公園で、グレンは茂みに顔を突っ込んでいた。
全感知の風魔法『オールセンシス』。
本来、空気の震えや魔力の揺らぎを察知するこの術式は、使い手の器量次第で戦場の全容を掌握する神の如き眼となる。グレンがその気になれば、王都全域に蠢く鼠の拍動さえも数え上げることが可能なのだ。
結果として発見されたのは、首輪も持たぬ漆黒の猫だった。
通常の捜索であれば、広大な砂漠に落ちた小物を探すようなものだが、グレンにとって、それは既定事項の回収に過ぎない。
「よしよし、良い子だ。朝になったら、君の家に帰してやるからな」
────そして翌朝。
グレンは一件の古びた民家の扉を叩いていた。
現れたのは、齢七十を数える白髪の老婦人、リセリア。彼女が半開きのドアから覗かせた不信感に満ちた瞳は、グレンが抱えた黒猫を見た瞬間に大きく見開かれた。
「まあっ!」
勢いよく開放されたドアがグレンの鼻先を掠める。老婦人は彼の手から猫を奪い取ると、頬を擦り寄せ、狂喜の声とグレンへの感謝を漏らした。二ヶ月の空白が埋まった瞬間の剥き出しの感情。
「いいえ……見つけたのは、冒険者の方ですから。僕は報告と報酬の受け取りに来ただけです。では……規定の報酬を」
その後報酬を受け取るも、何度もお礼を言い続ける老婦人の熱量に耐えかね、グレンは逃げるようにその場を後にした。
コミュニケーション能力に問題がある彼にとって、他人からの純粋な「感謝」は、返答に困り戸惑いすら感じる。精神的な摩耗に溜息を吐き、ようやくギルドに戻ろうと顔を上げた時────そこには、逃れようのない「現実」が立っていた。
アリア・エルナード。
腕を組み、勝ち誇ったような笑みを浮かべる彼女の姿に、グレンは危うく心臓が停止しかける。
「ふーん。そういう事ね……」
意味深。あまりにも意味深。
驚きで金魚のように口をパクつかせるグレンに対し、アリアは名探偵の如き鮮やかな指差し確認を開始する。
「それ。リセリア・アースノルの猫探し……だったよね? あの依頼、キミが掲示板から剥がして『打ち切った』はずなのに、どうしてキミが解決してるのかな?」
「な、ななな……なんです、か? 急に……」
「私ね。嘘をつく人は、匂いでわかるんだぁ」
ニコリ、と。それは聖女の微笑みというよりは、獲物を追い詰めた猟師の愉悦に近かった。
グレンは察した。彼女はあの日、レオンにバカにされていた自分を見て呆れていたのではない。その裏側に潜む「矛盾」を、執念深く観察し続けていたのだ。
「キミ、打ち切りにした依頼をこっそり片付けて回ってるんじゃない?受付で確認したよ。渓谷のゴブリンも、キミが廃棄したことになってたらしいし」
詰み(チェックメイト)だ。
隠蔽、偽装、工作。グレンがこれまで積み上げてきたものが、一人の少女の好奇心によって容易く瓦解していく。もはや、この場を凌ぐための嘘を捻り出す余裕すら残っていなかった。
「こ、このことは……誰にも言わないでください。他の従業員にも……絶対に」
「オッケーオッケー。事情があるんでしょ?言わないから安心してよ」
軽い。あまりにも軽い。ピースサインまで添えた彼女の返答に、グレンは拍子抜けしつつも僅かな安堵を得る。だが、彼女が次に紡いだ言葉は、彼の防衛本能を別のベクトルで震わせた。
「別にキミの仕事を詮索して優越感に浸りたいわけじゃないの。ただ……私は、お礼を言いたかっただけなんだよ」
「お礼……ですか?」
アリアは語った。あの渓谷で、自分が死の淵に立っていたこと。そして、グレンという〝不確定要素〟が現れなければ、今ごろ彼女の魂は神の元へと召されていただろうということを。
「私に何かお礼できることがあったら言って。何でも、とは言わないけどさ」
「い、いえ……本当に、たまたまですから。助けるつもりなんて微塵も……。そ、それでは、僕は出勤の時間なので!」
感謝。それも、命の恩人としての感謝。
グレン・ターナーという男にとって、それは致命的なまでの過剰摂取だ。彼はテンパった思考を立て直すことができず、脱兎のごとくその場を走り去った。背後に残されたアリアの視線を感じながら、彼は己の不器用さを呪う。
ソティラスとして世界を調整することはできても、一人の少女からの「ありがとう」という言葉を適切に処理する術を、彼は持ち合わせていなかった。




