ソティラス
冒険者ギルドという組織に必要なのは、正義感でも慈愛でもない。需要と供給、難易度と報酬──そのあまりにも世俗的な「均衡」である。
グレン・ターナーの真の職務とは、その天秤が狂わぬよう暗がりで指先を添える「調律」に他ならない。
各地のギルドには共通の不文律がある。掲示板という名の激流において、新規の依頼に押し流された古い依頼は端へ追いやられ、やがて「打ち切り」という名の忘却に付される。
売れ残る理由は単純。依頼の値段が安すぎるか、あるいは要求される労力が度を越しているか。結局のところ、世の中の大抵の悲劇は「予算不足」という身も蓋もない理由で片付いてしまう。
かつて、本店のギルドマスターは、死んだ魚のような目をしていた若き日のグレンにこう説いた。
「冒険者には二つのタイプがいる。利益を重視する者と、単純に依頼人を助けたい者。私は前者を〝利益型〟後者を〝英雄型〟と呼んでいる。利益型は小さな依頼には見向きもせず、英雄型は些細な依頼にも目を向ける。
ギルド運営に必要なのは両者のバランスだ。グレンくんには我がギルド専属の英雄型となってほしい……」
だが、現実は非情である。
真の意味での「英雄型」など、絶滅危惧種よりも希少。実態は、ギルドの甘言に乗せられた無知な「初心者」がその役割を押し付けられているに過ぎない。資金力のある依頼主は高額の報酬で手練れを釣り、金のない弱者の叫びは、誰の目にも触れぬまま掲示板の裏側で腐っていく。
その格差を埋めるため、ギルド本部が放った「劇薬」こそが、専属の英雄型であった。
しかし、これは綱渡りよりも繊細な調整を要する仕事だ。
もしグレンが全ての難題を解決してしまえば、依頼主たちは『金を積まなくてもギルドが何とかしてくれる』と学習し、報酬の相場は暴落する。それは冒険者の困窮を招き、仲介手数料で飯を食うギルドの首をも絞めることになる。
ゆえに、グレンに課せられた「裏の仕事」には、三つの鉄の掟が存在した。
(一) 打ち切りを最小限に留め、依頼主からの「信頼」という名の債権を維持すること。
(二) 利益型と英雄型の比率を操作し、依頼内容に適した「対価」の相場を死守すること。
(三) そして、死神が潜む依頼を見極め、適切に間引くことで、無知な冒険者の命を守ること。
今回、例のゴブリン討伐は、まさに(三)の典型だった。
一見すれば初心者の登竜門。だが、過去に請け負った三組の冒険者は、一人として戻らなかった。
ギルドにおける「依頼放棄」という言葉は、実に便利で残酷だ。逃亡、失踪、忘却。あらゆる可能性の裏側に、「物言わぬ肉塊になった」という真実も隠蔽できるのだから。
グレンは、その「放棄」の連続に潜むイレギュラーな殺意を嗅ぎ取った。
放置すれば、あのゴブリンは冒険者の装備を奪って武装し、ルウラの近郊に死体の山を築いただろう。
そうなる前に、誰にも知られず、ただ「処理」する。それが、中央大陸ギルド本部が誇る特殊解決チーム『ソティラス』に与えられた使命だった。
ソティラス。その名を冠する者は世界に四人。
グレンを含めた彼らは、各地で「ギルドの従業員」を演じながら、世界の均衡を秘密裏に守り続けている。もっとも、二年も経てばその頭数が増えているのか、あるいは減っているのか。コミュ障のグレンには知る由もないのだが。
──まあ、何にせよ。
愛想笑いを振りまく接客から解放されている現状は、彼にとって天国に等しかった。
今日もグレンは、誰の目も引かない手つきで、掲示板から一枚の紙を剥がす。
『リセリア・アースノルの猫探し』。
「たまには、こういう依頼もやらないとなぁ……」
それは、ゴブリンの首を跳ねるよりも、あるいは世界を救うよりも。
彼にとっては、ずっと「英雄」らしい仕事にも思えた。




