水巫女を恐れる国々
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港町マリンルーズの強固な海軍基地。その中枢である執務室で、グレンが数時間前に海上でエンカウントした理不尽な砲撃戦の顛末を、王国海軍大将『マギロン』に対して淡々と論理的に説明し終えた直後。
重厚なマホガニーの扉が乱暴にノックされ、一人の海兵が血相を変えて飛び込んできた。
「マギロン大将! 王城からの緊急特使による書簡です!」
マギロンは受け取った書簡の封を素早く切り、書面に直ぐに目を通すと、納得したように小さく、だが重々しく頷いた。
「……うむ。どうやら貴殿が双眼鏡越しに目視したという青髪の少女が、本物の『水巫女』であった可能性も出てきたぞ。水巫女を拐ったのは大規模な海賊組織で、その船が我がルベリオン方面へ逃走したという裏付けが取れた。聖王国からも、我が国へ正式な領海での捜索協力要請が届いたようだ」
「……なるほど。では、あのマールーン公国の軍艦も、同様の要請を受けて追跡に来たという事ですかね?」
「いや。マールーンからルベリオン領海付近までは、軍艦の足で最低二週間はかかる。たまたま海賊を追って海に出ていた可能性の方が高い」
(となると、あの軍艦は単純に追っている海賊船だから問答無用で砲撃したのだろうか?)と、グレンは一瞬思考を巡らせたが。
どちらにしても、ただの通りすがりの一般人であるグレン達の小舟まで、一斉射撃で蜂の巣にしようとする説明はつかない。あれではどちらが海賊かわかったものではない。
グレン達を海賊の同盟船だと誤認した可能性も極めて低い。
となると。あの海軍には、海賊船を襲撃している現場を『第三者に見られると困る理由』があったのでは?とグレンは推測する。
「それにしても、僕達が彼らに銃撃を受ける理由にはなりませんよね?何か見られると不味い事でもあったのでしょうか?もし、マールーン公国の船が水巫女の所在地を知っていたら?その証拠隠滅や残骸の回収の為に、あの座標へ戻った可能性もあったり…」
「知っていて戻ったのだとすれば、海に落ちた水巫女を責任を持って『保護』する為ではないのかな?」
マギロンのその極めて性善説に基づいたお花畑な観測には、グレンは素直に賛同出来なかった。
何故なら、あの公国の海兵たちは、青髪の少女が海賊の背中にしがみついているのを明確に視認していながら、容赦なくマスケットの一斉射撃を浴びせたのだ。
──彼らは、少女が水巫女だと完全にわかった上でも。最悪、彼女が死んで海の藻屑となっても一向に構わないという『殺意』をもって引き金を引いていたとしたら?
グレンは不吉な何かを感じていた。
「……そう楽観視するのはどうかと。水巫女は単なる王族ではなく、〝戦略級の兵器〟として定義されていた歴史もありますし」
「まあ、そんな過激な議論があった事も知識としては知っているが。結局、セルシアクベイルートは他国へ一切干渉しない完全な『孤立主義国家』であると結論付けられ、不可侵の対象になったではないか」
「そ……それは、あくまで、海を隔てた西方大陸の人間の見解に過ぎませんよ?」
グレンは、かつて中央大陸のギルド本部で情報を浴びてきた人間だからこそ、肌感覚で理解している。
水巫女という特異点は、中央大陸の首脳陣からは、今でも異常なまでに〝恐れられている〟のだ。
西方大陸では対岸の火事として意外と知られていないが。
聖王国の水巫女の誕生は、十数年前に中央大陸のパワーバランスに巨大な波紋を呼んだ。
歴史を遡れば、それは〝海〟という広大な空間を次世代の戦術的舞台として逸早く重要視しはじめた、〝中央大陸ならでは〟の軍拡競争の産物だった。
他の大陸に四方を囲まれている中央大陸の国々は、大陸外からの洋上進行(上陸作戦)に対しても異常なまでの警戒線を敷いてきたのだ。
他の大陸が本格的な軍艦の建造に着手したのなんて、歴史的には最近の事。元々、近代的な『海軍』という概念自体が、中央大陸の海に面した国家群の間だけで独自に進化を遂げた〝新世代〟の軍事基盤だった。
故に、中央大陸の海軍は海戦という分野に関して、他大陸を百年は引き離すほど卓越している。
辺境の海賊艦隊などは、中央大陸の正規軍艦を一隻視認しただけで、戦わずして逃げ回るのが常識だ。
しかし。そんな海上戦において絶対無敵を誇る中央大陸の軍事国家群からしても。セルシアクベイルート聖王国に突如として誕生した一人の少女──水巫女にだけは、国家存亡の危機感を抱いた。
それは現在の女王──〝恵みの聖女〟の夫となった男が、規格外に有能な〝召喚魔法使い〟であったという遺伝的要因が大きく影響している。
二人の間に生まれた王女──リュシカ・アール・クライストは、母親の強大な『水の魔力』と、父親の『召喚魔法の才能』という、最強のシナジーを完全な形で受け継いでおり。
その力は、控えめに言って〝生態系を壊す〟ほどだ。
海や湖といった水資源が豊富な環境下においては、水巫女一人で〝無限〟に近い手駒を生み出す強大な軍事力になり得る、と世界中の軍上層部に知らしめたのは他でもない。
この幼い少女の無邪気な〝お遊び〟が原因だった。
元々、母親である恵みの聖女は、天候を支配して南方大陸全土に雨を降らせる程の、文字通り神がかった力を持っている。
そこに父親の高度な召喚術式まで融合した〝水巫女〟は、まさに手がつけられない災害。
幼少期の水巫女はとても無邪気で、王宮の湖の水を触媒にして、様々な水流の動物を実体化(召喚)させて遊んでいたという。
水で構成された巨大なペガサスを空に駆け回らせたり、何百という大量の『水の兵士』を召喚し、湖の上を行進させたりした事もあったとか。
そんな、一国を単騎で制圧しかねない無茶苦茶なレポートが各国に飛び交った為。
その能力に脅威を感じた中央大陸の国々は、セルシアクベイルート聖王国に対して、水巫女の〝完全なる封印〟を強硬に要求した。
世界の軍事バランスを根底から崩しかねない強大な力は〝この世に存在するべきではない〟として。中央大陸で水巫女排除の動きが急速に高まり、やがて幾つかの大国が水面下で結託して〝平和の為に〟水巫女を殺害すべきとまで言われ、政治的緊張がレッドゾーンに達しようとしていた。
この開戦の危機に恵みの聖女は、愛する娘の命を守る為。信頼出来る大魔道士に〝娘の魔力回路〟の封印処置を依頼した。
それを、中央大陸の各国から招いた〝見届け人(軍の監視役)〟の面前で、隠し立てなく実行したのだ。
それにより水巫女の規格外の魔力は堅牢な枷で封じられ、常識的な魔力レベルに留まる〝ただの王族の少女〟へとダウングレードされた。
そして中央大陸の国々は、セルシアクベイルートに対しての〝政治的なわだかまり〟を一応は解き。その事件を機にセルシアクベイルートは、他国との外交をほぼ完全にシャットアウトした。
聖女と水巫女は、ひっそりと南方大陸の砂漠の奥深くに息を潜めるように、自国の平和だけを祈る孤立国家へと変貌したのだ。
それでも中央大陸の軍部には、いまだに〝水巫女〟という潜在的脅威への警戒を唱えるタカ派の連中は多い。
その封印されたはずの水巫女が、何者かによって拐われたとなれば。中央大陸の多くの国が、過去の〝恐怖の記憶〟を呼び起こして過剰防衛に走るのは当然の摂理である。
「……中央大陸には、いまだに水巫女という『爆弾』を、始末したいと考える過激派もいます。逆に、彼女の封印を解いて自国の軍事力として利用したいと企む者すら……」
「つまり……マールーン公国の軍艦は、水巫女の『味方』とは限らない、という事か?」
「むしろ、あの海賊もろとも海に沈めようとした状況からすれば、『明確な敵』である可能性すら考えてしまいます」
「……なるほど。」
グレンの理路整然とした答弁に、マギロンは深く唸る。
そして、己の平和ボケを恥じるように、何かを力強く決意して立ち上がった。
「よし、では直ちにその海域へ艦隊を急行させよう。どのみち、聖王国から要請があった以上、これを確認せぬわけにはいかん。それに、実は貴殿については、騎士団長のナルシーからも聞かされている。『彼には何かを見極める才がある』とね」
「……え? そ、そうだったんですか」
思えば、元々グレンはナルシーから国家要請を頼まれていたので、既に海軍にまで根回しされていたとしても可笑しくはなかった。
しかも、いよいよ本格的にナルシーの〝読み〟通りだった可能性が出たとなれば、むしろグレンはここまで上手く誘導されたような感覚すら覚えていた。
正直、国家間の政治的駆け引きなど、一ミリも興味がないし、どうでもよかったが。目前の矛盾を解消するために伝えた己の見解がトリガーとなり、一国の海軍艦隊が本格的に動き出そうとしているのだ。
グレンからしたら、まったく余計な火を着けてしまった…と、今更ながら逃げ腰になり始めていた。
「では、一刻を争う。今から直ちに出港しよう。貴殿にも、案内としてその海域まで直接来てもらうぞ」
(やっぱりだ!そこは海軍だけで行ってくださいよ……)と、心の中で激しく辞退の言葉を組み立てるグレンだが。
大将のやる気に満ちた顔と、周囲の海兵たちの熱に当てられたこの空間では、とてもそんな我が儘を言える空気ではない。
「そ、そうですか。……でも、僕の連れである二人の女性が、今は街のほうに『今夜の宿』を探しに行ってまして……」
「ハハハッ! 何の心配もいらん。我が国の軍艦の中も、なかなか快適だぞ! その二人を早く港へ呼び戻しなさい。私の艦のVIP用『特別室』を三人に提供しよう。何せ、長期戦の航海になるやも知れぬからな!」
(あの二人を連れての長期航海……。それは地獄以外の何物でもない……)
グレンは今になって、この海軍基地に足を踏み入れた己の行動を激しく後悔していた────。




