ビリディの勘
◇◇◇◇◇
「おい、もっと速度でねぇのか! 追い付かれるぞ」
「無茶言わないでくださいよ、若。この大きさの船をこの速度で維持してるだけで精一杯ですよ」
ビリディは、追ってくるマールーン公国の軍艦から逃げる手段として、一か八かルベリオン王国の領海に入るつもりだが。
ビリディの乗ってる船は元々二人で操船出来る大きさではないので、ジワジワと距離は縮まりつつあった。
「軍艦に見付かるなんて、まったくツイてねぇ。しかもあいつら確認もせずに撃ってきやがったからな。最悪、この女を人質に使うしかねぇか……っておいっ! ロゴス。ちょっと待て」
ビリディはルベリオン領海を目前にして、よりにもよって最悪の事態が待ち構えている事に気付いた。
ビリディの驚異的な視力に写ったのは、ルベリオン王国の軍艦らしき船だった。
このまま進めば、二隻の軍艦に挟まれる。
どうするか……と考えた結果、せめて一隻だけなら何とかなる方に賭けた。
「ロゴス、船を停めろ! タイミングが悪かった。ルベリオンの軍艦がいる。マールーンだけのうちに何とかする」
「冗談でしょ? 海賊とは数が違いますよ。いくら若でも分が悪いです!」
「わかってるさ。だから交渉するんだ」
ビリディ達の船が減速すると、直ぐにマールーンの軍艦が並走してきた。
向こうの指揮官らしき男が甲板に立ち、こっちを見ている。
ビリディは蒼髪の少女──『リュシカ』を傍らに置き、その男に呼び掛けた。
「おい、彼女はとある国の〝お姫様〟だ。お前達は王族の乗る船を攻撃した。これは国際問題だぞ。俺達は彼女を安全に送り届ける必要がある。お前達の無礼は見逃してやるから、黙ってこの場を退け」
「私は、マールーン公国海軍のエンリケ・バートンだ。海賊がお姫様の送迎とは冗談が過ぎる。おや? お前、シャトルファングのビリディ・リエンだな」
やはりバレたか、とビリディは思ったが。
エンリケと名乗った男は、そんなビリディの顔をマジマジと見つめ────そして、ニヤリと笑った。
「世界的に有名な大悪党がお姫様を送り届ける? そんな嘘が通じるわけないだろ。それに残念だが、こちらの目的は最初から〝水巫女〟なんでね」
「水巫女って……お前らわかってるのか? どういう事だ」
「お前が知る必要はない」
エンリケは右手を高々と挙げて、その手をビリディに向けて振り下ろされた。
途端に軍艦から大砲が発射される。
鉄の塊がビリディの乗る海賊船に次々と大穴を開けて破壊していく。
「ちくしょう、撃ちやがった! 人質の安全は無視かよ、あの無能指揮官」
ビリディは仕方なくリュシカの手をひいて、後方デッキの方へと逃げ。腰のシミターに手を伸ばしながら叫ぶ。
「おい、ロゴス。ちょっとこの女見てろ!」
「若っ! 危ない!」
叫び声の後で鉄砲の音が鳴り響いた。
ビリディが振り向くと、ロゴスが腹を押さえていた。
エンリケがビリディに撃った鉛玉を、間に飛び込んだロゴスが受けたのだ。
その後も、更に二発、三発とロゴスの体に鉛玉が撃ち込まれる。
「ロゴス!」
「わ、若。逃げてください……俺は、大丈夫」
明らかに強がっているロゴスの体に、更に追加で数発トドメの凶弾が放たれ。
ロゴスは血反吐と共に甲板に倒れた。
「くそっ!」
ビリディは船の最後尾へとリュシカを連れて逃げるが、海軍の船からは次々に海兵隊が乗り込んで来る。
さすがに今の状況では戦う事は難しい。
もはや逃げるしか道はないが、逃げるなら海しかない。だが、飛び込んでも上から撃たれるだろうから延命にしかならない。
「お前、恨みでも買ってんのかよ」
ビリディの質問に、リュシカは怯えた顔でブンブンと首を横に振った。
絶体絶命に立たされたビリディに、エンリケと海軍兵数十名の鉄砲が向けられる。
「ビリディ……水巫女を渡せ。そうすればこの場は見逃してやらなくもない。死にたくはないだろ?」
「渡した途端に俺を撃つだろうが」
「心配するな、逃がしてやる。我々が欲しいのは〝水巫女〟だけだ。お前の首に興味はない」
エンリケの提案は悪くないが、ビリディには何かが引っ掛かった。
だが、確かに生きてさえいれば何とかなる。
元々〝指名手配〟されているのだから、誘拐の罪を被せられたとしても状況はさほど変わらないはずだ
しかしその時。
リュシカがビリディの服の裾をギュッと引っ張り、小さく「ダメ、助けて……」と呟いた。
思えば最初にリュシカを木箱から解放した時。
彼女は半分死んだような顔をしていた。
ビリディの質問に対しても諦めたように名前以外話さなかったリュシカが、初めて自分の意思で発した言葉が〝助けて〟だった事は少し意外だった。
しかも助けに来た海軍よりも、自分を拐ったかもしれない〝悪党〟に助けを求めているのだから余計だ。
一応、箱からは出してやった事で彼女の中でちょっとした〝混乱〟を起こしているのかもしれない。
とは言え。
間違いなく王族であり、まだ子供という事だけでビリディはリュシカを箱から解放したにすぎない。
つまりは、危険を冒して彼女を助ける理由なんて何も無いのだ。
しかし─────
「悪ぃな、公国の軍人さんよ。やっぱり、この女は渡せねぇわ」
ビリディは、自分の〝勘〟を信じて行動した。
目の前の奴らに、リュシカを絶対に渡してはならない気がしたのだ。
「ちっ、ならば死ね」
エンリケと海兵達の鉄砲が火を噴いた。
その瞬間、ビリディはリュシカを抱え込んで海にダイブした。
だが、同時にビリディの身体のあちこちに激痛が走る。数発が命中したのだ。
過去にも鉛玉を食らった事はある。
だが、今回は一度に何発も受けた為か、かなり致命傷に至っている事は自分でも感じていた。
船の縁から見えない、根元辺りまで潜ったまま移動して海軍の銃撃から逃れられないだろうか? と、考えてはいたのだが。
ビリディはもはや泳げる気がしなかった。
最後に海中でリュシカを放した辺りで、もはや意識は薄れ。身体を動かす事も出来ない。
結局誰も助ける事が出来なかった悔いを残しながら、ビリディは海の深くへと沈んでいった────




