単独先行
「……ごめん、ちょっと待って。今、何て?」
目を限界まで丸くして聞き返してくるフィルネに対し、グレンは言葉を選び、今一度〝正確〟に説明する。
「ええと。つまり、家の中に武装した不審者が複数名潜伏していたんです。人質もいたので、同時に全員を無力化する必要があったので。魔法で家屋内の『空気の流れ』を強制的に停止──まぁ、要するに一切換気されない状態に近似させたんです。結果、建物内の全員が吐いた二酸化炭素を自分が吸う事になり、低酸素状態になったわけです。当然、術者である僕自身も例外じゃないので、酸欠になりますが」
懇切丁寧にロジックを解説すると、フィルネはようやく事態を呑み込めたように、両手をパンッと合わせた。
我ながら理路整然と上手に説明出来たな、などと自己評価を上げていたグレンに対し、フィルネは唐突に沸点を超え、捲し立てるように怒鳴り散らした。
「なるほど……っじゃないわよ!! 魔法で空気を止める!? 一軒家まるごと!? 全く意味がわかんないのよ! キミの頭のネジが数本ぶっ飛んでる事は薄々察してたけど、自分がどれだけ規格外の魔法を使ってるか自覚してる!?」
グレンの常識的スケールにおいてそれは決して規格外の魔法ではないため、何故彼女がこれほど発狂しているのか戸惑うばかりである。
だが、今はツッコミを受けている場合ではない。最優先で確認すべきは、この凶行に至った経緯だ。
すると、解放された両親の無事を確認したルクルがグレン達の元へ歩み寄り、ペコリと深く頭を下げた。
「……ありがとう。そしてごめんなさい。実は、あの依頼も奴らに脅されて、言われた通りにやるしかなかったんだ。アリア・エルナードを、『ベイナント渓谷』に行かせろって……」
ルクルの懺悔が完結するより早く、グレンは弾かれたように立ち上がっていた。
アリアを、わざわざ特定の渓谷へ誘導する理由。それを考えた瞬間、脳裏にあの醜悪な『強化ゴブリン』の姿がフラッシュバックしたのだ。
グレンは以前から、一つの仮説を立てていた。
王国騎士団の調査網に掛かった、強化ゴブリン発生の危険区域とされる三ヶ所。その中の一つに、ベイナント渓谷と山脈を隔てて隣接する『ベルクト渓谷』が含まれていた事を。
騎士団の徹底的なローラー作戦の結果、ベルクト渓谷では何の手掛かりも発見されなかった。だが、もし報告された異常個体が、ベルクトで発生したのではなく、隣接する『ベイナント渓谷から来たもの』だったとしたら?
何より、グレン自身が初めて異常個体と遭遇した場所こそ、他ならぬベイナント渓谷。
資源が枯渇し、今や誰も寄り付かない死の谷。そこにリーヤマウンテンに匹敵する、いやそれ以上の『大規模給餌施設』が隠匿されていたとしても、何の不思議もない。
さらに言えば、黒幕であるサヴァロンが国境を越えて逃亡した形跡は未だ確認されていない。依然としてルベリオン王国の暗がりに潜伏している公算が高い。
その潜伏先がベイナント渓谷であり、彼がアリアをピンポイントで誘い出しているのだとすれば、導き出される最悪の結論は一つ。
あの狂人は〝未だ〟悪魔の生体実験を継続しており、本物の聖女の肉を欲しているのだろう。
「アリアさんが危ない。直ぐに向かいます! フィルネさんは騎士団を呼んで、ここの賊を引き渡してください」
「ちょっと待ちなさいよグレンくん! キミ、単独で乗り込む気!? 騎士団の到着を待って一緒に行けば……」
「それじゃ、間に合わない」
捕縛した賊を尋問し、情報を引き出してから騎士団と馬で急行する。それが最も生存確率の高いセオリーだと常人は考えるだろう。
だが、グレンには空間の概念を物理的に無視する〝転移魔法〟というチートがある。
アリアが既に絶望の淵に立たされている可能性が1パーセントでもある以上、一秒たりとも無駄にはできなかった。
「はぁ……もう、本当に意味わかんないけど! わかったわよ、ここの後始末は私に任せなさい! 無茶しないでよ!」
「ありがとうございます、フィルネさん……」
「ちょっと待ってくれよ! これを……」
夜の闇へ消えようとするグレンを、ルクルが呼び止めた。
その震える手には、彼自身の背丈ほどもある一本の〝鉄の剣〟が握られている。
「……こんな鈍らで、俺のした事を許してくれなんて都合のいい事は言えねぇけど。せめて、これを持っていってくれよ、兄ちゃん」
「ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
グレンは静かに剣を受け取り、その場を素早く立ち去った。
そして人目のないルウラの真っ暗な路地裏へ滑り込むと、過去に一度座標を記録しているベイナント渓谷へと、即座に〝転移〟を実行した。
────視界が切り替わった渓谷の岩肌で、手渡された鉄の剣を一瞥する。
刀身はよく鍛えられているが、所詮は量産品の鉄剣であり、幼いルクルが鍛えた物でもないだろう。だが、その無骨な冷たさには、彼なりの不器用な〝罪悪感と贖罪〟が重く乗っているのだろう。
魔法で万象を薙ぎ払えるグレンにとって、物理的な剣など無用の長物。だが、受け取ってやる事で小さな少年の胸に突っかかった罪悪感の棘が少しでも抜けるのであれば、その心理的コストを引き受けるのも悪くない。
どんな理不尽な理由があろうと、孤独の中で絶望と戦わなければならない子供の恐怖を、グレンは痛いほど知っている。
だから、彼を断罪する事など出来はしなかった。
その重い鉄の剣を片手に提げ、グレンは夜の渓谷を見渡す。流石に、馬で向かっているアリアが既に到着している気配は無く、胸を撫で下ろして安堵する。
ならば、彼女がこの地獄へ足を踏み入れる前に、元凶を全て物理的に排除してしまおう。そう冷徹に決意し、グレンは渓谷の探索を開始した。
だが、ここで致命的なバグが生じる。
グレンは転移直後から、広域を掌握する全感知魔法〝オールセンシス〟を何度も上掛けで展開しているのだが、センサーが完全に沈黙しているのだ。
「……ここも、リーヤマウンテンと同じか」
肌を撫でる風が、どす黒く濁っている。大規模な結界魔法のジャミングだろう。
リーヤマウンテンの死線を彷彿とさせるこの異常現象に、グレンの論理的な思考回路へ僅かな焦燥が混じる。
アリアが到着する前にケリをつけたいが、レーダーが潰された状態では、この広大な渓谷を総当たりで歩き回り、物理的に〝何か〟を引き当てるしかない。
無為な索敵を続け、小一時間程歩き回った時。風が微かな『呻き声』を運んできた。
気配を殺してその方向へ接近すると、月明かりの下に複数の蠢く影が見えた。グレンは咄嗟に巨大な岩陰へ身を潜め、状況を観察する。
そこには、先程通過した時には間違いなく存在しなかった『洞窟の入り口』がポッカリと口を開けており、その前で一人の人間が血溜まりに沈んでいた。
そして、その亡骸を囲んでいるのは、人間ではない。無骨な剣や斧で武装した、忌まわしい〝強化ゴブリン〟の群れだった。
内臓を撒き散らして倒れている男は、もはや回復魔法でも蘇生不可能な領域だ。
周囲に黒幕であるサヴァロン本人の気配はないが、ここで下手に動いて雑兵に感知され、奥にいるはずの本体に逃げられでもしたら元も子もない。
グレンが息を殺して観察していると、やがて興味を失ったゴブリン達は、のそりのそりと洞窟の奥へと引き返していった。
直後、地響きのような重低音と共に巨大な岩壁がスライドし、秘密の入り口を物理的に完全封鎖していく。
「……幻影魔法ではなく、物理的な隠蔽ギミックか。なるほど」
推論の裏付けを取りながら、グレンが警戒しつつ血溜まりの男へ歩み寄ると、既に屍と思われたその男が、執念だけで微かに唇を動かした。
もはや声帯も壊れた虫の息だが、その者は最期の命の火を燃やし尽くすように、呪いの言葉を紡いだ。
「サ、ヴァ……ロン、が…………」
その一言を空気に溶かし、男は完全に絶命した。
月明かりに照らされたその顔と、赤黒いターバンには見覚えがある。グレンの記憶の断片から瞬時に一致したのは、あの地下遺跡で捕縛したシャトルファングの幹部、〝ベーチャ・ラーマ〟だった。とても似ている
だが、それよりも重要なのは『サヴァロン』という固有名詞が出た事だ。やはりアリアを罠に嵌めたのは、間違いなくあの狂人であるとの確信に至った。
グレンが男の這い出てきた近くの岩肌を慎重に探ると、不自然に成形された窪みを発見した。よくあるギミックに習って、そこに手を差し込み、微弱な魔力を流し込む。
すると案の定、魔力回路が反応したようで、再び、岩壁に偽装された分厚い扉が重々しい摩擦音を立てて開き始めた。




