高度な魔法
◇◇◇◇◇
アリアがローン公国へ向けて発った翌日。
グレンは、平穏なモブの日常に反して少し早めにギルドの仕事を切り上げると、フランシスカの住む豪奢な屋敷へと一人で足を運んでいた。
門番にギルド従業員である事を伝え、案内された豪奢な客間。
そこに静かに佇んでいた車椅子のフランシスカは、地味なグレンの姿を見るなり、一切の動揺を見せずに至極冷静な声で問うてきた。
「わざわざギルドの方が直接見えたという事は、依頼を受けたアリアさんに何か問題でも起きましたか?」
「い、いえ。そんな事は……。彼女なら、必ずフェアリーレイズを持ち帰ると思います。ただ、その前に……フランシスカさんには、僕から一つお願いがありまして」
「……私に、お願いですか?」
怪訝そうに小首を傾げる彼女に、グレンは単刀直入に答える。
「フランシスカさんの御事情は、アリアさんから全て伺いました。そこで……結婚式までの間のごく僅かな期間で、〝浮遊魔法の制御〟を身に付けてほしいのです」
「ふゆう…魔法……? 私は魔力血栓症の事もあり、魔法はひどく苦手なのですが。ちなみにそれは、フェアリーレイズの依頼と何か関係があるのでしょうか?」
「あ、はい。とても。とりあえず……」
言葉で説明するより早いと判断し、グレンは無言で、その〝浮遊魔法〟をフランシスカへと行使した。
瞬間。フランシスカは、ふわり、と。車椅子ごと己の身体が重力から解放される感覚を覚えたのか、息を呑んで驚く。
そして心奪われたように笑顔を咲かせると、すぐに「やります!」と、グレンの願い───というよりは自身の中から湧き上がった魔法への好奇心を抑えられないかのように、その訓練をする事を快諾した。
しかし、魔法の制御は一朝一夕で身に付けられるほど甘いものでない事をグレンが一番熟知している。
何故ならグレンが望む〝浮遊魔法〟は、一般的な「詠唱魔法」ではなく、己の体内魔力をイメージだけで変化させる「無詠唱魔法」の類いだからである。
無詠唱は熟練の魔法使いでも難しい。当然、魔法の訓練をシッカリ受けたことのないフランシスカに、そんな高度な術式が編めるはずもなかった。
故に、あくまでもその魔法の『起動と維持』はグレンが外部から行い、フランシスカにはそのベクトルの『制御』だけを身体で覚えてもらうという内容だ。
やるからには甘えは許されない。その血の滲むような特訓は、それから毎日おこなわれた。
グレンとて、極度のコミュ障を気合いでねじ伏せ、彼女の屋敷へと通い詰めるのは大変な心労である。
しかし、その努力とフランシスカの執念にも似た毎日の反復練習により、彼女は驚くべき吸収力で、その魔法の制御を自らの肉体に馴染ませていった。
そんな特訓の成果が、グレンの論理的基準で(これなら……本番でも破綻しないだろう)と判断できた頃には、タイムリミットである結婚式は三日後にまで迫っていた。
───そして結婚式二日前。
グレンは、本来のギルド従業員としての仕事を全うする為、再びフランシスカの元へと向かった。
それは本来、受付したフィルネが担当すべき〝依頼完了報告〟の業務だが。今回に限っては、その役目をグレンが一任して請け負った。
「……これは、アリアさんがローン公国の未開の地まで、フランシスカさんの為に死に物狂いで取りに行ってくれた〝フェアリーレイズ〟です。今のフランシスカさんなら、これを使えばきっと……願いを叶えられると思います。明後日、結婚式の直前にこれを飲んでください」
そう伝え、グレンはフランシスカに〝それ〟を手渡した。
魔昌石を削り出して作られた、淡い光を放つ特殊な小さなガラス瓶を。
「……本当に、あったのですか? いいえ、あなたの言う事なら、きっと本当なのでしょう。ありがとう。是非、明後日の式には参列してください。アリアさんと、依頼書を作ってくれた方も連れて」
────そして、結婚式当日。
招待されたグレンは、アリアとフィルネを連れて、厳かな聖教会で行われるフランシスカの結婚式に参列した。
そこでフランシスカは、見事にヴァージンロードを〝歩いて〟見せたわけだ。正確には、歩いたわけではないのだが、彼女の絶望的な事情を知る参列者たちは、皆一様に息を呑み、驚愕していた。
「うそぉ……?」
「本当に……本当に良かったね……っ」
フィルネはその光景に目が点になっており、アリアに至っては自らが持ち帰った〝奇跡〟に感極まり、大粒の涙まで浮かべていた。
だが。論理的に言えば、フランシスカは一歩も『歩いて』などいない。
長くボリューミーなドレスの裾により生足は見えないが、彼女の欠損した足が治ってなどいるはずがないのだ。
失われた肉体は、決して元には戻らない。それがこの世界の絶対的なルールだった。
ただ単純に。フランシスカは物理的に歩いているように〝移動して〟見せたのである。
グレンがフェアリーレイズと呼称して手渡した高純度魔昌石の瓶。その内部には、超高密度の〝浮遊移動魔法〟が込められていた。
それは極めて高度な術式で、グレンの魔力出力ならば空高く長時間飛んで見せる事すら容易いのだが、魔力血栓症を患うフランシスカの細い魔力パスでは、床から数ミリ浮くのが精一杯。
しかし、足が床から離れさえすれば、あとは前後左右へ〝ベクトルを移動出来るか〟だけの問題で、グレンが彼女に教え続けたのは、まさにその制御だった。
どのみち、一般的な浮遊魔法〝エアリアル〟は上下への推力が限界だが、グレンが編み出したオリジナル術式は全方位への「浮遊・移動」を可能にする。
ただ、その繊細な制御は詠唱による決められた行動パターンでは不可能であり、〝無詠唱〟───つまり、自分自身の体内魔力を直接ミリ単位で調整して制御するしかなく、こればかりは理屈ではなく「感覚」で覚えるしかない。
故にグレンは、直接フランシスカに浮遊状態を付与し続けた上で、〝前後左右への移動だけ〟を自分の体内魔力で制御出来るように、幾度も幾度もしつこく彼女の脳と身体に叩き込んできた。
しかし、魔昌石というマジックアイテムを使って浮遊状態を発生させるのと、常に外部からグレンが浮遊魔法を付与した状態で、〝ベクトルだけ〟を操るのでは勝手が全く異なる。
グレンの補助が一切入らない浮遊状態の制御は、ひとえにフランシスカのこれまでの血の滲むような練習の成果と、彼女自身の持つ異常なまでの〝センス〟だけが頼りだった。
とはいえ、結果的に彼女は、グレンの目の前でその絶望的な難易度の制御を完璧にこなして見せた。
魔昌石は、通常の魔力石の数倍の魔力を込めても臨界爆発を起こさない。グレンの桁外れな魔力を限界まで圧縮して込める事で、本来一時的にしか持続しない魔法を、継続的に解放し続ける外部エネルギーとしたのだ。
ただそれでも、結婚式が終わるまで魔力が維持出来る保証はなく。万が一落ちそうになった場合は、グレンが参列席から密かに浮遊魔法をかける事も計算に入れていた。
だが、フランシスカは無駄のない完璧すぎる魔力制御で、限りある魔力の消費も極限まで抑えれているようだ。
それはもはや努力で達成出来るレベルを超えた、愛する男と歩きたいという気合いにも似た〝愛〟の力なのかもしれない。
式が終わり、万雷の祝福に見送られた後の帰り道。
「あの薬、本当にフェアリーレイズだったのね」と純粋に尋ねてきたアリアに対し、グレンは重い口を開き、これまでの偽装工作の経緯を全て包み隠さず話した。
すると、アリアもフィルネも目を丸くして驚いた後、なるほどと納得し、「さすがグレンくんだよ」「見事な発想の転換ね!」と、心から褒め称えてくるのだが。
グレンは、そんな二人の無邪気な称賛を素直に受け入れる事は出来なかった。
何故なら彼女達は、最高に幸せそうなフランシスカの笑顔を目の当たりにした直後ゆえに、最も残酷で、最も重要な現実を綺麗に忘却してしまっているからだ。
グレンがした事は、あくまで彼女の願いの一部を違う形で叶えただけであり、脚を治したわけでも、余命を削り続ける〝死の病〟を治したわけでもない〟という事を────




