ギルドのゴミ箱
突然の聖女様の叫びに周囲の者たちが「あの依頼書……?」と内心で首を傾げたのも束の間、キョロキョロと辺りを見回した彼女の視線は迷うことなく、グレンを射抜いて固定された。
真っ直ぐに自分へ向かってくる「聖女」の姿は、グレンにとって、大型肉食獣の突撃と何ら変わりない。
彼はこの瞬間、自分が纏っているピンクのストライプ柄という、目に痛いほど派手な従業員制服を呪った。この悪趣味な布切れさえ着ていなければ、彼女の網膜に「ギルドの所有物」として認識されることもなかったはずなのだから。
もっとも、相手の用件が「業務」に関するものであるなら対処法は確立されている。
『僕には分かりかねますので、あちらの従業員にお尋ねください』
この魔法の一言により、責任という名のバトンを放り投げれば済む話なのだ。
───しかし、運命というやつは常に最悪のタイミングで脱線する。
「ねぇ、キミ! 朝、ベイナント渓谷にいたよね?」
その瞬間、グレンの脳内にある防衛マニュアルはゴミ箱行きとなった。
彼女の言葉は「従業員」という記号に向けられたものではない。紛れもなく「グレン・ターナー」という個人の行動を正確に捕捉し、その心臓に冷たい切っ先を突きつけていた。
「え?……はい? なんの話でしょう、か…」
「いや、きっとキミだってば」
「ど、どなたかと間違ってるん……じゃ」
しどろもどろ。語彙力の欠乏。必死に煙に巻こうとするグレンに対し、アリアは確信を深めるように一歩踏み込み、トドメの一撃を放った。
「あはっ! やっぱりキミだよ────ねぇ、あのゴブリン。どうやって倒したの?」
その言葉は、グレンの脳裏でけたたましく警報を鳴り響かせた。
何故なら、ベイナント渓谷での一件は、彼にとって墓まで持っていくべき最重要秘密事項だった。そして、彼女の言葉は事実をミリ単位の狂いもなく射抜いている。
(……何故、あの時に限って『感知魔法』をサボったんだ)
己の慢心を呪いつつも、一つの疑問が首をもたげる。
そもそも、何故「聖女」があんな僻地にいたのか?
ベイナント渓谷は、宝石商や物好きの鍛冶師が鉱石を求めて泥にまみれる場所であり、華やかな彼女がピクニックに訪れるようなスポットではない。
唯一、あの場所に関係する依頼といえば『ベイナント渓谷のゴブリン討伐』だが、その依頼書は数日前にグレン自身の手で「打ち切り」としてシュレッダーに放り込んだ。
もし彼女が、あのゴブリン依頼がグレンにとって〝秘密裏の裏仕事〟の対象であると知っていたなら─────
それはもはや隠蔽工作の失敗どころか、彼の人生という舞台装置そのものが崩壊しかねない大問題であった。
グレンは引き攣った笑みを浮かべ、精一杯の演技で首を振る。
「な、なんの話ですかね……。僕はただ、散歩……いえ、在庫確認をしていただけで……」
見え透いた嘘。だが、幸いにもアリアは「うーん……」と、その形の良い眉をひそめて自信なげな表情を見せた。
これで追及の手が緩む。そう安堵したグレンの隙を突くように、第三者の声が割り込んだ。
「おいおい、ゴブリンだって?」
人混みを割って現れたのは、一振りで家が一軒建ちそうなほど高価なロングソードを背負った男。その後ろには神官服の男と、鉄壁を体現したような重装甲の戦士が控えている。
彼らのパーティー名は『ヴァルハラ』。先頭で薄笑いを浮かべているのが、リーダーのレオン・ペルムだ。
「ちょっとアリアちゃん。この『ゴミ箱』がゴブリンを倒したくらいで驚くのは流石に大袈裟すぎるだろ。それ、遠回しに彼をバカにしてるのと同じだよ。ひっどいなー」
レオンはくすくすと、喉の奥で小馬鹿にするような笑いを漏らした。
彼にとって、グレン・ターナーという存在は「ギルド従業員」ではない。掲示板から古びた依頼書を剥がし、捨てるだけの存在。
彼がグレンにつけた『ゴミ箱』という不名誉な渾名は、今やこのギルドにおける「共通言語」と化しているのだ。




